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心理学

2016年8月19日 (金)

ロルフ・デーゲン『フロイト先生のウソ』

点検読書219

訳者は、赤根洋子。
文春文庫(2003年1月10日)刊
原著は、Rolf Degen, Lexikon Der Pszcho-Irrtümer, 2000, Frankfurt.


心理学


「人間は教育によって決まる」、「マスメディアは絶大な影響力を持っている」など、ちまたに溢れる「迷信」を現在までの実験で確認されている学説によって、ドイツの科学ジャーナリストである著者が、次々に批判の俎上に上げる。とりわけ、一般的に心理学の大家として見られてしまっているフロイトが創始した精神分析の罪は重い、と主張する。


四部構成

1:「影響力」のウソ(心理療法、教育、マスメディア、能力開発)

2:「心」のウソ(無意識、自己認識、自尊意識、心身症、多重人格)

3:「意識」のウソ(瞑想、催眠、臨死体験)

4:「脳」のウソ(脳使用の10%神話、右脳と左脳)

コメント
 本書は、2000年段階での心理学の実験によって確認された事実によって、我々がすでに「常識」となってしまったようなものの考え方を次々に覆してくれます。
 例えば「教育」。本書によれば、幼児期の親の教育態度や不幸な体験、虐待、離婚などが子供に与える影響は軽微だというのです。つまり、外部からの教え込みというものの影響は小さく、生まれ持っての性質である遺伝と、自己の体験したものから本人が選びとった選択の方が大きいというのです。
 ですから、穏やかな両親の下で育った人が穏やかな人格を持つというのは教育でそうなったというよりも生まれ持っての性質であるし、虐待されて育った子供が子供に対して虐待するというのも虐待されたという体験がそうするのではなく、暴力的な性質を受け継いでいるだけということになります。また、男らしい、女らしいは親の与えたものによって「つくられる」のだという説が一時期流行しましたが、これも否定されており、男の子が機械系の玩具を与えられるのは、男は機械類の操作に長けているからという親側の考えではなく、単に男児がそれを好むので与えるという受動的な反応に過ぎないのではないか、と考えられというのです(女児についての人形も同じようなものである)。
 たしかに体験的にもそうです。私も長男に与えるものというのは、特に意識していなかったし、乳児の時の服は従弟の女の子の服を着せていたりしていたのですが、絵本や動画で関心を示すのはバスです。風呂で遊ぶ玩具もアヒルの人形を与えてましたが、祖父が100円ショップで買ってきた船の方が気に入ってしまいました。ぬいぐるみもニコニコしていじったりしていますが、やはり車輪の付いたものや機械ものの方が好きなようです。だから、「人は女に生まれない。女になるのだ」というボーヴォワールの言葉は、怪しいというのが、子育てで得た実感です。かといって、こちらの方で決めた「男らしさ」「女らしさ」を強調するのはもちろん違うと思いますし、平均を逸脱する人もいるのだとは認識しておいた方が良いと思います。
 もう一つの偶然というのは何かというと、たまたま体験したことを自分の大切なものと考えるようになって、人格を決めるというものです。親の方で一生懸命何かを教えこんでも、本人にやる気がなければ、何にもならないし、たまたまみた大自然番組に影響を受けて、田舎生活にあこがれるというようなものです。つまり、外部からの影響というのは、本人がそこに積極的な関心を持つようにしなければ、何ら意味がないということです。
 今やっているオリンピックのメダリストたちは、親が体操教室をやっているとか、二世選手が多いです。しかし、これも親がやらせたというよりも、身近な遊び道具がそれしかなかったとか、親と一緒に居られるには体操をやるしかないとか、環境の影響もありつつも本人が選びとった結果なのでしょう。
 また、メディアの影響というものも興味深いです。つまり、メディアの影響は限定的である、というのが実証されているわけです。一般に、人々はメディアの影響は大きいと考えます。しかし、もしメディアの影響が大きいと考える人が多いなら、それだけ警戒感があるのですから、影響が小さくなるはずです。それにも関わらず、大きいと感じるのはどうしたことか。これは、自分はメディアの影響を受けないと思うが、他人は影響を受けてしまう、と考えている人が多いということらしいのです。つまり、自分は賢い市民であるが、他人は衆愚ばかりだ、と言っているのです。ネット上でメディア批判している人って、こういう人が多いように思います。
 そもそも人は、自分の関心のあるものしか目に入りません。メディアが、何と言おうと人々は自分の考えを変えることはないのです。もし変えたように見えたら、それは潜在的に人々がそうしたことに関心があって、それとマッチングしたからであって、そもそもの基盤があって、マスメディアの影響があったのです。
 選挙に関して言うと、2005年の「郵政解散」の際に、小泉劇場としてワイドショーが刺客候補などを追いかけ、小泉自民に有利な報道をした結果として議席率が73%と17%と地滑り的な勝利をしたように思えますが、比例の得票では自民党38%に対して民主党が31%でした。自民党にマイナスな報道ばかりあった2000年の「神の国解散」の総選挙では、自民が28%、民主が25%でしたが、民主に有利な報道があった「神の国解散」時より、「郵政解散」時の方が得票率が高かったのです。こうしてみると、メディアの影響というのは軽微で、それ以前に有権者の意志は決まっていたといえるでしょう。
 このように、世の中の現象というのは、多くの俗説によってフィルターがかかっています。もっとも、こうしたものがあった方が、誰かの商売になるから、そうしたものがあるのでしょう。本書は、そうしたものに引っかからないための、知識を与えてくれるように思います。

評価 ☆☆☆

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2016年8月16日 (火)

岩波明『狂気の偽装』

点検読書217

新潮文庫(2008年11月1日)刊
原著は、新潮社(2006年4月)刊

副題は「精神科医の臨床報告」


心理学


現役の臨床医師の立場から、マスコミが喧伝する「心の病」ブームの実態を、その概念や症候群の虚実を明らかにすることで、「心の病」への正しい理解を解説する。


1:メディアを騒がす「病名」たち―PTSD、トラウマ

2:「心の病」の患者たち―うつ病、自閉症、境界例

3:依存症の人たち―摂食・過食、自傷・自殺、セックス、買い物

コメント
 PTSD、トラウマ、ゲーム脳、セックス依存症など、メディアを騒がす心理学的、精神医療に関わる「病名」が存在ます。著者によれば、これらはかなり怪しいものだそうです。
 例えば、PTSD(Post Traumatic Stress Disorder)=「外傷後ストレス障害」は、実際に死に直結するような体験をしたものだけを指すものだそうです。トラウマにも関わってくるものですが、言葉の暴力や性的虐待などで発症するものではないし、事件後に数年経ってから突然症状が現れるものではないそうです。つまりは、戦争などで殺し殺される体験、硝煙や爆裂音、あるいは断末魔の悲鳴の中でみた死体の肉片や血だまりがPTSDを引き起こすのだそうです。著者自身が、PTSDと診断できたのは、地下鉄サリン事件の被害者のみであったという。
 このPTSDと診断できないものの、何らかの「事件」が過去にあって、それが後に精神への影響をあたえるという考え方に「トラウマ」もあります。このトラウマの場合、親の養育などに原因が求められるが、実際の精神疾患は、何らかの事件や体験があってすぐに発症するもので、何年か経って思い出されることによって生じるものではないそうです。つまり、日頃のストレスや環境への不適応の理由の犯人探しのために使われている、ということになりそうです。悪質なものとなると、精神科医の「誘導」によって、そうしたものが偽りの記憶として「思い出されて」、家族間の不和を生じさせることにもなるといいます。
 ゲーム脳に関しては、全くのトンデモであるし、セックス依存症は単純に他にストレスがあって、それを紛らわすために過ぎないのじゃないか、との指摘は確かだと思います。この症例の主張者の著書で、19年間で7人の女性と交際して頻繁に交際相手を変えたビル・クリントン元大統領が例として挙げられていますが、著者も言うように多いとも少ないとも言えない印象がありますね(ケネディを例に挙げとけばよかったのに)。
 本書は、こうした「心の病」というものは、なかなか身近に接することができないがために、新しい概念を提示されると信じてしまう傾向があることを述べているのかと思います。恐ろしいのは、こうした「心の病」が一般に受容されて、それが政府の政策などに採用される、つまり多額の税金が投入される、という問題が生じることです。そうしたことを認めないためにも、本書のような助けによって「正しい理解」というものが、必要なのかな、と思います。

評価 ☆☆

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2016年3月16日 (水)

ロバート・K・レスラー『FBI心理分析官2』(ハヤカワ文庫、2001年)

点検読書150

副題は「世界の異常殺人に迫る旋律のプロファイル」。

共著者は、トム・シャットマン。訳者は田中一江。

原著は1996年刊行。


心理学――犯罪心理分析


数々の連続殺人犯と面談して、その特徴を分析してきた著者が、これまで会ってきた大量殺戮者との会話と、日本の医師による母子殺害事件、宮崎勤事件、オウム真理教事件から、イギリス・南アフリカの事例と1990年代に起こった猟奇殺人事件を分析する。


五部構成

1:日本での体験
  『ザ・ワイド』に出演して、容疑者逮捕につなげた話(1 「つくば母子殺人事件」)。

2:ベトナム戦争後遺症の悪用(2)。

3:日本人留学生殺害事件(3)。

4:連続殺人犯たちとの対話(4~6)。

5:1990年代のイギリス・南アフリカ・日本の異常殺人事件(7~9)。

コメント
 こうした異常殺人事件について知ることは、自分の身を守ることに繋がる。加害者の特徴を知ることも大事だが、自分が巻き込まれないようにするためには、被害者の特性を知る必要がある。日本の殺人事件の多くは、男女関係のモツレ、借金問題が多いように思う。本書冒頭の著者が、日本テレビのワイドショー『ザ・ワイド』に出演して、容疑者の特徴を述べた「つくば母子殺人事件」の犯人は、複数の愛人がおり、その一人との結婚の約束をしたために、離婚を迫ったが条件を釣り上げられたことに、進退窮まって妻を殺し、殺人者の子供として生きていくことを憐れんで、子供も殺したという。これなどは、男女関係とカネの問題のコンボである。あとは借金といえば、自営業者などがこうした犯罪を起こす可能性が高いし、また被害者になる可能性もある。

 本書で興味をひかれた問題の一つに、「ヴェトナム後症候群」と呼ばれる症状を利用して、自身の殺人事件で無罪を勝ち取ろうとする者がいた、ということだ。これなどは、ヴェトナム戦争の後遺症で、まともな日常生活が送れずに猟奇的な犯罪を犯すといった『タクシー・ドライバー』のような映画の影響で我々も現実のように思えてしまう。しかし、以前取り上げた岩波明氏が指摘するように(参照)、問題となっている出来事から何年も過ぎて精神疾患のような症状が発症することはなく、その直後に発症するものである。本書でも、戦闘中にショック状態に陥ったと診断されなかった人間が発症する率は少ない、と指摘される(39頁)。もっとも、ヴェトナム戦争でPTSD(ポスト・トラウマティック・ストレス・ディスオーダー)と診断された人は多かった。しかし、これまで診断されたこともないのに、自身が犯罪を犯した時に、戦争体験を利用する者が増えたということは、メディアの分かりやすいトラウマ物語の影響があるだろう。しかも、彼らが自身の軍歴を偽った上で、自分がどれだけ残酷な体験をしたかまでを捏造する。こうした物語の受容や、反戦という尊い目的のために、事実ではありえない物語を称揚することも控えねばなるまい。

 あと、著者は、著名な連続殺人者ジャック・ザ・リッパーについて言及している。ジャック・ザ・リッパーに関しては、当時の警察が医者や政治家、王族など上層階層に目をつけていたために誤った容疑者探しをしてしまったことを指摘している。彼によれば、犯人は被害者の売春婦たちと同様の階層にいた人物で、精神的な問題を抱え、一人殺すごとに症状が悪化し、その被害者への行為もエスカレートしていったと考える。そのため、ついには完全に狂ってしまって人殺しすらできなくなり、自殺したか、精神病院に収容されたかで、社会から消えてしまったために逮捕されなかった、と推測している(90~91頁)。また、ジェフリー・ダーマーという連続殺人犯の箇所で書かれているが、こうした遺体を切断するタイプの殺人者は、日に日に手際が良くなり、検視官が、容疑者を医師に絞るようにアドヴァイスすることがあるそうだが(209頁)、ジャック・ザ・リッパーに関しても同じように馴れによる手際の良さが、警察を惑わせたところがあろう。ついでにダーマーについてだが、彼は『スターウォーズ』のファンであったそうだ。猟奇的殺人事件が起きるといろいろなメディアの影響が語られるが、これだけメジャーなものだと、特に何とも言われませんわな。

 あとオウム真理教事件についての言及も興味深い。
 宗教とカルトの違いをズバリと指摘する。

 「宗教が、自分たちよりすぐれた何者かをあがめることを目的として人々をあつめるのに対して、カルトは、その指導者をあがめることを目的として人々をあつめるのである。」(247頁)

 うむ、宗教に関心を持った場合の入信の基準はこれでよいのではないか。

 それは、ともかくとして、異常心理、犯罪とはどういった人々が起こすか、また被害に巻き込まれるか、を知る目的としては、面白い本であると言えましょう。

評価 ☆☆☆


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2016年2月22日 (月)

岩波明『精神科医が狂気をつくる』(新潮文庫、2014年)

点検読書130

副題は「臨床現場からの緊急警告」
原著は2011年6月(新潮社)刊行。


心理学――臨床心理学


マスメディアと文系知識人は、「自然」というものを好意的に賞賛し、「人工」的なものに否定的・懐疑的である。彼らは、多くの臨床実験で効果が認められる精神疾患の治療薬の欠陥を指摘し、食事療法や健康食品・サプリ、また治療薬なし精神療法などに人々がすがってしまう社会的土壌を形成してしまう。本書は、精神医学界に蔓延する不実と虚偽に警告する。


五部構成
1:治療薬を否定し、食事療法・サプリなど保険非適用の商品を売る商法(第一章)。

2:誤診を家族の問題にすり替える精神療法というトリック(第二章)。

3:精神医療に万能薬はない。西洋医薬で治らないからといって、漢方に頼るのは問題(第三章)。

4:うつ病、痴呆症、アスペルガー症、疼痛など様々なケース(第四、五、六、七章)。

5:無害であるが効果に期待できない脳科学(第八章)。

コメント
 本書を読んで考えさせられたことは、精神医療に特効薬はない、ということである。治療薬を飲めば、症状が治る場合もあるし、治らないこともある。しかし、治らないからといって、治療をやめてしまうと症状が悪化して、取り返しの付かないこともある。最悪なのは、治療薬をやめて高額な自然食品やサプリメントをかわされてしまうこと。効果が期待できず悪化し、さらに財産まで失ってしまうことになりかねない。医療というのは、風邪の特効薬がない、というぐらい不十分な世界である。そこを認識しつつ、粘り強く医療に付き合うしかない。

 この場合は担当する医師への信頼が絶対である。しかし、その医師が間違った判断をしてしまったら……、という問題点も本書では語られる。本書の題名にもなっている「精神科医が狂気をつくる」というケースである。ここで取りあげられているのは、精神療法である。つまり、患者と医師の面会・対話を通して、症状の原因を探り、それを解決していくことで治療につなげるというものである。どんな病気であっても、患者や家族から症状や状態を聞き出すことは医療の基本であるが、この対話が患者と医師との間に予期せぬ不明瞭な関係に陥るとかえって別の症状を引き起こしてしまうというケースである。つまり、医師が患者とあまりに親しくなりすぎて(フリであっても)、患者が勘違いしてしまい症状を悪化させるというケースである。つまりは、患者が異性の医師に特別な感情を抱いてしまい、無用なトラブルを引き起こすというものである。

 ここで語られるケースは、失恋して精神が不安定になった患者に、医師が失恋の傷を癒やすため自ら恋人役となり、そこから医師と患者の関係にして治療していくというものであったが失敗し、その治療の失敗を「精神分析」によって家族の問題へとすり替えたものである(患者は、うつ病から入院後、境界性パーソナリティ障害となって、後に自殺した)。

 著者が言うように、我々はドラマや小説などで、恵まれない生育環境や幼少期における親からの虐待が、後に残酷な犯罪を引き起こす心理的な基盤を形成するというテーマを繰り返し受容している。しかし、著者によれば、「実際には、個人的な出来事が原因で本格的な精神疾患が発症することはそれがどんなに辛い体験であったとしてもまれである。統合失調症や躁うつ病などは、心理的ショックや環境の影響で発症するわけではない。……さらに問題としている出来事から長い年月が経過してから精神疾患が出現することは、考えられない。精神症状を惹起する可能性のあるものは、ごく直近の重大なライフイベント(生活上の出来事)のみである」(64~65頁)。

 つまり、フロイトの精神分析のロジック、「(1)人間の思考や行動は、無意識的な動機によって規定されている部分が多い。(2)生育過程に受けた「トラウマ(心理的な外傷)」による心理的な葛藤によって、神経症、精神病などの症状が出現する。(3)無意識な葛藤は、本能的欲動が自我の防衛機制によって抑圧されることにより生じる。この過程を意識化することによって症状の改善がみられる」(60~61頁)というものは、はなはだ面白いけれども、臨床実験からみると荒唐無稽のシロモノというわけである。

 これらもやはり文系意識人が、人工的な医薬品に否定的なのと同様に、面白がって受け入れて、幅広くメディアで吹聴したから、我々が受け入れてしまっているという面があるだろう。というよりも私が中学の頃は、これって「現代社会」とかの教科書に載っていたのだが、現在はどうなのだろう。

 何よりも、簡単に答えの見つかるものは、マユツバで、ということなのかな。

評価 ☆☆


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2016年2月 9日 (火)

福島章『犯罪心理学入門』(中公新書、1982年)

点検読書121


心理学――精神医学


主に殺人事件の犯人を対象として、事件の背景にある犯人の気質や性格・環境について、生物学的次元、医学心理学的次元、心理社会的次元、文化社会的次元といった多次元診断によって追求する。犯罪という人間の極限状態について知ることは、単に異常心理への関心だけではなく、自分について、また人間について知ることにつながる。


五部構成
1:総論として、E・クレッチマーが提出した多次元診断とその具体的適用例として遊園地人質事件とエリートサラリーマンの妻殺害事件(Ⅰ)。
  ・生物学的次元:遺伝、体型・体質、性的成熟、脳障害・脳波異常、精神病、中毒
  ・医学心理学的次元:知能、気質・性格、自我の成熟、人格、心因反応、夢・幻想
  ・心理社会的次元:生育環境(親子関係など)、人格環境、犯因性社会環境
  ・文化社会的次元:価値観、地域、学校、その他

2:犯罪心理学という分野について(Ⅱ)

3:実際に起きた事件について「知能と性格」「心の病」「精神医学的分析」の具体例(Ⅲ~Ⅴ)

4:社会学的な諸理論(Ⅵ)

5:現代社会型の事件(Ⅶ)

メモ
知的障害者の犯罪の低下理由(53~55頁)
 本書は、1982年出版という事情もあり、用語としては「精神薄弱者」としている(90年代から「知的障害者」と呼称するようになったらしい)。では、ここでいう「精神薄弱者」とは何かと言えば、IQ70未満を指すらしい。で、これらの人々の犯罪について、戦前では54~65%と多かったのだが、1970年代になると20%にまで低下したそうである。では、その理由はなにかといえば、特殊教育の普及、社会福祉の充実などがすすんで、彼らが社会的不適応に陥ることなく、適切な支援を受けるようになったからだそうだ。つまり、彼らに対しては裁判や刑罰ではなく、保護・教育・援助が有効で、それがもっとも有効な犯罪防止法であることが示されている。
 また、単に知能指数ではなく、その中身にも注目する必要を説いている。つまり、非行少年または犯罪者は、言語的・抽象的・論理的な能力よりも行動的・具体的な能力の方が優れており、抽象的なものよりも具体的なものを好む傾向にあるとの所見がある。この二分法で言えば、規範や法律は抽象的なものに区別されるため、それらに対する違反というものも、こうした傾向に関連してくるという。

情性欠如者(73頁)
 情性とは、同情・あわれみ・羞恥・後悔・良心といった、人間固有の感情的能力であるが、こうした能力を欠く者を情性欠如者という。具体的には、他者の苦痛・運命・不幸について鈍感であり、その一方で自己の危険・苦痛・未来についても無関心であり、想像力に欠けている人びとである。まれにドラマや映画での処刑シーンで、処刑を前にした犯罪者が、人前で平然としていたり、ダジャレを言ったりすることを、「引かれ者の小唄」とか「ギロチンの上の諧謔」などと呼ばれたが、これは彼らの豪胆さや勇気を示すのではなく、自分自身の運命の無関心や数分後の訪れることへの想像力の欠如を表していると著者は指摘する。

「拡大された自己中心」者と日本人的性格(85~86頁)
 もともと自己中心的性格の男に、やがて自己と一体化した妻や子供といった家族が加わり、「拡大された自己中心」な世界を形成する。彼は、「拡大された自己」内にいる家族に対しては、情愛深い夫、優しい父で愛他的でいられるが、その世界に入っていない他人に対しては冷たく非情になりえる。
 著者は、これは日本人の多くに当てはまる性質であると指摘する。つまり、家族や地域、学校、職場などの共同体を自身の「身内」として「拡大された自己」の世界に入れてしまい、その中では紳士淑女として立ち振る舞うが、一歩外に出ると、旅の恥はかき捨てとばかりに、破廉恥な行動に出てしまう。これが、戦前において中国大陸でしたことであり、戦後での途上国へのセックスツアーなどに見られる日本人の行動様式である。
 著者は、これを日本人の自我の未熟性のためであり、本来は他者への想像力は確固たる自己を前提にするのだが、日本人は自己中心性や甘え合う一体感を前提にした「拡大された自己中心」の幼児的世界にいるためだと指摘する。

・日本の犯罪の少なさの理由(206~208頁)
 よく知られているように、日本は他の先進国に比べて、著しく犯罪件数が少ない。著者は、次のように、その理由を列挙している。
(1)文化的同質性が高く、均質で統合性の高い国家であり、多くの日本人が現状に満足している。
(2)家族・地域・職場などへの帰属意識が強く、「ウチの恥」になることをしない、という発想が強い。
(3)凶器の入手が困難で、自分の身は自分が守るという発想が弱く、警察に頼ろうとする。
(4)草食民族で、攻撃性向が弱い。
(5)交番制度が、地域の防犯活動の拠点となっている。
(6)テレビが、貧困や社会的地位の明確化を刺激するよりも、相互の同一感や一体感を高めるような内容で、対象との同一化を促している。
 以上のような理由を列挙していて、首を傾げるような、また時代の変化を感じさせるものもあるが、著者が言うには、これらの裏を返せば、先に指摘した「拡大された自己」のような甘え構造と同様に、日本人の犯罪は、対象への要求が強く、それを受け入れられなかった場合の怒りや恨みの表現として犯罪が行われることに特徴があると指摘する。

コメント
 
ある犯罪者の分析の際に、犯人の母親が若い頃から性的放縦で精神異常の疑いがあり、遺伝的問題がある、と述べてしまうあたり、著者の怖さを感じるが、この辺が著者の犯罪者を憎むあまりの決め付けをしてしまい「足利事件」の冤罪のようなものを生んでしまったのかもな、とも思った。

評価 ☆☆


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2016年1月14日 (木)

関一夫『赤ちゃんの不思議』(岩波新書、2011)

点検読書97


心理学――赤ちゃん学


赤ちゃん時代について、脳科学・認知科学における最新の研究成果を参照しながら紹介するとともに、赤ちゃんの養育環境が発達とどう関連するかについて。


六部構成
1:赤ちゃん学誕生と研究方法について(第1章)。
2:赤ちゃんの「好き嫌い」と養育環境について(第2章)。
3:赤ちゃんがテレビまたはロボットをどう認識するか(第3章)。
4:認知発達段階における自己について(第4章)。
5:脳の発達と心の関係について(第5章)。
6:育児と発達についての研究と展望(終章)。

メモ
 赤ちゃんの生得的な能力(視力・好き嫌い・物理法則への理解)についての研究が進んできたのは分かったが、逆に早期教育や愛着理論についても否定的な見解が持たれている。このように考えると学齢期以降の教育の影響は別にして、乳幼児期の育児は特別な配慮が必要ないのかもしれない。つまり、著者が背を伸ばしたくてバレーボール部に入ったが、思うようにせが伸びず、バレーボールをやれば背が伸びるのではなく、背が高い人が選手になるのだと理解したように、生得的な遺伝で多くが決定しているのかもしれない、という恐ろしい結論になる。
 しかも、学齢期以降の教育というのは、どれだけ教育に金をかけられるかということになりかねないので、結局のところ、生まれた家(両親から承けた遺伝と両親の経済力)によって、その人の能力は決まってしまうという「不都合な真実」が明らかにされてきているのではないか。そんなふうに思ってしまった。

2015年11月 9日 (月)

村上宣寛『心理学で何がわかるか』(ちくま新書、2009)

点検読書36

①心理学

②俗説・疑似科学をしりぞけて、科学としての心理学を紹介。

③心理学の方法論(観察・調査・実験・エビデンスベイスドの動き)、遺伝、人間と動物、自由意志、記憶、人間関係、うつ病。

メモ
自由意志(130~133頁)
自由意志とは、人間の行為は外的要因ではなく、意志によって選択した結果だとする哲学的な概念である。自由意志が存在するので、自分の行為にはモラルや責任が生じる。ゾンビにモラルや責任がないのも、自由意志がないからである。
しかし、自由意志は存在するのか?

リベットの実験
被験者の頭に電極を取り付けて脳活動を記録しつつ、光の点が回る文字盤を見ながら、好きな時に腕を曲げてもらう。
結果
脳活動→意志(300~350ミリ秒の差)
→無意識な脳の活動が意思を生じさせている。
 つまり、無意識な脳の活動が意思を生じさせ、行為を起こさせる。
ウェグナー『自由意志の幻想』(2002年)
意識を伴った意思は、行為などに先立つ脳活動の結果にすぎない。

幻視(144~145頁)
自己幻視:目の前に自分の体の幻が見える。本人は幻であると気づいている。
       →頭頂後頭部か後側頭後頭部の右に脳損傷。
分身幻視:目の前の自分の幻を自分であるとも感じる。幻であると気づかない。
       →側頭頭頂部に脳損傷。
体外離脱:現実の体の上に幻があり、幻の方が自分であると感じる。
       →側頭頭頂部の右側に脳損傷。

2015年10月23日 (金)

点検読書19 正高信男『0歳児がことばを獲得するとき』(中公新書、1993)

点検読書についてはこちら

①心理学――行動心理学

②従来、人間の子供は未熟な状態で出生するとされてきたが、他の生物に比べても、はるかに成熟した行動を示していることが明らかになってきた。

③授乳におけるコミュニケーション、模倣、高い音声に対する関心等の乳児の行動とサルなどの霊長類との比較によって構成されている。

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