ブログランキング

Amazonサーチ

無料ブログはココログ

新書(その他)

2016年11月21日 (月)

竹下節子『キリスト教の真実』

点検読書241

副題は「西洋近代をもたらした宗教思想」
ちくま新書(2012年4月10日)刊


宗教史――キリスト教


世俗化を目指す近代主義によって、キリスト教の歴史は意図的に歪められてきた。古代ギリシア思想の復興は、それを押しとどめてきた中世のカトリックを無知蒙昧と退け、カトリックを主敵とするプロテスタントからも批判を受ける。さらには、カトリック・キリスト教憎しがために、近代ヨーロッパの科学は、古代ギリシア文化のアラビア語訳を通して発展したという「神話」まで制作された。本書は、それらの誤解を解きほぐし、二項対立に陥らない歴史としてのキリスト教を描く。


七部構成

1:ギリシア・ローマ世界から生まれた宗教としてのキリスト教(第1章)

2:暗黒の中世の嘘(第2章)

3:政教分離と市民社会(第3章)

4:自由と民主主義(第4章)

5:資本主義と合理主義(第5章)

6:非キリスト教国の民主主義(第6章)

7:平和主義とキリスト教(第7章)

コメント
 興味深かったのは、俗説としてよく聞かれる「古代ギリシア文化は、キリスト教世界では失われて、イスラム世界でアラビア語訳で受け継がれ、ヨーロッパ人はアラビア語訳を通して、ギリシア文化を再発見した」というのは、たいへん疑わしい、ということをはっきりと指摘しているところです。

 本書によれば、キリスト教の修道院を通して、古代ギリシア文化の知の継承は行われ続けており、「頑迷で蒙昧なキリスト教徒」と「進取で寛容なイスラム世界」というのは神話にすぎない、と指摘されています。カトリック教会の教育研究機関たる「大学」の中での学問の自由がなければ、宗教改革も生まれなかったであろう、というのが本書の主張です。

 また、ではイスラム世界は、一般に言われるように税金さえ納めれば宗教の自由を認められた「寛容」な世界だったかといえば、そんなことはいえない、というのが確かなところらしい。

 例えば、アッバース朝に敗れて755年にイベリア半島に逃れてきた後期ウマイヤ朝のラフマーン三世の時代に古代世界の知の集積が進んだのは確かであるらしいのですが、それまでの君主たちのラテン語撲滅政策によって、キリスト教徒はアラビア風に改名を強制され、行政もアラビア語で統一されたというのです。つまりは、古代ギリシア・ローマ世界の文献が、アラビア語訳されたというのは、それ以外を使用してはならなかった、ということが前提にあったのでした。そうしたわけで、これらが行われる前には当然キリスト教側の不満が高まって暴動が起きますし、それに対する虐殺も行われたわけです。そして、それはイスラム・ユマニスムを体現したラフマーン三世の後継者たちにおいても、キリスト教やユダヤ教の信者に改宗か、追放か、死のみの選択をあたえ、すべてのキリスト教徒の投獄とユダヤ人の殺戮を決定したりもしているのでした。こうした行為は、西洋近代史の中では英雄のように扱われているスレイマン一世なども同様に、1535年にはチュニジアでユダヤ人の虐殺を行っているし、1554年にはアルメニアでイスラムへの改宗を拒んだキリスト教徒を虐殺していたそうです

 著者によれば、「キリスト教徒の愚かさや頑迷や残酷さの例はあちこちで何度も強調されているのに対して、イスラムの「寛容神話」の方は無批判に受け入れられている不均衡があることは明らかだ」(102頁)ということで、あえてイスラム世界の「不寛容さ」を指摘しているのですが、歴史的事象に関する美談は眉につばして聞く事が大事ということでしょう

 あとなかなか面白かったのは、政教分離に関するところで、イギリスにおけるカトリックと国教会の距離は今でも残っている例として、トニー・ブレアの夫人が熱心なカトリックで、ブレアは首相当時は国教である聖公会にとどまっていたが、引退してすぐにカトリックに改宗したということで、公職・顕職にある人間の帰属宗教は今でも政治的にはデリケートな問題であったとか。日本におけるキリスト教徒の割合は1%程度なのに、首相のキリスト教徒の比率は10%を超えると言われていますが、日本はその点、無頓着ですよね。

 それはともかくなかなか独特な語り口と視点の持ち方で、ぱっと見理解できないところはありますが、ざっと読む分には何か学ぶところもあるかと思います。

評価 ☆☆

よろしければ、クリックお願いいたします。


本・書籍 ブログランキングへ
にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ
にほんブログ村

2016年11月 8日 (火)

中島隆信『これも経済学だ!』

点検読書240

ちくま新書(2006年8月10日)刊


経済学


経済学的思考とは何か。経済学は、希少なものに対する人間の欲望=インセンティブを対象とする学問である。この方法を利用することで、社会の中に存在する「なぜ」に対して、背後にある人間の動機を解明することで、合理的な解釈を考えることが可能である。本書は、通常は経済学が対象としない伝統文化や宗教、社会的弱者の戦略などの世の中の仕組みを経済学的に理解しようという試みである。


1:経済学的思考とは何か(第1章)

2:伝統文化の経済学(第2章)

3:宗教の社会学(第3章)

4:「弱者」とは何か(第4章)

5:経済学の魅力(第5章)

コメント
 レービットの『ヤバい経済学』の日本版のような作品。ただ『ヤバい経済学』の方が、さすがアメリカと言うか、視点や結論の意外性があったように思います。本書は、より社会に密接な分野を扱っているので、やや意外性にかけるところがあるかもしれませんし、相撲や宗教に対して関わりなく、興味もない人には、そういうものか、ぐらいの感想しか出ないかもしれません。
 本書を読んで腑に落ちたというか、思い出したのは、マクドナルドのエピソードです(31~33頁)。
 本書によれば、もともとのアメリカでマクドナルドと言えば、ジャンクフードでミドルクラス以上の人が年に何回も食べるものではなかったのに、日本に入ってきた時には、牛肉100%という売り込みで高級食として宣伝していました。それが、売上低迷のために、アメリカ同様の低価格路線に進み、下級材としての評価が定まり、主な顧客が低所得者になる一方で、高所得者は品質と安全にこだわるために離れていく上に、BSE問題等で追い打ちをかけられました。戦略の見直しとして、再び高級路線に転換しようとしても、すでに顧客層が変わってしまっていて、低所得者は高いものを買おうとしないし、高所得者はマック自体を食べようとしない。そうして売上が低迷し始めた、ということです。
 本書は2006年の刊行ですから、その後のさらなる高級路線の失敗と中国の工場の賞味期限切れの鶏肉問題とかでも同様の事態が起きたように思います。それはともかく、現在では「マックのくせに、高級路線なんて」という評価ですが、私の子供の頃など、たしかにマックはなかなか食べさせてもらえない外食の一つだったかもしれません。我が家が、あまり外食せずに、COOPとかを利用する健康・節約志向だったこともありましたが、それ以上にそれほどお腹いっぱいにならないにもかかわらず、ファミレス同様の価格帯だったことも影響があったようにも思うんですよね。一号店が銀座にできたというのにも、驚きですが、そうした時代は、もう戻ってこないのでしょうね

 あと興味を持ったのが、日本の仏教の問題なぜ日本の仏教僧は、宗教家として社会的役割を果たしていないのか本書によれば、徳川時代の寺請制度によって、菩提寺と檀家という密接な地域コミュニティが形成されたために、僧の方で新規の信者=顧客開拓を行なうインセンティブが働かなくなったから、というのです
 そうしてこうした関係は、近代国家となった明治時代になっても、僧侶の方の意識が変わらなかったのです。その上、僧侶の妻帯が許されるようになって、寺の世襲まで可能になると、今を維持できれば良い、という発想になりました。その間隙をついたのが、都会の新宗教です。つまり、明治になるとすべての人が名字を名乗るようになり、それまでの個人墓から先祖代々の墓へと再編されます。そうすると、先祖の墓は長男が守るものの、次男・三男は別の墓を作るようになります。こうして先祖の墓と縁が切れた人々が都会に集まってきたところに、新宗教の猛烈な信者獲得攻勢によって、信者が奪われた、ということになったのです
 ですから、仏教寺院というのは、一定の信者を確保できている上に世襲ですから、まずは現在いる檀家へのサービスに専念して、現状維持を図った方が得なのです。新規獲得へのインセンティブがないのです。しかも、今現在まで共同墓地ではなく、檀家として墓を維持している家は、ある程度の先祖の由来がはっきりしている家でしょうし、資産もある家でしょうから、安定した収入が見込めます。そうした意識が、馬鹿高い葬式費用や戒名の値段になっていくのですが、今後はどうなるのでしょうか。
 少子化や核家族化によって、ますます菩提寺に墓を持つ家は少なくなるでしょうし、安く葬式をあげてくれる僧侶も増えています。そうすると、これまでのあぐらをかいた経営だと、現状の顧客も離れていきますので、サービス合戦に参加するであろうし、また信者の新規獲得競争にも乗り出すかもしれません。もしかすると、今後、つくられた仏教ブームというのがやってくるかもしれませんね

評価 ☆☆

よろしければ、クリックお願いいたします。


本・書籍 ブログランキングへ
にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ
にほんブログ村

2016年10月 7日 (金)

勝間和代『お金は銀行に預けるな』

点検読書238

副題は「金融リテラシーの基本と実践」
光文社新書(2007年11月20日)刊


投資


日本人の多くは、お金というものを自分の労働で稼ぐものという固定観念をもってしまっている。そのために、他の先進国に比べて労働時間が多く、男性の家事・育児時間が短く、女性の社会進出を阻んでいる。自分のお金を労働以外で稼いでくるという考えが浸透することにより、人々のワークバランスはより向上する。そのためにも、金利の低い銀行に預けるのではなく、リスクを取りながらもより高い金利でお金を投資・運用する知識が必要である。


4部構成

1:金融リテラシーの必要性(第1章)

2:金融商品の種類(定期預金と国債、株、為替、不動産、投資信託、生命保険、コモディティ、デリバティブ 第2章)

3:実践編(第3章)

4:金融知識と社会(第4章)

コメント
 勝間和代さんといえば、「起きていることはすべて正しい」と全肯定する一方で、岡田斗司夫さんに「断る力」を発揮したり参照、「やせる!」と宣言したりと忙しい人だな、と本屋の背表紙をみて思ってましたが、彼女の単著を読むのは初めてです。共著は、以前、宮崎哲弥さんと飯田泰之さんの『日本経済復活 一番かんたんな方法』を読んでいましたが、これは飯田さんの本であって、勝間さんは聞き手といった感じで、特に印象が残っておりませんでした。

 本書ですが、投資を始めるのに一番最初に読む本だったかな、という感想が浮かびました。本書によれば、素人が手を出していいのは、インデックス型の投資信託やETFだけで、株をやるというのは、素人がお札を持って鉄火場に赴くようなもので、おすすめできない、といいます。現に、個人投資家が持ち続けた株は5%しか上がらないのに、売った株は11・6%も値上がりするというデータまであるというのです(75頁)。たしかに、私のような素人投資家には「よくあること」という思いがあります。

 こうして月4万円程度のインデックス型の投資信託をしつつ、勉強していって、アクティブファンドや株などの他のものにも手を出していくというのが正攻法らしいのです。その手を出すというのも、あくまで趣味の範囲として、儲からないことを織り込んでやるようにするというのが、本書の主張です。

 こうした考え方は、山崎元・水瀬ケンイチ『ほったらかし投資術』や山崎元『お金の運用術』で知っておりました。現に実践しております。しかし、これらの本よりも本書の方が先なのですね

 それに加えて、本書が説得力を持つのは、ワークバランスという概念を持ち出して、仕事とプライベートな生活、とりわけ家族との関係を両立させる方法としての金融リテラシーの必要性を訴えていることでしょう。つまり、お金を稼ぐということを自分の時間を使って労働するしかないと考えてしまうと、どうしても労働時間が長くなり、家族と過ごす時間が少なくなります。そうすると家族との関係がどうしてもギクシャクしてきます。最初は、親愛によって結び付けられた共同体も、家族との関係に時間が取れていないと、金によって結び付けられた利益共同体へと変貌してしまいます。お金を稼いでいる分には、それは安定した場所かもしれませんが、失業等で給料がなくなると、とたんに金の切れ目が円の切れ目で崩壊の一途をたどることになります

 これを防ぐためにも、自分で稼ぐという労働観から他の人に稼いでもらったものから利益を得るようにして、合計すれば自分が必要とする所得を得られるようにできる投資という方法が必要となります。そしてまた、その投資は無理なく、安定的な利益が出るようにしなければなりません。株だけで稼ごうとしても上記のように、個人投資家はどうしてもプロには勝てません。勝つ人もいますが、それはじゃんけんで一位を取るようなもので、条件が変われば勝てないのです。とりわけ、チャート分析に時間をかけるテクニカル分析には、ほとんど学問的裏付けはなく、個人投資家の中では負けが多いそうです(ファンダメンタルズ分析の方が成績は良いらしい)。

 そうすると、自分の時間をとることができて、プロを雇って投資してもらう投資信託が最も効率が良い、とします。しかし、注意すべきは、投資信託の相談は金融機関に任せずに、自分で選んだ方が良いとのこと。そのためにも金融リテラシーが必要となるのです。

 先にも書きましたが、私はすでに少額のETF購入を毎月やっておりまして、たしかに何を買うか悩む必要がない上に、少額で負担になりません。その上、月の株価の浮き沈みに対応して買っているので、大負けすることがない上に、5月の一番低いときから始めたので、良い調子です。今のところ、気分良くやっていますが、いかんせん少額ですから利益が少ないのが、不満といえば不満です。でもまぁ、本書が想定するのは大卒ルーキーが定年後まで4万円の投資をし続ければ、4%の金利だったとしても60歳には4339万円になる(元本は1872万円)ということを述べています。これだけあれば、老後も安心でしょうし、私は遅れてしまいましたが、やる価値はあるでしょう。

 本書は、定期預金ぐらいしかお金の使い方を知らない人に、それがどれだけ損をしている上に、銀行を儲けさせているだけだということを教えてくれて、別の方法に後押ししてくれる優れた本です。ただ一回読み通せば、もういいかなということで、☆二つ。

評価 ☆☆

よろしければクリックお願いします。


本・書籍 ブログランキングへ
にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ
にほんブログ村

2016年9月20日 (火)

塩田潮『復活!自民党の謎』

点検読書234

副題は、「なぜ「1強」政治が生まれたのか」
朝日新書(2014年2月28日)刊


日本政治


2009年に野党に転落した自民党は、わずか3年で政権に返り咲き、第二次安倍晋三内閣の下、「1強」体制をつくりあげた。史上初の自力復活総理たる安倍首相は、なぜ復活できたのか。民主党政権はなぜ失速したのか。自民党の再生はなぜ可能となったのか。「1強」体制に死角はないのか。第一次、第二次安倍内閣の過去と周辺をたどりながら、その真相に迫る。


4部構成

1:安倍晋三首相の再登場の謎(その1、2)

2:自民党の野党転落と政権奪還の謎(その3、4)

3:安倍自民党の憲法改正の謎(その5、6)

4:安倍政権の好調の謎(その7、8)

コメント
 第二次安倍晋三内閣が成立して、1年2ヶ月してから出版されたもの。この時期から「1強」という表現が使われていたんですね。

 本書は、政権投げ出しと批判された安倍首相が、どのように復活していったのか、またそれ以前の自民党の野党転落はなぜ起きたのか、民主党政権の問題は何であったのか、そして現在の第二次安倍内閣はなぜ好調か、の謎に迫ったものです。

 それぞれ興味深いには、興味深いのですが、私が関心を持ったのは三点ほどです。

 まず第1点目。
 第一次安倍晋三内閣の崩壊は、安倍首相の持病である潰瘍性大腸炎や医師の診断による機能性胃腸障害の悪化によるものとされています。首相自身も、「投げ出した」のではなく、ギリギリまで走り続けて、これ以上は無理というところで辞めざるを得なかったというように手記などで主張しています。アジア・オーストラリア歴訪中の安倍首相が、憔悴していた姿なども、証言として残っているのですが、本書では別の証言も載せています。

 9月7日からのオーストラリア訪問に同行した政務の官房副長官の大野松茂(当時は衆議院議員)は次のように印象を語ったといいます。

そんなに重いとは思っていなかった。食事だって、奥さんと一緒に……。ひどい下痢とか、体調の悪化は、まったく感じなかったね。帰国後、臨時国会が始まり、所信表明演説の後の代表質問の質問事項について、民主党との調整を終えたとき、新聞記者から『安倍さんが辞める』と聞いてびっくりした。首相官邸に素っ飛んで行って、総理に会って確かめた。安倍さんは『大野さん、勘弁してよ。決意したんだから』と言う。そのときも、普通にお茶を飲んでいたし、頻繁にトイレに行くなんてこともなかった。代表質問は衆議院で1日、参議院でやったとしても、2日、我慢すればよかったんです」(33~34頁)

 大野氏は、以上のように述べています。大野氏のWikipediaの経歴を見てみても、元官僚というわけでもなく、地方議員や市長を長く勤めた、特に色や個性がなさそうな人物です。率直な観察だったのでしょう。
 そうすると、安倍首相の健康不安による辞任というのは、やはり少し神話なのかな、と思います
。もちろん、健康にも問題があったのでしょう。あのような突然の辞任は、所信表明演説で一部を読み飛ばすということ以上のことが、何かあったのでしょう。著者の見立ては、病気、参院選大敗の責任、政権運営の行き詰まり、国民の離反の4つの要因による複合型辞任と述べていて、体調よりも、政権の弱体化と国民の安倍離れが深刻だったことにある、と指摘しています。岩波明『精神科医が狂気をつくる』では、安倍首相は「うつ病」になったのではないか、と指摘されていましたが、そうしたものの方が確からしくも思えます。

 2点目。柳澤伯夫氏の安倍復活への熱意

 総裁選や2013年の参議院選挙で安倍首相に寄り添っていた西田昌司参議院議員の証言に次のようなものがありました。

「柳沢伯夫さん(元厚生労働相)が西部邁さん(評論家)に話をして、『安倍さんをもう一度、首相に』と言って、柳沢さんの下で勉強会を始めた。『君も一緒に』と言われて、私も参加した。安倍さんはまだ体調がよくなかったけど、1年間、地味な勉強会をやった。いまの安倍内閣の基になり、その空気が醸成されていった」(39~40頁)

 まず驚くのが、柳澤氏と西部邁氏につながりがあったということですが、それはそれとして、柳澤氏といえば、第一次安倍内閣時の厚生労働相で、「女性は産む機械」という失言をして、安倍内閣失速の一つの原因を作った人物です。発言自体は、出生率改善のための課題についての例え話で行ったもので、本人もまさかこんな大事になるとは思わなかったものであったと思います。
 当時の安倍首相への熱い支持と根深い嫌悪が対立する中、アンチ安倍勢力に上手いように使われてしまった点で、不用意かつ安倍内閣崩壊の張本人の1人です。しかし、安倍首相は、ワイドショーでどれだけ騒がれて、支持率を落とそうとも、柳澤氏を守り抜いたのですね。柳澤氏は、その恩を忘れていなかったようです
 柳澤氏には、派閥は宏池会で、元大蔵官僚ということで、それほど確信的保守という印象がなかったので、安倍氏を支援する人物という雰囲気はなかったので、やはりあの時の恩返しなのでしょう。柳澤氏が準備した勉強会で、自信をつけた安倍氏が現在につながるというなら、これほど嬉しいエピソードはありません
 ちなみに、このエピソードを紹介した西田氏は、総裁選出馬見送り論者で、安倍首相に「あのとき反対したのは、おふくろと兄貴と西田君くらいだ」と言われたそうです。しかし、この西田氏は、さんざん消費税増税反対を主張しておきながら、参議院選挙で当選したら、華麗に増税容認に転換したのだから、政治家というのは選挙のためには何でも言うんだな、と改めて考えさせられた議員です。最近、名前を聞かなくなったのは、良いことに思います。

 3点目。石破茂氏と消費税
 自民党は、2010年の参議院選挙で消費税増税を公約に掲げました。その内幕を、当時の政調会長の石破茂氏が証言しています。

「麻生内閣で、09年に改正された所得税法の附則に『消費税を含む税制の抜本的な改革を行うため、平成23年度までに必要な法制上の措置を』と入れた。党内には、野党がいい子になってどうするんだ、選挙にならないと言う人もいたが、マジョリティーにならなかった。あと何分かで公約発表というとき、谷垣総裁、大島幹事長、私、財務金融部会長の林芳正さん、野田税調会長、党政権構想会議座長の伊吹文明さんで協議した。異論も出たが、私は『絶対に10%』と叫んだ。そこで総裁が『これでいこう』と決めた」(126~127頁)

 民主党政権を崩壊させ、アベノミクスに黄色信号をともさせた原因が、この時の自民党の消費税増税方針です。菅直人首相は、これに乗っかるように、消費増税を突如として主張しだして、こちらは衆院選のマニフェスト違反ということで、選挙に負けました。しかし、この消費税増税だけは生き延びて、翌年の与謝野馨氏の入閣と野田佳彦内閣の成立で、本決まりとなってしまいました。
 そう考えると、この自民党の2010年の自民党の公約というのは、もっとも大きなターニング・ポイントとなったわけです。その立役者は、自分であると石破氏は述べているのです。こう考えると石破氏というのは、確信的な緊縮財政論者となります。そうなると、現在の安倍自民党との整合性はどうなるのでしょうか。
 安倍首相は、財政再建に後ろ向きなわけではありません。消費税増税には、慎重なものの否定はしていないのです。しかし、その一方で、安倍首相は、増税して経済成長が鈍化、または不況に陥ったら、かえって減収になってしまうと懸念して、まずは景気回復として、金融緩和は財政の拡大を政策として掲げているのですそして、その政策によって、4度の国政選挙に勝っています。ですから、現在の自民党というのは、まずは景気回復で、消費税増税はその結果次第である、というのが有権者に認められた政策となります
 しかし、石破氏の現在の主張を聞いてみても、何が何でも消費税増税という路線に聞こえてしまいます。そう考えると、有権者の支持を受ける現在の自民党とは異質な政策理念を持っている人物と言えます。もし石破氏がポスト安倍に名乗りを上げて総裁になったとすると、その正統性は著しく低いということになります
 有権者は、消費税増税に慎重でアベノミクスによる景気回復をはかる安倍自民党に政権を任せているのであって、自民党だから支持しているのではありません。ですから、現在の多数を任されている自民党の総裁になるべき人物は、アベノミクスの継承者以外には本来はありえないのです。その点で言うと、石破氏はもっとも適格性に欠くと言えるでしょう
 もし、石破氏が総裁になるのなら、一度、安倍自民党政権が総選挙で負けて下野した時に限ります。野党になってからの政策転換は、現状の政策が否定されて政権を失ったのだし、実際に施政に影響を与えるわけではないので自由です。しかし、現在の与党である自民党の総裁に、アベノミクスを否定する人物がなることは認めるべきではないでしょう。これはまた有権者から首相を選ぶという権利を失わせ、かつての自民党政治に戻ることになります
 そもそも、麻生内閣、野田内閣がなぜ選挙に敗北したか。どちらも、郵政民営化の否定や構造改革の後退、マニフェストにない消費増税決断という政策転換を有権者にはかることなく実施したからでした
 そうなると、現在の石破茂氏には現在の自民党の総裁になる正統性はないので、ポスト安倍は石破という流れには強く反対したいと思います

評価 ☆☆

よろしければクリックお願いします。


本・書籍 ブログランキングへ

2016年9月13日 (火)

塩田潮『まるわかり政治語事典』

点検読書233

副題は、「目からうろこの精選600語」
平凡社新書(2011年6月15日)刊


日本政治


新聞の政治欄やワイドショーのニュース解説で、時折使われる、「ゆ党」、「身体検査」、「死に体」、「どぶ板選挙」などの政治の業界用語。これらの使い方から語源まで、著者秘蔵の「政治語ノート」から600語を精選して紹介する。


6部構成

1:3・11後の政治語(序章)

2:政権運営の政治語(第1章)

3:民主党政権の政治語(第2章)

4:権力闘争の政治語(第3章)

5:政治家を表す政治語(第4章)

6:政治家語録(第5章)

コメント
 分かっているようで、分からない政治解説で使われる言葉の解説本です。

 例えば、「どぶ板選挙」。

 有権者を訪ね歩いたり、選挙の祭や集会などにこまめに顔を出したりと、有権者に密着した選挙運動をする手法を表現するところで使われるのですが、「どぶ板」とは何か、というのは知りませんでした。正解は、家の前のどぶの板の修繕の陳情を受けるほどに、有権者に密着する、という意味だそうです

 また、「コスタリカ方式」。

 同一の選挙区を地盤とする同じ党の候補者に対して、選挙区と比例を交互に入れ替わるという協定を結ぶ選挙協力の手法です。これをなぜ「コスタリカ方式」というかというと、コスタリカでは、同一選挙区に連続して立候補をすることを禁止する制度をとっているそうなのです。それを森喜朗氏が取り入れて名付けたのだというのです。ここで、森元総理の名前が出てきたことが意外であります。

 「やはり野に置け蓮華草

 たまに聞く言葉ですが、全く意味が分かりませんでした。本書によると「政界は一寸先は闇」という名言を残した川島正次郎自民党副総裁が、佐藤栄作内閣時代の1966年8月の内閣改造で、子分の荒舩清十郎を運輸相に押し込んだのだが、一ヶ月後、国鉄の急行列車を選挙区の深谷駅に停車させるように横車を押していた事実が判明して、辞任に追い込まれました。それに対し、川島は、大臣不適格の人物を入閣させたことに対して、「やはり野に置け蓮華草」と、自身の不明を恥じたのだそうです。つまり、レンゲのようなありふれた花というのは、立派な花瓶にさすよりも、野原に生えていた方が見栄えがする、人間には分というものがある、という意味だそうです

 大平正芳の「アーウー」というあだ名。

 大平は、国会答弁などで、語句と次の語句の間に「アーウー」というつなぎの雑音を入れるために、言語不明晰で不明瞭だと受け取られ、愚鈍に見られていました。そのイメージを表現した「アーウー」は、そもそもは大平が自民党幹事長だった福田赳夫内閣時代に、竹下登が、「大平さんは「アーウー」の感じです。しかし、「アーウー」をとってみると、美文になってますよ」とインタビューに答えたことが始まりだそうです(岩見隆夫『角さんの鼻歌が聞こえる Part2』、潮出版社、1980年)。こうして、大平のイメージをつくっておいて、自身は、「言語明瞭、意味不明瞭」というあだ名をつけられて、喜んでいるのだから、竹下登はやはり先の先まで見通していた怖い政治家のように思えてしまいます。

 「お心を痛めておられるご様子

 これは、大平の腹心の一人・前尾繁三郎衆議院議長が、死の直前に、議長時代の秘書・平野貞夫氏につぶやいたものだそうです。
 一体何かというと、1968年に核保有3カ国を含む62カ国が調印し、70年に発効した核不拡散防止条約に関することらしいのです。この条約は、日本も70年2月に佐藤内閣が調印したのですが、批准は6年余りも店晒しになっていました。そこで1976年12月、前尾の議長任期が切れるに際し、その批准を実現させた理由について述べたのが先の言葉。

内奏で天皇陛下に会うたびに核防条約のことを聞かれていたからだ。陛下は外国の元首と会ったとき、必ずといっていいほど話題になる核防条約について、随分、気にしていた。唯一の被爆国として、調印したまま、長期間、放置していたことに、相当お心を痛めておられるご様子だった」(平野貞夫『ロッキード事件「葬られた真実」』、講談社、2006年)。

 どちらかというと、前尾は、与野党協調を旨とする一方で行動力と決断力に欠けると評されていたのですが、この時ばかりは批准に情熱を見せたのはどうしたわけかと疑問に思われていたのですが、真相は昭和天皇のご意志を忖度した最後のご奉公であったというのです。正直、小沢一郎氏の側近として知られる平野氏の発言なので、信憑性に欠けるところと、昭和天皇の政治利用じゃないの?という気もしないではないですが、興味深いエピソードではあります。核武装をとなえる人は、右派ナショナリストだけど、ロイヤリストではないのよね、とよく指摘されますが、そうしたことを裏付けるでしょう。本当の話なら。

 本書は、2011年の菅直人政権末期に出版されたものですが、「正統性」の欄も興味深いです。著者が言うには、「政権の成立、存続について、「被治者」である国民から見て納得できないと思うほど根拠が脆弱であれば、正統性が怪しくなる」(57頁)と指摘したうえで、2009年の麻生太郎内閣時代の麻生首相が、郵政民営化について質問されると「民営化には賛成ではなかった」と答弁したことが、05年で多数を獲得した政党を基盤にした政権なのに、その正統性を自ら否定した、と批判されています。また、当時の菅直人首相も就任後、「09年の総選挙で民主党が掲げたマニフェストの全面見直しを言い出した」ことが、自らの政権の正統性を否定した、とされ、「総選挙で改めて審判を受けなければ、内閣の正統性に疑問が持たれ、政権が死に体化する恐れがあった」と述べられています。
 これは、全くその通りで、05年以降では、第一次安倍晋三内閣で郵政造反者を復党させてしまったことが、安倍内閣の崩壊につながっていたことを思い出させます。安倍首相は、国民との約束よりも自身のイデオロギーに近い人たちの救済を優先している。つまり、国民よりもイデオロギーを選ぶ人なのだ、と信用を失ったことが失敗の源だったのでした
 また、菅直人首相が、マニフェストを見直すという発言をした際に、当時の世論調査や新聞論調などがマニフェストにこだわるな、というサインを出していたことを踏まえてのことだったのでしょう。結局のところ、消費税増税をどうしてもしたい省庁とそれに繋がるメディアとの合作に、「国民の声」というものが利用されたかたちになりますが、「有権者の意志」は公約破りは認めない、というものであったことが、2010年の参院選挙と2012年の衆院選挙で示されたと思います
 現在の安倍内閣が、安定しているのは定期的な選挙で勝っていて正統性があるからです。丸山眞男は、「本当にデモクラティックな権力は公然と制度的に下から選出されているというプライドを持ちうる限りにおいて、かえって強力な政治的指導性を発揮する」と述べています(「軍国支配者の精神形態」、1949年)。安倍首相の自信に満ちた政権運営とは、そうした正統性が自分にはあるという「プライド」があるからでしょう。選挙に勝ったから自信に満ちた政権運営ができ、安定した政権運営をしているから選挙に勝てるのです。どちらにしても、選挙での勝利という正統性が必要になります。
 現在、自民党総裁の任期延長論などの話がありますが、本来なら、そんなものは撤廃して、国政選挙で敗けるまでは総裁を続けさせるべきです。不十分とはいえ、二大政党制の体裁があるのですから、首相は国民に選ばせた方が安定した政権運営ができると思うのです。もっとも、我々は鳩山由紀夫政権という日本人が初めて自分で首相を選んで失敗したという負の遺産がありますので、それもホドホドにという気もしますが・・・。

評価 ☆☆


本・書籍 ブログランキングへ

2016年9月 5日 (月)

筒井清忠『昭和戦前期の政党政治』

点検読書230

副題は、「二大政党制はなぜ挫折したのか」
ちくま新書(2012年10月10日)刊


日本政治史――昭和史


普通選挙導入を争点とした第二次護憲運動を機に成立した戦前日本の二大政党による政党政治は8年で終わりを告げ、軍部の台頭を許すこととなった。多くの人に期待された政党政治が信頼を失い、軍縮の時代を迎えるなど苦難を迎えていた軍部が急に支持されたのはなぜか。本書は、加藤高明護憲三派内閣から犬養毅政友会内閣までの各内閣の人事、政策、そして事件におけるマスメディア、宮中、軍部の役割に着目して歴史社会学的に論じていく。


六部構成

1:加藤高明護憲三派内閣と政党政治の確立(第1章)

2:第一次若槻禮次郎内閣と「劇場型政治」の開始(第2章)

3:田中義一内閣と宮中・非政党勢力の台頭(第3章)

4:濱口雄幸内閣とロンドン海軍軍縮条約(第4章)

5:第二次若槻禮次郎内閣と満洲事変(第5章)

6:犬養毅内閣と政党政治の終焉(第6章)

コメント
 1924年から1932年の8年間は、日本における本格的な政党政治の時代でした。帝国憲法ができてから、いやそれ以前の明治14年の政変頃の福澤諭吉以来、求められてきた二大政党による政権交代可能な政治というものが実現したのがこの時代でした。
 この時代があったからこそ、1945年7月に出されたポツダム宣言において「民主主義的傾向の復活強化」と書かれ、占領政策が間接統治になったとも言われております。現に、戦後の二番目の内閣は、この時代に活躍した外交官であった幣原喜重郎が首相をつとめていました。
 しかし、その時代はたったの8年で終わりを告げ、今度は極端な軍国主義体制へと転換しました。その原因は何か、というのが本書の述べるところです。
 まず第一の画期点は、加藤高明を引き継いだ第一次若槻禮次郎内閣で、解散総選挙ができなかったこと、です。もし、この憲政会単独内閣で、解散と勝利により衆議院に基礎を置く内閣の基盤を固めることができたら、政党政治を確立できたかもしれません。しかし、若槻には、その勇気がなかったのでした。若槻に言わせれば、朴烈怪写真事件や松島遊廓事件などのスキャンダルで追い詰められ、その状態で選挙となれば、負けてしまうかもしれないと心配したこと、さらに選挙よりも話し合いで予算案と震災手形関連法案を優先させた方がよい、ということだったそうです。本書では、若槻内閣を「大蔵省的」と評していますが、大蔵次官出身の若槻は、官僚が政治家になったの典型的人物でしょう。官僚は、予算・法案の成立こそが第一であるが、責任を取りたくないという体質があります。また、世論の動向に無頓着です。朴烈事件のように、現在から見て「大した問題ではない」と思ってしまうようなものも、当時においては大逆事件を企てた人物を司法当局が優遇したことは大問題だったにも関わらず、「詰らん問題」と捉えて、普通選挙導入後の大衆政治にまったく疎かったといえます。
 この怪写真事件と大衆政治の問題につき、上杉慎吉の指摘を引用していますが、なかなか鋭いものです(97頁)。

複雑なる政策問題では民衆的騒擾は起るものではない。政府が皇室を蔑ろにしたと云う簡単なる合言葉は耳から耳に容易に伝わり伝わる毎に人の感情を激するの度を増すものである」(上杉慎吉「朴烈問題解散及現内閣の身体に関する意見」『牧野伸顕関係文書』書類の部)

 今日だとどうでしょうか。「平和」「民主主義」か、また大きい影響力を持つのは「改革」でしょうか。若槻には、こうした大衆感情というものへの共感がまったくないのでした。そうした官僚政治家を二回もトップに据えざる得ないのが、憲政会とその後継の民政党の問題であったといえるでしょう。
 しかし意外だったのが、現在において評価の低い若槻ですが、首相就任時には、首相就任に反対の声がなく、原敬につぐ二人目の「平民宰相」とされて伝記が二冊も刊行され、政治評論家の馬場恒吾が「原敬氏と匹敵すべき力量、手腕、性行」(『政界人物風景』、331頁)と評していたそうです
(53頁)。こうした過大な期待が、現実にぶつかると大きな失望にぶつかるということは、我々の時代は民主党政権で経験済みなのでよく分かります。

 政党政治失敗の第二の点は、議会もしくは政党外勢力を自ら引き込む悪手をあえてしていた、ということです。田中義一内閣の際には、野党の民政党(憲政会)は、水野錬太郎文相が辞任を天皇に申し出たものの慰留されたので留任したということを発言してしまった「優諚」問題で天皇の政治利用を突き、また不戦条約における「人民の名において」という文言を問題視して攻撃し、張作霖爆殺事件においても議会勢力が言論や選挙ではなく、宮中の力によって内閣を倒してしまいました。
 また、濱口内閣では、濱口らは天皇や宮中、マスメディアを味方につけることでロンドン海軍軍縮条約締結を実現させ、一方の野党の政友会の鳩山一郎は統帥権干犯を論難して内閣の権限を制限しようとしましたし、第二次若槻内閣の頃には、鳩山一郎や森恪らの主流派が、今村均陸軍作戦課長・永田鉄山軍事課長・東條英機編成動員課長らと懇談して、陸軍と協力した倒閣運動を試みていました。先の統帥権干犯問題とともに鳩山一郎が、軍の台頭に寄与した役割は大きいといえます。

 こうした政党政治家そのものの問題とともに、著者は二大政党というものは政権を争っているのだから、「選挙で当選するために、また反対党との競争に勝つために政党が様々な方策を用いるのは当然のことであり、そのことにできるだけ寛容でなければ政党政治は維持できない」(285頁)と日本のメデイアと有権者の政治的未成熟を指摘しています。こうした政党の動きを「党利党略」として否定し去ってしまうと、既成政党への不信感が高まり、官僚・軍部・天皇・新体制などの「第三極」への期待が高まってしまう、と警鐘を鳴らします。
 本書が書かれたのは、2012年の半ばぐらいですから、たしかにこの時期、民主党政権への失望感と谷垣自民党への不安感があって、橋下徹氏が率いる大阪維新の会が日本維新の会へと国政進出を展開していた時期でした。二大政党への不信感から「第三極」への期待が高まっていた時期に書かれていたのでした。当時の大阪維新の会が、危険だったかどうかは好き嫌いがあるところですが、政治経験が少なく、政党組織も未成熟な政党が中心となって内閣を率いるというのは、結局のところ、風まかせのポピュリズムに陥ってしまいますから、民主党政権以上の混乱があったかもしれません。
 まさかその後、石原慎太郎氏が合流して支持率を一気に低下させて、自民党は安倍晋三氏が総裁に返り咲いて、新しい経済政策を主張するようになるとは、誰も予想できませんでした。今では、既成政党の復活劇があったので、こうした戦前の政党政治の失敗というのは流行らなくなったかもしれませんが、当時においては良い視点だったのではないか、と思いますし、経済政策などへの言及が少ない点などに不満はありますが、図式が分かりやすく、良い本に思えました。

評価 ☆☆

よろしければクリックお願いします。


本・書籍 ブログランキングへ

2016年9月 3日 (土)

森政稔『迷走する民主主義』

点検読書229

ちくま新書(2016年3月10日)刊


政治学――日本政治


現代の世界的変動の中でデモクラシーが直面する困難を背景に、失敗に終わった政権交代とその後の政治における安倍政権の独走状態の現代日本における民主主義の意義と限界を思想的に問いなおす。


3部構成

1:現代民主主義の苦況(第1~3章)

2:戦後日本の政治と政権交代(第4~7章)

3:民主主義の思想的条件(第8~10章)

コメント
 本書は、変動する現代の世界において民主主義が直面する問題について考察する第Ⅰ部や現在の民主主義が課題とする問題は何かを問う第Ⅲ部などが、現在の民主主義思想のあり方や見通しを政治思想史、政治哲学的研究成果を盛り込んで解説してくれている点で、民主主義を概観するのに便利な本です。

 しかし、圧倒的なボリュームで語られる第Ⅱ部の政権交代と日本の民主主義に関する箇所が、面白かったです。
 著者は、現在の安倍政権を「暴走」と呼ぶように、この政権に対して良い印象を持っていません。ですから、安倍政権がなぜ支持され続けているのか、またその支持の源泉である経済政策についての考えに誤解があるように思えます。しかし、だからといって民主党政権を擁護するかといえば、そうではなく、徹底的に批判しています。
 とりわけ著者が力を入れて批判しているのが、運輸行政でした。つまり、民主党政権が行った高速道路無料化政策によって、自動車に比べてCO2排出量の少ない船舶や鉄道貨物などの業界に打撃を与えて、環境負荷の小さい手段へと輸送を移行させる「モーダルシフト」を逆行させた、というのです。これは、民主党政権が掲げていたCO2削減政策とも矛盾しますし、政策の整合性がチグハグだというのです。
 また、震災後、被災地救援の名目で行われた東北地方の自動車道無料化政策でも、同様のチグハグさがあったそうです。この場合、北関東以北のインターチェンジを使用すれば、あらゆる車が無料となったため、九州から首都圏へ向かうトラックが茨城県のICまで行って東京方面にUターンするということが頻発しました。それは、税金の無駄遣い、CO2の排出増加、茨城のIC付近ではトラックが激増して、子供の登下校に危険だという批判があって、見直されたということがあったそうです
 こうした運輸行政に見られるように一事が万事、民主党政権は、経済観念や想像力の著しい欠如の下で、壮大な「社会実験」をして失敗したというのです。
 本書は、戦後の日本政治も振り返りつつ、強いリーダーシップが発揮できない政治システムから政治的統合を強める政治改革を行った結果、首相はかなり強力な権力を獲得するようになったものの、その使い方が以上のように行き当たりばったりになると大変な失敗をもたらすということに、現代民主主義の危機を持っているのです
 著者の立場からすると、次々と民主党政権とは別の意味で、「戦後政治」と決別しようとしている安倍政権の行動を可能にしているのも、こうした政治改革の結果である、といいます。私は、現在の安倍政権をそれほど危険な政権とは思っていないので、やっと丸山眞男以来の戦後の政治学が目指してきた政治的統合がなされて、首相のリーダーシップと責任が明確な政治体制ができて、日本の民主主義は安倍政権によって強化された、と思っていますので、そうした危機感は共有できていません。しかし、安倍政権が何らかの理由で転倒して政権が崩壊して、また民主党的な政権ができるとなると、それはそれで心配である、ともいえます。もっとも、そこでも有権者の決断がその数年を決めるという責任意識が生まれることは良いことだとも思っているので、それは民主主義のコストとして受け入れていくしかないのでしょう。気に入らない政権ができて、それを民主主義の「迷走」と評してしまうのは、全く無意味な論評でしょうし
 それはともかくとして、思いの外、見逃していた民主党政権とは、何だったんか、また「戦後政治」の決別という点で、民主党政権と安倍政権は表裏一体であったことを思い出させてくれて、良書だと思いました。

評価 ☆☆☆

よろしければクリックお願いします。


本・書籍 ブログランキングへ

2016年9月 2日 (金)

瀧本哲史『武器としての決断思考』

点検読書228

星海社新書(2011年9月21日)刊


自己啓発


世の中に「正解」はない。必要なのは、知識と判断と行動である。その判断に必要なテクニックとしてのディベートの手順であるメリット・デメリットの仮定と反論法を教える。そうした技術を獲得することで、自分で考えて、自分で決めていく、決断思考を身につけることができるだろう。


5部構成

1:学ぶ意義とは何か(はじめに、ガイダンス)

2:議論の意味(1時間目)

3:議論のたて方(2、3時間目)

4:反論の仕方(4時間目)

5:判断の基準と考え方(5~7時間目)

コメント
 本書のメッセージは、「自分の人生は、自分で考えて、自分で決めていく」というもので、その技術としてディベートの方法を学ぶというものです。ですから、本書では、相手を言い負かすためのテクニックではなく、あくまで自分で考えるためのヒントとしてディベートを考えています。

 何か自分の中でテーマとなりそうなものが見つかった時、そのメリットとデメリットを比較・考量して判断するための技術がディベート的思考なのだそうです。そこで重要となるのは、それぞれの主張に対して「ツッコミ」という形で反論を加えてくということです

 

その反論というのは、その考えの結果としての主張に向けるのではありません。その主張を成り立たせる根拠とその根拠と主張(結果)を結びつける前提となる考え方(推論)に対して「なんで」と問いかけることが重要だといいます。根拠があやふやなものでは、その主張やあやしいものとなりますし、根拠と主張の因果関係がおかしければ、それは成立しません。

 このように、本書は、自分で考える際に、結果としての主張のみを考えてはならない、というのがテーマとなっています。多くの人は、自分で自分のことを考えているのです。しかし、その考えというのは、まさに「自分」という主観を突き詰めたもので、蓋然性に足らないものが出てしまうのです。

 つまり、自分のみで考えるというのは、結論としての主張が初めにあって、考えれば考えるほど、その主張を補強することにしかならないので、独善的になってしまいます
。そうではなく、あえてその結論のメリットだけではなく、デメリットも考える。そして、その両者を自ら反論してみる。この時の反論は、結果ではなく、その根拠と推論に当てられなければなりません。結果というのは、結局のところ、価値観や希望などの主観に過ぎません。そうではなく、その結果を成り立たせる根拠や推論を反論の対象とすることで、客観性を持たせることが可能になるのです

 

これは、個々人の物の考え方の強化だけではなく、人との関わり方についても同じことです。各人の主張(結果)に対して、批判しても仕方がないのです。というのも、それぞれの主張は、各人の価値観や希望としての主観を意味すると先に書きました。ですから、その主張について反論しても「俺はこう思う」「俺はそう思わない」という主観と主観の応酬にしかなりません。そして、主観にはそれぞれの人の経験や習慣などから成立した価値観に基づいていますから、頭からそれを否定することは、相手の人格を傷つけることになります。それでは、それぞれ価値観が異なる社会において、議論は成立しません

 ですから、各人は、物の考え方は違う、ということを前提にした上で、その主張の根拠や推論について聞き出すために、「何で?」と質問をし、その根拠や推論が正しいかどうかを本人に確認を取るという方法をするのが自分にとっても相手にとっても納得のできる手法となります。人は、自分の考えを人に否定されて、考えを変えることはありません。自分で納得して変えるのです。とすれば、もし相手の主張があやしいと思ったら、その根拠を聞いて、根拠のあやしさを本人に確認させる手助けをすることが説得の技術となります

 

本書は、このように単に自分の「武器」としての思考法だけではなく、考え方の違う他人とどうすれば頭に血が上らずに共生できる社会をつくれるか、ということまで射程の入った議論なのではないか。そのように感じられました

評価 ☆☆

よろしければクリックお願いします。


本・書籍 ブログランキングへ

2016年8月31日 (水)

塩田潮『戦後政治の謎』

点検読書227

副題は、「自民分裂を予感させる「30の真実」」
講談社+α新書(2008年9月20日)刊


日本政治


鳩山一郎の日本自由党結成から福田康夫の突然の辞任会見までの自民党を中心とした戦後政治を描き出す。そこから見えてきたのは、政治的統合が欠如し、首相のリーダーシップが発揮できない分権的な政党システムであり、そうした旧態依然たる自民党の時代が終わり、野党転落も含めた分裂、再編、再出発は不可避である。


4部構成

1:日本自由党結成から自民党結成まで(一~三)

2:岸信介から中曽根康弘の自民党全盛期(四~十四)

3:リクルート事件から非自民連立政権成立まで(十五~二十)

4:自社さ政権から二大政党の時代へ(二十一~三十)

コメント
 本書が描く戦後政治史というか、自民党史は分権的な派閥の連合政権に基いて成立していたがために、常に足の引っ張り合いの陰謀が渦巻き、首相がリーダーシップを取れない、というものでした。つまり、首相の功績が、自分たちの政党の全体の功績と感じられずに、首相の出身派閥の功績となり、また自分たちの親分の首相への道のりが遠くなると感じさせるために、あまり成果を挙げさせないようにする、というのが当然であったわけです。
 それを変えるために、同じ政党同士が競い合う中選挙区制から当選者が一人の小選挙区制に変えることで、政党の統一感を強化したのでした。そのためでしょう。例えば、小選挙区制実施後の政権である橋本龍太郎内閣は、行政改革を成し遂げましたし、弱体とされた小渕恵三内閣ですら、日米防衛協力のためのガイドライン法、憲法調査会設置法、国旗・国歌法、通信傍受法を含む組織的犯罪対策法、改正住民基本台帳法などの法案を通しました。これらは、かつてだったら一つの内閣が一法案通せたぐらいの重要法案とされ、まかり間違えば内閣が吹っ飛ぶとされたような法案だったそうです。しかし、それを弱体とされた小渕内閣が通せたのです
 考えてみれば、当時の政治番組などでは、野中広務官房長官のちに幹事長の専制と非主流派から呼ばれていた時代で、かつての自民党はもっと自由だった、と非主流派の意をうけた政治評論家たちが述べていました。それが変わったのです。
 しかし、そうした新しい流れは小渕首相の下の野中広務氏や小泉純一郎首相など強力なリーダーシップを発揮できる人物がいないと実現できないという属人的なもので、自民党はそれに対応できていない。そのように、この2008年段階には思われて、政界再編か野党転落は免れないというのが、著者の見立てでした。そして、それは正しかったのですが、その次の民主党も寄せ集めの選挙互助会という自民党的な体質を残しており、同じように政治的統合の弱さによって崩壊の道をたどったのでした。そもそも自民党の分裂によってできた政党だけに、そうした分裂、陰謀、足の引っ張り合いという遺伝子を残していたのかもしれません。それが解消したのが、「安倍一強」といわれる現在の自民党なのでしょう。

つづく

評価 ☆☆

よろしければクリックお願いします。


本・書籍 ブログランキングへ

2016年8月25日 (木)

岡本隆司『日中関係史』

点検読書223

副題は、「「政冷経熱」の千五百年」
PHP新書(2015年9月1日)刊


世界史――日本・中国


古代以来、日本と中国は疎遠であった。日本にとって中国は身近な外国であり憧憬の対象であったものの、政府間の交流も民間・知識人間の交流も少なく、とりわけ政府間の交流はお互いに誤解し合ったものであった。関係が密になると関係が悪化し、疎遠になると摩擦が起きる。こうした日中間の特徴を卑弥呼の時代から日中戦争が始まるまでを描く。


四部構成

1:「東アジア」秩序から隔絶する古代日本

2:政府間交流の途絶と経済の密接化(倭寇の時代)

3:「鎖国」の時代

4:漢語化する日本と日本化する中国とその破綻

コメント
 現在の日中間の関係はとてもイビツです。野田佳彦内閣で尖閣諸島を国有化して以来、政府間交流がなくなり、第二次安倍晋三内閣でそれが復活したものの、毎日のように尖閣諸島沖で中国船が挑発行動に出ていて、諸外国から不安視されています。
 そうした表われか、日本側の対中投資は一時期に比べて低下しています。しかしその一方で、日本の訪日外国人が年内にも2000万人を突破するかもしれないという報道がありましたが、3分の1ぐらいが大陸中国、香港、そして台湾といった「中国人」です。つまり、政府間の関係は、上手くいっていないのですが、密な民間交流とまではいかないまでも、日中間の人の交流は増加しているのです。
 これは一体どうしたことなのか。これが本書の問題意識であり、その回答として、日中政府間の関係はもともと疎遠であり、それにも関わらず、モノとモノとの取引は密接であったというのです。
 日中間の政府間交流が密でなかったのは、お互いが異なる世界観の中で成立していたから、ということらしいです。歴代の中国の王朝はやはり世界の中心であって、平等な関係というのはありえないのです。あくまで中国と付き合うのなら、他の国は中国皇帝に臣下の礼を尽くさなければなりません。しかし、日本は中国本土とは離れていたために、直接的な影響関係が少なく、孤立しても生きていけましたから、わざわざそうした義務を引き受けることは「屈辱」と考えるメンタリティがあったというのです。
 つまり、中国という国は、自分たちの世界観があって、それに見合うものとしか正式な関係は築かないという「原則」があります。その一方で日本は、そうした「原則」からは自由でありたい、という中国側からすれば「非常識」な国であると言えましょう。こうした点は、現在の中国も同様です。その「原則」は「歴史認識」となりましょう。「歴史認識」という問題は歴史的事実ではなく、まさに「認識」であって主観的なもので世界観に連なります。しかし、中国側が設定した世界観に見合わない態度を示すのは「非常識」であり、正式に交流するに値しません。相手の「歴史認識」に合わせて正式な政府間交流を密接にさせて、日中間の経済交流を密にするというのは、足利義満が「日本国王」として朝貢一元体制に適合しつつ、勘合貿易の利益を得ようとしたことと似ています。そして、どちらも日本人のメンタリティとしては、非難の対象となったのでした。
 どうもそうなると、天皇の権威に挑戦しようとする成り上がりものが中国との関係を密にしようとして、そうしたものを必要としない権力基盤の強い者が対中関係に冷たい印象があります。
 つまり、公家勢力を圧倒して太政大臣になった新興勢力の平清盛であり、同様に足利義満、また尊王家とも言われていますが中華趣味のあった織田信長、戦後では田中角榮、小沢一郎氏がそれにあたります。また、近代日本において、対中関係の改善に尽力した幣原喜重郎外相とそれを支える濱口雄幸、若槻禮次郎両首相は学歴エリートですが成り上がり者の民主主義者です。それに対して、東国武士に強固な支持があった源頼朝、幼い時から公卿としての地位があった足利義持、これも武士層から強い支持のあった徳川家康、三世議員で最大派閥を背景にする小泉純一郎氏と安倍首相。戦前では、薩長藩閥出身者が中国に対して冷静な態度を取ります(侵略意図がある人たちは、また別でしょう)。
 このように日中関係というのは、対外関係の難しさとともに、国内政治における野心というものとも絡み合っているという印象を持ちます。本書は、日中戦争や戦後の日中外交といった関係が密になった時代を扱うのではなく、逆に俯瞰した視点で、政治的に疎遠でありつつ経済的には密接であった1500年という常態によって、現在の日中関係の見方にヒントを与えてくれます。

評価 ☆☆☆

よろしければクリックお願いします。


本・書籍 ブログランキングへ

より以前の記事一覧

最近のトラックバック

2017年10月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31