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イギリス

2016年6月 2日 (木)

君塚直隆『物語 イギリスの歴史(上)』

点検読書201

副題は「古代ブリテン島からエリザベス1世まで」。
中公新書(2015年)刊。


世界史――イギリス


紀元前6世紀頃のケルト人渡来から、紀元前1世紀半ばのカエサルのブリタニア遠征、ローマンブリタニアの形成と崩壊、そして5世紀前半から150年をかけて流入したアングロ人、サクソン人、ジュート人らアングロサクソン人がブリトン人を殺戮し、西端に追いやられた「ウェアルフ(異邦人)」と呼ばれた地域がウェールズ、アイルランドから渡来し北方へと住み着いた「スコティ(略奪)」するスコットランド、そしてアングロサクソン人によって支配されるブリテン島の大部分にあたるイングランド。これらを主とするイギリスの歴史は、この語、七王国時代、デーン人の征服、ノルマン人の征服を経て、征服王朝の君主の下、在地領主たちの抵抗が、議会制度へと発展していく。本書は、ウィリアム征服王以降のアングロ=ノルマン王国の君主たちと、在地領主たる貴族たちの抵抗の結果としての議会という二つの軸でイギリスの歴史を物語る。


六部構成

1:古代ブリテン島(石器時代、ケルト人流入、ゲルマン人の流入、七王国時代、デーン人の征服、ノルマンディ公ギョームによる征服)

2:ノルマン王朝の時代(ノルマンディ公ギョーム=ウィリアムの戴冠、ヘンリ1世の「アングロ・ノルマン王国、皇妃マティルダとスティーブンとの内乱)

3:アンジュー帝国の時代(ヘンリ2世の大帝国、リチャード獅子心王の遠征と虜囚、ジョン王とマグナ・カルタ、帝国の崩壊)

4:プランタジネット朝の時代(在地領主たちの議会)

5:百年戦争とバラ戦争(フランスへの征服戦争とランカスター家とヨーク家の戦い)

6:チューダー王朝の時代(ヘンリ8世の国教会確立とイングランド王国の独立維持)

コメント
 中公新書の『物語 ○○の歴史』シリーズは、「物語」と題している割には、著者の個性が強く出すぎて、その国民が自分たちの国の「物語」として理解しているような英雄豪傑たちの活躍よりも、社会史的な問題関心からあえて、そうした支配層の戦争や政争による興亡の歴史を廃したものがいくつかあります。日本で言えば、源平合戦の一ノ谷や壇ノ浦のエピソード、戦国時代の桶狭間、長篠、本能寺の変がない歴史を「物語」といえるか、といったところです。
 本書は、そのツボをシッカリとおさえています。本書は、まったく真逆の王たちの物語であり、議会として勢威を誇ろうとする在地領主たちの戦いの歴史を主としています。これこそ『物語 ○○の歴史』として読みたかったものではなかったか、そんな気がします。社会史的関心による民衆の歴史というのは、こうしたその国の歴史の軸となるようなものを経て興味が出てくるわけで、新書版の『物語シリーズ』はこうでなくてはなりません。はやく『物語 アメリカの歴史』と『物語 ドイツの歴史』の新装版を出すべきだと思いますね(『アメリカの歴史』はあれはあれで面白かったのですが)。
 本書を読んで分かることは、イギリスの王室というのは、あくまで征服王朝、主にフランスを本拠地とする領主を君主として戴いており、そうした外部の有力者を王として必要としつつも、実質的には在地領主たちのコントロール下に置きたい。その結果が議会とマグナ・カルタや権利請願、選挙法など国制に関わる諸法(憲法)による支配として結実していることです。似たような力関係によって、誰も互いに王として認めることのできない貴族たちが、外部から君主を呼び寄せて、バランスを取る、その上で実質的支配権を貴族たちが握ろうとする、ということになります。
 何となく、日本と似ているのではないか。そんな気がします。日本の皇室の起源がどこにあるか分かりませんが、一度、他の領主層と異なるものとされると、そうしたものが存在することで、座りが良くなるのです。こうした慣行は、武士の時代も皇室に連なる貴種を将軍として戴き、あとは有力家臣団で実際の政治を行なう。また、明治維新後の天皇国家も同じでしょうし、戦後の政党政治もまずは官僚という外部の権威を推しいだき、近年は世襲議員という貴種を戴くことで、座りを良くするという慣行になっています。あとは、外圧を利用するというのも、似たような印象もあります。
 それはともかくとして、本書は、我々一般人が「イギリスとは何ぞや」と考えるに際しての、基本的な歴史であり、そしてまたイギリス人自体が考えているであろうイギリス人の「物語」をシッカリと学べる作品となっています。だいたいこんなのは知っているよ、というマニアの方には不満でしょうが、そうした人は新書なんて読まないわけですから、これぐらいのものをもっと揃えてほしいものです。

評価 ☆☆☆☆

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2016年2月26日 (金)

川北稔『イギリス近代史講義』(講談社現代新書、2010年)

点検読書134


歴史――イギリス


家族史と人口史、都市の問題、とくに都市における庶民生活の問題など、社会史と世界システム論を組み合わせて、庶民生活が世界システムの作用を通じて、いかに結びつき、今日につながっているかという問題意識に基づいたイギリス近代史。


五部構成
1:都市と農村の庶民生活から歴史を見ること(第一章)。

2:「経済成長」の起源としての「政治算術」=統計学(第二章)。

3:ヨーロッパの世界進出の理由=域内競争。イギリスにおける植民地の意味=救貧対策・ポストの確保(第三章)。

4:イギリスで産業革命が起きた理由=輸入代替としての産業発展、地主のメンツによるインフラ整備(過少資本)。

5:「成長パラノイア」の陰画としての「衰退」論(第五章)。

コメント
 社会史というのは、玄人向けの関心ですよね。英雄豪傑の活躍は分かった、でもその時庶民はどんな生活をしていたのか、といった「歴史物語」ではなく「歴史」が好きな人向けです。でも、これらは前提としての英雄豪傑の話を知った上での関心ということになるので、それらが分かっていないで、いきなりこちらを読まされても固有名詞のない、現実的なのだけれどもかえって抽象的に見えてしまう、という感覚に読者が陥ってしまう。そんなわけだから、どうも私には苦手です。歴史は好きだが、いつまでたっても「歴史物語」受容者なのです。そこが、当ブログのタイトルが「万年書生」といったところなのですが。本書は、その社会史なのでざっとか関心はもてませんでしたが、その中でも興味をもった点を以下にメモしました。

Ⅰ 近世イギリスの家族の特徴(26~34頁)
 第一に遅くとも17世紀には単婚核家族であったこと、第二に20代後半に結婚する晩婚の社会であったこと、第三に14歳前後から短くて7年、長ければ10年以上、どこかよその家に奉公に行くこと。
 これは第三の約10年の奉公が前の第一と第二の特徴へとつながっていく。つまり、一つの夫婦の家の子供が14歳前後で他の上流階層の家に奉公に行く。そこで子供は10年ほど奉公するわけであるから年齢は二十代半ばに達することになる。奉公人は原則として独身であるから、離職後、結婚すると自然と20代後半の結婚となる。さらに10年前後の奉公で一定の財産を得ることになるので、親と同居ではなく自らの財産で生活することになる。つまり、核家族になるというのである。で、そうなると年老いた親が夫婦もしくは単身で生活しなければならない。そうなると救貧法というかたちで福祉制度が必要になる、とつながるそうである。
 これに近い話を宮本又郎『企業家たちの幕末維新』で、宮本氏によると、近世の日本でも経済が好調で都市で奉公が必要になった時期には、結婚年齢が高齢化して、人口抑制効果が進んだとか。イギリスと日本の人口抑制の共通性についての研究もあるようですが。

 著者は、近世イギリスの晩婚を強調するために1920年代生まれの自分の叔母は13~14歳で結婚したと言っているがこれは勘違いではなかろうか(26頁)。一応、戦前の日本も近代国家であるから民法は存在し、第765条には「男ハ満十七年女ハ満十五年ニ至ラサレハ婚姻ヲ為スコトヲ得ス」とあります。もっとも家族内でうちうちに住まわせて、婚姻届はその後、というケースも考えられなくはないので、どうだかわからないが。

Ⅱ イギリスの医者あれこれ(42~43頁)
 医者というの英語で言うとdoctorになるわけですが、しかし、ドクターは博士という意味で、政治学博士も法学博士もドクターですわね。もともとドクターに医者の意味はない。で、イギリスにおいては、内科医にあたるのがphysicianで外科医にあたるのがsurgeonという。で、このサージャンというのはもともとは散髪屋で、刃物を使う、見た目に関わる職業ということで外科医の方へと変わったそうです。

Ⅲ ADとBC(119~124頁)
 BCというとBefore Christというのはすぐに出てくるけど、ではADはというと出てこない。その理由といえば、ADがAnno Domini(アンノドミニ。主の後)はラテン語で馴染みがないから、という事になりますが、ではなぜBCは英語でADはラテン語か。中世に歴史が書かれるようになった時、歴史を書く人はほとんどが修道士で、彼らはもちろんラテン語で書く。そして彼らは、キリスト誕生以前のことは聖書に書かれているため、誕生以後のことしか書かない。だから、考え方としてキリスト誕生以前という発想がないために、紀元前という言葉が生まれない。
 で、主権国家の時代がやってくると、現地語つまり英語でものが書かれるようになってくる。それと同時にキリスト誕生以前のことのタブーもなくなってきて、それ以前を言及するようになる。そうした過程において、BCというのが生まれたという事になったとか。だから、当然、ドイツ人やフランス人はBCとは言わない。それぞれ、avant jèsus christでAV.J.-C.となり、vor Christi GeburtでV.Chr.となる。

Ⅳ なぜヨーロッパは対外発展したか(129~131頁)
 古代から近世にかけて最も発展していた地域は中国もしくはイスラム圏であったのであろうが、なぜ中国などが停滞し、田舎に過ぎなかったヨーロッパが発展できたのか。これは単純に競争があったか、なかったか。
 中国などの地域では、基本的に皇帝という圧倒的な武力をもった権力者のいる中央集権体制であった。そのため、基本的に内部に競争がおこるということはない。仮に競争が起きたら、それは鎮圧されるか、取って代わって競争相手が皇帝になる、というかたちで、常時競争が起きるわけではない。
 これに対し、ヨーロッパでは神聖ローマ皇帝などがいたものの、権力は弱く、その下に強力な封建領主たちがしのぎを削るという状態にあった。そのため、重商主義というかたちで経済の競争が起り、さらには武力による競争も起きる。そうなると相手を出し抜くためにも、よりよいものを生み出そうとして、経済も武器も発展する。そのエネルギーをヨーロッパ圏以外に発展させた、ということである。

Ⅴ イギリスにおける植民地の利用法(147~148頁)
 イギリス社会において、経済的に生きていけない人、経済的な問題は抱えていないけど、生きづらい人を植民地へと押し出すということがあった。それらは移民であるが、国家の政策として、例えば刑罰においてイギリスでは刑務所に収監するということあまりなく、植民地へと行かせる。植民地であれば、屈強な犯罪者であればあるほど、貴重な労働力として売れるし、孤児などもアメリカに流される。アメリカ独立後は、オーストラリアで同じことが起り、南アフリカでも孤児院その他の施設から流される人が多かった。

評価 ☆☆


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