ブログランキング

Amazonサーチ

無料ブログはココログ

小説(日本)

2016年8月15日 (月)

庄司薫『赤頭巾ちゃん気をつけて』

点検読書216

中公文庫(1973年6月10日)刊


小説――日本


東大入試が中止となった1969年に高校3年生であった庄司薫が大学受験をやめることを決める数日の出来事を日比谷高校と山の手の人々の雰囲気を描く。


1:幼なじみ由美との喧嘩(1~3)

2:兄の同級生の女医の誘惑(4~5)

3:山の手の生活(6~7)

4:日比谷高校芸術派(8~9)

5:銀座の少女と由美との和解(10)

コメント
 兄弟そろって東大一家で、女中がいる家の高校3年生。妙な関係の幼なじみと女医の誘惑、そしてゴーゴーパーティーへの参加。その上、古典作品を気軽に語れるこの雰囲気。何とも想像の外にある世界の話で、こういう世界もあるんですかねぇ、といったところ。
 ほとんどはいけ好かないエリートのどうでもいい悩みと当時の風俗が語られている小説なのだが、ラストになると何故かしんみり来てしまって、謎の感動があります。

評価 ☆☆

よろしければクリックお願いします。


本・書籍 ブログランキングへ

2016年6月13日 (月)

樋口一葉『ゆく雲』

点検読書209

『樋口一葉小説集』(ちくま文庫、2005年)所収

続きを読む "樋口一葉『ゆく雲』" »

2016年6月12日 (日)

樋口一葉『大つごもり』

点検読書208

『樋口一葉小説集』(ちくま文庫、2005年)所収

続きを読む "樋口一葉『大つごもり』" »

2016年6月10日 (金)

樋口一葉『たけくらべ』

点検読書206

樋口一葉『にごりえ・たけくらべ』(岩波文庫、1961年改版)所収

続きを読む "樋口一葉『たけくらべ』" »

2016年6月 7日 (火)

樋口一葉『にごりえ』

点検読書204

樋口一葉『にごりえ・たけくらべ』(岩波文庫、1961年改版)所収。

続きを読む "樋口一葉『にごりえ』" »

2016年5月26日 (木)

遠藤周作『沈黙』

点検読書199

新潮文庫(1981年)刊
原著は、新潮社(1966年3月)刊


小説――国内


舞台は島原の乱後、キリスト教への弾圧がさらに激しくなった日本。ローマ教会に、日本で宣教していたリスヴァン・フェレイラ教父が棄教したとの報告があった。フェレイラの棄教という不名誉を雪辱するため、どのような迫害を受けても潜伏布教をするとの計画のもと、フェレイラの元教え子のロドリゴたち三人の司祭が日本に派遣される。その内、一人は途中病に倒れ、ロドリゴとガルペの二人が日本に上陸する。途中のマカオで出会った日本人・キチジローの手引で、隠れ切支丹の集落を訪れ、告解を与えるロドリゴたちであったが、役人の捜索が始まる。ロドリゴはガルペと別れて逃走するが、キチジローの密告により、捕らえられる。一方、ガルペも捕らえられ、ロドリゴの目の前で処刑される。キリシタン弾圧を担当する奉行・井上筑後守と通詞や沢野忠庵ことフェレイラの説得による棄教には抵抗したものの、井上が発案したロドリゴに拷問をかけるのではなく、日本の信者たちをロドリゴが棄教するまで、拷問し続け、そのうめき声を聞かせ続けるという「拷問」に耐えかねて、ロドリゴは踏み絵を踏むこととなり、日本人の名前を与えられ、64歳まで幽閉されながらも生きながらえた。


四部構成

1:フェレイラの棄教報告からロドリゴらの派遣まで(ノンフィクション風)

2:マカオ到着から日本潜伏、ロドリゴ捕縛まで(ロドリゴの書簡)

3:ロドリゴの移送と棄教まで(第三者視点の小説)

4:その後のロドリゴ(歴史史料風)

コメント
 戦後を代表するキリスト教文学の古典です。
 内容に関しては、上記のとおりなのですが、興味深いのは、フェレイラが述べる日本の宗教的土壌でしょう。

「この国は沼地だ。やがてお前にもわかるだろうな。この国は考えていたより、もっと恐ろしい沼地だった。どんな苗もその沼地に植えられれば、根が腐りはじめる。葉が黄ばみ枯れていく。我々はこの沼地に基督教という苗を植えてしまった……だが日本人がその時信仰したものは基督教の教える神でなかたとすれば……」(189頁)

「日本人は人間とは全く隔絶した神を考える能力をもっていない。日本人は人間を超えた存在を考える力を持っていない……日本人は人間を美化したり拡張したものを神とよぶ。人間と同じ存在をもつものを神とよぶ。だがそれは教会の神ではない」(193頁)

 戦国時代の日本に紹介されたキリスト教は、大名から庶民層に至るまで爆発的に流行したのですが、その内容というのは、本来のキリスト教的な神ではなく、日本的な浄土教的な極楽浄土へと導いてくれる神となってしまいました。その信者たちが、死をも厭わぬ信仰を持ったのは、その極楽浄土への転生を信じてのことでした。そこには、内面における神との対話、つまり倫理・道徳といった規範の内面化は行われません。大日如来に比定されたデウス、菩薩となったマリア、図像に描かれたイエスを拝むという行為によって、現世の苦を和らげ、死後の平安を手に入れるという形式に拘るようになっていきます。
 その点が、本作の踏み絵という行為につながっていきます。つまり、外部に見えるかたちで自己の信仰を告白することに重要性を与えているのです。それは、ロドリゴが移送される際に、人々が激しく罵って、自分が切支丹ではないことの告白の代わりとすることも同様です。
 本作の主人公のロドリゴも踏み絵を求められ、それを実行することによって棄教したとみなされます。それは、外部から棄教したとみなされるものの、内心において、イエスとの対話を体験することで真の信仰を得るという話ともいえます。
 しかし、逆にいうと、日本における宗教というのは、あくまで外部にあらわれるものです。もっとも、すべての宗教は、その規範や儀式があって、それを目に見える形で実行することが信仰を表すことになります。しかし、宗教が根強く浸透した地域では、内心における信仰まで魔女裁判のように疑惑の眼が向けられるように、外面だけではなく内面までも審判の対象になります。それが、日本の場合は、外面さえ取り繕えば、内心は問わない、ということになるようにも思えます。日本における宗教弾圧、思想弾圧は、基本的には政治に口を出し始めた時だけです。非常に現世的な日本人は、現世を超えた存在に根拠を持つ信仰・思想集団の現世への介入を嫌います。そうした対象には、苛烈な暴力が与えられます。その一方で、それが外部に表れないならば、そこを攻める訳にはいかない、そういった不文律があるように思えます。
 本作は、日本における宗教と真の信仰を描いた作品と言えます。ロドリゴは、宗教としてのキリスト教を棄て、内面における信仰を獲得します。それは、最後の「切支丹屋敷役人日記」にかいま見えます。ロドリゴは、江戸の切支丹屋敷で監視下に置かれて、キリスト教に関する報告書などを公儀にあげる生活をしています。そのロドリゴの元に「吉次郎」という人物が中間として雇われていました。つまり、ロドリゴを売ったキチジローですが、ロドリゴは、イエスが自身を売ったユダを許したように(復活後に会った弟子が十二人という伝もあって、そこにユダがいたともいう)、キチジローを許しています。これは、彼が宗教としてのキリスト教を棄てつつも、イエスへの信仰を強固したものともいえます。その周辺では、隠れ切支丹騒動が起きているようですが、それはキリスト教に関わる被造物を持っていたことで、信仰が問題とされているわけではなさそうです。そして、信仰を強固にしたロドリゴは、64歳まで生きながらえたのでした。ここに、真の信仰と日本的「良心の自由」の問題が描かれているように思います。

 そういえば、本書は、安倍晋三首相の愛読書である、という話があります。たしか、昔の『産経新聞』の「私の一冊」のようなタイトルの連載で、当時、新進気鋭の若手政治家であった安倍さんが本書を挙げていたのでした。どんな内容かはあやふやなのですが、多分、岸信介の安保騒動と関連づけて、政権の安定と、現在そして将来の国民の平和と安全を秤にかけて、後者のために長期政権を諦めた、というような話だったように思います。つまりは、目に見える形での現在の栄光(宗教的信仰)よりも人々のために政権を捨て去る(拷問を受ける人を助けるために棄教)ということをアナロジーとして捉えていたような。違ったかな。
 たしかに現在の「神」は、民意にあります。安保騒動時に、国会を取り巻く大群衆という目に見えた国民が彼に反対しています。しかし、総選挙で勝利している議院内閣制の政権ですから、どれだけ大勢のデモが反対しようとも、現憲法下のルールとしての正統性は岸政権にあります。ですから、彼は安保改定と心中して、退陣する必要はなかったのです。しかし、退陣を約束しないと、このデモに恐れをなした与党から裏切り者が出てしまって、安保改定は実現できなくなってしまいます。目に見える群衆とそれを利用する与党政治家に屈して安保改定を引っ込めて政権を維持するか、現在・将来の国民のためにあくまで改定にこだわるか。決断を迫られるわけです。そこで、岸は後者を選択します。民意とは目に見える民衆のことではなく、過去・現在・未来へとつながっていく国民の意思であると判断し、その幸福のために決断したといえます。真の信仰を選んだのです。

 多分、そんなような内容で、政治家の決断について、自身の満足や周囲の眼ではなく、民衆のための決断の重要性を説いていたのではないか。そんな記憶です。
 とすると、この数日で、安倍首相は、似たような決断に迫られます。消費税増税について、どのような決断を下すか。解散総選挙を行なうのかどうか。現に生きている民衆のための決断が求められます。

評価 ☆☆☆

よろしければクリックお願いします。


本・書籍 ブログランキングへ

2016年3月 4日 (金)

三浦しをん『天国旅行』(新潮文庫、2013年)

点検読書141

ネタバレがあります。


小説――日本


ザ・イエローモンキーの6th『SICKS』収録の「天国旅行」を表題に、心中をテーマにした七篇の短編集。

続きを読む "三浦しをん『天国旅行』(新潮文庫、2013年)" »

2016年2月24日 (水)

石川達三『生きている兵隊』(中公文庫、1999年)

点検読書132

初出は、『中央公論』昭和13年3月号。復元・出版されたのは1945年12月(河出書房)。


小説――国内


昭和12年12月25日に東京を発ち、上海経由で13年1月5日に南京に到着。南京で8日、上海で4日の取材のもと、2月1日から2月11日まで10日で書き上げ、『中央公論』昭和13年3月号(2月17日配本)に掲載されたが、即日発禁処分とされた。他の従軍記事とは異なる「戦争というものの真実」を国民に知らせるために書いた小説。


北京から上海、南京へと転戦する高島本部隊の倉田小隊の面々を中心に、反抗的な中国非戦闘員の処刑、スパイの疑惑のある女中国人の刺殺。非戦闘員と戦闘員の区別のつかない中で、次々と中国人を殺害していく兵士たち。彼らは中国人の命を軽々と奪っていくが、それはまた自分の命も日に日に軽くなっていくことの裏返しでもあった。

登場人物
笠原伍長:農家の次男。殺害や強姦を両親の呵責なく行える兵士。
倉田少尉:小隊長。日々日記をつける31歳の小学校の教師。
平尾一等兵:ロマンティシズムに沈潜する少々不安定な精神状態の兵士。
近藤一等兵:医科大学出の兵士。真面目な学生が不良になるように戦場に妥協して自堕落な兵士へと変わっていく。
片山玄澄:従軍僧。一般兵以上の殺戮をやってのける僧侶。
中橋通訳:戦場に慣れきった19歳の青年。

コメント
 南京戦前後の兵士たちを描いた小説。これを読むと、南京戦に従軍した兵士たちが、「南京大虐殺はなかった」というのも納得できます。つまり、彼らにとって、中国人への処刑は日常的な行為だったのです。本人たちにそれが第三者から見て「虐殺」であると言われても、「戦場はそんなもんじゃない」という答えが返ってくるように、本書は過酷な状況を描き出します。明確な目的・方針がないために緩む軍紀、ベテランが幅を利かせる現場、非戦闘員から不意打ちを食らって死亡する戦友たち。こうした状況が、人々の生活者としての感性を摩滅させて、殺るか殺られるかという戦場の倫理を非戦闘区域においても拡大させます。
 本書において南京事件については簡単に述べるにとどめています。

「十四日城内掃蕩。商店街の到るところに正規兵の服がぬぎすててある、みな庶民の服に着かえて避難民の中にまぎれこんだのだ。青天白日旗が飯店の料理場に棄てられており、青龍刀とゲートルとが陶器店の二階に放りだしてあるという風だ。本当の兵隊だけを処分することは次第に困難になって来た。/十五、十六日城外掃蕩。」(142頁)

 こんなところである。「本当の兵隊だけを処分することは次第に困難になって来た」。この一言が、この事件の本質を描いているでしょう。

あとは興味深い箇所を抜書きしておきます。

戦場というところはあらゆる戦闘員をいつの間にか同じ性格にしてしまい、同じ程度のことしか考えない、同じ要求しかもたないものにしてしまう不思議に強力な作用をもっているもののようであった。医学士の近藤一等兵がそのインテリゼンスを失ったように、片山玄澄もまたその宗教を失ったっもののようであった。」(63~64頁)

「まことに戦場にあっては、近藤一等兵がたびたび疑問を抱いているように、敵の命をごみ屑のように軽蔑すると同時に自分の命をも全く軽蔑しているようであった。それは身の鴻毛の軽きに置くというほどはっきりした意識をもって自己にその観念を強制したものではなくて、敵を軽蔑しているあいだにいつの間にか我れとわが生命をも軽蔑する気になって行くもののようであった。彼等は自分の私的生涯ということをどこかに置き忘れ、自分の命と体との大切なことを考える力を失っていたとも言えよう。」(108頁)

「そこへ行くと近藤一等兵の方は戦場を客観し次に妥協してしまって倉田少尉のように真剣な苦悶を経て来なかっただけにさほど大きな変化もしなかったが、戦場の客観にも新鮮さを感じなくなり慌しい闘争生活の中でそのインテリゼンスが鈍らされて行ったはてには、悪く戦場馴れがして何をするにも真剣味のない怠惰な兵になって行った。彼は兵の悪いところばかりに興味をもちすぐに自堕落さを真似てゆき、まるで真面目な学生が不良青年になって行く過程を自ら楽しむように、俺には姑娘漁りもできるぞ、支那兵の死体をわざと踏んで通ることも出来るぞ、街の家に火をつけることも出来るぞと誇っているような風であった。彼等は酒保へ買物に行くとたとい鑵詰一個でも途中で通りがかりの支那人をつかまえ、これを持ってついて来いと命じた。そして帰りつくと頬ぺたの一つも叩いて「帰れ」と突っぱなし、これが戦場のやり方だと誇るようになっていた。」(150頁)

 この一節を読むたびに、出世の見込みのないベテランが、現場に滞留して新人を教育することが如何に問題かと思ってしまうんですよね。こういうところから企業の不祥事って生まれるような感じがします。だから余剰人員にも、前向きに目的をもった生き方を可能にする労働環境って必要だと思うんですよね。

評価 ☆☆☆


本・書籍 ブログランキングへ

2016年2月15日 (月)

乾くるみ『イニシエーション・ラブ』(文春文庫、2007年)

点検読書125

盛大なネタバレがあります。


小説――ミステリー


青春恋愛小説と思いきや、徐々に感じる違和感が最後の2行で、全く異なる読後感へと誘う。

 

続きを読む "乾くるみ『イニシエーション・ラブ』(文春文庫、2007年)" »

2016年1月24日 (日)

野島一人『メタルギアソリッド サブスタンスⅡ』(角川文庫、2015)

点検読書107


小説――国内


テーマは文化的模倣=ミーム。それは、雷電に課せられたミッションであり、敵であるソリダスの目的であり、スネークの物語を体験する読者へと伝染する。


2007年、ソリッド・スネークは新型メタルギア開発の噂のあるタンカーに潜入するが、メタルギアをオセロットに奪われ、タンカーとともに沈む。2009年、タンカー事件跡地に建設されたビッグシェルにて、特殊部隊デッドセルが反乱を起こし、大統領が監禁される。FOXHOUNDの隊員・雷電は大統領救出のため、ビッグシェルに潜入し、異能集団デッドセルとの死闘の末、反乱の首謀者たる前大統領ソリダス・スネークと戦うことになる。しかし、これら全ては、アメリカを支配する『愛国者達』の計画の一環であった。

登場人物
アーサー:アーサー・エドワード・オースチン。語り手。
JB:本名ジョン・ディー。アーサーの友人。
雷電:FOXHOUNDの兵士。ジャック。
キャンベル:FOXHOUNDの司令官。
ローズ:雷電の恋人。
スネーク:元FOXHOUNDの兵士。
オタコン:スネークの相棒。ハル・エメリッヒ。
エマ:オタコンの義妹。
オセロット:元FOXHOUNDの兵士。リキッドの右腕を移植。
フォーチュン:デッドセル残党の指導者。
ヴァンプ:デッドセルの生き残り。吸血鬼。
ファットマン:デッドセルの生き残り。爆弾魔。
スティルマン:爆弾処理技術者。ファットマンの師。
オルガ:旧ソ連のゴルルコビッチ大佐の娘。


本・書籍 ブログランキングへ

最近のトラックバック

2019年5月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31