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点検読書

2017年2月 4日 (土)

野上忠興『安倍晋三 沈黙の仮面』3

前回のつづきです。

 野上氏の安倍本のつづきです。

 あとがきに書かれていることですが、「第2次政権を担って以後、特定秘密保護法、武器輸出3原則解禁、集団的自衛権行使容認、そして安保法など、「まるで戦前回帰の軍国路線まっしぐらと映る」(自民党ベテラン議員)タカ派色だ」と自民党のベテラン議員の発言を引いて批判しています。

 しかし、これらの政策は「戦前回帰の軍国路線」なのでしょうか。戦前の軍国路線というのは、国の予算の半分くらいが軍事費であったり、士官級以上の軍人への処罰の甘さ、非国際協調主義的で単独行動主義、また欧米列強に対する敵意によるアジアモンロー主義的な政策、国際紛争解決のための武力行使への傾斜、国際社会の現状打破勢力に組みしたこと、私有財産を否定する社会主義的言論ばかりではなく政府を批判する自由主義的な言論への弾圧等々に特徴があるでしょう。安倍政権には、これらの特徴があるのでしょうか。
 まず特定秘密保護法というのは、安全保障に関わる情報の漏洩を防ぐための法律であり、基本的には罰則対象は政府の中にいる公務員です。また、なぜこうした法律が必要になったかといえば、外国からもたらされた情報を外部に漏らした場合の罰則規定が日本にはないために、同盟国であるアメリカでさえも日本と情報を共有したがらない、という事情があったからです
 具体的にそれがあらわれたのが、2013年8月31日にオバマ米大統領が表明したシリアへの軍事攻撃に対する日本の支持をめぐる暗闘です。詳しくは山口敬之『総理』第4章を読んでいただくとして、簡単に述べると、安倍首相はシリアへの軍事攻撃への支持を求めるオバマ政権に対して、アサド政権が市民に化学兵器を使った決定的な証拠を出さない限り、日本は支持しないと交渉を持ちかけたのでした。これは、不確かな情報によってブッシュ政権のイラク攻撃を支持してしまった小泉純一郎政権を政権中枢で間近に見てきた安倍首相の反省に基づく対応です。アメリカ側は、当初はそれを拒否します。しかし、安倍首相は山口敬之氏へのメールが傍受されていると想定しつつ、強い拒絶の意思を明らかにしていると、アメリカ側が折れてきて、明確な映像証拠を出した上で、支持を求めてきたというのですが、特定秘密保護法がない日本に恩を着せたという不満を表明されたそうです
 そうなると日本側は、安全保障に関わる情報統制法を整備する必要が出てきます。それが2013年10月25日の閣議決定、同年12月6日参院通過というスピード成立を必要とした理由となったのです。ですから、特定秘密保護法は国際協調主義に基づいたものであり、単独行動主義でもアジアモンロー主義に基づくものでもありません

 集団的自衛権行使容認と安保法制も同様です。そもそも「集団的自衛権」という概念は、第二次大戦末期に成立した国連憲章第51条によって成立した概念です。これだけで「戦前回帰」という批判は無知から出たものと言えるでしょう。
 もっとも、軍事同盟というのは、有史以来存在したものですから、それを集団的自衛権と考えれば、「戦前」にもあったに違いありません。しかし、国連憲章で成立した集団的自衛権は、あくまで大国で構成される安全保障理事会の常任理事国の恣意的な拒否権の運用によって、小国の安全保障が守られない場合に備えたものであって、しかも安全保障理事会による集団安全保障的措置をとるまでの限定的な対処に限られます。単なる軍事同盟を根拠付ける権利ではありません。
 また、戦前の「軍国路線」の失敗というのは、東アジアにおける単独行動主義とドイツ・イタリアなどの現状打破勢力と軍事同盟を結んで、ともに新しい国際秩序を創出しようとしたことでした。今般の集団的自衛権行使容認の憲法解釈は、安全保障理事会の常任理事国の主要な構成国であるアメリカ合衆国との協調を確かにするためのものであるし、また安保法に含まれる駆けつけ警護は集団的自衛権との関係というよりも、国連による集団安全保障体制への寄与を意味するものであって、日本が国際協調主義に一歩踏み出したことによります。これらによって考えれば、一国平和主義という単独行動主義や現状打破を唱える勢力との協調ではなく、現状維持勢力や国際機関へのさらなる関与を拡大するという意味で、反「戦前の軍国路線」であるのは、明らかであるでしょう。また、小川和久氏の著書によると、日本側が日米地位協定の協議をしようとすると、アメリカ側は集団的自衛権行使容認ぐらい決断してから話しに来い、と言って門前払いを食らわせるそうです。この点でも沖縄の現状を変える素地をつくるためにも必要な措置なのかもしれません。
 もっとも、これらによって自衛隊の任務が増加し、場合によっては戦後においては2001年の海上保安庁の巡視艇による不審船への撃沈以外行われたことのない他国軍やゲリラへの攻撃による死傷者の発生はあるかもしれません。人の命を奪わない軍隊としての自衛隊の性格は変わるかもしれませんが、そもそも個別的自衛権の行使としての自国防衛の際には、侵略軍を殺害することは当然となりますので、それが自国への侵略軍か国際社会の無法者かという違いのみで、想定としてはあまり違いがあるとはいえません。生命尊重の理想によって、安倍政権の路線転換を批判するのは、一つの立場かもしれませんが、それを「戦前回帰」と批判するのは、お門違いでしょう
 あと、武器輸出3原則の解禁は、実は野田佳彦民主党政権で例外規定の拡大をしており、安倍政権はそれを推し進めたに過ぎないのでした。また駆けつけ警護に関する法律改正も野田内閣の下で進められていました。これら武器輸出3原則の例外拡大や駆けつけ警護もそうでしたが、尖閣諸島国有化によって日中関係を最悪にしたり、慰安婦問題での協議拒否によって韓国側を怒らせ、李明博大統領による竹島上陸という実績を作るきっかけとなったり、原発再稼働を推進したり、公約にない消費税を増税したりと野田内閣の1年のほうが色々問題が多かったように思いますが、この点についての批判が安倍政権に比べてないことが不思議です
 また著者は、『論語』の「子貢問政」にふれて、孔子は民の信頼>食>兵の優先順位を付けているが安倍首相は逆になっていると批判しています。しかし、これもどうなのか。
 安倍首相の最大目的はたしかに憲法改正なのでしょう。しかし、安倍政権の経済政策によって失業率を減らして、有効求人倍率を急上昇させて、新卒の労働市場を売り手市場にしていることは確かなのです。また失業率の低下によって、自殺の総数が毎年数千人程度減少しているという事実があります。これは、安倍政権が何よりも「食」、つまり民衆を食わせていくことに政権の重要課題としていることのあらわれです。本書において、安倍政権の経済政策について、最後に「色あせたアベノミクス」という消費税増税批判のないアベノミクス批判というお定まりの批判一箇所しかないのが、著者自身の民を食わせることへの軽視を感じます
 また日本で初めて税に関する政策変更を争点として総選挙を実施したというのも「民の信頼」を重視しているあらわれでしょう。そもそも「民の信頼」がなくて、どうして国政選挙で前代未聞の四回の勝利と高支持率を維持できるのか。民の信頼よりも軍事優位であったら、もっと大胆な憲法解釈の変更だってできたはずです。これらの点を著者は、どう考えているのか。正直、不思議でなりません。

 まぁ、このように本書については疑問点が多いのですが、事実関係にふれた証言集としては大変面白い本です。また、拉致問題に関する安倍政権の取り組みと失敗に関しては、著者の言うとおりであると思います。日本が国家意思を示したという点で、小泉政権時の安倍官房副長官の強硬路線というのは歴史的に意味があったかもしれませんが、北朝鮮側の信用を全く失わせる悪手であり、その後の交渉に制約をつくってしまったことは否めません。こうした点は、拉致問題にそもそも関心のない左派リベラルから出ない批判であるし、拉致問題の解決や被害家族に対する同情は示しつつも柔軟路線への批判によって道を閉ざしてしまっている右派保守からも出ない批判でしょう。その点は貴重です
 安倍首相のパーソナリティについて、批判的な読み方も必要ですが、重要文献の一つとなるでしょう。

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2017年2月 3日 (金)

野上忠興『安倍晋三 沈黙の仮面』2

前回のつづき

 さて、安倍首相の幼少時代からを描く本書なのですが、そのエピソードの一つ一つは面白いものの、著者の現在の安倍首相に対する評価には少々疑問に思うところが多く、その点をもう少し述べたいと思います。

 例えば、安倍首相の保守主義について次のように述べています。
「重層的な歴史を重んじようとする保守思想とは、排除の論理ではなく、もっと深く広く文化や思想の違いを包含できるものでなければならないようにも思うが、安倍にとっては革新、リベラルは常に敵でしかない。これではずいぶん底の浅い保守しそうに見えてしまう。」(151頁)

 たしかに近代日本の保守主義の思想家として知られる陸羯南の「国民主義」というものは、自由主義も平民主義も共和主義も貴族主義も個人主義も国家主義も含まれるという特徴を主張していました(『近時政論考』)。しかし、この羯南の思想は、一方で様々な思想を包含するがゆえに、国民の中にある多様な価値観や利益の間の対立を見えなくしてしまう機能も果たしてしまう可能性もありました。つまり、本来は相容れず対立し、どちらかを選択しなければならない場合に、「まぁ、同じ国民だし、仲良くしようよ」という言葉によって、有耶無耶にしてしまうというようなものです。

 そもそも保守主義や保守思想は、単に歴史や伝統を大切にするという考え方や態度ではなく、明確な敵が現れた時の反応として、守るべき価値を改めて思想化するというものです。それならば、その敵に対して強い反発や批判は当然のように見られます。
 近代保守主義の元祖とされるエドマンド・バークの『フランス革命についての省察』を開いてみれば、彼が敵視する革命運動家への辛辣な批判や軽蔑に溢れています。現状維持や穏健という単なる保守的態度ではなく、「思想」であり「主義」として理論化を試みているのだから、その正当性を主張するためにも敵に対して攻撃的であるのは当然です
 安倍首相の保守思想は、「「進歩派」「革新」と呼ばれた人達のうさん臭さに反発した」ところから魅かれていったということですから、「進歩派」「革新」への反発の上で思想化したもののようです。それならば、相手に対して攻撃的であるのは確かでしょう。しかし、安倍首相が、その権力を使って、リベラルや左派の政治運動を排除したという話は聞いたことがありません
 反安倍のテレビコメンテーターが次々と降板していくのも、官邸が権力を使ったというよりも、視聴者から飽きられたことが原因でしょう。何だかんだ言っても国民が次の首相を選ぶ総選挙で勝利させて選出された二人目の首相であるし、国政選挙で4回も勝たせている政権です。さらに支持率が、常に40%ほどある政権なのですから、まるで評価せずに頭ごなしに批判ばかりであると、有権者である視聴者がバカにされたように感じるだけです。コメンテーターもその点を理解して、バランスの取れた評価と批判をしなければ、視聴者にソッポを向かれるのも当然でしょう。
 また、著者は、父・安倍晋太郎の「指導者たるものは先頭に立つ必要はなくバランスが大事だ」という趣旨の発言を引いて、「私が~」が多い安倍首相を批判しています。
 しかし、これこそが日本政治の無責任体制の最たるもので、指導者がバランスを取って誰からも批判されないようあらゆる立場からの意見を聞いていったら、その政策が失敗した場合、誰が責任を取るのか。指導者は各方面に配慮してと逃げるし、立案者は提案しただけ、賛同者は大勢に従っただけと責任の所在がはっきりしません。
 その点で、安倍首相は責任意識が明確です。すべて安倍首相の考えとイデオロギーに基いて決断していると述べているのだから、うまく行っていれば、それは首相の実績であるし、失敗すれば、それは直接安倍首相へと責任が及びます。国民主権というのは、国民の意向によって政権の選択を可能にすることであると思います。その点で、何を考えているか明確な安倍首相は、国民の選択基準を与えてくれている分、きわめて民主主義的な指導者であると思います
 私の理想とすれば、安倍氏を首相へと返り咲かせた有権者が、今度は自分の手で選挙によって退陣させることが日本の民主主義の発展のためには望まれるところであると思います。第二次大戦の勝利の英雄であるチャーチルを選挙で退陣させたイギリス国民のように。ちなみに私は、基本的にはアベノミクスを推進する安倍政権に対して支持をしていますが、消費税増税を「私の決断」と述べて断行した安倍首相を支持する訳にはいきませんから、それ以後の国政選挙において選挙区か比例のどちらかの一票は、消費税に一貫して反対している共産党に投じております。消費税増税の凍結か減税を公約にしない限り、私の投票行動は変わらないでしょう。

 あともう少し述べておきたいところがあるので、続きは次回です。

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2017年2月 2日 (木)

野上忠興『安倍晋三 沈黙の仮面』

点検読書244

副題は「その血脈と生い立ちの秘密」。
小学館(2015年11月15日)。


日本政治


祖父・岸信介、父・安倍晋太郎の時代から自民党の福田派ー安倍派を中心に取材してきた政治記者による安倍晋三首相の評伝。深く安倍家に食い込んだ経歴から、安倍首相の養育係や小学校時代からの同級生・教師などからの証言を交えて、岸信介に憧れた政治家・安倍晋三の半生を描く。


1:少年時代(第一章)

2:高校から神戸製鋼時代(第二章)

3:政治家秘書時代(第三章)

4:若手議員から拉致で注目の時代(第四章)

5:幹事長・第一次安倍内閣時代(第五章)

6:第二次安倍内閣時代(第六章)

コメント
 安倍家に長く関わってきた著者だけに愛憎半ばする評伝。
 率直に言って面白い。
 自己主張が強く、生意気で絶対に涙を見せない子供でありつつ、中学生になっても養育係の布団に甘えて潜り込む少年時代。
 周囲の期待とは裏腹に勉強が苦手な高校時代。
 アルファロメオで登校してコンパと麻雀と部活に勤しむ一方で要領の良さで単位を落とさない大学時代。
 選挙区の事情により政略的に就職したものの周囲から可愛がられる神戸製鋼時代。
 政治家秘書として間近に見る政治と父の死。
 他の同僚たちが政策で脚光を浴びる中、結果が出ずに「タカ派議員」としてのキャラ付けをし、清和会のプリンスとして出世の階段を登る新人議員時代。
 実績がないままに重責を負わされて潰れていく第一次安倍内閣時代。
 「右傾化」と「独裁者」として振る舞う第二次安倍内閣時代。

 先にも書いたように著者は、安倍家にかなり深く食い込んで取材をしてきた政治記者であり、安倍首相に対してはかなりの思い入れがあるようです。その点が、個人としての人間・安倍晋三を描いている時には大変生き生きと好人物「アベちゃん」が見られるのだけれども、政治家としての「安倍晋三」には批判的というところで、そうした評価の部分には首を傾げざるを得ない部分もあります。

 例えば、ある安倍氏と付き合いが長い自民党議員の証言として次のようなことが述べられています。
「普ちゃんは東大出身者とエリート官僚が嫌い。議員でも東大出身者とは肌が合わないのか敬遠する傾向がある。エリートだった祖父や父に対する学歴コンプレックスの裏返しではないか」(65頁)

 その上、2015年10月に発足した第三次安倍内閣の閣僚に東大出身者が、塩崎恭久厚労大臣、丸川珠代環境大臣、加藤勝信特命大臣、石井啓一国土交通大臣の四人しかいないことも指摘されています。

 かつて第一次安倍内閣が成立した頃、田中眞紀子氏が「首相なら早稲田ぐらい出ていて欲しい」、と自分の父親の業績を否定するような発言をしていましたが、たしかに安倍首相は成蹊大学法学部の出身です。エリート一家の御曹司が、エスカレーター式の私大出身ということが周囲からの嫉妬もあって攻撃の対象となっています。

 しかし、先の引用部の閣僚に関しては、例えば、本人が東大卒の鳩山由紀夫内閣では、岡田克也氏、福島みずほ氏、仙谷由人氏、亀井静香氏、小沢鋭仁氏、藤井裕久氏、原口一博氏で八名と多いのですが(仙谷氏は中退)、安倍内閣の前の野田佳彦内閣では平岡秀夫法務大臣、古川元久特命大臣、平野達男特命大臣の三名のみが東大出身者です。野田第一次改造内閣も平岡氏が岡田克也氏と入れ替わっているだけで三名です。野田第二次になると滝実氏が法相に入って四名になっています。野田第三次改造でも古川氏と城島光力氏が財相として入れ替わって四名です。もっとも、京大やその他の国立大学出身者は多いものの、そうした者を入れれば、安倍内閣でも増加してしまいます。
 ちなみに安倍首相が敬愛する岸信介の最初の内閣では、岸信介、灘尾弘吉、南条徳男、鹿島守之助、小瀧彬の五名です。しかし、この内閣は石橋湛山内閣を引き継いだものですから、岸の人選は改造内閣からです。そこでは、岸信介、唐沢俊樹、一萬田尚登、堀木鎌三、赤城宗徳、前尾繁三郎、正力松太郎、郡祐一、津島寿一、愛知揆一、今松治郎と大臣十九人中十一名が東大卒となっています。このように考えると、著者が想定する大臣は東大卒が多いというのは、官僚政治家全盛の時代であって、私大出身の党人派が首相になり始めると東大出身者が少なくなる傾向があるのかもしれません
 このように、東大出身者の大臣数で安倍首相の東大嫌いを説明するのは、言いがかりのようなものでしょう。もっとも、本書の批判を気にしてか。2016年8月に成立した第三次安倍改造内閣では東大出身者が七名になっています。

 また、安倍首相が東大出身者の議員とは「肌が合わないか敬遠する」というのは、どうなのでしょうか。この辺になると同僚議員の嫉妬の混じった勘違いが入っているように思えます。というのも、安倍首相がもっとも敬愛し信頼した政治家は誰であったかを考えれば、自ずと答えは出てきます。

 そうです。安倍首相を語るにおいて外せない盟友であった中川昭一は東大法学部卒だったのでした。

 近年出版された安倍首相に関する書籍の山口敬之『総理』も阿比留瑠比『総理の誕生』でも一章を中川に当てるほど、重要人物としてふれられているのです。この安倍首相と付き合いのある議員という人物がどうした人物かは分かりませんが、中川昭一と安倍首相との関係を知らないようなニワカ議員か、中川昭一の出身大学が東大とは思っていないような保守に対する偏見の持ち主なのでしょう

 また、安倍首相が東大出身者を敬遠しているのだったら、派閥をこえて側近議員になった加藤勝信特命大臣の位置づけが分かりませんし、総理退任後も安倍首相と親しくしていた今井尚哉総理大臣秘書官や、政見投げ出し後の失意の中の安倍首相を登山に誘ったりと復権に尽力した長谷川栄一内閣広報官、家族ぐるみの付き合いでリフレ政策を安倍首相にレクチャーした本田悦朗スイス大使などの東大出身の官僚たちとの付き合いと信頼関係は一体何なのかという印象を受けます。

 では、そうした東大を敬遠する印象を持たれてしまうのは何故かと言うと、単純に東大法学部出身者に安倍首相が嫌う「リベラル」「サヨク」が多いからでしょう。2015年の安保法制に関わる騒動でも分かるように、東大法学部の憲法学者は一致結束して、安倍政権に反対の姿勢を示しました。一部には、以前には集団的自衛権の解釈変更を容認していたにも関わらず、東大出身の憲法学の権威が違憲を言い始めた途端に、宗旨変えをするような若手憲法学者もいました。これだけでも、東大法学部の雰囲気が分かるでしょう。
 また、消費税増税に関しても、東大法学部出身の官僚、政治家、学者の多くが賛成しており、その失敗が明らかになっても、自分たちの言論の責任を負わずに、もともと増税が含まれていない「アベノミクス」の失敗を主張して、責任回避につとめています。

 安倍首相は、そうした東大の権威によって形作られてきた戦後レジームを脱却するというのが最終目的のはずです。そうした点で、東大出身者を敬遠するというよりも、東大出身者に多い、リベラルで無責任な姿勢に嫌悪感を抱いて、敬遠しているのでしょう事実として、そうした雰囲気に染まっていない東大出身者の政治家や官僚たちを安倍首相の周りに配していますし、また逆に逆に上記のような東大の雰囲気に馴染めなかった人々が安倍首相に期待を持っていたとも言えるでしょう。初代国家安全保障局長の谷内正太郎氏も2009年に出版した回顧録で、安倍首相の復活を待望しているとれる発言をしていまいた。

 もう少し述べたいところがあるので、次回に続きます。

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2016年11月25日 (金)

荒畑寒村『寒村自伝』つづき

承前 

 こうした戦後の政治的・思想的混沌状況の中で、寒村の友人の小堀甚二の再軍備論が興味深かいです。小堀は、戦前のプロレタリア文学者であったが、右派主導の日本社会党に不満で、寒村や山川均、向坂逸郎らと社会主義労働党準備会を立ち上げた人物でした。しかし、小堀が、ここで再軍備論を主張したために分裂し、解散に至ったのですが、その主張が興味深いのです。

 この労働党準備会の中で、もっとも「進歩的文化人」のような発想をするのは向坂逸郎で、彼はソ連は社会主義国であるから侵略はしない、だから日本に軍備は必要ない、という主張です。山川均は、そこまで思い切りは良くなく、ソ連が社会主義国だから侵略をしないとはいえないが、日本が軍備を持つとかえって侵略の対象となりかねないので、軍備は持つべきではない、と結論は向坂と同じです。

 こうした再軍備反対論に対して小堀は、次のように述べます。

「日本には今でも厳として軍隊があって、ブルジョア秩序の維持に当っている。しかも普通の軍隊とちがって、この軍隊は単にブルジョア秩序の維持に当っているだけでなく、他国の権益の維持にも当っている。占領軍がそれだ。/われわれは講和条約締結後、この外国軍隊を、日本人によって組織された最大限に民主主義的な軍隊とおき替えようというのだわれわれは観念の中でなら、軍隊のない国家を想像することもできる。しかし現実の世界では、自国民で組織された軍隊がなければ、他国の軍隊がこの真空状態をうずめる。だから自国民で組織された軍隊を否定することは、外国軍の駐屯を肯定することだ。だからまた、それは日本の植民地化を肯定することであり、あり得べき第三次世界大戦において少なくとも日本国土の戦場化を肯定することでありまた日本の労働者階級に対して社会主義のための闘争を断念することを要求するものだ。」(422頁)

 つまり、駐留米軍という資本主義世界の秩序維持部隊であり、かつ日本の植民地化を促進する軍隊を撤退させるためには、日本人自らが軍隊を持つべきだという主張です。彼の言う「最大限に民主主義」的な軍隊とは、宣戦、動員、召集を国民代表の議会が掌握するものを指します。また、モデルとしては、明治国家の師団化する前の鎮台兵であり、また民兵制度を考えています。つまりは、防衛目的のみの全国民参加の軍隊というものです。過去において、こうした発想は中江兆民の「土着兵」構想に見られます。

 小堀のこの考え方は、社会主義実現という目的に奉仕するものです。というのも、資本主義世界の代表である米軍が日本に駐留している間には、どう考えても日本の社会主義化は不可能です。この点は、他の現在に至るまでの基地闘争を行っている左翼運動家と同じでしょう。左翼運動家は米軍を撤退させた後には、非武装中立、または裏の目的としてソ連などの社会主義国の日本への侵入がその真空状態を埋めることで、日本の社会主義化を可能にするとします。しかし、小堀は、第2次大戦前後からのソ連の東欧への侵略を批判していますし、朝鮮戦争は当時としての珍しく明確に北からの南への侵略を明言して批判しているように、社会主義国建設は他国の力を借りるのではなく、自らの力で勝ち取るものです。ですから、米軍の撤退と自国軍建設は表裏一体なのです。軍備を持たないことは米軍か、ソ連軍を呼び込むことにしかならないのです。「今日の再軍備反対論者」は「無意識に侵略国家に奉仕している」も同様と指摘されています(434頁)。さらには、次のようにも述べています。

再軍備問題について何らの積極的意見をもたず、ただ反対反対と叫ぶことによって、再軍備に関する一切のイニシアチーヴを保守勢力に委ねている」(425頁)

 つまり、再軍備について真面目に考えないということは、保守勢力の永続支配を認めることにしかならずに、結局ところ、社会主義国建設を真面目に考えていないということになるというのです。

 こうした小堀の構想が左翼勢力の中で合意を得ることができたら、戦後日本は随分と変わったものとなったでしょう。楽観的には、最左翼が再軍備論を唱えたので、日和見のリベラルも軍備に関して真面目て考え出して、他の自由世界の中での社会民主主義政党のように米国と協調しつつ、社会主義政策を実現する政党ができていたかもしれませんし、極端な場合だと、日本に小堀らの社会主義勢力が政権を取って、社会主義の一党独裁政権ができていたかもしれません。どちらにしても、現在よりも安全保障についての議論の風通しの良さがあって憲法の改正が行なわれていたかもしれません。それが良いかどうかは分かりませんが、現実に政権担当が可能な政党が一つしかない状態や憲法解釈を官僚に委ねるような現実の戦後日本よりも「民主」的な政治運営が行なわれていたでしょう。

 しかし、こうした小堀の議論は、受け入れられるものではありませんでしたし、これをきっかけに社会主義労働党準備会も解散を余儀なくされます。本書の主人公である荒畑寒村は、小堀に同情的ではあるものの、現実に侵略の危機があるとは思えないという情勢判断の下に、再軍備には反対の立場でいました。とはいうものの、寒村は、小堀と山川均・向坂逸郎らとの対話は可能で、落とし所があるであろうと考えていたそうです。しかし、その見通しは甘く、分裂していまします。その点について、寒村は次のように指摘します。

「私はこの問題に関する主張の相違は、もっと自由な相互の討議によって調整できると信じていたが、そういう親切な同志的な方法をとらないで直ちに準備会と絶縁した山川君の態度を、私は深く遺憾とせざるを得なかった。意見の相違を、同志的な愛情と理論的な究明によって、徹底的に解決しようとはせず、排斥するのでなければ黙殺するのが日本の社会主義者の悪い伝統だ。」(431頁)

 ここが問題ですね。現在も同様だと思います。これは、多分、左翼だけの問題ではないと思います。おそらく右翼の方もそうでしょう。福澤諭吉は、幕末にイギリスに出かけた時に、違う政党に属して対立している者同士が親しく食事をしている姿を見て、理解するのに数日かかったと『福翁自伝』で述べていますが、日本の政治運動の世界はまだまだ封建社会の住人なのでしょう。こうしたところを乗り越えない限り、融通無碍な保守政党に勝つことは出来ないでしょう。でも、まぁそれでこそ左翼であり、右翼なのですが、それを薄めたリベラル勢力がそんななのだから、いかんのでしょうけどね。

 それはともかくとして、本書はなかなか興味深い社会主義運動の裏面史を垣間見せてくれる良書です。

評価 ☆☆☆


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2016年11月24日 (木)

荒畑寒村『寒村自伝 下巻』

点検読書243

岩波文庫(1975年12月16日)刊


日本史――自伝


サンディカリズムに傾倒した大杉栄と決別し、日本共産党結成へと荒畑寒村は同士らと動く。そして、その結成を報告するためにモスクワへと旅立つ。下巻は、ロシア行きと労農派の動向、戦時下と戦後の社会主義運動の内幕を語る。


5部構成

1:第一次日本共産党結成(1)

2:ロシア周遊(2~5)

3:共産党解散と『労農』(6~8)

4:戦時下(9)

5:戦後の社会主義運動(10~14)

コメント
 上巻は、随分前に読んだのですが、やっと下巻に目を通すことができました。しかし、期待していたほど、戦時下の社会主義者の動きや「あの戦争」についてのコメントがそれほどないな、という印象を持ちました。
 というのも、戦後の記述で、野坂参三が「戦争中、反戦運動をしたのは共産党だけだった」と述べたのですが、寒村の感想としては「そんな事実が果たしてあったかなかったか、海外に亡命していた野坂君よりも空襲下の日本に生活していた私たちの方がよく知っている」(349頁)というものでした。つまり、特に目立った運動などはなかったので、それを書いていないだけのようです。それだけでも本書は、無意味な「神話」に彩られていない誠実な記録とも言えます
 また、生粋の左翼である寒村は、党派的に発言をするのではなく、社会主義者の原則としてものを考えるために、戦後の堕落した共産主義者・社会主義者には痛烈な批判をしています
 例えば、彼の共産党への反感は、彼らの「祖国」であるスターリン支配下のソ連に対する甘い味方をするところに向けられます。

「スターリンは他国と他民族を併呑掠奪しながら、偽善的にもなお平和を唱えているのだ。そして各国の共産党はソ連の行動を是認し、日本に原爆が投下された時、彼らの機関紙は筆をそろえて称賛したではないか。日本が他国を侵略するのはもちろん悪い。だが、ロシアは果たして日本を侵略していないか。単に社会主義国という金看板に眩惑されて、こんな資本主義国の侵略政策と選ぶところのない不正不義に憤慨も、反対も、糾弾もしない社会主義者なんて犬にでも食われるがいい。」(351~352頁)

 これと同様のの趣旨として、「進歩的文化人」批判も痛烈です。

わが国でも、思想と表現の自由を守る護民官である筈のいわゆる進歩的文化人が、戦争の間は軍部の侵略政策に尻尾をふり、戦後は面をおし拭って民主主義を唱えている。かつてはヒットラーを神格化し、国民の自由と人権を絞殺したナチスの虐政に迎合した彼らは、今やスターリンを神の如く崇拝し、中世の異端焚殺の如き血の粛清と強制収容所の奴隷労働とをもって、思想と表現の自由を弾圧しているソ連の全体主義体制に対しても、批判の口を閉ざすことを進歩的と考えている。社会主義者の中にさえ、ソ連に対する批判をただちに反動的と認めるような傾向がある。こういう日本の文化的風土に反対して、民主的自由のためにたたかう運動の意義は、決して欧米に劣るものではない。」(437~438頁)

 かつて冷戦時代には、「アメリカの核は悪の兵器、中ソの核は善い兵器」ということが公然と言われていたそうですが、荒畑寒村のように主義思想に生きる人間にとって、こうした空気や属人的な価値判断に左右される無原則な大衆的知識人は度し難いものたちであったのでしょう。

 また、社会主義者・寒村の本領が発揮されるのは、現憲法を保持して社会主義建設などできない、とはっきりと述べているところです。「現在の憲法は生産手段における私有財産制、階級的支配、賃金制度の労働力搾取を含意する資本主義制度の上に存している」(482頁)のだから、社会主義政党が議会多数派を制した暁には、当然のごとく憲法を改正して社会主義国家建設に勤しむとします。

 しかし、当時の社会党は、耳に心地よいことしか言いません。社会主義国家建設という原則よりも、世間からの批判を恐れているからです。

それもこれも、ひっきょう社会党がジャーナリズム恐怖症にかかり、社会主義の究極目的、革命の必然的段階である独裁政権を、大胆に公言することを憚っているからだ。革命は一の階級がその意志を他の階級に強制するものであって、議会主義的民主主義からの飛躍なしには行なわれない。その意味で、革命の本質は暴力的であり、現に民主主義そのものが暴力革命の所産ではないか。」(482~483頁)

 ここまでいってもらえる気分がいいものです。自分たちの原理原則から考えれば、憲法改正を主張すべきなのに、護憲政党で通そうとするところに欺瞞があります。こうした欺瞞に加えて、日本の左翼・リベラルが信用されないのは、先に指摘さていたように、あまりに党派的であることに加えて、批判を恐れて耳障りの良いことをいって、平気で嘘をつき、さらにそれが嘘であることを忘れて、嘘を本気で主張し始めることでしょう。その最たるものが、民主党政権でした。彼らは、本当の目的を隠して嘘をついて政権の座を占めたというよりも、嘘を本気で信じてしまって確固たる原則もプランもなかったので、何もできずに結局のところ官僚にいいように取り込まれるという政権でした。
 寒村のような確信的左翼は、支持する気はないものの、やはり人間、原則を信じることが最も裏切られることの少い正直な生き方を可能にするのでしょうし、周りから見ていても気分が良いものです

つづく

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2016年11月23日 (水)

トク・ベルツ編『ベルツの日記(上)』つづき

承前

明治33年5月9日
「一昨日、有栖川宮邸で東宮成婚に関して、またもや会議。その席上、伊藤の大胆な放言には自分も驚かされた。半ば有栖川宮の方を向いて、伊藤のいわく「皇太子に生れるのは、全く不運なことだ。生れるが早いか、到るところで礼式(エチケット)の鎖にしばられ、大きくなれば、側近者の吹く笛に踊らされねばならない」と。そういいいながら伊藤は、操り人形を糸で躍らせるような身振りをしてみせたのである。」(204頁)

 有名なベルツのコメントです。これを読むといかに伊藤博文が、皇室を軽んじているかのように見えるが、この皮肉の対象は皇太子ではなく、有栖川宮をはじめとする天皇家周囲の皇族と貴族たちに向けているのかもしれません。ベルツは、次のように続けています。

こんな事情をなんとかしようと思えば、至極簡単なはずだが。皇太子を事実操り人形にしているこの礼式をゆるめればよいのだ。伊藤自身は、これを実行しようと思えばできる唯一の人物ではあるが、現代および次代の天皇に、およそありとあらゆる尊敬を払いながら、なんらの自主性をも与えようとはしない日本の旧思想を、敢然と打破する勇気はおそらく伊藤にもないらしい。この点をある時、一日本人が次のように表明した。「この国は、無形で非人格的の統治に慣れていて、これを改めることは危険でしょう」と。」

 これを読んでみると、ベルツが感じた伊藤の「放言」とは、皇太子の自由を束縛している皇族の「礼式」について述べているのであって、伊藤自身が天皇や皇太子を操り人形と考えているわけではなく、周囲の皇族が操り手として批判の対象となっているとも読めます。というのも、それ以前に次のような記述があったのです。

3月23日
「本日、葉山御用邸で東宮に関して、すなわちその健康状態が五月の成婚にさしつかえないか、どうかの点について、重大な会議があった。橋本、岡の両医に同意を表して自分は、わずかの懸念はあったが、さしつかえなしと述べた。懸念とは、体重が昨年の程度にどうしても達しないことである。しかし天皇への報告では、この点にはっきりと触れてはならないことになっている。それは、誰よりも天皇が、まず東宮の体重の増すことを望んでおられるからである。伊藤侯や、有栖川宮や、側近の人たちは、もはやこれ以上成婚を延ばすことはできないという意見なのだ。それというのも、あらゆる東洋の風習とは全然反対に、東宮が成婚前に他の女性に触れられないようにすることに決定をみたからである。そんな次第で自分も、一般の事情や特殊の事情から見て、早い成婚が東宮に良い影響をもたらすだろうと思う。」(197頁)

 つまり、皇太子、のちの大正天皇なのですが、結婚前の性体験は許されないと決められたために、早めに結婚させた方が良いという記述なのですが、この点が名うての好色漢である伊藤博文などには、「礼式」に縛られた「操り人形」と思えたのかもしれないのです。この決定というのが、どういうプロセスで、誰に決定権があったかは分かりません。近世に比べて、天皇の血統というものの重要性が格段に増加したという事情と、「万世一系」という神話を守るためにも、必要な処置だったのでしょう。しかし、伊藤にその決定に参加していないとすれば、こうした感想をもって、他の皇族に当てこすりをするのも分かる気もします。こうした点を考えると、この伊藤の「放言」は、傲慢な元老の発言というよりも、天皇といえども一定の自由は許されるべきだと考えるリベラルな忠臣・伊藤博文という印象にもなります。この点の専門家の知見はどうなっているのでしょうか。

 次は、義和団事件についての母国ドイツの動向についてのコメントです。

明治33年8月1日
「ドイツ皇帝は、清国派遣軍の出発に際して一場の演説をされたが、その演説がまた、あらゆるドイツ人を赤面させずにはおかないものなのである。皇帝はこういわれたそうだ「捕虜は無用だ、助命は不要だ!」と。すなわち、暴徒と化した清国兵が、かれらの国土の一角を平和の最中に奪い取った強国の公使を殺害したからといって、自身のキリスト教を到るところで表看板に押し立てているキリスト教徒の君主が、相手の清国の罪のない人たちを――たとえ武器をすてた場合でも、かまわないから――殺してしまえと命令しているのだ! こんな文明にはへどが出る! それでいて将来、この同じ国で自己の勢力をはりたいというのだ! このような考えの残忍・非道徳極まる点を度外視するとしても、すでに政治的見地からいって狂気のさたである。事実、やり方が狂気のさただ――つまり、われわれの敵すべての手に、われわれを亡ぼす武器を計画的に握らせるというやり方!」(220~221頁)

 ベルツは、若き日には統一ドイツを目指す運動に参加し、さらに普仏戦争にも志願して従軍する熱烈な愛国者なのですが、当日記に書かれている母国への評価は非常に厳しい。詳しいことは知りませんが、おそらく統一ドイツにおける自由主義派に属していたのかもしれません。そうした目から見ると、とりわけビスマルク退場後のヴィルヘルム二世の政治姿勢には憤懣が堪えなかったという雰囲気が伝わります。
 その上、以上の発言です。これは19世紀最後の年の発言です。20世紀に入ると大日本帝国の一部の将兵が同様のことを考え、さらに実行してしまって、問題になり続けていることはよく知られています。現在でも、「捕虜」の定義等々で責任に対して否定的な向きがありますが、「武器を捨てた」無抵抗な「暴徒」を殺害することは、恥ずべきことと考えるのが常識的な「文明人」の考え方です。帝国主義真っ盛りの時代の知識層の考えがそうなのですから、現在ではさらにそうでしょう。その点を考慮に入れて、諸外国に対して「愛国活動」をしてほしいものだと思います。過去はどうにもならないのですから。

 下巻は、まるまる日露戦争のことらしいです。そのうち、アップします。

評価 ☆☆☆

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2016年11月22日 (火)

トク・ベルツ編『ベルツの日記(上)』

点検読書242

訳者は菅沼竜太郎。
岩波文庫(1979年2月16日)刊


日本史――明治時代


明治9年にお雇外国人として訪日したドイツ人医師・エルウィン・ベルツ(1849~1913)の日記。上巻は、来日した明治9年から日露戦争前夜の明治37年2月3日まで。


6部構成

1:エルウィン・ベルツ小伝

2:訪日(明治9年から15年)

3:憲法発布から日清戦争の時代(明治21年から32年)

4:教職を退く(明治33年から35年)

5:インドシナ・韓国周遊記(明治35年から36年)

6:日露戦争前夜(明治36年から37年)

コメント
 本書は、とくにコメントすることもなく、興味深いところを抜書きすれば、その魅力は伝わると思います。

明治9年10月25日
「ところが――なんと不思議なことには――現代の日本人は自分自身の過去については、もう何も知りたくはないのです。それどころか、教養ある人たちはそれを恥じてさえいます。「いや、何もかもすっかり野蛮なものでした〔言葉そのまま!〕」とわたしに言明したものがあるかと思うと、またあるものは、わたしが日本の歴史について質問したとき、きっぱりと「われわれには歴史はありません、われわれの歴史は今からやっと始まるのです」と断言しました。なかには、そんな質問に戸惑いの苦笑をうかべていましたが、わたしが本心から興味をもっていることに気がついて、ようやく態度を改めるものもありました。」(47頁)

当時の日本人の雰囲気について、よく引用される有名な箇所ですね。最後のところを読むと、外国人に対する羞恥心と警戒心から本心を隠しているとも読めますが、こうしたスッキリした日本人のメンタリティが新しい環境に急速に馴染むことのできる特質を作っているのかもしれませんが、過去を学ぶことをしないので、何度も同じ話題について最初から同じ議論をして以前の議論から積み重ねることができない、という残念な傾向も作っているかもしれません。

明治9年11月3日
「当地もだんだんと居心地が悪くなってきた。騒乱がいよいよ不気味に拡がってゆくからである。今では首都ですら、もはやあてにならないと政府が認める有様である。先日のこと日本橋附近で、下総に渡るため舟を雇おうとしていた十四名の士族が、大格闘ののち警官隊に取抑えられた。警官二名が殉職した。千葉県で大暴動を計画する書面が、かれらの手もとから発見された。・・・・・・首都に事実大暴動が起こって、暴徒の一群が外人の家を略奪し、これを虐殺することを思いついたとしたならば、われわれはまったく処置なしである。」(52頁)

これなども面白いです。現在の紛争後の途上国へ赴任した人の気分というのは、このようなものなのでしょう。現在の我々は、過去にこうした「危険」な国だったことを忘れがちで、諸外国のことを見てしまいますが、他人事ではなかったのでした

明治11年3月17日
「築地、島原の劇場へ。『西郷と鹿児島の変』、すなわち昨年の事件が上演されていたが、その芝居たるや、朝の六時から晩の八時まで続き、日本人を極度に熱狂させている。だがわれわれ西洋人にとっては恐ろしく退屈なものである。」(70頁)

しかし、西南戦争の翌年とは早いですね。これは戦勝を祝う気分なのか、西郷人気なのか、反政府気分の強さなのか。そのあたりが気になるところです。

明治22年2月16日
「日本憲法が発表された。もともと、国民に委ねられた自由なるものは、ほんのわずかである。しかしながら、不思議なことにも、以前は「奴隷化された」ドイツの国民以上の自由を与えようとはしないといって憤慨したあの新聞が、すべて満足の意を表しているのだ。」(138頁)

このあたりも有名な記述です。決まるまでは、大騒ぎするものの、決まると沈黙する、という現在の日本人にもつながるいい加減さがあらわれています。

明治22年3月19日
「憲法で出版の自由を可及的に広く約束した後に、政府はすぐその翌月、五種を下らぬ帝都の新聞紙の一時発行停止を、やむを得ない処置と認めている。それは、これらの新聞紙が森文相の暗殺者そのものを賛美したからである。それどころか、詩を作って、西野の予定した第二の犠牲者芳川がまだ生存しているのを遺憾とするという意味が述べてあった! 上野にある西野の墓では、霊場参りさながらの光景が現出している! 特に学生、俳優、芸者が多い。よくない現象だ。要するに、この国はまだ議会制度の時期に達していないことを示している。国民自身が法律を制定すべきこの時に当たり、かれらは暗殺者を賛美するのだ――森の行為に対して、いかなる立場をとろうとも、それは勝手ではあるが。」

このあたりも日本人のテロリスト好きというよりも、反政府気分が強い、というところに理由があるのでしょう。次に紹介するように、日本人が明治政府を自分たちの政府だと考えるようになったのは、日清戦争という国民戦争を経てなのでした。

ベルツの手記『明治時代』より
日本では一八九〇年代(明治二十三年から三十二年まで)に共和主義の時流が、どんなに強大であったかを知っているものでない限り、局外者にはまったく理解できないことである。・・・・・・福沢(諭吉)はこの国の重要な人物で、政治の圏外では最高の有力者であり、「日本の教師」なのである。この福沢がある大きいアメリカの雑誌の通信員に対してこう言明した。「わたしは、自由なお国に感嘆はしていますが、しかしわたし達自身には、まだ共和政の機が熟してはいないのです。だから、天皇がおられるのです。だが信じて頂きたい――現在すでに、政治に関して天皇の発言を必要とする場合は、イギリスの女王と比べてもその度合は少い位です」と。この言葉は一八九〇年代(明治二十三年から三十二年まで)の教養ある日本人の大部分の気持を代弁している。こうした気分を察知した政府は、全国民のために一致団結の結束をうながす機会が、運命によって新たに与えられる――つまり韓国を原因とする清国との戦争という形で――までは、柔軟な対応が賢明であると考えた。そしてこの日清戦争は政府の希望どおりの結果になった。すなわち日本全国民は一致団結し、国軍の勝利に熱狂したのである。以前は憎まれて、いろいろと悪く言われていた「元老」を首脳とする薩摩、長州の政治家たちは、海陸にわたる日本の名声を世界中で高めた。国粋的感情が目ざめて、外国のものすべての盲目的な模倣に対する健全な反応が始まった。自由諸国の美点に耳を傾けるものが、はるかに少なくなった。議院内閣制の政府を目指す最大の絶叫者たちは、控え目となった。・・・・・・巨人清国に打ち勝った、この世界驚嘆の勝利への、更に深い根底を、日本人特有の性質の中に求めたのであるが、この日本人気質には、「皇統連綿」の皇室もまた、大きい枠割を演じていた。こうしてこの日本人気質は、国家の危急存亡のとき一段と強く発揮されるのである。天皇の人格が全面に押し出されることが、だんだん多くなってきた。学校や役所にはいずれも、天皇の写真が掲げられていて、今ではこれに祝祭の折、おじぎをしてあいさつせねばならないのである。日本の青少年の、あらゆる道徳教育の基礎を示す勅語(教育勅語)が出たが、その中で天皇は、国民の一種の父親として表されている。こうして天皇を国家の、ある程度概念的で象徴的な代表として崇拝する観念を、太古からの古びた土地ではあるが、今や改めて有利に準備を施した国土に、十分意識して植付けたのである。このような日本の指導的な為政者の企画が完全に成功を収め、時としては、企図した程度以上の成果を挙げた事実は、誰にも否定できない。」(187~189頁)

 長くなりましたが、日清戦争によって、明治の日本がガラリと変わったことが述べられています。最初に引用した自分たちには歴史はない、と述べていた日本人が日本の歴史に目覚めるわけです。これは単なる移り味の早さではなく、まさに日清戦争の勝利という歴史をつくったがために、日本の歴史をあらためて振り返ることができたといえましょう
 しかし、この福沢の発言というのは、どこかに根拠があるのでしょうか。

つづく

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2016年11月21日 (月)

竹下節子『キリスト教の真実』

点検読書241

副題は「西洋近代をもたらした宗教思想」
ちくま新書(2012年4月10日)刊


宗教史――キリスト教


世俗化を目指す近代主義によって、キリスト教の歴史は意図的に歪められてきた。古代ギリシア思想の復興は、それを押しとどめてきた中世のカトリックを無知蒙昧と退け、カトリックを主敵とするプロテスタントからも批判を受ける。さらには、カトリック・キリスト教憎しがために、近代ヨーロッパの科学は、古代ギリシア文化のアラビア語訳を通して発展したという「神話」まで制作された。本書は、それらの誤解を解きほぐし、二項対立に陥らない歴史としてのキリスト教を描く。


七部構成

1:ギリシア・ローマ世界から生まれた宗教としてのキリスト教(第1章)

2:暗黒の中世の嘘(第2章)

3:政教分離と市民社会(第3章)

4:自由と民主主義(第4章)

5:資本主義と合理主義(第5章)

6:非キリスト教国の民主主義(第6章)

7:平和主義とキリスト教(第7章)

コメント
 興味深かったのは、俗説としてよく聞かれる「古代ギリシア文化は、キリスト教世界では失われて、イスラム世界でアラビア語訳で受け継がれ、ヨーロッパ人はアラビア語訳を通して、ギリシア文化を再発見した」というのは、たいへん疑わしい、ということをはっきりと指摘しているところです。

 本書によれば、キリスト教の修道院を通して、古代ギリシア文化の知の継承は行われ続けており、「頑迷で蒙昧なキリスト教徒」と「進取で寛容なイスラム世界」というのは神話にすぎない、と指摘されています。カトリック教会の教育研究機関たる「大学」の中での学問の自由がなければ、宗教改革も生まれなかったであろう、というのが本書の主張です。

 また、ではイスラム世界は、一般に言われるように税金さえ納めれば宗教の自由を認められた「寛容」な世界だったかといえば、そんなことはいえない、というのが確かなところらしい。

 例えば、アッバース朝に敗れて755年にイベリア半島に逃れてきた後期ウマイヤ朝のラフマーン三世の時代に古代世界の知の集積が進んだのは確かであるらしいのですが、それまでの君主たちのラテン語撲滅政策によって、キリスト教徒はアラビア風に改名を強制され、行政もアラビア語で統一されたというのです。つまりは、古代ギリシア・ローマ世界の文献が、アラビア語訳されたというのは、それ以外を使用してはならなかった、ということが前提にあったのでした。そうしたわけで、これらが行われる前には当然キリスト教側の不満が高まって暴動が起きますし、それに対する虐殺も行われたわけです。そして、それはイスラム・ユマニスムを体現したラフマーン三世の後継者たちにおいても、キリスト教やユダヤ教の信者に改宗か、追放か、死のみの選択をあたえ、すべてのキリスト教徒の投獄とユダヤ人の殺戮を決定したりもしているのでした。こうした行為は、西洋近代史の中では英雄のように扱われているスレイマン一世なども同様に、1535年にはチュニジアでユダヤ人の虐殺を行っているし、1554年にはアルメニアでイスラムへの改宗を拒んだキリスト教徒を虐殺していたそうです

 著者によれば、「キリスト教徒の愚かさや頑迷や残酷さの例はあちこちで何度も強調されているのに対して、イスラムの「寛容神話」の方は無批判に受け入れられている不均衡があることは明らかだ」(102頁)ということで、あえてイスラム世界の「不寛容さ」を指摘しているのですが、歴史的事象に関する美談は眉につばして聞く事が大事ということでしょう

 あとなかなか面白かったのは、政教分離に関するところで、イギリスにおけるカトリックと国教会の距離は今でも残っている例として、トニー・ブレアの夫人が熱心なカトリックで、ブレアは首相当時は国教である聖公会にとどまっていたが、引退してすぐにカトリックに改宗したということで、公職・顕職にある人間の帰属宗教は今でも政治的にはデリケートな問題であったとか。日本におけるキリスト教徒の割合は1%程度なのに、首相のキリスト教徒の比率は10%を超えると言われていますが、日本はその点、無頓着ですよね。

 それはともかくなかなか独特な語り口と視点の持ち方で、ぱっと見理解できないところはありますが、ざっと読む分には何か学ぶところもあるかと思います。

評価 ☆☆

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2016年11月 8日 (火)

中島隆信『これも経済学だ!』

点検読書240

ちくま新書(2006年8月10日)刊


経済学


経済学的思考とは何か。経済学は、希少なものに対する人間の欲望=インセンティブを対象とする学問である。この方法を利用することで、社会の中に存在する「なぜ」に対して、背後にある人間の動機を解明することで、合理的な解釈を考えることが可能である。本書は、通常は経済学が対象としない伝統文化や宗教、社会的弱者の戦略などの世の中の仕組みを経済学的に理解しようという試みである。


1:経済学的思考とは何か(第1章)

2:伝統文化の経済学(第2章)

3:宗教の社会学(第3章)

4:「弱者」とは何か(第4章)

5:経済学の魅力(第5章)

コメント
 レービットの『ヤバい経済学』の日本版のような作品。ただ『ヤバい経済学』の方が、さすがアメリカと言うか、視点や結論の意外性があったように思います。本書は、より社会に密接な分野を扱っているので、やや意外性にかけるところがあるかもしれませんし、相撲や宗教に対して関わりなく、興味もない人には、そういうものか、ぐらいの感想しか出ないかもしれません。
 本書を読んで腑に落ちたというか、思い出したのは、マクドナルドのエピソードです(31~33頁)。
 本書によれば、もともとのアメリカでマクドナルドと言えば、ジャンクフードでミドルクラス以上の人が年に何回も食べるものではなかったのに、日本に入ってきた時には、牛肉100%という売り込みで高級食として宣伝していました。それが、売上低迷のために、アメリカ同様の低価格路線に進み、下級材としての評価が定まり、主な顧客が低所得者になる一方で、高所得者は品質と安全にこだわるために離れていく上に、BSE問題等で追い打ちをかけられました。戦略の見直しとして、再び高級路線に転換しようとしても、すでに顧客層が変わってしまっていて、低所得者は高いものを買おうとしないし、高所得者はマック自体を食べようとしない。そうして売上が低迷し始めた、ということです。
 本書は2006年の刊行ですから、その後のさらなる高級路線の失敗と中国の工場の賞味期限切れの鶏肉問題とかでも同様の事態が起きたように思います。それはともかく、現在では「マックのくせに、高級路線なんて」という評価ですが、私の子供の頃など、たしかにマックはなかなか食べさせてもらえない外食の一つだったかもしれません。我が家が、あまり外食せずに、COOPとかを利用する健康・節約志向だったこともありましたが、それ以上にそれほどお腹いっぱいにならないにもかかわらず、ファミレス同様の価格帯だったことも影響があったようにも思うんですよね。一号店が銀座にできたというのにも、驚きですが、そうした時代は、もう戻ってこないのでしょうね

 あと興味を持ったのが、日本の仏教の問題なぜ日本の仏教僧は、宗教家として社会的役割を果たしていないのか本書によれば、徳川時代の寺請制度によって、菩提寺と檀家という密接な地域コミュニティが形成されたために、僧の方で新規の信者=顧客開拓を行なうインセンティブが働かなくなったから、というのです
 そうしてこうした関係は、近代国家となった明治時代になっても、僧侶の方の意識が変わらなかったのです。その上、僧侶の妻帯が許されるようになって、寺の世襲まで可能になると、今を維持できれば良い、という発想になりました。その間隙をついたのが、都会の新宗教です。つまり、明治になるとすべての人が名字を名乗るようになり、それまでの個人墓から先祖代々の墓へと再編されます。そうすると、先祖の墓は長男が守るものの、次男・三男は別の墓を作るようになります。こうして先祖の墓と縁が切れた人々が都会に集まってきたところに、新宗教の猛烈な信者獲得攻勢によって、信者が奪われた、ということになったのです
 ですから、仏教寺院というのは、一定の信者を確保できている上に世襲ですから、まずは現在いる檀家へのサービスに専念して、現状維持を図った方が得なのです。新規獲得へのインセンティブがないのです。しかも、今現在まで共同墓地ではなく、檀家として墓を維持している家は、ある程度の先祖の由来がはっきりしている家でしょうし、資産もある家でしょうから、安定した収入が見込めます。そうした意識が、馬鹿高い葬式費用や戒名の値段になっていくのですが、今後はどうなるのでしょうか。
 少子化や核家族化によって、ますます菩提寺に墓を持つ家は少なくなるでしょうし、安く葬式をあげてくれる僧侶も増えています。そうすると、これまでのあぐらをかいた経営だと、現状の顧客も離れていきますので、サービス合戦に参加するであろうし、また信者の新規獲得競争にも乗り出すかもしれません。もしかすると、今後、つくられた仏教ブームというのがやってくるかもしれませんね

評価 ☆☆

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2016年10月31日 (月)

佐藤伸行『ドナルド・トランプ』

点検読書239

副題は「劇画化するアメリカと世界の悪夢」。
文春新書(2016年8月20日)刊。


アメリカ


2016年のアメリカ大統領選の台風の目となったドナルド・トランプという人物は、一体何者なのか。本書は、彼のルーツ、不動産王としての経歴、結婚歴、政治姿勢などの個人史から、トランプ現象を生み出した背景としてのアメリカ社会の問題を紹介する。


6部構成

1:トランプとレーガン(序章)

2:トランプ家とドナルド・トランプのルーツ(第1~3章)

3:スキャンダラスな人生(第4~5章)

4;政治家トランプ(第6章)

5:怒れる白人と宗教(第7~9章)

6:外交姿勢と国際政治(第10章・あとがき)

コメント
 おそらくあと2週間もしたら、読む気にもならないであろうと思うと同時に願わざるを得ない水物としての人物紹介本です。

 現在のアメリカ・ミステリー小説を代表するジャック・カーリイの「カーソン・ライダーシリーズ」を読んでいると、何度か金持ちの象徴して「ドナルド・トランプ」という言葉が登場します。このシリーズが始まったのが、2004年の『百番目の男』なのですが、奇しくもその年に始まったのが、『アプレンティス』というテレビ番組で、その番組はドナルド・トランプが「実業家トランプ役」として登場していたのでした。番組の趣旨は、トランプのもとで働きたい希望者を集めてビジネスの課題を与えて、成績の悪い者をクビにするというものらしいのです。この番組は大変人気を博し、金持ち社長といえば「ドナルド・トランプ」というイメージが出来上がるほどで、それが小説の中でも語られているということでしょう
 このようにトランプとは、本業で一山当てて、その後はそのネームバリューでテレビタレントとして有名な人物というものだったようです。日本で言えば、『マネーの虎』に出演していた社長とか、別ジャンルでは料理人といえば『料理の鉄人』に出ていた人が政治的発言をして、さらには選挙に出たというところでしょうか。もっと端的にいえば、弁護士でタレントだった橋下徹さんみたいな人物とすれば、より分かりやすいでしょう。

 本書は、トランプ氏の移民政策への批判者としての政治姿勢とは裏腹に、ドイツからの移民三世としての姿から描きます。トランプ氏の祖父フレデリックは、ドイツの葡萄農園の子として生まれ、理容師の修行をしつつ、貧しさから抜け出すために、アメリカに入国します。しばらくは、理容師として生計を立てますが、まとまった資金ができると事業を始めます。その事業は、売春レストランで、ゴールドラッシュの時代には、金鉱を目指すのではなく、金を目当てに集まる男たちを商売の相手と見定めて、抜け目なく資産を築きます。その後、一度はドイツに帰国したものの、アメリカ移民の目的を徴兵逃れと疑われ、ドイツ帝国の国籍取得ができず、再度アメリカに渡り、失意のうちに死亡します(49歳)。
 フレデリックの長男のフレッドは、父に輪をかけたワーカホリックで、大工から住宅建設事業に乗り出し、労働者向けの住宅ビジネスで成功し、さらに大不況時にもニューディール政策の住宅建設援助を追い風に事業を拡大します。その一方で、彼は、KKKのメンバーであるというレイシストの側面もあり、逮捕歴もあるようです
 そのフレッドの次男が、ドナルドです。子供時代は、いじめっ子でガキ大将のスクールギャング。その無軌道ぶりに手を焼いた父親は、軍隊式の全寮制学校に入学させましたが、自ら鬼軍曹のように装い気に入らないやつに気合を入れたり、女子の立ち入りは禁止だったはずなのに、学校の許可をもらって、女の子がひっきりなしに訪ねてきたといいます。
 卒業後、フォーダム大学に入学し、二年後にはペンシルベニア大学の大学院ウォートン校で経営学を学びます。しかし、大学には馴染めず、大人しい学生という印象を残して卒業をしています。彼は、学業のかたわら父の仕事の手伝いをしていましたが、その内容は賃貸アパートの家賃取り立ての仕事でした。しかし、彼は、父のそうした堅実な商売に飽き足らず、マンハッタンのハドソン川沿いの再開発に乗じ、土地を購入して事業を展開し、ホテル建設など不動産ビジネスで成功を収めます。

 彼の政治経歴は、そのビジネスと連動しています。1983年にトランプ・タワーを完成させ、次なる話題の提供を考えていたトランプ氏は、1986年5月、ニューヨーク市長のエド・コッチに挑発的な手紙を送って大喧嘩を演出しました。それは1980年に閉鎖されたスケートリンク改修がいつまでたっても完成しないことを、市長の無能さに批判しつつ、自分が請け負えば、簡単にできあがる、と主張するものでした。これにコッチ市長は激怒して反論したのですが、世論はトランプに味方し、さらに市の財政負担なく請け負ったスケートリンク改修を86年中に終わらせるという神業を発揮しました。これによりトランプ人気は高まります。そして、それまで民主党員であったのに、民主党の市長であったエド・コッチと対立したために、共和党へと鞍替えしました。こうして時代の寵児となった41歳のトランプ氏は、1987年9月に『ワシントン・ポスト』、『ニューヨーク・タイムズ』、『ボストン・グローブ』に、日本と欧州の同盟国に安全保障の対価を求める内容の全面広告を発表しました。これにより、トランプ氏は大統領選挙に出馬する糸があるのではないか、と言われたのですが、実際に共和党の一部ではトランプを次期大統領候補にするという動きがあったそうです

 このように政治的にも活躍し始めたトランプ氏ですが、ここで注意すべきは、翌年にトランプ氏は、『トランプ自伝』を刊行し、自称400万部、少なくとも100万部のヒットに結びつけたことです。彼の政治的行動は、自分の名を売らんがためという目的があるといえるのです。それは2000年に改革党から大統領候補の氏名争いに名乗りを上げましたが、すぐに撤退しています。この時も“The America We Deserve”という本を出版し、有料のビジネスセミナーまで開いて、人を集めていたといいます。これが成功したというのは、最初に述べた『アプレンティス』という番組のレギュラー出演者となって人気者になったことでもわかるでしょう。そして、ついに今度は共和党の大統領候補にまで上り詰めてしまったのです。

 しかし、どうやら今回も当初は自身のナルシズムに基づく売名が目的であったようで、2016年のアメリカ大統領選挙の予備選の元スタッフによると、トランプ氏は、そもそも予備選二位を狙っていたというのです。それが、堂々たる候補者になってしまったところに、現在のアメリカの問題があるといえるでしょう。

 では、彼を引き上げていった要因とはなんであったでしょう。それは、アメリカがアメリカで亡くなったということであるらしいのです。つまり、アメリカは、アメリカ的価値観を外に押し付けて、世界をアメリカ化していたと思っていたら、アメリカ自体が世界化してしまって、アメリカという背骨がなくなってしまったのでした

 アメリカの背骨とは何かといえば、いわゆるWASPというアングロ・サクソン系のプロテスタントの白人男性というアメリカ建国時の中心的な人々です。それが、移民の増加によって、徐々にマイノリティに転落しそうになっている。しかも、教えられる歴史は、「アメリカは虐殺集団である白人人種主義者に発見され、有色の土着の民を殺し続け、アフリカ人を奴隷にして、いやがる労働に駆り立てた。それから白人人種主義者は国を出て世界中でその土地の人々に暴虐を加え、植民地にした」とされ、「同性愛者でない白人労働者の男は悪の根源」とみなされるようになってしまったというのです。

 かつて小室直樹は、日本の「自虐史観」を批判するのに、アメリカの歴史教育はアメリカの悪を描かない、何故なら歴史教育は「国民」を作るためであって、事実の探求をする「歴史研究」とは違う、と指摘していました。つまり、高校までの教育は、連帯の主体であり対象たる「アメリカ国民」を作ることに力点が置かれ、大学教育においてアメリカの旧悪を自ら追求するのがアメリカ人だと言っていたわけです。それが、最近では、日本同様に歴史教育において、「アメリカ国民」を作ることよりも、「事実の羅列」の方にシフトしたらしいのです(参照)。

 こうなると近年のアメリカの分断状況というものが何に原因を持つかわかるような気もします。もはや「アメリカ国民」が存在しない、つまり「国民国家」であることをやめたのでしょう。アメリカは、そもそもが移民国家で、多様な価値観や人種、社会層によって形成されていましたので、ただでさえ連帯を弱くする遠心力がかかっています。

 それをとどめていたのが、「アメリカ的」という中心的価値観と神話化した歴史でした。それが、否定されて「客観的な」歴史を教えられていけば、アメリカ人としてのアイデンティティよりも、それぞれのコミュニティのアイデンティティの方へ重心が移っていきます。さらには郊外化で地域的結びつきがなくなり、家族も多様化していっていますので、個人へと閉じこもっていかざるを得ません。

 そうした連帯感をない状態=アノミー化が進むことによって、不安になった人々が明らかに機会主義的で、リーダーになる気がないのに、過去の亡霊としての「アメリカ的価値」を標榜する人物に活路を見出してしまっているというのが、トランプ現象というものなのでしょう

 こうしてみると、我々日本人は、2000年前後に一度、こうした経験があったので、馴染みがあるような現象のような気もします。そう石原慎太郎さんを首相にしようという機運が、あの時期、最も強かったのでした。90年代後半は、まさに先に上げたアメリカの歴史よろしく「自虐史観」というものが問題となって、その修正こそが日本再生の第一歩だと思われていたのでした。こうした思潮が、社会党と連立してしまった自民党という戦後体制を象徴する保守政党への嫌気が差して、非自民の保守政治家・石原慎太郎氏への期待が高まったのでした。

 それを阻んだのが、靖国神社参拝という一点で保守派の心をつかんだ小泉純一郎首相でした。小泉首相は、もともと保守派がこだわる歴史観などには興味がない人物でしたが、非主流派が主流派に勝つための戦略としての靖国神社参拝が大きな役割を果たしました。つまり、既成の自民党という政党の中から反体制の保守派を取り込めるような偶像をつくることができたということで、日本社会の分断と急進化を防ぐことが可能となったのでした。やはり既成の体制を不安定にするのは中間層であり、中間層は保守的なのです。その保守的な中間層を周辺に追いやろうとすると急進化して、本人たちも思いもよらぬ方向へと進んでしまうのです。ですから、彼らを一定程度、満足させておくのが、政治の常道です。

 日本において「自虐史観」がなくなったとはいえませんが、多少は穏健化したようですし、保守勢力があまり問題にすることはなくなりました。彼らは、政治的に一定の満足があれば、社会問題に急進的な批判の目を向けないものです。そうした面から言うと、政権というのは、多少保守的な方が社会は安全なのかもしれません。丸山眞男も指摘するように、ファシズム運動は、社会が左傾化した時に現れるものなのです。

 そうすると、トランプが大統領にならないことを前提に、今後のトランプ現象を考えると(本人もなりたくないだろう)、ヒラリー・クリントン氏が経済政策等はオバマ政権を引き継いで左派的である一方で、社会的価値や安全保障で一気に右派的な価値観を持ち出すことが良いでしょう(もっとも安全保障の右派的価値観というのは実際に戦争をするのではなく、軍事力の強化によって、戦争を未然に防ぐというレーガン的な立場でやってもらいたいということですが)。

 これにより女性大統領ということで、再び不満が高まる「白人男性」の何らかの満足を与えることになり、2000年前後の石原ブーム後の小泉首相のごとく、2010年前後の橋下徹ブーム後の安倍晋三首相のごとく、エスタブリッシュメントの中で保守層を満足させて、社会不安を軽減する役割となるでしょう。それが「強いアメリカ」「正しいアメリカ」「誇るべきアメリカ」を復活させ、第二、第三のトランプの登場を再び数年遅らすことが可能になるのではないでしょうか。私はそのように願います。

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