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アメリカ

2016年10月31日 (月)

佐藤伸行『ドナルド・トランプ』

点検読書239

副題は「劇画化するアメリカと世界の悪夢」。
文春新書(2016年8月20日)刊。


アメリカ


2016年のアメリカ大統領選の台風の目となったドナルド・トランプという人物は、一体何者なのか。本書は、彼のルーツ、不動産王としての経歴、結婚歴、政治姿勢などの個人史から、トランプ現象を生み出した背景としてのアメリカ社会の問題を紹介する。


6部構成

1:トランプとレーガン(序章)

2:トランプ家とドナルド・トランプのルーツ(第1~3章)

3:スキャンダラスな人生(第4~5章)

4;政治家トランプ(第6章)

5:怒れる白人と宗教(第7~9章)

6:外交姿勢と国際政治(第10章・あとがき)

コメント
 おそらくあと2週間もしたら、読む気にもならないであろうと思うと同時に願わざるを得ない水物としての人物紹介本です。

 現在のアメリカ・ミステリー小説を代表するジャック・カーリイの「カーソン・ライダーシリーズ」を読んでいると、何度か金持ちの象徴して「ドナルド・トランプ」という言葉が登場します。このシリーズが始まったのが、2004年の『百番目の男』なのですが、奇しくもその年に始まったのが、『アプレンティス』というテレビ番組で、その番組はドナルド・トランプが「実業家トランプ役」として登場していたのでした。番組の趣旨は、トランプのもとで働きたい希望者を集めてビジネスの課題を与えて、成績の悪い者をクビにするというものらしいのです。この番組は大変人気を博し、金持ち社長といえば「ドナルド・トランプ」というイメージが出来上がるほどで、それが小説の中でも語られているということでしょう
 このようにトランプとは、本業で一山当てて、その後はそのネームバリューでテレビタレントとして有名な人物というものだったようです。日本で言えば、『マネーの虎』に出演していた社長とか、別ジャンルでは料理人といえば『料理の鉄人』に出ていた人が政治的発言をして、さらには選挙に出たというところでしょうか。もっと端的にいえば、弁護士でタレントだった橋下徹さんみたいな人物とすれば、より分かりやすいでしょう。

 本書は、トランプ氏の移民政策への批判者としての政治姿勢とは裏腹に、ドイツからの移民三世としての姿から描きます。トランプ氏の祖父フレデリックは、ドイツの葡萄農園の子として生まれ、理容師の修行をしつつ、貧しさから抜け出すために、アメリカに入国します。しばらくは、理容師として生計を立てますが、まとまった資金ができると事業を始めます。その事業は、売春レストランで、ゴールドラッシュの時代には、金鉱を目指すのではなく、金を目当てに集まる男たちを商売の相手と見定めて、抜け目なく資産を築きます。その後、一度はドイツに帰国したものの、アメリカ移民の目的を徴兵逃れと疑われ、ドイツ帝国の国籍取得ができず、再度アメリカに渡り、失意のうちに死亡します(49歳)。
 フレデリックの長男のフレッドは、父に輪をかけたワーカホリックで、大工から住宅建設事業に乗り出し、労働者向けの住宅ビジネスで成功し、さらに大不況時にもニューディール政策の住宅建設援助を追い風に事業を拡大します。その一方で、彼は、KKKのメンバーであるというレイシストの側面もあり、逮捕歴もあるようです
 そのフレッドの次男が、ドナルドです。子供時代は、いじめっ子でガキ大将のスクールギャング。その無軌道ぶりに手を焼いた父親は、軍隊式の全寮制学校に入学させましたが、自ら鬼軍曹のように装い気に入らないやつに気合を入れたり、女子の立ち入りは禁止だったはずなのに、学校の許可をもらって、女の子がひっきりなしに訪ねてきたといいます。
 卒業後、フォーダム大学に入学し、二年後にはペンシルベニア大学の大学院ウォートン校で経営学を学びます。しかし、大学には馴染めず、大人しい学生という印象を残して卒業をしています。彼は、学業のかたわら父の仕事の手伝いをしていましたが、その内容は賃貸アパートの家賃取り立ての仕事でした。しかし、彼は、父のそうした堅実な商売に飽き足らず、マンハッタンのハドソン川沿いの再開発に乗じ、土地を購入して事業を展開し、ホテル建設など不動産ビジネスで成功を収めます。

 彼の政治経歴は、そのビジネスと連動しています。1983年にトランプ・タワーを完成させ、次なる話題の提供を考えていたトランプ氏は、1986年5月、ニューヨーク市長のエド・コッチに挑発的な手紙を送って大喧嘩を演出しました。それは1980年に閉鎖されたスケートリンク改修がいつまでたっても完成しないことを、市長の無能さに批判しつつ、自分が請け負えば、簡単にできあがる、と主張するものでした。これにコッチ市長は激怒して反論したのですが、世論はトランプに味方し、さらに市の財政負担なく請け負ったスケートリンク改修を86年中に終わらせるという神業を発揮しました。これによりトランプ人気は高まります。そして、それまで民主党員であったのに、民主党の市長であったエド・コッチと対立したために、共和党へと鞍替えしました。こうして時代の寵児となった41歳のトランプ氏は、1987年9月に『ワシントン・ポスト』、『ニューヨーク・タイムズ』、『ボストン・グローブ』に、日本と欧州の同盟国に安全保障の対価を求める内容の全面広告を発表しました。これにより、トランプ氏は大統領選挙に出馬する糸があるのではないか、と言われたのですが、実際に共和党の一部ではトランプを次期大統領候補にするという動きがあったそうです

 このように政治的にも活躍し始めたトランプ氏ですが、ここで注意すべきは、翌年にトランプ氏は、『トランプ自伝』を刊行し、自称400万部、少なくとも100万部のヒットに結びつけたことです。彼の政治的行動は、自分の名を売らんがためという目的があるといえるのです。それは2000年に改革党から大統領候補の氏名争いに名乗りを上げましたが、すぐに撤退しています。この時も“The America We Deserve”という本を出版し、有料のビジネスセミナーまで開いて、人を集めていたといいます。これが成功したというのは、最初に述べた『アプレンティス』という番組のレギュラー出演者となって人気者になったことでもわかるでしょう。そして、ついに今度は共和党の大統領候補にまで上り詰めてしまったのです。

 しかし、どうやら今回も当初は自身のナルシズムに基づく売名が目的であったようで、2016年のアメリカ大統領選挙の予備選の元スタッフによると、トランプ氏は、そもそも予備選二位を狙っていたというのです。それが、堂々たる候補者になってしまったところに、現在のアメリカの問題があるといえるでしょう。

 では、彼を引き上げていった要因とはなんであったでしょう。それは、アメリカがアメリカで亡くなったということであるらしいのです。つまり、アメリカは、アメリカ的価値観を外に押し付けて、世界をアメリカ化していたと思っていたら、アメリカ自体が世界化してしまって、アメリカという背骨がなくなってしまったのでした

 アメリカの背骨とは何かといえば、いわゆるWASPというアングロ・サクソン系のプロテスタントの白人男性というアメリカ建国時の中心的な人々です。それが、移民の増加によって、徐々にマイノリティに転落しそうになっている。しかも、教えられる歴史は、「アメリカは虐殺集団である白人人種主義者に発見され、有色の土着の民を殺し続け、アフリカ人を奴隷にして、いやがる労働に駆り立てた。それから白人人種主義者は国を出て世界中でその土地の人々に暴虐を加え、植民地にした」とされ、「同性愛者でない白人労働者の男は悪の根源」とみなされるようになってしまったというのです。

 かつて小室直樹は、日本の「自虐史観」を批判するのに、アメリカの歴史教育はアメリカの悪を描かない、何故なら歴史教育は「国民」を作るためであって、事実の探求をする「歴史研究」とは違う、と指摘していました。つまり、高校までの教育は、連帯の主体であり対象たる「アメリカ国民」を作ることに力点が置かれ、大学教育においてアメリカの旧悪を自ら追求するのがアメリカ人だと言っていたわけです。それが、最近では、日本同様に歴史教育において、「アメリカ国民」を作ることよりも、「事実の羅列」の方にシフトしたらしいのです(参照)。

 こうなると近年のアメリカの分断状況というものが何に原因を持つかわかるような気もします。もはや「アメリカ国民」が存在しない、つまり「国民国家」であることをやめたのでしょう。アメリカは、そもそもが移民国家で、多様な価値観や人種、社会層によって形成されていましたので、ただでさえ連帯を弱くする遠心力がかかっています。

 それをとどめていたのが、「アメリカ的」という中心的価値観と神話化した歴史でした。それが、否定されて「客観的な」歴史を教えられていけば、アメリカ人としてのアイデンティティよりも、それぞれのコミュニティのアイデンティティの方へ重心が移っていきます。さらには郊外化で地域的結びつきがなくなり、家族も多様化していっていますので、個人へと閉じこもっていかざるを得ません。

 そうした連帯感をない状態=アノミー化が進むことによって、不安になった人々が明らかに機会主義的で、リーダーになる気がないのに、過去の亡霊としての「アメリカ的価値」を標榜する人物に活路を見出してしまっているというのが、トランプ現象というものなのでしょう

 こうしてみると、我々日本人は、2000年前後に一度、こうした経験があったので、馴染みがあるような現象のような気もします。そう石原慎太郎さんを首相にしようという機運が、あの時期、最も強かったのでした。90年代後半は、まさに先に上げたアメリカの歴史よろしく「自虐史観」というものが問題となって、その修正こそが日本再生の第一歩だと思われていたのでした。こうした思潮が、社会党と連立してしまった自民党という戦後体制を象徴する保守政党への嫌気が差して、非自民の保守政治家・石原慎太郎氏への期待が高まったのでした。

 それを阻んだのが、靖国神社参拝という一点で保守派の心をつかんだ小泉純一郎首相でした。小泉首相は、もともと保守派がこだわる歴史観などには興味がない人物でしたが、非主流派が主流派に勝つための戦略としての靖国神社参拝が大きな役割を果たしました。つまり、既成の自民党という政党の中から反体制の保守派を取り込めるような偶像をつくることができたということで、日本社会の分断と急進化を防ぐことが可能となったのでした。やはり既成の体制を不安定にするのは中間層であり、中間層は保守的なのです。その保守的な中間層を周辺に追いやろうとすると急進化して、本人たちも思いもよらぬ方向へと進んでしまうのです。ですから、彼らを一定程度、満足させておくのが、政治の常道です。

 日本において「自虐史観」がなくなったとはいえませんが、多少は穏健化したようですし、保守勢力があまり問題にすることはなくなりました。彼らは、政治的に一定の満足があれば、社会問題に急進的な批判の目を向けないものです。そうした面から言うと、政権というのは、多少保守的な方が社会は安全なのかもしれません。丸山眞男も指摘するように、ファシズム運動は、社会が左傾化した時に現れるものなのです。

 そうすると、トランプが大統領にならないことを前提に、今後のトランプ現象を考えると(本人もなりたくないだろう)、ヒラリー・クリントン氏が経済政策等はオバマ政権を引き継いで左派的である一方で、社会的価値や安全保障で一気に右派的な価値観を持ち出すことが良いでしょう(もっとも安全保障の右派的価値観というのは実際に戦争をするのではなく、軍事力の強化によって、戦争を未然に防ぐというレーガン的な立場でやってもらいたいということですが)。

 これにより女性大統領ということで、再び不満が高まる「白人男性」の何らかの満足を与えることになり、2000年前後の石原ブーム後の小泉首相のごとく、2010年前後の橋下徹ブーム後の安倍晋三首相のごとく、エスタブリッシュメントの中で保守層を満足させて、社会不安を軽減する役割となるでしょう。それが「強いアメリカ」「正しいアメリカ」「誇るべきアメリカ」を復活させ、第二、第三のトランプの登場を再び数年遅らすことが可能になるのではないでしょうか。私はそのように願います。

評価 ☆☆

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2016年10月 3日 (月)

渡辺将人『アメリカ政治の壁』

点検読書237

副題は「利益と理念の狭間で」
岩波新書(2016年8月30日)刊


アメリカ――政治学


泡沫候補と見られていたドナルド・トランプ氏の大統領選挙での本選挙出馬に見られるように、アメリカ政治は混迷の度を深めている。その原因は、冷戦終結後の民主・共和両党の政策スタンス、理念の転換により、支持層が錯綜し始めたからである。本書は、その源流にまで立ち返って、現在の大統領選に至るまでの、トランプ氏の台頭とサンダース氏の健闘という新しい流れを位置づける。


4部構成

1:2016年のアメリカ大統領選挙の諸相(Ⅰ)

2:雇用・宗教による民主・共和の支持層の分裂(Ⅱ)

3:外交と世代交代(Ⅲ)

4:リベラルの系譜(Ⅳ)

コメント
 現在アメリカの源流は、フランクリン・ローズヴェルト政権にあったといえます。
 ローズヴェルトは、失業者の救済、経済の復興、改革を三つの柱としたニューディール政策を掲げ、従来の民主党の支持者であった南部白人、カトリック信徒に加え、都市の移民、労働者層、アフリカ系の人々にまで支持を拡大しました。本書が、依拠するアメリカ政治を専門としていた砂田一郎によると、ローズヴェルト政権は、「理念」ではなく「利益」で大多数の支持層をつなぎとめていたということです。

 こうした路線は、リンドン・ジョンソン政権の「偉大な世界」という福祉制度の充実にまで続いていくわけですが、同時期のベトナム戦争への反対運動や黒人差別の撤廃を訴えた公民権運動、またフェミニズム運動への対応により変化します。民主党は支持層を反戦運動家やアフリカ系、フェミニストへと拡大の手を伸ばそうとしたのですが、これがかえって従来の支持層であった南部白人、カトリック教徒、そして一部の労働者層の離反を招くことになります。

 アフリカ系有権者の拡大のために、これまで差別に手を染めていた南部白人層が民主党から離れて、共和党へと移行するのは分かりやすいです。では、労働者層は、というと、一部の労働者は軍需産業に職を得ている人がいるのです。そうすると反戦による戦争の縮小は、彼らの職を奪うことになります。ベトナム戦争の性質そのものや外交の手段としての戦争をするかしないかには、議論があります。現に戦争を取りやめたのは、共和党のニクソン政権でした。しかし、原理的な反戦平和主義を取り入れると、防衛予算の縮小による軍需産業の低迷を招くことになりかねませんので、彼らにとって不利となります。ですから、戦争への支持・不支持そのものよりも反戦平和主義へとウィングを拡げることが、一部の労働者層には不満があるのです。そうした理由か、例えば民主党のクリントン政権などで定期的に空爆など小規模戦争をしたのも、労働者層の支持をつなぎとめるためとも言えるかもしれません。しかし、オバマ政権になると、そうした「利益」政治よりも平和主義という「理念」を優先して、できる限りの戦争を避ける外交政策をとったために、労働者層からの離反があったと言えるでしょう。これが、サンダース氏やトランプ氏に期待が集まった理由の一つかもしれません。これを見ても、アメリカが戦争経済にどっぷり浸かってしまっているといえるでしょう。

 では、カトリックの離反はと言うと、フェミニズム運動の課題の一つに、中絶の権利の獲得がありました。カトリックとしては、これを容認するわけにはいかないという事情がありました。カトリックは、平和、貧困、公民権などではリベラル勢力に協力できました。しかし、彼らは、避妊も認めない立場であるし、お腹にできた子供はその瞬間から「生命」と考えていますので、それを「殺害」する中絶は容認できません。

 本書を読んで勉強になったのは、人工中絶反対が、何故こんなにもアメリカで大きな問題になるかというと、単に宗教問題ではなく、モラルの問題でもある、ということなのだそうです。つまり、中絶問題は、貧困や強姦などの事件や母体の安全などを理由とする望まない妊娠への措置ではなく、急進的なフェミニズムの側(プロチョイス派)の「性を楽しむ権利」の是非に関わってくるということです。病気というリスクを考えなければ、性交渉において、リスクを負うのは女性となります。妊娠期間は、辛いし、生むのも痛いし、産んだ時にその相手の男はいなくなっているかもしれません。そうしたリスクを軽減するためにも、中絶を罪ではない、という考え方を広めるためにも、中絶は法的に認められなければならない。こういう主張です。そうすると、性の快楽のために、生れた生命を弄ぶということで、普通の人にも中絶反対の訴求力があるというのです。正直な急進派が、中間派を反対に追いやって改革を邪魔する好例がここにあるわけです。

 あともう一点、興味深かったのは、マイケル・ムーア監督の『ボーリング・フォー・コロンバイン』や『シッコ』に見られる諸外国との比較という手法をアメリカ人は受け入れない、ということです。我々日本人は、「○○では~」と諸外国の例を取り上げて、日本の「遅れ」や「異常性」を訴えることで、改革への支持を獲得しようとします。しかし、アメリカ人は、外国を例に挙げられてアメリカン・ウェイを批判するという手法を嫌がります。あくまで「アメリカのために良いこと」という方法で説得しなければならず、「○○並に」というような主張は禁句だそうです。やはりアメリカ人は世界の中心なのです。

 これらにとどまらず、現在のアメリカは民主・共和の両党の支持層が錯綜した困難にあるというのが本書のメッセージです。その点で、右派的なイデオロギーの「理念」を掲げつつも、左派的な「利益」政治を主張するトランプ氏は、彼がかつての民主党員であったという経歴からも、新しいのではなく、過去のアメリカが我々の前に現われている、と言えるでしょう。そうした意味でも、今回のアメリカ大統領選挙を見守るのに良い手引になる本だと思います。

評価 ☆☆

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2016年8月20日 (土)

マルク・デュガン『FBIフーバー長官の呪い』

点検読書220

訳者は、中平信也。
文春文庫(2007年2月10日)刊
原著は、Marc Dugain, La Malèdiction D'edogar, Editions Gallimard, 2005.


世界史――アメリカ


FBI長官として長きにわたってアメリカに君臨したジョン・エドガー・フーバーの側近が残したファイルを元に、第二次大戦からフーバーの死までと、彼が敵視したケネディ一族の歴史が語られる。


1:第二次世界大戦とジョセフ・P・ケネディの時代(1~10)

2:ジョン・F・ケネディの登場と反共時代(11~18)

3:JFKの時代と暗殺事件(19~33)

4:ロバート・ケネディとフーバーの死(34~39)

コメント
 本書は、フーバーを通してみた戦後アメリカ史であり、またその戦後のアメリカ史とは、取りも直さずケネディ家の歴史である、というのが読み取れます。
 本書で、描かれるJFKはとにかく「女狂い」です。ケネディというと、例の誕生日の時の、マリリン・モンローの「ハッピーバースディ」の歌が有名で、二人の関係が話題になります。しかし、ケネディにとって、モンローは数ある恋人の中の変わり種に過ぎず、常に複数の女性とだらだらと交際を続けていたらしいのです。本書の中では、はっきりと「セックス依存症」と呼ばれています。また、本書によると、どちらかと言うと真面目で慎重な弟・ロバートともモンローは関係を持っていました。ケネディ家ではこうしたことは珍しいことではなく、一人の女性を父親から息子たちへ、兄から弟たちへ、というように譲渡され共有されていた、といいます。戦死した兄・ジョセフの恋人に会いに行ったジョンが、その女性とベッドをともにするという弔い方をしてもいたそうです。
 ですから、こうした事実が国民に知れ渡り、アメリカという国家の威信が崩れることを防ぎたい。そのように思う人々がいることは自然であるし、そうした総意が彼の暗殺につながった、と本書では述べられています。CIAの犯行を本書は匂わせていますが、それだけではない、アメリカ全体の意志なのだ、という主張のようです。
 本書の中で、語り部のクライド・トルソンは、「私見ですが、共産主義に一度なった者は、死ぬまで共産主義者であることをやめません」(398頁)と述べていますが、こうした考えの人が米国の連邦警察を構成しており、そして盗聴・監視を思いのままにしていたとすると、かなり恐ろしい国ではあります。このセリフは、次期大統領候補となったロバート・ケネディが、カミュに関心をもっているという発言から、カミュの専門家に話を聞きに行ったところで出たものですが、カミュに関心を持っただけで危険思想の持ち主と懸念されたのです。
 今年のアメリカ大統領選で、アメリカ基準では急進左派のサンダース氏が、民主党の予備選挙で健闘しましたが、以前であれば完全に監視対象でしょうし、スパイと思われてもおかしくなかったでしょう。自由の国アメリカは、現在の斜陽時代になって、やっと「自由」の国になったのかもしれません。
 それはともかくとして、どこまで本当かは分からないものの、アメリカ裏面史としては、興味深い作品でした。

評価 ☆☆

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2016年5月24日 (火)

『フランクリン自伝』

点検読書198

松本慎一・西川正身訳
岩波文庫(1957年)刊


自伝


科学者であるとともに出版業者、哲学者、経済学者、政治家でもあったベンジャミン・フランクリンの自伝。蝋燭・石鹸製造の父のもとでの修行から始まり、印刷工をしながら著述活動を行い、経営者となり、州会の役人、義勇軍連隊長などを経験し、州会を代表して領主との交渉のため英国に滞在するまでが述べられる。自伝としては未完成ながら、フランクリンという人格を形成した「成功」の哲学の書として読み継がれてきた。


六部構成

1:少年期から修行時代(第一~三章)

2:経営者時代(第四~五章)

3:成功の哲学の習慣(第六~七章)

4:州政府の役人として(第八~十二章)

5:付録「富に至る道」

6:対照年表

コメント
 
本書解説において、フランクリン自身のあまりの楽観的な人生哲学に、自分の悩みの共感がほしいと思って人生の書を紐解く人には不満であろうから、「アメリカ資本主義の揺藍史」として読まれるべき、と書かれています。
 たしかに、本書の主人公フランクリンは、「同じ生涯を繰返せと言われたら、承知するつもりである」(8頁)と自身の人生を「この幸運な生涯」と称しているだけあって、悩みがないような自伝です。しかし、それは、彼が単に悩みのない幸運な人生を送ったのではなく、いかにして悩みなく人生を過ごすか、という人生哲学を確立したことの結果として、楽観的な自伝となっているようです。
 そうした彼の人格を磨くための刻苦勉励の例が、第六章の「十三徳樹立」です。彼は、正しく生きることが自身の利益になると考えましたが、単にそれを理念として自分に課すのではなく、習慣として自身の中に植え付けることを考えます。そこで考えたのが、節制、沈黙、規律、決断、節約、勤勉、誠実、正義、中庸、清潔、平静、純潔、謙譲という十三の徳です(137~138頁)。

第一 節制
飽くほど食うなかれ。酔うほど飲むなかれ。

第二 沈黙
自他に益なきことを語るなかれ、駄弁を弄するなかれ。

第三 規律
物はすべて所を定めて置くべし。仕事はすべて時を定めてなすべし。

第四 決断
なすべきことをなさんと決心すべし。決心したることは必ず実行すべし。

第五 節約
自他に益なきことに金銭を費やすなかれ。すなわち、浪費するなかれ。

第六 勤勉
時間を空費するなかれ。つねに何か益あることに従うべし。無用の行いはすべて断つべし。

第七 誠実
詐りを用いて人を害するなかれ。心事は無邪気に公正に保つべし。口に出だすこもまた然るべし。

第八 正義
他人の利益を傷つけ、あるいは与うべきを与えずして人に損害を及ぼすべからず。

第九 中庸
極端を避くべし。たとえ不法を受け、憤りに値すと思うとも、激怒を慎むべし。

第十 清潔
身体、衣服、住居に不潔を黙認すべからず。

第十一 平静
小事、日常茶飯事、または避けがたき出来事に平静を失うなかれ。

第十二 純潔
性交はもっぱら健康ないし子孫のためにのみ行い、これに耽りて頭脳を鈍らせ、身体を弱め、または自他の平安ないし信用を傷つけるがごときことあるべからず。

第十三 謙譲
イエスおよびソクラテスに見習うべし。

と列挙し、一週間に1つずつ実現できるように自身に課すのです。十三週間で一周りし、一年で四周できますので、その間にこれらが習慣として身につくというのです。
 ちなみに「謙譲」の詳しい説明は、少し後に書かれていて、自己主張をしないということを意味しています。つまり、相手の間違いを指摘したり、断定的な物言いは避けるということです。相手が明らかに間違っていても、「時と場合によってはあなたが正しいかもしれないが、今回はこう考えてはどうだろうか」など、遠回しに諌めたり、「絶対に」とか「間違いなく」といった言葉は使わずに、「と私は思う」とか「と私は想像する」など遠慮がちに意見を言うということを意味しています。イエスやソクラテスが、そうした人物だったかは微妙な気もしますが、議論を仕掛けたり、自分の意見というものを相手に押し付けるようなことはしないようにしよう、ということでしょう。
 また、本書は、ご丁寧にこの習慣のノートの記載方法まで載せられていて、実行を迫ります。そう考えると本書は自己啓発書の元祖のような位置づけもできるでしょう。フランクリン自身も述べているように、自身の幸福な人生は、こうした「工夫」によって生きたためだ、としています(147頁)。だから、悩みを悩みとして生きるのではなく、悩みを克服し、人生哲学を確立して、それを習慣にすれば、悩むこともない、という非常に楽観的な生き方ができる、ということになります。
 こうして考えると、変化が多くそれに対応するために悩み多き資本主義社会で生き抜くための精神修養法の原点を本書に見るように思えます。つまり、自己啓発大国アメリカの原点であり、近年は少々変わってきたのかもしれませんが、快活で精力的なアメリカ人の原点が本書にあるのかもしれません。

評価 ☆☆☆☆

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2016年4月24日 (日)

D・カーネギー『こうすれば必ず人は動く』

点検読書178

きこ書房(2015年)刊。
原題"How to win friends & influence people"
訳者は、田中孝顕。


自己啓発


実業家から大統領まであらゆる階層の人々が聴取していたといわれるラジオ講座の書籍化。人を動かして成功した人々の実体験や失敗談を再現していく。


四部構成

1:基本的な人間関係を良好にする方法(第1~4章)。

2:敵対している人との対話術(第5~9章)。

3:ビジネスをうまくいかせるコツ(第10~15章)。

4:人を動かすテクニック(第16~23章)。

コメント
 本当は、『人を動かす』が先なのだろうけど、順序が逆になり、その簡易版というか、ラジオ講座の活字化を先に読むことになりました。
 全体のテーマとしては、良好な人間関係を築くにはどうするか、という問題が述べられています。大切なのは、相手に対して誠実であり、相手を認め、自尊心を傷つけない、ということです。
 とりわけ、重要なのは、議論というのは意味がない、ということです。人は、他人から指摘されて間違いを認めるようにはできていません。なかなか自分の誤りというものを認めたがらないものです。自分が納得した時にのみ考えを変えることができますが、それはあくまで自分のこれまでの考えの延長線上で意見を取り入れたとか、状況が変わったから意見が変わったとか、都合良く考える性質を持ちます。そのため、公然と意見を変えることを表明する人に対して、「転向だ」「変節漢だ」と批判してしまいます。
 それぐらい意見を変えさせるというのは、難しいこと。だから、著者は、相手の間違いを指摘するのはもちろん、意見を変えさせるための議論というのは、無駄である、といいます。無駄どころか、相手の自尊心を傷つける結果にもなりかねませんので、有害だといいます。
 もし相手の意見を変えてもらう必要があるのならば、慎重に相手が受け入れやすい話題で同意させてから、相手が自分から意見を変えたと思わせるようにしなければなりません。
 本書は、こうした「人を動かす」テクニックを教えてくれるのですが、とにかく自分の欲求というものを抑え、無にしていくことが心の平穏に結びつき、幸福が訪れる、というストア派的な人生観が成功の素と説いているのかもしれない。
 議論好きで我が強い人、心の平穏を求める人に、おすすめです。

評価 ☆☆☆

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2016年4月23日 (土)

プリンス、死去

 プリンスが、4月21日に亡くなったそうです。

 つい先日、西寺郷太『プリンス論』について、当ブログで紹介したばかりでした(参照)。
 西寺さんの本を読んであらためてプリンスを聴きたくなり、ブック・オフの低価格コーナーとかで、買い集めていたのですが、何だったのかな、虫の知らせだったのかな。

 先のエントリーで書いた通り、私にとってのプリンスは『ザ・ヒッツ』からであり、そしてその直後の「元プリンス」時代がリアルタイムで聴いていた時期です。いってみれば、プリンスがもっともファンの期待に答えられず、また不遇な時代であったともいえます。しかも、離れたのが、『レインボウ・チルドレン』で、そして次の『ミュージコロジー』で再評価されたというのですから、なおさらダメな時期のファンだといえます。

 しかしです。ほとんど洋楽を聴いていなかった私にとっては、プリンスこそが洋楽そのものだったのです。『COME』の「Loose」は私にとってのダンスロックの体験でしたし、「Orgasm」という女性のあえぎ声とギターで構成された曲は衝撃でした。私が、プリンスを聴くようになった時期は、トレンドがヒップホップの時代に入っており、プリンスが無理してラップを歌っていた時期に当たります。しかし、私はその前史を知りませんから、プリンスはラップをする人という印象でした。そのため、「POPE」はものすごくカッコイイ楽曲に聞こえたし、シングルCDで買ってしまった「My Name is Prince」も今でもフェバリットソングの一つです。
 シングルCDで思い出しましたが、プリンスのシングルの凄さは、収録されている曲のリミックスの多さにあります。先の「My Name is Prince」も表題曲、「Sexy M. F.」が各2曲ずつリミックス曲が収録されていて、たいへんお得でした。
 その上、例えば、「Most Beautiful Girl In the World」という久々のヒット曲があったのですが、そのシングルCDがすごいのです。『Beautiful Experience』というミニアルバム形式なのですが、一曲を10バージョンにして収録されていたのです。しかも、この大ヒット曲、正直、私にはスゲエダセェ曲にしか聞こえなかったんですね。後でこれが大ヒットと聞いて、アメリカって変な国だな、と思ったのです。しかし、そのリミックスバージョンは何れもカッコ良く、Trac1の「Beautiful」は、原曲のゴージャスなバラードといった雰囲気はなく、ラップ調のダンスミュージックになっていたんです。これがとにかくカッコ良かった。
 私にとってのプリンスは、こうしたダンスミュージックの人だったのです。そうなると、もともとのプリンス、ファンクであったり、バラードの人というようになると、どうもいただけない。『ゴールド・エクスペリエンス』は、「プッシー・コントロール」というとんでもなく卑猥な題名の曲なんかが好きだったので良いのですが、大作『イマンシペイション』ともなると、どうも良さがわからない。かえって、最大の駄作『カオス&ディスオーダー』の表題曲の雑な壊れっぷりの方が好みだったりしました。それで、『レインボウ・チルドレン』となるとキラーチューンがなくなるんですね。どれもライブで聴いたら、その演奏を楽しめるんだろうけど、CDで聴く分には良い曲よりも気分を盛り上げてくれる曲が欲しいのです。そうして、プリンスから離れてしまったのでした。

 だから十数年、プリンスから離れていて、西寺さんの『プリンス論』を読み、再び聴くのが楽しみになっていた矢先のこの訃報でした。新作には、EDMなんかを取り入れていて、賛否両論らしいのですが、私には案外楽しめるかもしれません。
 西寺さんは、著書の中で、プリンスを知らない人は幸せだ、これからプリンスの作品を知ることができるのだから、という趣旨のことを述べておりました。そうすると、私も幸せかもしれない。かつての一時期のみプリンスのファンだったということは、その時期以外の膨大な楽曲をこれから楽しむことができるのだから。
 ご冥福をお祈りします。


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2016年4月 4日 (月)

西寺郷太『プリンス論』

点検読書161

新潮新書(2015年)刊。


音楽評論


卑猥な歌詞と猥褻なヴィジュアル。しかし、黒人ミュージシャンとしてマイケル・ジャクソンと肩を並べる偉業を成し遂げたプリンスという存在を同じ音楽家として師と仰ぐ著者が、生い立ちから音楽分析、さらには人種の坩堝としてのアメリカという社会的背景をからめて論じる。


四部構成

1:著者とプリンスとの出会い(プロローグ)。

2:出生から『パープル・レイン』革命まで(第1章・第2章)。

3:絶頂期の80年代後半と混迷の90年代(第3章・第4章)。

4:2000年代の復活と円熟、そして「さらなる自由へ」(第5章・第6章)。

コメント
 かつて『週刊少年ジャンプ』で『ジョジョの奇妙な冒険』が連載していた時代。巻末のコメント欄で、荒木飛呂彦先生が「プリンスのベストが出て、毎日、仕事場でこればかり聴いている」と書いていました。その時は、『ジョジョ』は第四部の序盤から中盤に差し掛かる辺りで、私が『ジョジョ』を単行本を買って読むようになった時期にあたります。
 当時、私は中学生で、聴いていた音楽はなぜかYMOと井上陽水という渋めな子供で、洋楽を聴きたいなと思っていたが、ビートルズとマイケル・ジャクソンぐらいしか知らず、でもどっちも何故かダセーな―とか思って、でも何を聴いていいか分からない、という状態でした。そこで、愛読していた漫画の作者が、大ファンだというプリンスの名前を頭に刻みこみ、神奈川県に展開していたディスカウント量販店のダイクマのCDコーナーで見つけて、自分の小遣いと相談しつつ、『ザ・ヒッツ&Bサイド』は高くて買えず、『ザ・ヒッツ1』を購入したのでした。
 で、聴いてみる。1曲目は「ビートに抱かれて(When Doves Cry)」。鳴り響くねじれたギター、「ドゥドゥドゥ」というドラム音とフニャけたシンセサイザー、そして初めて聴く低音ヴォイスのプリンスの歌声。

地味だ。

 正直な感想は、これである。そして、続くフニャけた軽い曲の「ポップライフ」。当時の『ジョジョ』の舞台の1999年を題した曲「1999」は、期待していただけに、そのオープニングの仰々しさに「ダセー」としか思わなかったのでした。そして、泣きのバラードなんて、中学生には興味もなければ、聞きたくもない。
 でも、せっかく初めて買った洋楽CDです。しかも、そんなに小遣いのない中学生ですから、しかたなく繰り返し聞くと、何だかよく感じてきたんですね。いや、もしかしてこの「ビートに抱かれて」ってのは、すごい曲なのではないか。「アップタウン」、とてもダサいけど、聴いてて気分がいいぜ、とかになってきたんです。
 それで、『ザ・ヒッツ2』の方を買ったら、こちらはドハマり。一曲目の「戦慄の貴公子(Controversy)のカッコイイこと、「ウォナ・ビー・ユア・ラヴァー」の裏声の気持ちよさ、「リトル・レッド・コルヴェット」のソウルフルな歌声、「ポープ」のかっこ良すぎるラップ。最高でした。そこからはプリンスをずっと追いかけてきました。『レインボウチルドレン』までは。その程度のファンレベルの私にとって、本書はプリンス再入門に最適なものでした。
 私の「ビートに抱かれて」の感想は、後に音楽家になった著者とそれほど変わらないことに安心感を覚えました。しかし、音楽家となった著者の解説を読むと、「登場する楽器、異常に少ない!」、とりわけベースが入っていない。それなのに、ビートを利かせたダンスミュージックになっている。と、これほど画期的な曲だったとは、音楽は聴くだけの私にはまったく分からない構造でした。
 ただ地味だという感想は、間違っていなかったのでした。著者が、述べているように、日本の歌謡曲というのは、どちらかと言うと音をつめ込むようなゴージャスなアレンジメントが多く、またBPMも早めか遅めでミディアムテンポが受けない、という音楽環境があるようです。私の感性というのはまったくそれにはまっていて、「ビートに抱かれて」の少ない音、日本の楽曲に比べてゆっくりとしたBPM127という曲なので、地味で間延びした感じがして、とっつきにくかった、ということだったのでしょう。
 この分析だけでも、本書を読んだかいがあったというものです。その他にも、私は、日本人ということもあったし、『ザ・ヒッツ』のジャケットが白黒写真で、プリンスが黒人であるという意識はほとんどなかったのですが、初期における黒人音楽として周囲の視線、とりわけローリング・ストーンズ前座事件などはまったく知らなかったことですし、プリンス自身の音楽的来歴の中で人種を越境する音楽センスを磨き、しかも戦略的に黒人からの敵意を持たれずに、白人をうならせる音楽づくりをして、黒人音楽の社会的地位を押し上げた、という視点は興味深かったです。
 また、先に私が、ビートルズやマイケル・ジャクソンを「ダセーな―」と思ってしまった理由。それは、「ウィー・アー・ザ・ワールド」に参加したミュージシャンたちが大人も認める子供にとってダサい存在になってしまったから、という著者の分析によるところがあるのかと思います。ビートルズは、学校の音楽の授業で「ヘイ・ジュード」を歌うというように、国家「公認」の現代音楽です。さらにテレビに出てくるオヤジどもが褒め称えるような存在です。これはマイケル・ジャクソンも同じですね。チャリティー活動というのは、それ自体は立派な行為だと思いますが、「ウィー・アー・ザ・ワールド」ぐらい大規模なものとなると、少々辟易としてしまいます。それに対して、プリンスは、背が低いので大柄なミュージシャンたちと並んで歌いたくない、と推測される理由によって、これを回避したことで、「良識ある大人公認」のミュージシャンとなることを避けられたがために、現在までも現役で活動できた、という分析はうなずけるものがあります。そういえば、『ザ・ヒッツ』の渋谷陽一氏による解説も、その点にふれられていて、私がプリンスを聴き続けることができたのも、そうしたエピソードがあったからかと思います。
 あと印象に残ったのは、著者がプリンスのライブに行った日、1996年1月8日。多分、私もその場にいたんですよね。著者よりも全然、席は悪いところでしたが、パルコのチケット売り場のおねーさんが、「見えやすいところを選びますね」と選んでくれた二階席の正面にいたんです。私は、著者ほどの衝撃は受けなかったものの、人生初めてのライブ参加ということで、印象深い日でした。
 しかし、何よりも著者のおかげでプリンスを再び聴きたくなりました。旧作も新作も「アルバム」で聴きたい。聴きやすいよりも、何回でも聴いて沁みてくる音楽。そんな体験をプリンスはさせてくれる。


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著者の新譜。前半の楽曲は、プリンスへのリスペクトを感じます。特に「スパイシー」。

2015年12月 3日 (木)

ルイス・ハーツ『アメリカ自由主義の伝統』(講談社学術文庫、1994)

点検読書59

①政治思想史――アメリカ

②ヨーロッパと異なり、アメリカは封建制のない国であったため、ジョン・ロック的な自由と民主・所有権の結合がアメリカニズムとして成立した。それが自由民主主義の絶対化につながり、社会主義への無意識の拒否反応を示す市民精神となっている。

③ヨーロッパ的概念でアメリカを分析、アメリカ独立革命の思想、自由を飲み込み民主に対抗する資本主義的民主主義、南北戦争における南部の論理、社会主義の挑戦と挫折、ニューディールと外交。


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