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岩波新書

2016年10月 3日 (月)

渡辺将人『アメリカ政治の壁』

点検読書237

副題は「利益と理念の狭間で」
岩波新書(2016年8月30日)刊


アメリカ――政治学


泡沫候補と見られていたドナルド・トランプ氏の大統領選挙での本選挙出馬に見られるように、アメリカ政治は混迷の度を深めている。その原因は、冷戦終結後の民主・共和両党の政策スタンス、理念の転換により、支持層が錯綜し始めたからである。本書は、その源流にまで立ち返って、現在の大統領選に至るまでの、トランプ氏の台頭とサンダース氏の健闘という新しい流れを位置づける。


4部構成

1:2016年のアメリカ大統領選挙の諸相(Ⅰ)

2:雇用・宗教による民主・共和の支持層の分裂(Ⅱ)

3:外交と世代交代(Ⅲ)

4:リベラルの系譜(Ⅳ)

コメント
 現在アメリカの源流は、フランクリン・ローズヴェルト政権にあったといえます。
 ローズヴェルトは、失業者の救済、経済の復興、改革を三つの柱としたニューディール政策を掲げ、従来の民主党の支持者であった南部白人、カトリック信徒に加え、都市の移民、労働者層、アフリカ系の人々にまで支持を拡大しました。本書が、依拠するアメリカ政治を専門としていた砂田一郎によると、ローズヴェルト政権は、「理念」ではなく「利益」で大多数の支持層をつなぎとめていたということです。

 こうした路線は、リンドン・ジョンソン政権の「偉大な世界」という福祉制度の充実にまで続いていくわけですが、同時期のベトナム戦争への反対運動や黒人差別の撤廃を訴えた公民権運動、またフェミニズム運動への対応により変化します。民主党は支持層を反戦運動家やアフリカ系、フェミニストへと拡大の手を伸ばそうとしたのですが、これがかえって従来の支持層であった南部白人、カトリック教徒、そして一部の労働者層の離反を招くことになります。

 アフリカ系有権者の拡大のために、これまで差別に手を染めていた南部白人層が民主党から離れて、共和党へと移行するのは分かりやすいです。では、労働者層は、というと、一部の労働者は軍需産業に職を得ている人がいるのです。そうすると反戦による戦争の縮小は、彼らの職を奪うことになります。ベトナム戦争の性質そのものや外交の手段としての戦争をするかしないかには、議論があります。現に戦争を取りやめたのは、共和党のニクソン政権でした。しかし、原理的な反戦平和主義を取り入れると、防衛予算の縮小による軍需産業の低迷を招くことになりかねませんので、彼らにとって不利となります。ですから、戦争への支持・不支持そのものよりも反戦平和主義へとウィングを拡げることが、一部の労働者層には不満があるのです。そうした理由か、例えば民主党のクリントン政権などで定期的に空爆など小規模戦争をしたのも、労働者層の支持をつなぎとめるためとも言えるかもしれません。しかし、オバマ政権になると、そうした「利益」政治よりも平和主義という「理念」を優先して、できる限りの戦争を避ける外交政策をとったために、労働者層からの離反があったと言えるでしょう。これが、サンダース氏やトランプ氏に期待が集まった理由の一つかもしれません。これを見ても、アメリカが戦争経済にどっぷり浸かってしまっているといえるでしょう。

 では、カトリックの離反はと言うと、フェミニズム運動の課題の一つに、中絶の権利の獲得がありました。カトリックとしては、これを容認するわけにはいかないという事情がありました。カトリックは、平和、貧困、公民権などではリベラル勢力に協力できました。しかし、彼らは、避妊も認めない立場であるし、お腹にできた子供はその瞬間から「生命」と考えていますので、それを「殺害」する中絶は容認できません。

 本書を読んで勉強になったのは、人工中絶反対が、何故こんなにもアメリカで大きな問題になるかというと、単に宗教問題ではなく、モラルの問題でもある、ということなのだそうです。つまり、中絶問題は、貧困や強姦などの事件や母体の安全などを理由とする望まない妊娠への措置ではなく、急進的なフェミニズムの側(プロチョイス派)の「性を楽しむ権利」の是非に関わってくるということです。病気というリスクを考えなければ、性交渉において、リスクを負うのは女性となります。妊娠期間は、辛いし、生むのも痛いし、産んだ時にその相手の男はいなくなっているかもしれません。そうしたリスクを軽減するためにも、中絶を罪ではない、という考え方を広めるためにも、中絶は法的に認められなければならない。こういう主張です。そうすると、性の快楽のために、生れた生命を弄ぶということで、普通の人にも中絶反対の訴求力があるというのです。正直な急進派が、中間派を反対に追いやって改革を邪魔する好例がここにあるわけです。

 あともう一点、興味深かったのは、マイケル・ムーア監督の『ボーリング・フォー・コロンバイン』や『シッコ』に見られる諸外国との比較という手法をアメリカ人は受け入れない、ということです。我々日本人は、「○○では~」と諸外国の例を取り上げて、日本の「遅れ」や「異常性」を訴えることで、改革への支持を獲得しようとします。しかし、アメリカ人は、外国を例に挙げられてアメリカン・ウェイを批判するという手法を嫌がります。あくまで「アメリカのために良いこと」という方法で説得しなければならず、「○○並に」というような主張は禁句だそうです。やはりアメリカ人は世界の中心なのです。

 これらにとどまらず、現在のアメリカは民主・共和の両党の支持層が錯綜した困難にあるというのが本書のメッセージです。その点で、右派的なイデオロギーの「理念」を掲げつつも、左派的な「利益」政治を主張するトランプ氏は、彼がかつての民主党員であったという経歴からも、新しいのではなく、過去のアメリカが我々の前に現われている、と言えるでしょう。そうした意味でも、今回のアメリカ大統領選挙を見守るのに良い手引になる本だと思います。

評価 ☆☆

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2016年8月 5日 (金)

吉村武彦『蘇我氏の古代』

点検読書212

岩波新書(2015年12月15日)刊。


日本古代史


欽明天皇から皇極天皇の時代に仏教を導入し、絶大な権力を誇りつつも、乙巳の変で滅ぼされた蘇我氏。本書は、蘇我氏の登場から大化の改新後の蘇我氏傍流とそこから派生した石川氏への流れとともに、日本の氏族制度と律令国家の貴族官僚としての藤原氏の登場までを描く。


五部構成

1:日本古代の氏族(一)

2:蘇我氏の登場(二)

3:蘇我氏の隆盛(三)

4:大化の改新(四)

5:蘇我氏から藤原氏へ(五)

コメント
 本書は、蘇我氏の登場から衰退、そして蘇我蝦夷・入鹿親子の滅亡後の蘇我氏を描いているものです。通史的な教科書を読んでいると乙巳の変で、蘇我氏は滅びてしまったんだろうな、と思ってしまいますが、実は傍流として生き残っていて、後に「石川氏」として律令国家の官僚貴族として活躍していったことが述べられています。そういえば、乙巳の変の際に、三韓からの表文を読んでいた倉山田麻呂は、蘇我氏の出でしたから、この事件は蘇我氏を滅亡させた事件ではなく、蝦夷・入鹿親子を葬り去った事件であったのは、考えてみれば分かることでした。
 そうしたわけで、その後の蘇我氏についても書かれているのですが、興味を惹かれたのは、冒頭の日本における氏族について書かれていたところでした。
 そもそも氏族とは何かですが、まず中国の「宗族」についての説明があります。それによると、中国の宗族とは、共通の祖先から生じた男系の血縁集団を表し、その集団を「姓」と呼びます。この名乗っている「姓」によって、同族か否かを知ることができるのですが、血縁集団が非常に分かりやすいので、同じ姓の男女は結婚しないという同姓不婚の原則があります。この同姓集団のことを人類学において「氏族(クラン)」というのだそうです。
 この姓から派生し、政治的由来や居住地名などによって成立した血縁集団を「氏」といいます。例えば、官職名の司馬や国名の曹が氏となって血縁集団を表すようになりました。しかし、こうした姓と氏の違いというのは、秦漢時代には区別されなくなって、同義として使われるようになったというのです(14頁)。
 一方の日本はというと、もともとは、そうした血縁集団はなく、名前だけであったようで、例外的に、中国と交渉する際に王族が、「倭」を姓としていたようです(例えば、倭の五王の武は「倭武」)。また、渡来系の人物が、姓を名乗っています(司馬曹達など)。しかし、これらは中国との関係で名乗られたもので、日本国内の事情によって生じたものではありませんでした。そのため、中国との交流に距離を取り始めると、王族=皇室は「姓」を名乗らなくなります。言ってみれば、中世の対中貿易するために足利義満が「日本国王」として冊封される必要があったように、姓と名があることが文明国のあかしとして考えられたということでしょう。
 日本の事情で生じたのは、「杖刀人(じょうとうにん)」や「典曹人(てんそういん)」など王権に仕える職掌集団が血縁グループとして使用されたと推測されます。これを本書では「人制」と呼んでいます。これが後の社会的分業集団にあたる「部民制」へと移行したと論じます(馬養など)。そして、その後に物部氏などの氏族が誕生したという流れになります。
 そうなると、日本の氏族集団というのは、あくまで王権に奉仕する集団で、そうした名乗りを与えるのは、職掌を与える王族となりますので、王自身は「氏」を名乗る必要がなくなります。その後、この職能に関わる氏から「源・平・藤・橘」に見られるように、地名などから採られた名称を天皇から与えられる姓へと転換しました。
 ちなみに、こうした氏・姓は天皇から与えられるものであり、姓と名を続けて読む際には、「○○の☓☓」と「の」をつけます。「の」がつかない「氏名」・「姓名」は地名などから自ら名乗りはじめた「名字(苗字)」になります。

 また、蘇我氏というと仏教導入を進めたことで有名で、蘇我稲目以前の系譜でも百済の高官「木満至」に似た満智やそのものズバリな韓子、高麗と朝鮮半島っぽい名前が付いているので渡来系氏族と推定されることもあります。しかし、著者は『日本書紀』継体紀に、日本人の男が隣国の女を娶って生ませた子を「韓子」とするという記述を引いて、「韓子」自身が渡来系であるなら説明がつかないとして、異国へのあこがれが強いとは考えられるものの、渡来系氏族とは考えられない、と指摘しています(60~61頁)。この辺りは、漠然としたイメージで考えていたことがクリアになったので、勉強になりました。

 こうした小ネタが興味深かったのですが、もう一点、興味が惹かれた話題がありました。それは次回に。

評価 ☆☆

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2016年6月 9日 (木)

吉田孝『歴史のなかの天皇』

点検読書205

岩波新書(2006年)刊


日本史


古代史研究者の著者が、卑弥呼の時代から近現代まで、東アジア世界との関係を視野に入れつつ、天皇の歴史をたどり、日本における王権のあり方を論じる。


四部構成

1:古代の「王」から「天皇」へ(序章、一、二、三、四)

2:武家政権との複式王権(五、六)

3:近現代の天皇(終章)

4:天皇家はなぜ続いたのか(おわりに)

コメント
 古代史専門の著者が、近現代までの通史を書いてしまっているのも驚きであるが、岩波新書というレーベルの割には、天皇および皇室への敬意の感じられるのが、また新鮮でした。もっとも、皇室への尊崇の念に凝り固まった読者からすると、不十分かもしれないが、かなり抑制的に論じられていることに、バランスを感じさせます。
 本書の最後に述べているように、「日本」というのは、「倭人」=ヤマト民族の中の皇室がつくった王朝名です。漢民族の「漢」とか「晋」とか「宋」などと同じで、本来は別物であったのが、あまりに長く皇室を戴く体制というものがつづき、近代国家としても採用されたがために、日本=我らの国ということになりました。日本神話は、日本人の神話ではなく、皇室の神話にすぎない、という主張がありますが、当然といえば当然です。天皇を中心とする皇室が建国した「日本王朝」の神話なのですから、その王朝の起源を神話として描いているのです。そこから考えれば、皇統が絶える時、それは王朝名としての日本の滅亡です。仮に革命を起こして、王のいない国という意味の「共和制」が実現したら、それは「日本」ではなく、別の国名が必要となるでしょう。かつては「天皇制廃止」を訴えていた「日本共産党」は、「日本」と冠している限り、本当の革命はできないでしょう。
 そのようなわけで、天皇を中心に通史を書くことは、皇国史観でなくても、「日本」の通史となってしまいます。本書も、天皇という軸のある通史として読まれるべきで、しかも基本用語が事象の復習となって勉強になる作品です。
 古代史も好きではあるものの、細かい事情については、いい加減な理解しかしていなかったので、臣と連の違いが、娘を大王と結婚させられるのが「臣」、婚姻関係を持たずに大王に直接仕えるのが「連」など、大変わかりやすい。また、推古天皇と聖徳太子の関係を、卑弥呼と男弟と同様に、一つの王権を二人で分け合う「複式王権」だと論じ、この複式王権のカタチが、日本のその後の政権の基本的枠組み――摂関政治、院制、武家政治、将軍と執権・老中など――となったと主張されます。これが伝統なのだ、といわれれば、そういうものか、という感じもしますし、その理解へのもどかしさに、はっきりとした名称を与えられて、すっきりしました。
 また、足利義満の「日本国王」問題に関しても、著者の説明によれば、義満は「日本准三后道義」の署名で明の皇帝に上表しているが、「准三后」とは、太皇太后・皇太后・皇后に准ずる地位であって、自分が天子・天皇より下位であることを認めていたことを示しています。その「准三后」の義満を明の皇帝が、「日本国王」に冊封しているので、「天子・天皇」を否定せずに、併存・共存していることを指摘しています。これはなるほど分かりやすい。もっとも、著者は、その後の義満の天皇を超えることの野心についても述べているので、バランスが良いといえるでしょう。
 中世・近世に関しても、戦国大名たちが、自らの行動を正統化するために天皇の権威を利用することを通して、天皇の権威が高まっていったことを指摘し、豊臣政権でその頂点に達し、徳川政権においても天皇が将軍を権威づける役割や地図上の位置など、形式的な天皇の権威」について述べられているものの、浄瑠璃や歌舞伎における天皇の役割が滑稽なものとなっていることも指摘されています。
 以上のように、歴史における天皇位置づけを理解する基本文献といえるでしょうし、通史の復習としての便利な本です。

評価 ☆☆☆

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2016年5月 9日 (月)

渡辺照宏『仏教 第二版』

点検読書187

岩波新書(1974年)刊。


宗教――仏教


「仏教とは何か」に答えるために書かれた本書は、まず常識的な既成概念の批判からはじめ、仏教を生んだインドの精神的風土を考察し、これを前提に、仏陀の生涯を概観して仏教の基本的問題に及び、仏陀の弟子たち、後継者たちの生活を紹介する。


六部構成

1:中国仏教とインド仏教の相違・既成概念批判(Ⅰ)

2:「仏陀」とは宗教家か、特別な人間か、多数の仏陀の一人か、精神的存在か、様々に顕現する存在か(Ⅱ)

3:仏陀誕生以前のインドの精神的風土(Ⅲ)

4:仏陀の生涯(Ⅳ)

5:弟子たちと聖典・教団の成立(Ⅴ・Ⅵ)

6:仏教の思想と信仰(Ⅶ・Ⅷ)

コメント
 本書は、仏教に関する本です。その仏教とは、あらゆる国で定着している地域宗教としての仏教ではなく、インドに生まれた仏陀の教えとしての仏教です。ですから、まず我々日本人が、当然と思っている仏教的な概念や習慣が実は本来の仏教とは関わりのない解釈された仏教であることを明らかにすることから始まります。
 また、そこが面白いところでもあります。例えば、我々日本人は、死ぬことを「成仏する」と表現することがあります。しかし、「仏」=仏陀とは「目覚めた者、完全な真理を発見した者」であり、歴史上、仏陀となったのはシャーキャムニと呼ばれたゴータマ一人だけです。ですから、「仏に成る」=成仏は非情に困難なものなはずです。それにもかかわらず、日本人は、死ぬと成仏してホトケ様となると考えます。また、読経や念仏で死者が成仏するという考えは仏教にはないようです。オカルトやファンタジーで僧侶が、悪霊に対して読経して戦いますが、あれは中国由来の仏教に関わるものであって、普遍的なものではありません。また、「往生」という言葉があります。これも「成仏」と同じように、死を意味しています。しかし、往生というのは、修行に適した仏国土に「往く」ことを意味していますので、成仏の手段であって、成仏そのものではありません。それにもかかわらず、浄土教系の宗派では、極楽浄土へ往生することが目的となってしまっています。さらに、先に挙げた「念仏」も心の中で仏を念ずることはあっても、口に出して唱名することもないそうです。
 では、どうしてこのような変化が起きてしまったのか。それは、我々日本人の仏教が、あくまで中国由来のものであったからというものです。
 本書が指摘しているように、「一般に外国文化を受容するに際しての中国人の態度を示す一例と見てもよいであろう・つまりインドの仏教をありのままに客観的にしるというのではなくて、中国人にとって必要と思われる要素だけを摂取すればその他は捨てて顧みないのである」(13~14頁)。
 もちろん、こうした傾向は中国人に限らず、日本に入ってきた様々な文物も日本人に適するようにカスタマイズされることは当然です。しかし、インドから中国へやってきた仏教僧への中国人の仏教徒の態度を見るに、その傾向はかなり強いともいえます。
 例えば、パラマールタ(真諦)という僧が中国へインド仏教を伝えにきた際には、智顗の天台が勢力を持ちつつあったので、それが顧みられることはほとんどなかったようですし、そのパラマールタの漢訳仏典を継承しようとした玄奘も力を持つと、インドからやって来たプニョーダヤの存在を快く思わず、なかばだまし討のようなかたちでプニョーダヤが持ち込んだ仏典を奪ってしまいました。
 その上、玄奘が持ち込んだり、奪ったりしたサンスクリット語の仏典が散逸していることを考えると、彼等にとってオリジナルのものというのはあまり意味のあるものではなかったようなのです。
 こうしたいびつな形で仏教が日本に入ってきたために、本来の仏教とは異なる地域宗教としての仏教を仏教と我々は信じてしまっています。そこに揺さぶりをかけるのが本書で、まさに後半はインド仏教とは何か、を紹介してくれる古典中の古典が本書です。
 ですから、日本における仏教とは何かを考えるにあたっては、本書は趣向が違いますし、難解かもしれません。しかし、世界宗教としての本来の仏教のものの考え方を知る入門書としては最適なものではないか。そのように思います。

評価 ☆☆☆☆

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2016年5月 7日 (土)

河原理子『戦争と検閲』

点検読書186

副題は「石川達三を読み直す」。
岩波新書(2015年)刊。


日本史――メディア史


「生きている兵隊」で発禁処分を受けたことで知られる石川達三であるが、その裁判で問われたものは何であったか。また、戦後のGHQの検閲で問われたことは何であったか。また、讒謗律・新聞紙条例に始まる明治国家の言論統制の歴史を戦争報道との関わりを論じる。


四部構成

1:「生きている兵隊」事件と裁判(第1章)

2:明治国家における言論統制法の歴史(第2章)

3:戦争末期の石川達三(第3章)

4:GHQに差止められた石川達三(第4章)

コメント
 石川達三の『生きている兵隊』については、以前こちらで紹介しました。本書は、その発禁された小説についての掲載経緯や伏せ字、発禁処分、事情聴取、裁判の記録等々に加えて、未発表のルポルタージュ「南京通信」などを紹介しています。
 私としては、この「生きている兵隊」の背景となった石川の取材やモデルとなった人物と、現実の戦場で彼が見てきたものなどを期待していたわけですが、それらの点は特にふれられてはいないようです。つまり、面倒な南京論争に加わるものではなく、「検閲」の問題が主な関心事です。
 そうしたことで肩透かしを食らったのですが、石川自身は別に強い反戦意識を持っていたわけでもなく、軍の威信を傷つけようとしたわけでもなく、単純に「本当の戦争というものを書いてやろう」という創作意欲に突き動かされていたこと、検閲において「生きている兵隊」が外国スパイによって利用される懸念が指摘されていましたが、事実として中国で多く翻訳されていたことなど興味深い話がありましたし、第2章の新聞紙条例から新聞紙法へと至る言論統制の歴史、そして当事者たちはあまり新聞紙法の問題点を意識していたなかった等々、メディア史としての読むには良い本かと思いました。

評価 ☆☆

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2016年1月21日 (木)

山辺健太郎『日本統治下の朝鮮』(岩波新書、1971)

点検読書104


歴史――日本史


三十六年間(1910~1945)にわたる日本統治の朝鮮について、統治機構、経済状況、朝鮮人側の反応、統治方法の変遷の実態を描いたもの。


四部構成
1:韓国併合施行から三・一独立運動まで。総督府の統治機構、土地調査と再編、日本資本の進出、三・一運動の背景と実態・弾圧にまつわる惨劇の実例(1~3)。
2:文化政治といわれる斎藤実総督時代の実態と抵抗主体の民族主義者から左翼運動家への転換の諸相(4~5)。
3:満洲事変以降の兵站基地として経済・社会ともに再編される実態(6~8)。
4:総論として、軍人統治の非効率と異民族統治の困難(9)。

メモ
・池田勇人首相の日韓関係についての議会での発言(ⅱ)
「日本と朝鮮との過去三六年にわたる不幸な歴史といっても、どんなことがあったか寡聞にして存じておりません」。

・同時代の併合条約批判(7頁)
「韓国併合ニ関スル条約」第一条
「韓国皇帝陛下ハ韓国全部ニ関スル一切ノ統治権ヲ完全且永久ニ日本国皇帝陛下ニ譲与ス」
←「法理ヲ正シク言フトキハ我国ハ韓国ノ統治権ノ譲与ヲ受クルモノニ非ス我固有ノ統治権ノ韓国ノ旧領土ニ拡カリ行ハルルニ至レルモノナリ」(立作太郎「韓国併合 国際私観」、『法学協会雑誌』第二三巻第一一号)。

・1912年12月30日訓令第四十号の笞刑執行心得について(22頁)
 著者は笞刑を「受刑者を刑板にしばりつけ、受刑者の号叫が外にきこえないように、口にしめった布をあて、臀部を露出して笞でうつという、すこぶる残虐な刑罰」とし「およそ近代法のもとでは考えられない」と指摘している。
 「残虐な刑罰」であるのはそのとおりだと思うが、大韓帝国では1905年の刑法大全でも笞刑は残っており、そことの関係についてもふれるべきではなかったろうか(朝鮮笞刑令は1920年に廃止)。また、イギリスでは1948年9月まで監獄内での鞭打ちはあったらしい。

・三・一独立運動の犠牲者数
 著者は、三・一独立運動の「砲火で殺された朝鮮人はおそらく十万人以上になるだろう」と推定しているが、その根拠が、憲兵駐在所が98ヶ所、憲兵派遣所が877ヶ所、憲兵出張所(のち派出所)が43ヶ所あって、駐在所では例外なく発砲して殺害が行われ、他の場所でも示威運動への発砲が例外なく行われているためというものである(96頁)。そうすると1ヶ所あたり100人の殺害を想定している。
 しかし、堤岩里事件のような組織的な殺害事件でも約30人であり、憲兵の所在地1つあたり100人以上という想定はかなり粗いのではないか。

・創氏改名は「近代的」?(202頁)
 鈴木武雄『朝鮮統治の性格と実績』(1946年)の見解を批判的に紹介
 鈴木によれば、創氏改名は血縁集団の姓から家集団である氏の創設を意味するという点で「近代的」であったが、形式的皇民化政策に利用された、との見解を示している。

・志願兵の多さについて。
 戦時下の朝鮮における志願兵の多さは、他国支配を拡大すれば、自分たちが支配身分となるのでは、との淡い期待を抱いたためではないかと推測している(221頁)。
 1938年は2946名
 1939年は12348名


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2016年1月20日 (水)

柿崎明二『検証 安倍イズム』(岩波新書、2015)

点検読書103

副題は「胎動する新国家主義」。


日本政治


「戦後日本の歴史転換点」が訪れている。その中心にいる人物が安倍晋三である。本書は、著書、議会での発言等、公式に安倍の発言となっているものから、彼の目指す方向を「国家先導主義」と表現し、その問題点を指摘する。


四部構成
1:第2次安倍内閣の諸政策における国家の役割の大きさ、また物事に積極的に関わろうとする姿勢の例について(第一章)。
2:安倍が「取り戻す」とする価値―自立的な国家、歴史観、憲法について(第二章)。
3:安倍の国家観に影響を与えたとされる岸信介との異同(第三章)。
4:国家の自立と対米関係及び国家と個人との関係の反転について(終章)。


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2016年1月14日 (木)

関一夫『赤ちゃんの不思議』(岩波新書、2011)

点検読書97


心理学――赤ちゃん学


赤ちゃん時代について、脳科学・認知科学における最新の研究成果を参照しながら紹介するとともに、赤ちゃんの養育環境が発達とどう関連するかについて。


六部構成
1:赤ちゃん学誕生と研究方法について(第1章)。
2:赤ちゃんの「好き嫌い」と養育環境について(第2章)。
3:赤ちゃんがテレビまたはロボットをどう認識するか(第3章)。
4:認知発達段階における自己について(第4章)。
5:脳の発達と心の関係について(第5章)。
6:育児と発達についての研究と展望(終章)。

メモ
 赤ちゃんの生得的な能力(視力・好き嫌い・物理法則への理解)についての研究が進んできたのは分かったが、逆に早期教育や愛着理論についても否定的な見解が持たれている。このように考えると学齢期以降の教育の影響は別にして、乳幼児期の育児は特別な配慮が必要ないのかもしれない。つまり、著者が背を伸ばしたくてバレーボール部に入ったが、思うようにせが伸びず、バレーボールをやれば背が伸びるのではなく、背が高い人が選手になるのだと理解したように、生得的な遺伝で多くが決定しているのかもしれない、という恐ろしい結論になる。
 しかも、学齢期以降の教育というのは、どれだけ教育に金をかけられるかということになりかねないので、結局のところ、生まれた家(両親から承けた遺伝と両親の経済力)によって、その人の能力は決まってしまうという「不都合な真実」が明らかにされてきているのではないか。そんなふうに思ってしまった。

2016年1月12日 (火)

岩田規久男『金融入門 新板』(岩波新書、1999)

点検読書95


経済学


貨幣の成り立ちから役割、それを媒介する金融機関の種類と機能などのミクロな金融から金融政策と景気との関係といったマクロな金融までの基本用語の解説を兼ねた入門書。


五部構成
1:貨幣(第1~2章)
2:金融機関と金融市場(第3~4章)
3:金融資産(第5~6章)
4:金融ビッグバン(第7章)
5:金融政策(第8~9章)


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2016年1月11日 (月)

鶴間和幸『人間・始皇帝』(岩波新書、2015)

点検読書94


歴史――中国


20世紀になって発掘された『史記』以前の史料を活用することで、『史記』とは異なる、もう一つの始皇帝像に迫る。


四部構成
1:誕生から即位まで。
2:秦王として遭遇した嫪毐の乱と暗殺未遂事件。
3:皇帝としての巡行、長城建設。
4:始皇帝の死と帝国の崩壊。

メモ
始皇帝の名前(18~20頁)
「始皇帝は「昭王四八(前二五九)年正月に邯鄲で生まれたので名を政とし、姓は趙氏」と『史記』秦始皇本紀」にあるが、「正月」に生まれたから「政」というのは誤植で「正」ではないのか。それを証明するかのように、二世皇帝時、「正月」を「端月」と改め、諱の「正」を避けている。

趙高は「宦官」か?(203頁)
皇帝側近のことを「宦者」といい、始皇帝の時代には一般の男子も「宦者」と呼ばれていた。さらに、趙高を「宦官」と断定したのは唐代であり、必ずしも趙高を「宦官」とする理由はない。



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