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文春新書

2016年10月31日 (月)

佐藤伸行『ドナルド・トランプ』

点検読書239

副題は「劇画化するアメリカと世界の悪夢」。
文春新書(2016年8月20日)刊。


アメリカ


2016年のアメリカ大統領選の台風の目となったドナルド・トランプという人物は、一体何者なのか。本書は、彼のルーツ、不動産王としての経歴、結婚歴、政治姿勢などの個人史から、トランプ現象を生み出した背景としてのアメリカ社会の問題を紹介する。


6部構成

1:トランプとレーガン(序章)

2:トランプ家とドナルド・トランプのルーツ(第1~3章)

3:スキャンダラスな人生(第4~5章)

4;政治家トランプ(第6章)

5:怒れる白人と宗教(第7~9章)

6:外交姿勢と国際政治(第10章・あとがき)

コメント
 おそらくあと2週間もしたら、読む気にもならないであろうと思うと同時に願わざるを得ない水物としての人物紹介本です。

 現在のアメリカ・ミステリー小説を代表するジャック・カーリイの「カーソン・ライダーシリーズ」を読んでいると、何度か金持ちの象徴して「ドナルド・トランプ」という言葉が登場します。このシリーズが始まったのが、2004年の『百番目の男』なのですが、奇しくもその年に始まったのが、『アプレンティス』というテレビ番組で、その番組はドナルド・トランプが「実業家トランプ役」として登場していたのでした。番組の趣旨は、トランプのもとで働きたい希望者を集めてビジネスの課題を与えて、成績の悪い者をクビにするというものらしいのです。この番組は大変人気を博し、金持ち社長といえば「ドナルド・トランプ」というイメージが出来上がるほどで、それが小説の中でも語られているということでしょう
 このようにトランプとは、本業で一山当てて、その後はそのネームバリューでテレビタレントとして有名な人物というものだったようです。日本で言えば、『マネーの虎』に出演していた社長とか、別ジャンルでは料理人といえば『料理の鉄人』に出ていた人が政治的発言をして、さらには選挙に出たというところでしょうか。もっと端的にいえば、弁護士でタレントだった橋下徹さんみたいな人物とすれば、より分かりやすいでしょう。

 本書は、トランプ氏の移民政策への批判者としての政治姿勢とは裏腹に、ドイツからの移民三世としての姿から描きます。トランプ氏の祖父フレデリックは、ドイツの葡萄農園の子として生まれ、理容師の修行をしつつ、貧しさから抜け出すために、アメリカに入国します。しばらくは、理容師として生計を立てますが、まとまった資金ができると事業を始めます。その事業は、売春レストランで、ゴールドラッシュの時代には、金鉱を目指すのではなく、金を目当てに集まる男たちを商売の相手と見定めて、抜け目なく資産を築きます。その後、一度はドイツに帰国したものの、アメリカ移民の目的を徴兵逃れと疑われ、ドイツ帝国の国籍取得ができず、再度アメリカに渡り、失意のうちに死亡します(49歳)。
 フレデリックの長男のフレッドは、父に輪をかけたワーカホリックで、大工から住宅建設事業に乗り出し、労働者向けの住宅ビジネスで成功し、さらに大不況時にもニューディール政策の住宅建設援助を追い風に事業を拡大します。その一方で、彼は、KKKのメンバーであるというレイシストの側面もあり、逮捕歴もあるようです
 そのフレッドの次男が、ドナルドです。子供時代は、いじめっ子でガキ大将のスクールギャング。その無軌道ぶりに手を焼いた父親は、軍隊式の全寮制学校に入学させましたが、自ら鬼軍曹のように装い気に入らないやつに気合を入れたり、女子の立ち入りは禁止だったはずなのに、学校の許可をもらって、女の子がひっきりなしに訪ねてきたといいます。
 卒業後、フォーダム大学に入学し、二年後にはペンシルベニア大学の大学院ウォートン校で経営学を学びます。しかし、大学には馴染めず、大人しい学生という印象を残して卒業をしています。彼は、学業のかたわら父の仕事の手伝いをしていましたが、その内容は賃貸アパートの家賃取り立ての仕事でした。しかし、彼は、父のそうした堅実な商売に飽き足らず、マンハッタンのハドソン川沿いの再開発に乗じ、土地を購入して事業を展開し、ホテル建設など不動産ビジネスで成功を収めます。

 彼の政治経歴は、そのビジネスと連動しています。1983年にトランプ・タワーを完成させ、次なる話題の提供を考えていたトランプ氏は、1986年5月、ニューヨーク市長のエド・コッチに挑発的な手紙を送って大喧嘩を演出しました。それは1980年に閉鎖されたスケートリンク改修がいつまでたっても完成しないことを、市長の無能さに批判しつつ、自分が請け負えば、簡単にできあがる、と主張するものでした。これにコッチ市長は激怒して反論したのですが、世論はトランプに味方し、さらに市の財政負担なく請け負ったスケートリンク改修を86年中に終わらせるという神業を発揮しました。これによりトランプ人気は高まります。そして、それまで民主党員であったのに、民主党の市長であったエド・コッチと対立したために、共和党へと鞍替えしました。こうして時代の寵児となった41歳のトランプ氏は、1987年9月に『ワシントン・ポスト』、『ニューヨーク・タイムズ』、『ボストン・グローブ』に、日本と欧州の同盟国に安全保障の対価を求める内容の全面広告を発表しました。これにより、トランプ氏は大統領選挙に出馬する糸があるのではないか、と言われたのですが、実際に共和党の一部ではトランプを次期大統領候補にするという動きがあったそうです

 このように政治的にも活躍し始めたトランプ氏ですが、ここで注意すべきは、翌年にトランプ氏は、『トランプ自伝』を刊行し、自称400万部、少なくとも100万部のヒットに結びつけたことです。彼の政治的行動は、自分の名を売らんがためという目的があるといえるのです。それは2000年に改革党から大統領候補の氏名争いに名乗りを上げましたが、すぐに撤退しています。この時も“The America We Deserve”という本を出版し、有料のビジネスセミナーまで開いて、人を集めていたといいます。これが成功したというのは、最初に述べた『アプレンティス』という番組のレギュラー出演者となって人気者になったことでもわかるでしょう。そして、ついに今度は共和党の大統領候補にまで上り詰めてしまったのです。

 しかし、どうやら今回も当初は自身のナルシズムに基づく売名が目的であったようで、2016年のアメリカ大統領選挙の予備選の元スタッフによると、トランプ氏は、そもそも予備選二位を狙っていたというのです。それが、堂々たる候補者になってしまったところに、現在のアメリカの問題があるといえるでしょう。

 では、彼を引き上げていった要因とはなんであったでしょう。それは、アメリカがアメリカで亡くなったということであるらしいのです。つまり、アメリカは、アメリカ的価値観を外に押し付けて、世界をアメリカ化していたと思っていたら、アメリカ自体が世界化してしまって、アメリカという背骨がなくなってしまったのでした

 アメリカの背骨とは何かといえば、いわゆるWASPというアングロ・サクソン系のプロテスタントの白人男性というアメリカ建国時の中心的な人々です。それが、移民の増加によって、徐々にマイノリティに転落しそうになっている。しかも、教えられる歴史は、「アメリカは虐殺集団である白人人種主義者に発見され、有色の土着の民を殺し続け、アフリカ人を奴隷にして、いやがる労働に駆り立てた。それから白人人種主義者は国を出て世界中でその土地の人々に暴虐を加え、植民地にした」とされ、「同性愛者でない白人労働者の男は悪の根源」とみなされるようになってしまったというのです。

 かつて小室直樹は、日本の「自虐史観」を批判するのに、アメリカの歴史教育はアメリカの悪を描かない、何故なら歴史教育は「国民」を作るためであって、事実の探求をする「歴史研究」とは違う、と指摘していました。つまり、高校までの教育は、連帯の主体であり対象たる「アメリカ国民」を作ることに力点が置かれ、大学教育においてアメリカの旧悪を自ら追求するのがアメリカ人だと言っていたわけです。それが、最近では、日本同様に歴史教育において、「アメリカ国民」を作ることよりも、「事実の羅列」の方にシフトしたらしいのです(参照)。

 こうなると近年のアメリカの分断状況というものが何に原因を持つかわかるような気もします。もはや「アメリカ国民」が存在しない、つまり「国民国家」であることをやめたのでしょう。アメリカは、そもそもが移民国家で、多様な価値観や人種、社会層によって形成されていましたので、ただでさえ連帯を弱くする遠心力がかかっています。

 それをとどめていたのが、「アメリカ的」という中心的価値観と神話化した歴史でした。それが、否定されて「客観的な」歴史を教えられていけば、アメリカ人としてのアイデンティティよりも、それぞれのコミュニティのアイデンティティの方へ重心が移っていきます。さらには郊外化で地域的結びつきがなくなり、家族も多様化していっていますので、個人へと閉じこもっていかざるを得ません。

 そうした連帯感をない状態=アノミー化が進むことによって、不安になった人々が明らかに機会主義的で、リーダーになる気がないのに、過去の亡霊としての「アメリカ的価値」を標榜する人物に活路を見出してしまっているというのが、トランプ現象というものなのでしょう

 こうしてみると、我々日本人は、2000年前後に一度、こうした経験があったので、馴染みがあるような現象のような気もします。そう石原慎太郎さんを首相にしようという機運が、あの時期、最も強かったのでした。90年代後半は、まさに先に上げたアメリカの歴史よろしく「自虐史観」というものが問題となって、その修正こそが日本再生の第一歩だと思われていたのでした。こうした思潮が、社会党と連立してしまった自民党という戦後体制を象徴する保守政党への嫌気が差して、非自民の保守政治家・石原慎太郎氏への期待が高まったのでした。

 それを阻んだのが、靖国神社参拝という一点で保守派の心をつかんだ小泉純一郎首相でした。小泉首相は、もともと保守派がこだわる歴史観などには興味がない人物でしたが、非主流派が主流派に勝つための戦略としての靖国神社参拝が大きな役割を果たしました。つまり、既成の自民党という政党の中から反体制の保守派を取り込めるような偶像をつくることができたということで、日本社会の分断と急進化を防ぐことが可能となったのでした。やはり既成の体制を不安定にするのは中間層であり、中間層は保守的なのです。その保守的な中間層を周辺に追いやろうとすると急進化して、本人たちも思いもよらぬ方向へと進んでしまうのです。ですから、彼らを一定程度、満足させておくのが、政治の常道です。

 日本において「自虐史観」がなくなったとはいえませんが、多少は穏健化したようですし、保守勢力があまり問題にすることはなくなりました。彼らは、政治的に一定の満足があれば、社会問題に急進的な批判の目を向けないものです。そうした面から言うと、政権というのは、多少保守的な方が社会は安全なのかもしれません。丸山眞男も指摘するように、ファシズム運動は、社会が左傾化した時に現れるものなのです。

 そうすると、トランプが大統領にならないことを前提に、今後のトランプ現象を考えると(本人もなりたくないだろう)、ヒラリー・クリントン氏が経済政策等はオバマ政権を引き継いで左派的である一方で、社会的価値や安全保障で一気に右派的な価値観を持ち出すことが良いでしょう(もっとも安全保障の右派的価値観というのは実際に戦争をするのではなく、軍事力の強化によって、戦争を未然に防ぐというレーガン的な立場でやってもらいたいということですが)。

 これにより女性大統領ということで、再び不満が高まる「白人男性」の何らかの満足を与えることになり、2000年前後の石原ブーム後の小泉首相のごとく、2010年前後の橋下徹ブーム後の安倍晋三首相のごとく、エスタブリッシュメントの中で保守層を満足させて、社会不安を軽減する役割となるでしょう。それが「強いアメリカ」「正しいアメリカ」「誇るべきアメリカ」を復活させ、第二、第三のトランプの登場を再び数年遅らすことが可能になるのではないでしょうか。私はそのように願います。

評価 ☆☆

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2016年5月 2日 (月)

船橋洋一『21世紀 地政学入門』

点検読書183

文春新書(2016年)刊。


国際政治


米国の衰退により、地政学的リスクが高まっている。本書で言う地政学的リスクとは、地理や歴史のような変えようのない要素、さらには民族と宗教のような変え難い要素が、国の戦略や外交に大きな影響を及ぼし、それが国家間の摩擦をもたらすようなリスクである。現在の日本の周辺では、北朝鮮の崩壊リスクが高まり、中国は海への戦略的意志を明確にするようになってきている。日本という国の位置は、アジア太平洋地域で覇権国ならんとする国に対して、抑えこむか友好国になるかすることで、多大な戦略的価値を持っている。そのためにも、国際政治の舞台で、単なるコマとなるかプレイヤーとなるかは、地政学的直観力が必要とされる。


五部構成

1:ロシア・朝鮮半島・アラビア半島の地政学的リスク(第1章)

2:国際経済におけるリスク(第2章)

3:中国というリスク(第3章)

4:アメリカの対中戦略(第4章)

5:日本の政治(第5・6章)

コメント
 中国というやっかいな隣国といかに付き合っていくか。これが本書の核となる内容です
 著者によれば、米国は衰退したとはいえ、日本にとってもっとも重要な国であることは変わりなく、さらなる同盟の深化をすすめつつ、中国の挑発には乗らずに抑止力を強化しなければならない、ということになります。前者の日米同盟のさらなる密接化は、集団的自衛権の行使容認やTPP締結など、現在の安倍政権の路線を意味するのでしょうが、問題は後者です
 後者の「中国の挑発」とは、靖国参拝を含む歴史問題です。中国が、歴史問題を外交問題として提示し始めたのは、80年代からで、その攻勢が強まりだしたのは90年代初頭から2000年代初頭の江沢民国家主席時代の中国でした。
 日本側としては、何度も繰り返される内政干渉や思想の自由を侵害するとも言える中国側の主張に反発が生じてしまい、歴史問題で修正主義的な主張をすること(「日本は侵略国家ではなかった」)や、靖国参拝をするということが対中強硬路線のあかしとなる政治的カードとなってしまいました。
 しかし、こうした中国の姿勢は、単に中国側の主張を押し付けたいということではなく、中国の主張に反発を引き起こして日本が孤立化することまで予想に入れた戦略であることを忘れるな、と著者は述べます。つまり、日本は、東京裁判の判決結果を含むサンフランシスコ講和条約、「敗戦国」であることを受けれたことを前提に国際社会に復帰しました。それにも関わらず、戦後の国際秩序の歴史観に挑戦することは、戦後秩序そのものへの挑戦である、と戦勝国たる米・英(ヨーロッパ)・露という大国に宣伝することを可能にします。それは必然的に、日本を孤立化させることになります
 日本が、中国や韓国のいいなりとなって「侵略国」であることを受け入れることは屈辱である、そうした気分はあると思いますし、それに反発した主張を掲げ、実行する政治行動は、気分がいいかもしれません。しかし、それは「現在」の日本が国際社会の中で存在感を示すのに、何の役に立つのでしょうか。場合によっては、中国・韓国の言いなりにならないことが国益である、という主張が、かえって国益を損ずることになりかねません。
 本書が述べていることは、そういうことです。もし真剣に日本が憲法を改正し、陸海軍を復活し、国連の常任理事国入りなど国際社会の中で一等国としての存在感を示したいならば、過去は切り捨てて、「侵略国」であることを明確に受け入れて、危険がないことをアピールするしかありません。過去に固執することは、日本民族としての誇りは保たれるものの、国際社会の中に存在する国家としての日本の存在感を低下させることになります。
 ここには、「真の国益」とは何か、という問題が表出します。過去に拘り、民族といての一体感を保持することで、国内的に同胞を思いやる平和な共同体としての日本を望むか、過去の日本は現在の日本とは異なることを受け入れ、新国家・日本として「現在」の国際社会の中で活躍する名誉ある地位を得るか。どちらを得るかということかと思います。
 おそらく日本の誇りを大事にして軍事的な独立・強化を目指したい人々は、その両方を望むのでしょうが、それはどうやら難しいようです。もし、可能ならば、20世紀初頭の「侵略国」であったことを受け入れた上で、徐々に過去の日本の言い分を聞き入れてもらうようにするしかないでしょう。つまり、国際社会の中で平和的な軍事活用に積極的に参加して信頼感を増していった上で、当時の日本の立場や他の諸外国の行動の妥当性について理解を求めていくしかないのです
 本書が述べていることは、そうしたことかと思います。歴史問題や靖国にこだわることは、中国の巧みな戦略の手のひらで踊っているだけである。歴史修正主義的な対中強硬派の人たちは主観的には中国と戦っているつもりでも、中国政府からすれば、お手軽な援軍だと思っているのだと自覚する必要があります
 安倍首相の一回限りの靖国参拝は、国内の強固な支持を与えてくれる保守層への最後のファンサービスと考えるべきですし、慰安婦問題の解決や過去の加害の責任を認めた戦後七十年談話とは中国の挑発に乗らずに、国際社会の中での大国化を目指した宣言であると言えるでしょう。その点で、安倍首相は感情的なナショナリストに見えて、冷徹なリアリストなのかもしれません。
 歴史観における戦後国際秩序への挑戦というのは、結果的には憲法第九条を守ることになります。憲法第九条がある限り、国連の常任理事国になることはできないでしょう。国連憲章第43条第1項と第45条に、国際平和や国際的強制行動の際には、安全保障理事会に兵力を提供するように求められています。「軍隊」を持たない国が、その責任者になるというのはありえません。自分たちは、兵力を出さないのに、軍事行動を行える決定権を持つというのは虫のいい話でしょう。左派はそもそもどのような国際紛争にも関わらない、というのが主張ですから、国連の常任理事国入りには興味がありません。そもそも憲法第九条があるのなら、軍事同盟たる国連などに参加すべきではないのかもしれません。このように考えると、右派と左派は、お互いに助けあって、日本の「戦後レジーム」を維持するのに寄与しているといえます
 国家の独立とその名誉を第一と考える保守派にとっては、民族的な純粋性にこだわって現状維持か孤立化を選ぶか、過去は過去として受け入れて「現在」の日本の大国化を選ぶかか、そうした選択の時がきているのでしょう

評価 ☆☆☆

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2016年4月 9日 (土)

塩見鮮一郎『戦後の貧民』

点検読書165

文春新書(2015年)刊。


日本史――昭和史


有史以来、庶民がもっとも貧困にあえいだ時代の敗戦時の日本。本書は、現在の地理関係と対象しつつ、主に東京の闇市、売春地域といった戦後の風景と、戦傷者や広島の被災者、シベリア抑留者といった戦争の傷跡が深い人々の諸相にふれている。


三部構成

1:米軍の占領と闇市の展開。

2:米軍慰安所と売春地域。

3:戦傷者・広島被災者・シベリア抑留など戦争による傷跡。

コメント
 本書は、事実関係を数字で表すというよりも、作家的感性によって、敗戦後の人々、とりわけ女性や引揚者、戦傷者など戦前の体制における最大の犠牲者でありながら、戦後においてもっとも苦労を強いられた人々に注目しています。
 興味深いのは、主に東京の各地域の状況を解説する際の、現在の地図に重ねあわせて、闇市や赤線地域などを示しているところです。これによって、現在の見慣れた場所の戦後における位置が分かりますし、また都会の高層ビル街の中になぜこうした丈の低い異質な地域が存在するのかの来歴を理解させてくれます。
 また、「赤線」というのは、吉原・新宿・洲崎などの「特殊飲食店街」を警察が地図で赤線で囲んだことに由来するということは、何となく理解していましたが、「青線」という非合法の売春地域というものもあったんですね。赤線が遊郭廃止以来の変化形に対して、青線は闇市の系譜を引くという点で新しいものということですが、現在は別の意味で有名ですが、新宿2丁目あたりがそうした地域だったとは知りませんでした。
 しかし、本書で多少ずっこけてしまうのは、例えば1946年秋から1952年にかけて、南北アメリカ大陸在住の日系人が中心となって、ララ(アジア救援公認団体)が食糧や医薬品など400億円相当の援助をしたが、GHQは「アメリカからの配布」として真実を隠した、と興味深いエピソードを紹介しているが、「と、ウィキペディアは指摘している」と書いてあります(47頁)。これだけでヘコっとなってしまうのですが、せめて閲覧日ぐらいは明記してほしい。多分、この箇所だと思いますが(2016年4月9日閲覧)、記述箇所には参考文献が付されていないので確認ができません。
 また、ほかにもアメリカの政府からトウモロコシや砂糖が送られてきて、これも善意として喧伝されたが、講和後に日本政府はその代金を請求されたという、ホントかよというエピソードも「ネットに拠る」と書かれています(48頁)。これもURLぐらいは付けてくれないと確認できないので、使えない情報です。
 こうしてネット情報をそのまま参照している著者ですが、一方で「ネットで検索してみていると、日本軍は従軍慰安婦をともなって侵略したので、現地の女性には行儀がよかったという記述があった。しばらく、息を止め、そして吐息をついた」とこちらは信じるに値しない情報のようです。この記述が怪しいのはもとよりですが、著者は自身がこれまで調べたことや印象と合致するあやふやなネット情報は参照する価値があるけど、そうでないのは「吐息」の対象とするなら、どちらも取り上げる必要がないんじゃないか、と思います。そのあたりが少々残念な気もしますが、読み物としては楽しめました。

評価 ☆

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2016年4月 6日 (水)

エマニュエル・トッド『シャルリとは誰か?』から見る日本政治

承前

 著者の分析の特徴は、家族構造というものを中心に据えている、という点です。つまり、家族内、とりわけ親子・兄弟関係がどのようなものかによって、文化や価値観が変わってくるというものです。
  親に権威があって一人の相続人を決めるような兄弟間の不平等な家族構造を直系家族、親に権威があるものの相続に兄弟間の差別がない上に結婚した息子たちと 両親が同居する家族構造を外婚制共同体家族、相続上の権利が兄弟間で平等な上に親と同居せず各兄弟が独立して生計を立てる平等主義核家族、親と同居せず各 兄弟が独立して生計を立てるものの遺産相続に関して親に決定権があるという意味で平等ではない絶対核家族。こうした家族構造が、人々の価値観や意識に関 わってくるというのです。
 家族構造と価値観との関係と政治的志向の左右をまとめると以下のようになります。

・直系家族:権威主義的不平等→社会民主主義・自民族中心主義

・外婚制共同体家族:権威主義的平等→共産主義・ファシズム

・平等主義核家族:自由・平等→無政府主義・自国軍国主義

・絶対核家族:自由・非平等→労働党社会主義・自由孤立主義

  例を直系家族で見ると「兄弟が不平等ならば、人間は個々に不平等であり、民族も不平等であり、普遍的人間は存在しない。異邦人、ユダヤ人、イスラム教徒、 黒人は、その本性からして異なる」となりますし、平等主義核家族で見てみると「兄弟が平等ならば、人間はみな平等であり、民族も平等であり、普遍的人間が 存在する」と考えます。これらの家族構造というのは、だいたい国や地域によって傾向性があります。また、個人の志向について考える際にも、こうした家族構造を見ることは可能かもしれません。
 現代日本の政治家の中で、緊縮財政派と積極財政派で考えてみます。というのも、著者によれば、直系家族的不平等主義は、財政政策によって苦境にある人々を支援するという傾向にはなく、緊縮気味の政策をとる傾向があると述べているからです。政治家の家族構造から政策傾向が見えてくるかもしれません。
 まずは緊縮派の代表として、小泉純一郎元首相は、小泉氏は祖父の又次郎、父の純也に継ぐ三代目の政治家一家と生まれ、姉と弟がいるのですが、姉一人と弟が私設秘書となっております。そうなると「直系家族」の典型と見ることができます。また、緊縮派の谷垣禎一自民党幹事長も、父・専一を継いだ二世議員で、弟がやはり谷垣氏の秘書となってます。これも兄弟間の不平等があって父親に権威のある「直系家族」でしょう。あと自民党で代表的な緊縮派の代表選手の石破茂内閣府特命担当大臣も、祖父・市造、父・ 二朗を継いだ三代目の政治家で、姉二人の後の一人息子で政治家になっているのですから、「直系家族」です。その上、石破氏はプロテスタント系のクリスチャンです。トッドによれば、ルター派の予定説は、救済の可能性が生まれ持って神の意志によって決定されているという点で不平等主義だというので、石破氏は、 トッド理論からすると筋金入りの不平等主義者であるといえます。
 一方で野党・民進党の岡田克也代表。彼は、スーパー「岡田家」の経営者の次男として生まれております。岡田家のちのイオングループを継承したのは長男の元也氏です。これは、おそらく幼少時から決まったことだと、岡田氏が考えて、自身は官僚、政治家の道を歩んだのかもしれません。さらに岡田氏の弟にあたる三男は、母方の家の養子になっているそうです。このように考えると、岡田氏の志向 を家族構造から考えると明確に「直系家族」です。彼の政策志向が、財政健全化重視の緊縮財政、反リフレ派であるのもうなずけるような気もします。
 では、現首相の安倍晋三首相は、どうでしょうか。安倍氏は、祖父が安倍寛、父が安倍晋太郎で三代目の政治家です。また、母方の祖父が岸信介であり、一族を広げるとかなり多くの政治家を輩出している家のようです。
 では、兄弟はというと、兄と弟がいて、安倍氏は晋三という名前ですが次男です(兄と安倍氏の間に隠し子でもいたんでしょうか)。兄は、「寛信」といって、父方の祖父の寛、母方の祖父の信介から一字をもらっているんですから、いかにも後継者らしい名前ですが、政治家にはならなかったようです。で、弟は、岡田氏 同様に母方の岸家の養子となって現在政治家となっています。
 こうなると上記の政治家たちと少々事情が異なるようです。つまり、小泉、谷垣、石破 各氏は、嫡男として政治家となった直系家族の典型です。岡田氏は、兄が嫡男で次男であるから別の道を歩んだという差別された側の直系家族の一員です。一 方、安倍首相は、長男ではなく次男で後継者となっています。これは、父親に相続の決定権があったか、息子に相続放棄の権利があったか、という「絶対核家族」の特徴があります。そうすると安倍首相の志向は、不平等を積極的に認めるわけではないが、不平等を容認する自由主義である、といえます。つまり、英米型なのです。政治的志向は、左に振れれば、現状維持的社会政策で、右に振れれば孤立主義ということになります。
 こうなると安倍首相が、中途半端 なリフレ派ということが理解できるように思います。アベノミクスの3本の矢の「大胆な金融政策」は、失業率低下を促し有効求人倍率を引き上げました。この点では、反リフレの人々にくらべれば、もっとも苦境にある失業者に雇用を生み出している点で不平等を積極的に認める方向にはありません。しかし、消費税増税を認めてしまった点、年金や健康保険など社会保険料を年々値上げしている点、社会保障の支出を抑制している点を見ていくと、少々不平等への対策が不十分に思えます。その点を、先日のスティグリッツ、クルーグマン各氏に指摘されたように思います。
 こうしたことが、トッド理論から見ることができました。何となく納得できるような気もしないではありません。では、外婚制共同体家族や平等主義核家族の例はないかと主要政治家の中から考えてみたのですが、日本共産党の志位和夫委員長や吉田忠智社会民主党党首や福島瑞穂前党首には兄弟についての情報がありません。小沢一郎生活の党代表は、石破氏と同様な家族構成ですし、松野頼久前維新の党代表も姉妹に挟まれた長男です。なかなか見当たらないのです。サラリーマン家庭出身の菅直人元首相は、姉一人の二人姉弟なので平等主義核家族なのかとも思いますが、妻の実家が医師一家で、次男が獣医をやっているのをみると、そちらの方が直系家族的とも思えないこともないです。
 日本の政治における平等主義の弱さというのは、こうした政治家のというより、一般の日本人の家族構造に由来するのかもしれません。


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2016年4月 5日 (火)

エマニュエル・トッド『シャルリとは誰か?』

点検読書162

文春新書(2016年)刊。
副題は「人種差別と没落する西欧」。
訳者は堀茂樹。


社会学――フランス


2015年1月、ムハンマドを冒瀆した風刺画を掲載した新聞『シャルリ・エブド』が襲撃され、それに対して「私はシャルリ」をスローガンにフランス全土で大規模なデモが起きた。しかし、このデモは、単なる暴力に対する抗議活動ではなく、近年フランスを覆いつつある自己欺瞞に満ちた無自覚な排外主義であった。本書は、「私はシャルリ」と名乗った人々を、人類学的、宗教社会学的、階層的に分析し、自身の宗教であったカトリックを冒瀆する権利を他の宗教にも及ぼそうとするライシテ(世俗主義)とカトリック的不平等の容認という「ゾンビ・カトリック」、現在もしくは近い将来の年金受給者という高年齢層、中産階級以上の管理職・上級職、緊縮財政と自由貿易を志向するEU支持者という特徴が見られると主張する。これらの無自覚な不平等容認と経済政策の志向が、若者たちの職や夢を奪い、イスラム系の若者たちを過激な活動へと追いやっている要因となっている。


六部構成

1:無信仰者の増大によるアノミー化と新しい信仰対象としてのユーロ。
2:「シャルリ」の社会学的解明。
3:「平等」という価値の衰退。
4:不平等化する左翼と平等化する右翼。
5:イスラム教徒の可能性。
6:結論。

コメント
 「私はシャルリ」運動が、報じられるのを見て、正直、私は不快感に襲われました。暴力による殺戮という手段の凶暴さは当然批難されるべきだが、自分たちの正義を疑わず、他者の大切にしているものを冒瀆して、それを言論の自由や世俗化という権利や価値・習慣にすり替える西洋人的傲慢さに辟易とさせられたわけです。そうした自己反省のなさが、そのような悲劇を引き起こしたのではないか。そのように思ったのでした。そうした懸念が実現したように11月13日にパリの連続テロ事件が起きました。詳しく報道は接していませんが、このテロに対して「私はシャルリ」デモのような傲慢な行為は行われていないようです(Wikipediaを拝見するとデモがあったのは何故か「日本」でだということです)。
 本書は、まさにその点をついたがために、フランス本国では批判に晒され、著者はメディアでの発言を控えたといいます。そうした時に発言の機会が与えられたのが、日本の『読売新聞』であったことに「安堵感、開放感、孤独からの脱出感」を味わったと著者は述べております(3頁)。やはり日本のメディアでも、あの騒動に違和感を抱いた人が多かったということでしょう。
 本書による排外主義とは、アノミー論で説明されます。つまり、フランスの共通意識を担っていたカトリックが1965年から90年にかけて世俗化によって衰退し、次の唯一神としてEU及び統一通貨ユーロが信仰の対象として選ばれました。しかし、2005年の欧州憲法条約案の国民投票での否決に見られるようにEUへの懐疑が広がり始めました。こうして共通意識を失って人々がアノミー化し始めたところで、シャルリ・エブド事件が起きたことで外国人恐怖症という共通意識が出来上がってしまった。これが「シャルリ」だということです。
 では、こうしてできあがった「私はシャルリ」の「シャルリ」とはどういう人々だったのでしょうか。著者は、デモ参加者の多い都市の特徴から分析し、彼らは高年齢層の管理職・上級職で、もともとカトリックが盛んだったものの世俗化が進んだ都市が多かったといいます。それに加えて、家族構造の特徴が、権威主義的な直系家族が多い地域に見られるとします。
 一見すると、こうした特徴から見られる参加者像は、高所得層で知的な穏健な人々に見えます。また、本人たちも自分たちは、人種差別に根ざした極右的排外主義ではない普遍主義的な穏健な市民であると考えていると思います。しかし、著者はそこに危険があるといいます。つまり、無自覚さがある、というのです。
 彼らは、もともとカトリック教徒だったのですが、徐々に進んだ世俗化によって、自身の宗教を冒瀆する権利を得るようになりました。そのため、ムハンマドを冒瀆する風刺画を認められないとするムスリムの考え方に反発を覚えます。そうして、自分たちのライシテ(世俗化)という価値観を他の宗教信仰者に対して強制するという傲慢な態度を取らせます。
 しかしその一方で、物分りの良い顔をしたい彼らは、多文化主義の名の下に、移民の差異の尊重を訴え、進みつつあった結婚による同化を押しとどめてしまいました。これも無自覚な差別です。
 さらに彼らは、高所得層で、現在または将来における年金の受給者となる人々です。そうなると財政の健全さが自分たちの利益になりますので、緊縮財政を支持します。また、安定した所得があるので、通貨高の政策を取ることが利益になります。これは自由貿易支持にもつながり、自由貿易によって他国から安い商品を輸入し、さらに通貨高政策をとれば、そうした商品はさらに安く手に入れることができます。
 しかし、これらは裏を返すと、若者たちにとって不利なものとなります。まず通貨高政策とリンクした自由貿易は、他国から商品やサービスを受けるわけですから、国内産業が衰退します。国内の企業が、通貨高という足かせで国際競争力が低下する中、安い他国の商品に対抗して値下げ競争が起きるので、商品価格が低下、つまりデフレが生じます。
 デフレが生じると企業利益が低下しますので、人件費を低く抑えようとします。しかし、すでに雇用している人を簡単に解雇する訳にはいかないので、新規雇用を控えようとします。そうすると割りを食うのは、若者たちです。若者たちは就職ができず、低賃金で生き延びていくか、失業し続けることになります。
 では、この失業した若者たちへの支援をどうするかというと、通常ならば、失業保険の充実や公共事業などで就労機会を増やす財政政策を行わなければなりません。しかし、財政健全化の名の下に緊縮財政が行われますので、そうした支援は見込めません。
 つまり、「シャルリ」に象徴される人々が志向する政策は、単に無自覚な外国人恐怖症による排外主義だけではなく、若者たちを食い物にするシルバーデモクラシーであり、さらに若者たちの中でももっとも苦境にあるマグレブ諸国出身のイスラム系移民の若者を追いやります。こうして「シャルリ」によって、苦境に立つイスラム系移民の若者たちは、現状を打開するために、「シャルリ」によって象徴される現体制が避難する「イスラム国」の組織に参加することになります。現体制にとっての「悪」は、現状打破を求める者にとっては救世主になるものなのです。
 著者は、こうした無自覚な排外主義、「年金+消費物価格低下」を求める既得権益者を象徴的に「シャルリ」と呼んでいるのですが、これはフランスにおける「リベラル左派」の人々を指します。ユーロ支持ということで自国にこだわらない普遍主義で、消費増税によって健全な財政を実現して福祉国家の維持を訴え、商品価格の低い住みやすい国造りを求めています。自由貿易否定は排外主義で、通貨安やインフレ政策は商品価格を上げることになるから、人々の生活を脅かす。リベラルだったら、否定しなければならない。こういうことです。
 これって、そっくりそのまま日本のリベラルですな。以前紹介した松尾匡『この経済政策が民主主義を救う』で、中央銀行による金融緩和とそれに基づく財政政策は、欧米基準では「リベラル左派」の政策だ、と述べられていました。しかし、松尾著でも述べられているように、こうした政策を訴えるのは、欧米での現状の「リベラル」に満足できない「左派」の政策のように思えます。つまり、日本もヨーロッパも「リベラル」は、「年金+消費物価格低下」という緊縮財政とデフレが好まれていて、そのために苦境にある若者たちがより「左派」に引き寄せられている。こうしたことだと思います(つづく)。


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2016年1月28日 (木)

小野展克『黒田日銀 最後の賭け』(文春新書、2015)

点検読書111


日本政治


アベノミクスの成否を握る「異次元緩和」の遂行者・黒田東彦日銀総裁。彼はどのようなプロセスで総裁に就任し、どのような人物か。またどのようなマネジメントで日銀を動かし、今後、どのような施策に出るのか。


五部構成
1:総論としてのデフレとインフレと中央銀行(第一章)。
2:黒田総裁決定のプロセス(第二章)。
3:黒田東彦の人物像(第三章)。
4:これまでの日銀の動き(第四章)。
5:黒田日銀の二年半(第五章)。


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2016年1月 1日 (金)

飯島勲『政治の急所』(文春新書、2014)

点検読書86


政治評論


首相秘書官として小泉政権を支え、第二次安倍内閣において内閣参与となった著者の民主党政権時代から第2次安倍内閣初期までの評論をまとめたもの。


1.第一次と第2次安倍内閣の違い(官邸人事、経済政策、メディア対策など)
2.外交問題(日中、日韓、領土問題、拉致問題、日露外交)
3.民主党政権の失敗の研究
4.政治的リーダーシップについて

メモ
カール・ローブ(ブッシュ大統領の側近)が飯島氏に感謝したこと(131~132頁)
 2006年、小泉訪米の際、テネシー州メンフィスのエルビス・プレスリー記念館をブッシュ大統領とともに訪問。その際に、治安上の問題で歴代大統領が訪問できなかったキング牧師暗殺現場に立ち寄った。現場はメンフィス空港と記念館の中間にあった。オバマ大統領も訪問できていない。

小泉首相とワーグナー(132~133頁)
 ワーグナーの楽劇を演目にするバイエルン音楽祭にシュレーダー首相が欠席したことで南ドイツで不人気になったことがあった。小泉首相が、音楽祭に招待された際、駐ドイツ大使館にシュレーダー首相に道案内させろと打診させたら、飛びついた。これにより、シュレーダー首相の南ドイツでの人気が回復した。

北朝鮮拉致問題の前進の背景(133~134頁)
 2002年のG8カナナスキ・スサミット(カナダ)で、プーチン大統領が、来年のサンクトペテルブルク建都三百年祭とエヴィアン・サミットの日程がかぶっているので、シラク大統領に頼んでいるが、うまくいかないと発言した。すると小泉首相が「黙って坐れ」と制して、「シラク、二日ずらせばいいだろう。ブッシュ、どうだ」「いいよ」「ベルルスコーニは」「いいよ」「ブレアは」「いいよ」「みんな、いいって言ってるじゃないか」でずらすことになった。
 プーチンはびっくりして休憩の時に、「三百年祭では、隣りに座ってもらう」といって、胡錦濤国家元首よりプーチンの近くに座った。さらに「小泉、あんたも悩みがあるだろう。北朝鮮の拉致問題だな?まだ公表していないけど、十日後に金正日総書記をシベリアに呼んであるから、『小泉は信頼できる男だ。拉致問題を二人で話して解決しろ』と強く言うよ。これからもよろしく頼む」と語った。

政権の「歳時記」(256頁)
「時の政権の立場からすれば、まずはまさにいま、首相が決断すればできること。次に今年中、直近の国会中か、次の予算編成までにできること。三つ目に、今の衆院の任期中、二~三年内にできること。さらには次期衆院選を勝ち抜き、再選されてできること。その先には、自分の任期中にはできないだろうが、後戻りできないような道筋をつけ、後継者に後事を託して実現を目指すこと。」
→「事の軽重」をわきまえないと政権が行き詰まる。


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