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経済史

2016年2月21日 (日)

原田泰『反資本主義の亡霊』(日経プレミアシリーズ、2015年)

点検読書129


評論――経済史


悪者扱いされる資本主義であるが、資本主義こそが、豊かさを実現し、格差を縮小し、平和や文化の向上に寄与してきた。様々な事例によって、反資本主義感情への反論を試みる。


五部構成
1:資本主義が実現した豊かさ。

2:資本主義が生み出す格差は、資本主義でしか解決できない。

3:資本主義で獲得する富よりも、略奪の方が容易に富を獲得できるなら、戦争が起きる。資本主義が戦争を起こすというより、資本主義の失敗が戦争を引き起こす。

4:資本主義は人々を豊かにする。しかし、利己的行動を肯定する資本主義は「うさんくささ」がつきまとい、それが反資本主義感情を醸成する。

5:資本主義が経済を不安定化するのは誤りであり、適切な経済政策がとられれば、経済成長は可能である。また、成長なくして、日本の福祉制度の未来は暗い。

コメント
 やはり本書も『日本国の原則』のアップトゥデートという感じですな。参照文献が、新しくなっているが、基本的骨格は同じ。自由市場こそが人々の豊かさを実現し、平和をもたらし、民主主義を補完する、というものです。反資本主義感情を持っている人ほど読んで欲しいが、まぁ、読まないんだろうな。

評価 ☆☆☆


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2016年1月26日 (火)

松元崇『持たざる国への道』(中公文庫、2013)

点検読書109

副題は「あの戦争と大日本帝国の破綻」。


歴史――日本史


盧溝橋事件まで繁栄していた日本は、満洲経営や華北経営の失敗によって窮乏化し、「持たざる国」へと転落した結果、英米相手の大戦争に突入していった。経済合理性を失った国の悲劇を再検討することによって、それを大切にする土壌が育つことが重要である、と著者は説く。


二部構成

1:各当事者たちの戦争の捉え方、第二次上海事変再考、中国戦線の実態、経済・財政面での非合理性など「あの戦争」に突入した前提についての考察(第一部第一~八章)。

2:江戸時代以来の通貨制度、金本位制、中央銀行についての考察(第二部第一~四章)。

メモ

・空襲の問題
 10万人以上の犠牲者を出した昭和二十年三月の東京大空襲以降、日本の軍部は捕虜にした米軍機の搭乗員の何人かを即決で処刑された。その上、福岡では終戦間近となった八月十二日に八人、八月十五日の停戦後にさらに八人が処刑された。
 また、米軍側でも爆撃戦略の計画者であるヘンリー・H・アーノルド将軍は、日本の降伏が近いことを知って、「できるかぎり盛大なフィナーレ」を行なうことを考え、「八月十四日夜、そのための軍勢を集め、すでに荒廃した首都へ送り出すことに成功した。総勢一〇一四機―B29爆撃機八二八機と護衛戦闘機一八六機―が一機の損失もなく東京を爆撃した。トルーマン大統領は、その全機が帰投する前に、日本の無条件降伏を発表していた」(21頁)。
←このくだりはジョン・ダワー『人種偏見』(のち、『容赦なき戦争』と改題されて平凡社ライブラリーにて刊行)を参照している。『容赦なき戦争』の該当箇所は493~494頁であるが、八月十四日の空襲は、東京ではなく、熊谷と伊勢崎のものだろう。もっとも、アーノルドが日本人を絶滅させたいとの希望を日記に書いているのは確からしいが。また、最近、親族の一人がこの伊勢崎空襲を体験して死にかけたというエピソードを70年の封印(?)をといて話してくれた。

・「捕虜」の問題
 日本の捕虜収容所で死んだ英米の将兵の数は三万六〇〇〇人近くにのぼって捕虜総数の四分の一を超えていた。一般に日本軍の捕虜の問題を考えるにあたって、「生きて虜囚の辱めを受けず」との日本の『戦陣訓』(昭和十六年一月)が問題とされるが、そもそも『戦陣訓」は中国戦線の将兵の「道徳書」として作成されたもので、「敵を屈服せしむとも、服するは撃たず従うは慈しむの徳に欠くるあらば、未だ以て全しとは言い難し」「皇軍の本義に鑑み、仁恕の心能く無辜の住民を愛護すべし」と軍紀の乱れた兵士への訓戒の意味が強かった。それが、「生きて虜囚の~」の箇所がクローズアップされてしまったわけだが、この捕虜になるより死んだほうがまし、という発想は、日清戦争以来、中国兵に捕まった日本兵に対する残虐な殺し方にあったと著者は推測する(30~31頁)。つまり、ひどい殺され方をするならば、自殺した方がつらい思いをせずにすむ、という発想のようである。それはともかく、日本軍の捕虜の扱いも嗜虐的なところがあったかどうかは別として、先ほどの数字が示すように褒められたものではない。
 しかし、また連合国の捕虜の扱いもひどいものであったと著者はジョン・ダワーの前掲書から引用する。すなわち、アジアの戦場では、捕虜にはせずに多くの場合はその場で殺害した。オーストラリア兵はとらえた日本兵たちを収容所に運ぶ途中、たびたび飛行機から放り投げ、それを腹切自殺を報告した。また、アメリカ軍においても、捕虜にはせずに殺害するというのが一般的な雰囲気であり、数千人捉えられた場合、引き渡されたのは一〇〇人か二〇〇人で後は事故死したと報告された。さらには、降伏しようとした日本兵を最後まで戦えとつっ返し、殺害した例もあったという(ダワー著の141~144頁)。
 以上のようにみると、プロパガンダによって、敵兵士の残虐性を強調されて現場に赴き、また現場にて次々と戦友たちが命を落としていく中で、報復として敗残兵を殺害することは、日本特有の問題ではなく、戦争特有の現象なのだろう。

・中国における「国連」
 中国では、United Nationsを「国際連合」ではなく、「連合国」と訳している(37頁)。
 ←中国が「東京裁判史観」といわれるものに固執するのも、こうした言語感覚に由来するのかも。

・中国とドイツ(62~63頁)
 第二次大戦における日独伊三国同盟の印象や日本陸軍がドイツ式だったことから、日本とドイツとの関係が深いと思われがちであるが、一九四〇年の三国同盟以前(一九三六年の日独伊防共協定以後においても)、ドイツは日本にあまりいい印象を持っていなかった。それもそのはずで、第一次大戦の際に、日本は火事場泥棒的に東アジアと南太平洋の権益を奪っていた。それを表すかのように、一九三六年のドイツの武器輸出総額の五七・五%は中国に向けられており、その中には上海における最新鋭の塹壕=ゼークトラインも含まれている。
 ちなみに、その上海に築かれたゼークトラインは、蔣介石がドイツからフォン・ゼークト元国防軍総司令官を招いて築かせたものだった。そして、第二次上海事変における最大の激戦区で、日本軍は四万人の犠牲と六万人の犠牲を出した日露戦争の旅順攻略戦以来の被害が出て上で攻略された。第一次大戦の経験から、西欧諸国では塹壕の突破は不可能とされていたが、日本軍は歩兵の散兵戦術で攻略可能という方針を取り、現に突破してしまった。そのため、多大な犠牲を出したにも関わらず、 戦術の変更を行わず、日米戦争においても散兵戦術を挙行し被害を拡大させた。

・中国の民衆の被害(71頁)
 フランソワ・ジェレによると第二次世界大戦全体での民間人・軍人の死者は四〇〇〇万人以上とされ、ロシアでは少なくとも一七〇〇万人、ドイツでは五五〇万人、ポーランドでは四〇〇万人、中国では二二〇万人の兵士、ユーゴスラビアでは一六〇万人、日本では一五〇万人の兵士が死亡したとしている(『地図で読む現代戦争事典』)。
 中国における民衆被害は日本軍によるもの以外に、徐州作戦で日本軍の進攻を防ぐために蒋介石軍が黄河を決壊させたことからの洪水による死者は数十万人に及び一〇〇〇万人の農民が家を失い、その後、黄河の流れが変わったことによる飢饉の影響で三〇〇万の死者が出た。それを表すかのように、華北の穀類収穫高は一九三六年比で、一九三九年には四〇%減、一九四〇年に三〇%以上の減であったという。初期のこうした蒋介石政権の無理な作戦が、親日傀儡政権樹立のきっかけになったともいわれる(家近亮子『蒋介石の外交戦略と日中戦争』)。


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2016年1月 4日 (月)

猪俣津南雄『窮乏の農民』(岩波文庫、1982)

点検読書88


経済思想


昭和恐慌下の農村社会の現実の姿を、マルクス経済学者の視点で具体的に描写。


三部構成。
初篇:全国の農村を、①養蚕農村、②米作農村、③多角形農村(畑作農村)、④工場・家内工業のある農村、⑤山村、⑥漁村の六つの類型に分けて強硬の影響を分析し、また内部における階層の違いにも着目している。
中篇:政府の農村政策、特に農村経済更生運動をとりあげ、末端の農村でどう受け止められたかが述べられている。
終篇:総括部分として、小作争議に現れる地主・小作の階級対立の諸相と農民運動のあり方について述べられる。


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2015年12月31日 (木)

宮本又郎『企業家たちの幕末維新』(メディアファクトリー新書、2012)

点検読書85


経営者――伝記


明治日本の発展の推進力となった起業家たちの生涯に光をあて、彼らがどのような時代的制約やそれぞれが置かれた環境の中で行動し、革新的な企業家として従来の慣行を変えて成功したか。これらを知ることで、企業家への社会的評価の低い日本において、企業家への関心を高めることになる。


総論として江戸時代から明治中期までの経済史と企業家類型の特徴、経済発展の時代としての江戸時代と転換期としての明治、旧商家型の企業家(三井、住友)、ベンチャー企業型(岩崎、安田など)、技術者・職人型企業家(山辺丈夫、菊池恭三)、社会的企業家(波多野鶴吉)、財界リーダー(渋沢栄一、五代友厚)

メモ
江戸時代の18世紀の人口停滞は何が原因か(27~29頁)
東北地方:天明飢饉(1782~87)
北関東地方:浅間山噴火(1783)
→飢えと貧困から人口減少

一方、九州、中四国、東山道、北陸では人口増加

南関東・近畿の人口減少
→都市化
 商家における男性奉公人の増加
 女性の出稼ぎ(出稼ぎ期間中は結婚しない)
 →男女比のアンバランス
  結婚年齢の高齢化
  →少子化
人口減少の原因は経済発展

幕末期の就学率(29頁)
寺子屋が全国に1万1000校。
庶民の就学率は男子43%、女子10%(R・ドーア『江戸時代の教育』)

「政商」の初出(139頁)
「政府自ら干渉して民業の発達を計るに連れて自ずから出来たる人民の一階級あり、我等は仮りに之を名づけて政商といふ」(山路愛山『現代金権史』、1908)


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2015年12月30日 (水)

清水真人『財務省と政治』(中公新書、2015)

点検読書84

副題は「「最強官庁」の虚像と実像」。


日本政治


「最強官庁」という別名の下に、交渉力を持ち続けた財務省。しかもその「最強官庁」は対抗する政治家の側にも必要とされた異名であり、両者の共同幻想の上に成り立っている。その両者の対立と協働を消費税増税を軸に描いていく。


55年体制における密接な政官関係、90年代の改革政権の時代における福祉目的税と消費増税、金融危機と「大蔵省」解体、消費税封印の小泉政権、対抗勢力としての竹中平蔵の登場、安倍対財務省の第一ラウンド、与謝野の増税路線突出、民主党政権における野田佳彦という布石、谷垣・野田の消費増税合意、安倍・菅の財務省不信・経産省政権

コメント
小沢一郎氏に密着して、自民党から目の敵にされていたのに、その直後の村山富市政権でちゃっかり増税を決めさせ、官僚嫌いの菅直人氏に増税路線を布かせる。財務省への不信感を隠さない安倍晋三氏の第一次政権崩壊要因と第二次における増税決定まで、負けているように見せて実利を取る、という財務省の恐ろしさが垣間みえるが、著者の書きぶりは財務省に同情的である。


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2015年11月28日 (土)

武田晴人『高度成長 シリーズ日本近現代史⑧』(岩波新書、2008)

点検読書54

①歴史――日本史

②「高度成長」という言葉は、1955年前後に生まれ、1960年代に現実となり、一般化した。しかし本来は雇用不安や失業対策の手段であったのに、自己目的化し、成長神話が生まれた。

③「高度成長」という言葉、55年体制から60年安保の政治の季節、所得倍増から消費社会へ、経済大国の誕生、成長の終わり。

メモ
・「経済成長」という言葉は、1955年前後に使われ始めた〔高田保馬編『経済成長の研究』第一巻、有斐閣、1954年〕(ⅰ)。

・1956年白書の「もはや戦後ではない」の元ネタは、中野好夫「もはや「戦後」ではない」(『文藝春秋』1956年2月号)。この評論では、目前に展開する保守合同などによる旧世代の復活に警鐘を鳴らし、戦後意識から抜けだして未来に向ってビジョンを明確にすべき時期に来ていることを訴えていた(ⅳ~ⅴ)。

・日米安全保障条約は、「中国脅威論」に基づいていた(5頁)。

・吉田茂は、大陸中国を正統政府として将来の国交再開を考えていたが、米国の中国脅威論に基づき、台湾中国と国交を結んだ。しかし、これは『ワシントン・ポスト』からも批判されるものだった(6頁)。

・日韓交渉の際、韓国の歴史教科書の反日的記述を問題にし、日本側は訂正を求めた。
 例:豊臣秀吉の朝鮮出兵の「倭敵」の記述取り消し。
   「三・一運動」「八・一五解放」の語句使用の見直し。
   「一九一〇年、日本に国をうばわれ独立をうしなった」などの表現も問題視。
   →歴史教科書記述の変更要求は日本が先(126~127頁)。

・1982年6月の教科書検定事件
 日本軍が華北に「侵略」と記述されていた箇所を文部省が検定で「進出」に書き改めさせたとの報道。
 →実際には書き換えはなかった。しかし、別の教科書で「東南アジアへの侵略」を「東南アジアへ進出」などと改めた例はあった(128頁)。


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2015年10月15日 (木)

点検読書11 大塚久雄『社会科学の方法』(岩波新書、1966)

点検読書についてはこちら

副題は「ヴェーバーとマルクス」

①経済思想

②それぞれ意志を持つ人間の集合体である社会を自然科学的法則を確立することは可能か。

③社会科学という方法論を経済現象の自然化により法則を観察できるとするマルクス、人間の行動の動機を解明することで自然観察よりも客観的な法則観察は可能であるとするヴェーバー、ロビンソン・クルーソーにみられる経済人の姿、ヴェーバーの儒教とプロテスタンティズム比較におる東西の比較、著者の思想的背景となっているヴェーバーの方法論の解説。

2015年10月14日 (水)

点検読書10 原田泰『世相でたどる日本経済』(日経ビジネス人文庫、2005)

点検読書についてはこちら

①歴史――日本経済史

②戦前の日本経済の発展は、自由にあったのであって、開発独裁論や政府介入への評価は間違っている。

③江戸時代から明治・大正・昭和と順をおって、日本的経営、産業政策、補助金行政など戦後日本経済の特徴の原型を叙述している。

コメント
かつて著者の『日本国の原則』を読んでいたので、それほど真新しい発見はない。もっとも、本書の原著の方が時期が早く、こちらがオリジナルなのであろうけど。

自由貿易主義や市場主義をアングロサクソン的で日本には合わないと考えている「保守」的な主張をして、想像の政財官民の協調体制こそが日本のあり方だと思っている人は読んだ方がいいかもしれない。

そうした想像の共同体は、そういう人が否定する戦後日本の成長が止まりかけた時期にできはじめたもので、「保守」の人が大好きな戦前は強烈な自由経済であったし、江戸時代にはコメの先物市場まであったのである。

自称「保守」と自称「リベラル」が思想は異なるのに政策が似通ってくるのは、守りたいものが、ともに衰えかけた時期の「戦後日本」だからなのかもしれない。まさに55年体制のプロレスを見るようだ。

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