ブログランキング

Amazonサーチ

無料ブログはココログ

中国

2016年8月25日 (木)

岡本隆司『日中関係史』

点検読書223

副題は、「「政冷経熱」の千五百年」
PHP新書(2015年9月1日)刊


世界史――日本・中国


古代以来、日本と中国は疎遠であった。日本にとって中国は身近な外国であり憧憬の対象であったものの、政府間の交流も民間・知識人間の交流も少なく、とりわけ政府間の交流はお互いに誤解し合ったものであった。関係が密になると関係が悪化し、疎遠になると摩擦が起きる。こうした日中間の特徴を卑弥呼の時代から日中戦争が始まるまでを描く。


四部構成

1:「東アジア」秩序から隔絶する古代日本

2:政府間交流の途絶と経済の密接化(倭寇の時代)

3:「鎖国」の時代

4:漢語化する日本と日本化する中国とその破綻

コメント
 現在の日中間の関係はとてもイビツです。野田佳彦内閣で尖閣諸島を国有化して以来、政府間交流がなくなり、第二次安倍晋三内閣でそれが復活したものの、毎日のように尖閣諸島沖で中国船が挑発行動に出ていて、諸外国から不安視されています。
 そうした表われか、日本側の対中投資は一時期に比べて低下しています。しかしその一方で、日本の訪日外国人が年内にも2000万人を突破するかもしれないという報道がありましたが、3分の1ぐらいが大陸中国、香港、そして台湾といった「中国人」です。つまり、政府間の関係は、上手くいっていないのですが、密な民間交流とまではいかないまでも、日中間の人の交流は増加しているのです。
 これは一体どうしたことなのか。これが本書の問題意識であり、その回答として、日中政府間の関係はもともと疎遠であり、それにも関わらず、モノとモノとの取引は密接であったというのです。
 日中間の政府間交流が密でなかったのは、お互いが異なる世界観の中で成立していたから、ということらしいです。歴代の中国の王朝はやはり世界の中心であって、平等な関係というのはありえないのです。あくまで中国と付き合うのなら、他の国は中国皇帝に臣下の礼を尽くさなければなりません。しかし、日本は中国本土とは離れていたために、直接的な影響関係が少なく、孤立しても生きていけましたから、わざわざそうした義務を引き受けることは「屈辱」と考えるメンタリティがあったというのです。
 つまり、中国という国は、自分たちの世界観があって、それに見合うものとしか正式な関係は築かないという「原則」があります。その一方で日本は、そうした「原則」からは自由でありたい、という中国側からすれば「非常識」な国であると言えましょう。こうした点は、現在の中国も同様です。その「原則」は「歴史認識」となりましょう。「歴史認識」という問題は歴史的事実ではなく、まさに「認識」であって主観的なもので世界観に連なります。しかし、中国側が設定した世界観に見合わない態度を示すのは「非常識」であり、正式に交流するに値しません。相手の「歴史認識」に合わせて正式な政府間交流を密接にさせて、日中間の経済交流を密にするというのは、足利義満が「日本国王」として朝貢一元体制に適合しつつ、勘合貿易の利益を得ようとしたことと似ています。そして、どちらも日本人のメンタリティとしては、非難の対象となったのでした。
 どうもそうなると、天皇の権威に挑戦しようとする成り上がりものが中国との関係を密にしようとして、そうしたものを必要としない権力基盤の強い者が対中関係に冷たい印象があります。
 つまり、公家勢力を圧倒して太政大臣になった新興勢力の平清盛であり、同様に足利義満、また尊王家とも言われていますが中華趣味のあった織田信長、戦後では田中角榮、小沢一郎氏がそれにあたります。また、近代日本において、対中関係の改善に尽力した幣原喜重郎外相とそれを支える濱口雄幸、若槻禮次郎両首相は学歴エリートですが成り上がり者の民主主義者です。それに対して、東国武士に強固な支持があった源頼朝、幼い時から公卿としての地位があった足利義持、これも武士層から強い支持のあった徳川家康、三世議員で最大派閥を背景にする小泉純一郎氏と安倍首相。戦前では、薩長藩閥出身者が中国に対して冷静な態度を取ります(侵略意図がある人たちは、また別でしょう)。
 このように日中関係というのは、対外関係の難しさとともに、国内政治における野心というものとも絡み合っているという印象を持ちます。本書は、日中戦争や戦後の日中外交といった関係が密になった時代を扱うのではなく、逆に俯瞰した視点で、政治的に疎遠でありつつ経済的には密接であった1500年という常態によって、現在の日中関係の見方にヒントを与えてくれます。

評価 ☆☆☆

よろしければクリックお願いします。


本・書籍 ブログランキングへ

2016年6月 4日 (土)

落合淳思『殷』

点検読書202

副題は「中国最古の王朝」
中公新書(2015年)刊


世界史――中国


『易経』や『孟子』、『韓非子』など春秋戦国時代の文献での断片的なエピソードや、『史記』で語られる殷王朝の「歴史」は後代につくられた創作である。19世紀後半から発見され始めた殷王朝の同時代史料である甲骨文字を読み解くことにより、殷王朝の軍事や祭祀、王の系譜。支配体制や統治の手法を再現、解明することができる。


四部構成

1:甲骨文字の発見から、その資料的価値(序章)

2:殷王朝前期・中期の社会と支配体制(第1~3章)

3:中期から後期の年代史(第4~6章)

4:殷王朝の歴史的位置(終章)

コメント
 殷王朝というと、やはり最後の王・紂王による「酒池肉林」や猛火の上に油が塗られた銅製の丸太を置いて、その上を歩かせる炮烙という刑罰、比干の心臓をえぐったり、気に入らない諸侯を干し肉にしたりと、暴虐の限りを尽くし、孟子に言わせると「匹夫」紂という男が殺されたのは知っているが、王が殺されたのは聞いたことがない、と王の資格までも剥奪される暴君の代名詞のイメージが強烈過ぎます。
 本書によると、こうした紂王=帝辛のエピソードとは、後代の創作で、帝辛はとくべつに特徴のある人物ではなく、前代の帝乙と同じように軍事訓練や祭祀を頻繁に行なう王であったといいます。
 では、どうして殷王朝は滅びたのか。本書は、史料からは都の「商」近辺に位置する「盂」という都市の反乱とその討伐をきっかけに、殷が衰退し周に取って代わられた、ということらしいのです。しかしながら、この「盂」の反乱の理由は、史料からは明確にはわからず、著者の推測では、帝乙と帝辛と二代にわたる殷王朝の集権化に諸侯が反発を起こし、これをきっかけに滅んでいったのではないか。そのように述べております。
 つまりは帝乙・帝辛という改革派の君主が、諸侯連合体という殷王朝の旧来の支配体制から中央集権体制へと移行しようとしたが失敗して、逆に諸侯の一つであった周に滅ぼされてしまった、というのでしょう。ちなみに帝乙も『史記』によれば、「無道」の王として描かれています。そして、紂王こと帝辛の生来の有能さや諸侯いじめのエピソードというのは、改革派で諸侯の地位を低下させて、中央集権化を果たそうとした、ということの名残のような気もします。
 こうした想像は、歴史家である著者ではなく、小説家の役割かもしれません。しかし、本書によって解き明かされた殷王朝の生の姿を知ることによって、想像力はより確かなものとなると思います。私としては、殷王朝は縁遠い世界ですから、もう少し物語的にしてまとめて欲しい気がしましたので、そういった方面に才能のある方が、殷王朝の年代記を書いてほしいなぁと思った次第です。

評価 ☆☆

よろしければクリックお願いします。


本・書籍 ブログランキングへ

2016年1月11日 (月)

鶴間和幸『人間・始皇帝』(岩波新書、2015)

点検読書94


歴史――中国


20世紀になって発掘された『史記』以前の史料を活用することで、『史記』とは異なる、もう一つの始皇帝像に迫る。


四部構成
1:誕生から即位まで。
2:秦王として遭遇した嫪毐の乱と暗殺未遂事件。
3:皇帝としての巡行、長城建設。
4:始皇帝の死と帝国の崩壊。

メモ
始皇帝の名前(18~20頁)
「始皇帝は「昭王四八(前二五九)年正月に邯鄲で生まれたので名を政とし、姓は趙氏」と『史記』秦始皇本紀」にあるが、「正月」に生まれたから「政」というのは誤植で「正」ではないのか。それを証明するかのように、二世皇帝時、「正月」を「端月」と改め、諱の「正」を避けている。

趙高は「宦官」か?(203頁)
皇帝側近のことを「宦者」といい、始皇帝の時代には一般の男子も「宦者」と呼ばれていた。さらに、趙高を「宦官」と断定したのは唐代であり、必ずしも趙高を「宦官」とする理由はない。



本・書籍 ブログランキングへ

2015年12月15日 (火)

吉川幸次郎『三国志実録』(ちくま学芸文庫、1997)

点検読書71

①歴史――中国

②『三国志演義』によって悪役となってしまった曹操だが、正史そのものから評価すると偉大な政治家であり、軍事指導者であり、何よりも不世出な詩人であった。その文化人として傑出した曹操およびその息子との曹丕と曹植など曹一族を通した後漢末から三国時代に至るまでを描く。

③第一部に誤解された曹操像の再検討、詩人としての曹操、合理的な軍事指導者としての評価、そして彼の祖父・曹騰を通した後漢末の時代相。第二部は曹丕・曹植兄弟を中心に建安七子の解説。

宮城谷昌光『三国志』の序盤は明らかに本書を種本としているであろう。


人気ブログランキングへ

2015年12月 9日 (水)

高原明生・前田宏子『開発主義の時代へ 1972-2014』(岩波新書、2014)

点検読書65

副題は「シリーズ中国近現代史⑤」。

①歴史――中国

②社会主義を標榜しながら市場経済を導入し、鈍化したとはいえ高い経済成長を見せ、大国として存在感を示しつつある中国に対して、冷静かつ理性的な対応が必要である。そのためにも社会主義が崩れ、開発主義へと舵をきった1970年代からの歴史をたどる必要がある。

③文革期における改革路線の胎動、鄧小平路線、江沢民以後の愛国主義教育とナショナリズム、社会主義政党から国民政党へ、胡錦濤のソフト路線の破綻、習近平時代の不安。

メモ
1982年の教科書問題
 日本の高校教科書の検定において、「華北への侵略」を「進出」に書き換えさせたとの誤報(しかし、長年にわたって、文部省が「侵略」に改善意見をつけていたこと、実際に「東南アジアへの侵略」を「進出」に書き換えた教科書もあった)。
 当初、日本国内のメディアに比べて冷静だった中国が強硬な態度に出たのは、自民党の代表団が台湾を訪れ、当局との会談の中で「両国」という表現を使ったのを敏感に反応したのではないか(56~57頁)。

愛国主義教育の背景と特徴
 1990年代以降の中国での愛国主義教育の強化の遠因は、天安門事件が思想教育の失敗に起因すると考えられたため。
 また、江沢民後の愛国主義教育の特徴は、従来の毛沢東や共産党の英雄譚ではなく、列強からの侵略の屈辱など被害者意識の植えつけにある(111頁)。


人気ブログランキングへ

2015年12月 8日 (火)

久保亨『社会主義への挑戦 1945-1971』(岩波新書、2011)

点検読書64

副題は「シリーズ中国近現代史④」。

①歴史――中国

②自由貿易と対米協調を基軸とした国民党政府の敗退と共産党政権の樹立。しかし、中共政府は当初は社会主義への重心は低く、様々な政治構想があった。1950年代以降の社会主義実現の方向も様々な社会主義への試行錯誤の過程であり、それは大躍進や文化大革命など大きな代償を伴いながら展開した。

③国共協調から内戦、中共政権樹立、「新民主主義」路線から社会主義へ、大躍進の時代、調整の時代、文化大革命による逆襲。


人気ブログランキングへ

2015年12月 7日 (月)

石川禎浩『革命とナショナリズム 1925-1945』(岩波新書、2010)

点検読書63

副題は「シリーズ中国近現代史③」。

①歴史――中国

②孫文が残した遺書は、国民党、家族、ソ連に宛てたものであった。そのため、彼の後継者は容共連ソの国民党か、蔣介石か、また中国共産党か、と正統性を争うようになる。この時期は、この三者の争いと協調の時代であり、また日本の侵略、ソ連との関係が問題となってくる。

③孫文の死とその後継者たち、南京国民政府と北伐、中国共産党、日本の華北進出と統一戦線、盧溝橋事件以後の戦時下中国。


人気ブログランキングへ

2015年12月 6日 (日)

川島真『近代国家への模索 1894-1925』(岩波新書、2010)

点検読書62

シリーズ中国近現代史②


歴史――中国


混乱期といわれた清朝末期と革命と分裂のこの時代は「救国」を掲げた知識人や官僚たちが、西洋や日本から知識を吸収して、新たな国家像を提起したと同時に、過去を振り返って、「中国」としてのアイデンティティを確立しようとした時代であった。


日清戦争の敗北から領土分割。
変法改革。
「中国」形成の模索。
辛亥革命。
袁世凱政権。
南北分裂と社会主義の流入。


人気ブログランキングへ

2015年12月 2日 (水)

吉澤誠一郎『清朝と近代世界 19世紀』(岩波新書、2010)

点検読書58

シリーズ中国近現代史①

①歴史――中国

②ユーラシア大陸的伝統を色濃くもった清朝がいかに自己改革と妥協を重ね、近代世界での存続を図ろうとしたか。アヘン戦争前夜から日清戦争まで。

③清朝の繁栄とアヘン戦争、太平天国の乱と西洋との妥協と対応、日本・ロシア・国内ムスリムの危機、経済と社会、日清戦争。


人気ブログランキングへ

2015年11月13日 (金)

大沼保昭・聞き手江川紹子『「歴史認識」とは何か』(中公新書、2015)

点検読書40

副題は「対立の構図を超えて」

①評論――歴史

②「歴史認識」をめぐる問題に関しての基本的な事実関係の確認を通して、その事実の認識と解釈に国内外の人々の間で違いがあることを前提に、なぜ対立する相手との違いが生じるかを理解する必要がある。

③東京裁判について、講和と国交正常化、戦争責任と戦後責任、慰安婦問題、「歴史認識」問題の歴史と国際比較。これらの問題を大沼氏の学問的知識と市民運動に関わってきた体験を踏まえて、高い倫理性や開き直りに陥らずに、間違えもし反省もするが永久に謝罪し続けることなどはできない「俗人」的感覚を忘れないで、「歴史認識」問題を論じる。

より以前の記事一覧

最近のトラックバック

2019年5月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31