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法学

2016年8月24日 (水)

大石眞・大沢秀介編『判例憲法』

点検読書222

有斐閣(2009年4月30日)刊


法学――憲法


憲法に関する基本的な考え方や憲法上の基本的論点を踏まえた上で、最高裁判所の判例を取り上げることで、憲法というものについて組織立った体系的な考え方を身につけるよう配慮された憲法入門書。


三部構成

1:憲法の意味・解釈(第Ⅰ部)

2:基本権と権利保障(第Ⅱ部)

3:統治の原理と組織(第Ⅲ部)

コメント
 本書の編者の大石眞氏は、昨年の安保論争の時も静観を守っており、どちらかというと集団的自衛権は違憲ではない、という孤高の憲法学者です。大石氏の憲法観は、憲法というものは憲法典だけではなく、憲法判例、憲法附属法、条約、治安立法等、国政の組織や内容に関する基本的な原理・規範やその全体をあらわす実質的意味の憲法=憲法秩序として理解する必要があるというものです
 ですから、憲法学の基本的論点と日本国憲法の内容、そして最高裁の判例を収録した本書は大石憲法学入門の意味があるでしょう。
 本書の中で驚かされるのは、憲法改正について、わりと詳しく述べられており、護憲派・リベラル派が主張する憲法改正の限界説について、例えば人権尊重・平和主義や現行憲法との同一性などの具体的内容が必ずしも明らかではないとして限界説に疑問を呈しています。さらに、現在の国民を過去の憲法制定時の国民が縛るというのは自由決定権を制限することになり、国民主権の原理に反するとして批判し、国民主権原理以外の限界はない、という立場を明確にしています。こうしてみると保守派と護憲派は、国民とは過去の国民と現在の国民と将来の国民の複合体である、という見方であるのに対して、近代国家の国民は何をもなしうる、という近代主義というのが大石氏の立場なのかもしれません。
 また、目からウロコが取れたのは、最近でも何かと話題の日本国憲法における「基本的人権」という用語です。以前、2012年の政権交代前に創生「日本」という議員連盟の会合で、長勢甚遠元法務大臣が、「国民主権、基本的人権、平和主義」が自民党改正案に残っているのは、マッカーサーに与えられたものであり、戦後レジームそのものとして批判していたことを取り上げました(参照)。この時は、何を言っているのか、分からなかったのですが、たしかに諸外国の憲法を眺めてみると、この三原則がすべて明記されている先進国は、日・独・伊という敗戦国のみだなというのは確認できたのです。しかし、そうした事実があったとしても、その三つって大切だし、20世紀も後半になるに従って制定された憲法というのは、そうした三原則が明記されるようになったのではないか、と思っておりました。
 本書によると、もっと簡単な議論であったようです。つまり、通常、人権というのは「人間が自律的に人格をもって生きるために欠かせない権利や自由」を言うのですが、憲法上で具体的に保障される権利や自由を「基本権」と呼ぶらしいのです。では、なぜ日本国憲法が、「基本的人権」という用語を使っているかというと、ポツダム宣言に「基本的人権 fundamental human rights」の尊重の確立が求められていることを受け、11条および97条で「基本的人権」という語を用いているというのです
 つまり、権利や自由が憲法で保障されるという意味での基本権および人権という用語を使うことはもはや否定する人はいないでしょう。「権利の保障が確保されず、権力分立も定められていない社会は、すべて憲法をもつものではない」(フランス人権宣言16条)が、近代的な憲法の基準なのですから、当然と言えましょう。しかし、この基本権と人権が複合した「基本的人権」という用語は、ポツダム宣言という降伏勧告に述べられている言葉で、これを使用しているということは、敗戦国が続いていいるということになります。
 おりしも先週、アメリカのバイデン副大統領が「日本の憲法はアメリカが書いた」と発言されたそうですが、そういうことなのですね(参照)。
 それが良いかどうか、というのは国民主権の原理によって、現在の国民が決めれば良いことであって、アメリカ人がつくったからといって、それを唯々諾々と受け入れてきたのは現在の日本国民です。そうした出自の憲法ですが、本書に見られるように、判例というかたちですでに深い歴史を刻んでおります。そうした意味で、本書により、これまでの憲法の運用や学説はどうであったかを確認することは必要でしょう。
 すこし古くなってしまいましたが、手元に置いておくには良い教科書であるかと思います。

評価 ☆☆☆☆

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第三版が出てたのですね。購入したほうが良いかな。

2016年6月12日 (日)

樋口一葉『大つごもり』

点検読書208

『樋口一葉小説集』(ちくま文庫、2005年)所収

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2016年2月 4日 (木)

小室直樹『日本国憲法の問題点』(集英社、2002年)

点検読書116


評論


日本国憲法でもっとも重要な条文は、国民の生命・自由・幸福追求の権利の尊重を明記した第十三条である。しかし、これらが日本国政府によって守られていないことが最大の問題点である。


五部構成
1:バブル潰しの失態は、国民の幸福追求の権利=財産権を、拉致問題の放置は生命・自由の権利尊重義務を政府は放棄しており、憲法違反である(第1章)。

2:首相の空位を容認している憲法は問題である(第2章)。

3:愛国心を育み、労働を美徳とする教育を再興しなければ、民主主義は維持できない(第3章)。

4:官僚養成を頂点とする教育の見直しの必要(第4章)。

5:憲法第九条は「事情変更の原則」により空文化した。自衛隊は、憲法第十三条に根拠を持つ軍隊とすべき。ジュネーブ四条約の公知義務がなされていないのは、憲法第九十八条第二項の条約の履行義務違反である(第5章)。

メモ
・「幸福追求の権利」
著者が日本国憲法のもっとも重要な条文とする第十三条の「幸福追求の権利」の起源は、アメリカ独立宣言の「Rights, that among these are Life, Liberty, and the Pursuit of Happiness」の「幸福追求の権利」にあるが、そもそもはジョン・ロックの生命・自由・財産の自然権の「財産」にある。では、なぜ独立宣言の起草者であるトマス・ジェファーソンが、「財産」を「幸福追求」と言い換えたといえば、独立後、すべての人が財産を持てる=裕福になる、と誤解されるのを恐れたからである(33頁)。


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2016年1月30日 (土)

穂積陳重『復讐と法律』(岩波文庫、1982)

点検読書112

原著は1931年。


法学


人類のみならず生物一般は、自己または自己に関わるものへの攻撃に対して報復をする性質を持っている。国家権力に代表される公権力の目的は、社会治安の維持にある。しかし、統一国家の不在など、公権力の制御や範囲が限定的な場合、公権力は紛争の被害者各人の自力制裁によって補完される必要がある。そのため、公権力が弱体な時代において、復讐(=敵討)は道徳的にすぐれたものとして称揚される。著者は、人間の本質における報復感情と公権力弱体時代における補完的な治安維持機能として、復讐は容認されていたが、公権力が整備・充実した時代となるに従って、復讐義務者の制限、政府による事前承認の必要、敵討から賠償への転換、復讐禁止時代へと法が進化してきたことを明らかにする。すなわち、「法の起源は自力制裁の公力制裁に転化するにあり」(245頁)。


四部構成
1:「法の起源に関する私力公権化の作用」(1916年)
 法の起源は、私的制裁の公的制裁への転換と捉え、刑法の起源は復讐、民法の起源は差押にあるとして、主に日本における「敵討」の伝統の武士道、儒教、封建制(分権制)からの影響を述べ、明治維新後の統一国家化に応じて、江藤新平司法卿の果断によって「敵討」が禁止されたところまで論じる。

2:「復讐と法律」(1921年頃)
 キリスト教圏・イスラム教圏・儒教圏はもちろんのこと、南北アメリカ・アフリカ・南太平洋地域の諸民族の報復=復讐から法律への進化する過程を論じる。著者のライフワークであった『法律進化論』第一部「法源論」中の「原力論」の未定稿。

3:「差押は民事法の起源なり」(1911年)
 民事法の起源は、自力制裁による差押にあるとして、個人の力による強奪・押領から集団の力、公権力による差押までの進化の過程を述べる。

4:「刑法進化の話」(1888年)
 刑法は復讐の進化したものであるという主張の下、復讐の時代、復讐制限の時代、賠償の時代、刑法の時代と進化の過程を述べる。賠償によって復讐に替える時代の特徴として、貨幣の登場を挙げ、「貨幣は貿易の媒なり」という経済学者の格言から「貨幣は平和の媒なり」と貨幣経済の登場が復讐の廃止につながったとの指摘をしている。

メモ
日本における復讐
「復讐は人類社会の一般的現象なるが故に、いずれの国にも存在したものではあるが、特に本邦においては、文化がよほど高等の域に達したる時代まで存在したものである。即ち文化の進度に比較して、永くこの現象の持続したのは本邦を以て第一とすべきである。その理由として、私は第一に武士道を重んじたること、第二に支那の徳教即ち儒教の影響したること、第三に封建制度が存在して法権の統一を欠きたること、この三つを算えようと思う。」(30頁)

「赤穂義士」の影響
「平出鏗二郎氏の著『かたきうち』に拠りて慶長十年より元治元年に至るまでの間にあった七十八件の敵討の場合について見るに、その中にて士の敵討は四十七件あって過半数を占め、平民の敵討は都合二十六件にて、その中農民は二十件、工商は四件、その他が二件であり、その他不明が五件であるが、これを元禄以前及び元禄以後に区分して見ると、元禄以前は士二十二件平民一件であったが、元禄以後においては士二十五件平民二十五件で、同数となっている。此の如く、元禄に赤穂義士の敵討があってより後に至って、平民の敵討も多く行われるようになったのは、すこぶる注意すべき現象であるが、此の如きは畢竟復讐を以て美徳となし、善行となして、これを賞讃奨励したのによるものであって、復讐の観念が武士階級は勿論百姓町人に至るまで如何に深く人心に浸潤していったかは、前記の事実によってこれを知ることが出来る。」(32頁)

平安時代の「死刑廃止」と復讐の復活
「平安朝時代に入りて以来、死刑の永く廃止せられたりし一事は個人をして私力報復をなすに立ち至らしむるに与って大いに力ありたるものの如し。」(100頁)
→弘仁元年(810年)の薬子の変における藤原仲成の処刑から死刑を行わなくなった上、弘仁十三年(822年)には死罪にあたるものを十五年以内の苦役にあてることにした勅によって死刑は廃止に。保元の乱の源為義の刑死(保元元年〔1156年〕)まで死刑は行われなかった。


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2016年1月25日 (月)

橋爪大三郎『人間にとって法とは何か』(PHP新書、2003)

点検読書108


法学


近代法を「言語ゲーム」の観点から読み解き、キリスト教・イスラム教・仏教などの宗教法の成り立ちを探りつつ、法観念が歪んでしまっている日本人の法秩序観を問いなおす。


四部構成
1:法一般について、ハートの言語ゲームとしての法、近代法の原則(第1~3章)。
2:ユダヤ教・キリスト教・イスラム教・仏教・儒教の宗教法の成り立ちと法感覚の相違について(第4~8章)。
3:日本人の法意識として、前近代と近代以後の法秩序観(第9~10章)。
4:リバタリアニズムと公共性、国際法(第11~12章)。


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