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日本の名著

2016年8月30日 (火)

内藤湖南「応仁の乱について」

点検読書226

『日本の名著41 内藤湖南』(中央公論社、1971年)収録
原著は、『日本文化史研究』(弘文堂、1924年)収録


日本文化論――日本中世史


歴史は、下級人民が徐々に向上発展していく過程であり、日本社会において応仁の乱こそ、その転換期であった。日本の歴史を考えるにあたっては、応仁の乱以後のことをしていれば良い。それ以前というのは、外国同様にみなすべきだ。この時代は、旧来の貴族社会を徹底的に破壊し、貴族文化というものを民衆化したのである。


4部構成

1:貴族社会から民衆社会への移行

2:下克上とは

3:尊王心の民衆化

4:思想・文化の民衆化

コメント
 まずは本書のキモであり有名な一節を引用しておきましょう。

「だいたい今日の日本を知るために日本の歴史を研究するには、古代の歴史を研究する必要はほとんどありませぬ。応仁の乱以後の歴史を知っていおったらそれでたくさんです。それ以前のことは外国の歴史と同じくらいにしか感ぜられませぬが、応仁の乱以後はわれわれの真の身体骨肉に直接触れた歴史であって、これを本当に知っていれば、それで日本歴史は十分だと言っていいのであります。」(83頁)

 湖南によれば、応仁の乱以前というのは、氏族制度における貴族たちの社会であったが、この応仁の乱以後の戦国時代において、ほとんんどの名家は滅びてしまい、明治の時代になって華族に叙せられた旧大名家はこの時代に出てきたものである、といいます。
 つまり、この時代に徹底した社会変動があった、というのです。それを湖南は「下克上」と呼んでいます。通常の「下克上」の用法は、陪臣にすぎない家臣が順々に上の主君を押さえつけてゆく状態を指すのですが、当時の用法は「最下級の者があらゆる古来の秩序を破壊する、もっと激しい現象を、もっともっと深刻に考えて下克上と言ったのである」(87頁)と述べています。
 日本は、ヨーロッパ諸国にくらべて上下の社会階級の格差がないというのが、明治時代以来の考えでした。その一方で、敬語表現や所作など人間の距離感の取り方の堅苦しさというものがあって、かつては厳しい身分差別がありました。
 どういうことかというと、本当に社会階級のある社会では、話す言語も食べる物も食べ方も享受する文化も貴族と平民とでは異なります。そして、両者の接触もほとんどありません。そうした差というのは征服・被征服民族という歴史的経緯と1000年レベルの生活スタイルの違いによって生じます。
 一方で日本の場合は、さまざまな言葉遣いや所作で差別というものをつくっていますが、話す言語は同じですし、食べる物も豊かさに差があるだけで基本的には同じですし、食べ方に大きな違いはありません。そして、吉原など外の身分を取り外して遊ぶ場もあり、交流もないことはなかったのです。
 こうした差というものは何かと謎を解くのが、湖南の主張でしょう。つまり、日本は、応仁の乱以後の戦国時代において、徹底して旧来の社会階級・身分制度を破壊してしまったのです。それ以前というのは、集団のトップは旧秩序に関わる身分のある人物しか就けませんでした。東国武士団における源頼朝がそうですし、鎌倉幕府における摂家将軍・宮将軍です。しかし、戦国時代になるとトップは、あくまでも実力です。旧体制における身分と全く関わりのなかった豊臣秀吉が天下人になれたことからもよく分かります。また、天下を取った徳川家康も東国からフラリとやって来たという伝説がある人物の子孫に過ぎず、出自は謎です(参照)。
 このように、律令国家時代においては、神話的な「天孫族」系と「国津神」系など明確な支配・非支配集団の区分があったのですが、戦国時代以後になると、それはありません。同じ人間の実力によって、支配・被征服が区分されたのです。ですから、逆に様々な規制を設けて身分差別を演出しなくては、支配者と被支配者の区別がつきません。そのためにも、基本は同じ言語・所作であるにもかかわらず、あえて人為的に上の者が「貴様」といえば、下の者が「あなた」というように差をつけたり、上座・下座という座る位置を決めたり、不「自然」な差別をつくったといえるでしょう。
 いってみれば、現在の高所得者が低所得者と差をつけるためにブランド品を身につけるようなものです。両者は、所詮は同じ平民であり、また平民同士同じ情報と価値観があることが前提となります。なぜなら、もし低所得者層がそのブランドを知らなければ、そうしたものを身に着けていたとしても、差別という点で何の意味もないからです。
 また、こうした元々おなじ「平民」が支配者と被支配者に別れたわけですから、同じ「同族」として被支配層を大切に思う気分というものも生まれました。その点が、人民は領主の持ち物にすぎないと考える諸外国の貴族や官僚との違いを生み、またそれが極端な圧政に進まなかったために、急激な革命を引き起こさなかった原因ともなるでしょう。革命は、すでに戦国時代で成し遂げていたのですから。
 以上のように、この湖南の講演録は、短いながらも日本史における謎のいくつかを解き明かすヒントが散りばめられていて、日本史に関心のある人には必読のものでしょう。

評価 ☆☆☆☆

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