ブログランキング

Amazonサーチ

無料ブログはココログ

政治学

2016年10月 3日 (月)

渡辺将人『アメリカ政治の壁』

点検読書237

副題は「利益と理念の狭間で」
岩波新書(2016年8月30日)刊


アメリカ――政治学


泡沫候補と見られていたドナルド・トランプ氏の大統領選挙での本選挙出馬に見られるように、アメリカ政治は混迷の度を深めている。その原因は、冷戦終結後の民主・共和両党の政策スタンス、理念の転換により、支持層が錯綜し始めたからである。本書は、その源流にまで立ち返って、現在の大統領選に至るまでの、トランプ氏の台頭とサンダース氏の健闘という新しい流れを位置づける。


4部構成

1:2016年のアメリカ大統領選挙の諸相(Ⅰ)

2:雇用・宗教による民主・共和の支持層の分裂(Ⅱ)

3:外交と世代交代(Ⅲ)

4:リベラルの系譜(Ⅳ)

コメント
 現在アメリカの源流は、フランクリン・ローズヴェルト政権にあったといえます。
 ローズヴェルトは、失業者の救済、経済の復興、改革を三つの柱としたニューディール政策を掲げ、従来の民主党の支持者であった南部白人、カトリック信徒に加え、都市の移民、労働者層、アフリカ系の人々にまで支持を拡大しました。本書が、依拠するアメリカ政治を専門としていた砂田一郎によると、ローズヴェルト政権は、「理念」ではなく「利益」で大多数の支持層をつなぎとめていたということです。

 こうした路線は、リンドン・ジョンソン政権の「偉大な世界」という福祉制度の充実にまで続いていくわけですが、同時期のベトナム戦争への反対運動や黒人差別の撤廃を訴えた公民権運動、またフェミニズム運動への対応により変化します。民主党は支持層を反戦運動家やアフリカ系、フェミニストへと拡大の手を伸ばそうとしたのですが、これがかえって従来の支持層であった南部白人、カトリック教徒、そして一部の労働者層の離反を招くことになります。

 アフリカ系有権者の拡大のために、これまで差別に手を染めていた南部白人層が民主党から離れて、共和党へと移行するのは分かりやすいです。では、労働者層は、というと、一部の労働者は軍需産業に職を得ている人がいるのです。そうすると反戦による戦争の縮小は、彼らの職を奪うことになります。ベトナム戦争の性質そのものや外交の手段としての戦争をするかしないかには、議論があります。現に戦争を取りやめたのは、共和党のニクソン政権でした。しかし、原理的な反戦平和主義を取り入れると、防衛予算の縮小による軍需産業の低迷を招くことになりかねませんので、彼らにとって不利となります。ですから、戦争への支持・不支持そのものよりも反戦平和主義へとウィングを拡げることが、一部の労働者層には不満があるのです。そうした理由か、例えば民主党のクリントン政権などで定期的に空爆など小規模戦争をしたのも、労働者層の支持をつなぎとめるためとも言えるかもしれません。しかし、オバマ政権になると、そうした「利益」政治よりも平和主義という「理念」を優先して、できる限りの戦争を避ける外交政策をとったために、労働者層からの離反があったと言えるでしょう。これが、サンダース氏やトランプ氏に期待が集まった理由の一つかもしれません。これを見ても、アメリカが戦争経済にどっぷり浸かってしまっているといえるでしょう。

 では、カトリックの離反はと言うと、フェミニズム運動の課題の一つに、中絶の権利の獲得がありました。カトリックとしては、これを容認するわけにはいかないという事情がありました。カトリックは、平和、貧困、公民権などではリベラル勢力に協力できました。しかし、彼らは、避妊も認めない立場であるし、お腹にできた子供はその瞬間から「生命」と考えていますので、それを「殺害」する中絶は容認できません。

 本書を読んで勉強になったのは、人工中絶反対が、何故こんなにもアメリカで大きな問題になるかというと、単に宗教問題ではなく、モラルの問題でもある、ということなのだそうです。つまり、中絶問題は、貧困や強姦などの事件や母体の安全などを理由とする望まない妊娠への措置ではなく、急進的なフェミニズムの側(プロチョイス派)の「性を楽しむ権利」の是非に関わってくるということです。病気というリスクを考えなければ、性交渉において、リスクを負うのは女性となります。妊娠期間は、辛いし、生むのも痛いし、産んだ時にその相手の男はいなくなっているかもしれません。そうしたリスクを軽減するためにも、中絶を罪ではない、という考え方を広めるためにも、中絶は法的に認められなければならない。こういう主張です。そうすると、性の快楽のために、生れた生命を弄ぶということで、普通の人にも中絶反対の訴求力があるというのです。正直な急進派が、中間派を反対に追いやって改革を邪魔する好例がここにあるわけです。

 あともう一点、興味深かったのは、マイケル・ムーア監督の『ボーリング・フォー・コロンバイン』や『シッコ』に見られる諸外国との比較という手法をアメリカ人は受け入れない、ということです。我々日本人は、「○○では~」と諸外国の例を取り上げて、日本の「遅れ」や「異常性」を訴えることで、改革への支持を獲得しようとします。しかし、アメリカ人は、外国を例に挙げられてアメリカン・ウェイを批判するという手法を嫌がります。あくまで「アメリカのために良いこと」という方法で説得しなければならず、「○○並に」というような主張は禁句だそうです。やはりアメリカ人は世界の中心なのです。

 これらにとどまらず、現在のアメリカは民主・共和の両党の支持層が錯綜した困難にあるというのが本書のメッセージです。その点で、右派的なイデオロギーの「理念」を掲げつつも、左派的な「利益」政治を主張するトランプ氏は、彼がかつての民主党員であったという経歴からも、新しいのではなく、過去のアメリカが我々の前に現われている、と言えるでしょう。そうした意味でも、今回のアメリカ大統領選挙を見守るのに良い手引になる本だと思います。

評価 ☆☆

よろしければクリックお願いします。


本・書籍 ブログランキングへ
にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ
にほんブログ村

2016年9月 3日 (土)

森政稔『迷走する民主主義』

点検読書229

ちくま新書(2016年3月10日)刊


政治学――日本政治


現代の世界的変動の中でデモクラシーが直面する困難を背景に、失敗に終わった政権交代とその後の政治における安倍政権の独走状態の現代日本における民主主義の意義と限界を思想的に問いなおす。


3部構成

1:現代民主主義の苦況(第1~3章)

2:戦後日本の政治と政権交代(第4~7章)

3:民主主義の思想的条件(第8~10章)

コメント
 本書は、変動する現代の世界において民主主義が直面する問題について考察する第Ⅰ部や現在の民主主義が課題とする問題は何かを問う第Ⅲ部などが、現在の民主主義思想のあり方や見通しを政治思想史、政治哲学的研究成果を盛り込んで解説してくれている点で、民主主義を概観するのに便利な本です。

 しかし、圧倒的なボリュームで語られる第Ⅱ部の政権交代と日本の民主主義に関する箇所が、面白かったです。
 著者は、現在の安倍政権を「暴走」と呼ぶように、この政権に対して良い印象を持っていません。ですから、安倍政権がなぜ支持され続けているのか、またその支持の源泉である経済政策についての考えに誤解があるように思えます。しかし、だからといって民主党政権を擁護するかといえば、そうではなく、徹底的に批判しています。
 とりわけ著者が力を入れて批判しているのが、運輸行政でした。つまり、民主党政権が行った高速道路無料化政策によって、自動車に比べてCO2排出量の少ない船舶や鉄道貨物などの業界に打撃を与えて、環境負荷の小さい手段へと輸送を移行させる「モーダルシフト」を逆行させた、というのです。これは、民主党政権が掲げていたCO2削減政策とも矛盾しますし、政策の整合性がチグハグだというのです。
 また、震災後、被災地救援の名目で行われた東北地方の自動車道無料化政策でも、同様のチグハグさがあったそうです。この場合、北関東以北のインターチェンジを使用すれば、あらゆる車が無料となったため、九州から首都圏へ向かうトラックが茨城県のICまで行って東京方面にUターンするということが頻発しました。それは、税金の無駄遣い、CO2の排出増加、茨城のIC付近ではトラックが激増して、子供の登下校に危険だという批判があって、見直されたということがあったそうです
 こうした運輸行政に見られるように一事が万事、民主党政権は、経済観念や想像力の著しい欠如の下で、壮大な「社会実験」をして失敗したというのです。
 本書は、戦後の日本政治も振り返りつつ、強いリーダーシップが発揮できない政治システムから政治的統合を強める政治改革を行った結果、首相はかなり強力な権力を獲得するようになったものの、その使い方が以上のように行き当たりばったりになると大変な失敗をもたらすということに、現代民主主義の危機を持っているのです
 著者の立場からすると、次々と民主党政権とは別の意味で、「戦後政治」と決別しようとしている安倍政権の行動を可能にしているのも、こうした政治改革の結果である、といいます。私は、現在の安倍政権をそれほど危険な政権とは思っていないので、やっと丸山眞男以来の戦後の政治学が目指してきた政治的統合がなされて、首相のリーダーシップと責任が明確な政治体制ができて、日本の民主主義は安倍政権によって強化された、と思っていますので、そうした危機感は共有できていません。しかし、安倍政権が何らかの理由で転倒して政権が崩壊して、また民主党的な政権ができるとなると、それはそれで心配である、ともいえます。もっとも、そこでも有権者の決断がその数年を決めるという責任意識が生まれることは良いことだとも思っているので、それは民主主義のコストとして受け入れていくしかないのでしょう。気に入らない政権ができて、それを民主主義の「迷走」と評してしまうのは、全く無意味な論評でしょうし
 それはともかくとして、思いの外、見逃していた民主党政権とは、何だったんか、また「戦後政治」の決別という点で、民主党政権と安倍政権は表裏一体であったことを思い出させてくれて、良書だと思いました。

評価 ☆☆☆

よろしければクリックお願いします。


本・書籍 ブログランキングへ

2016年8月18日 (木)

成沢光『政治のことば』

点検読書218

副題は「意味の歴史をめぐって」
講談社学術文庫(2012年8月9日)刊
原著は、平凡社(1984年)


政治学――日本政治思想史


日本史の中の基本的な語を選んで、それらが文献に現れた用法上、どのような特質をもっているか、他の語との意味連関や語義の異動および、それらの変化を手がかりとして日本における政治意識の諸側面を歴史的に明らかにする。


四部構成

1:古代政治のことば。

2:古代・中世の国際関係のことば。

3:近世都市社会のことば。

4:近代政治の権利と統治。

コメント
 本書は、タイトルが「政治の言葉」ではなく、「政治のことば」とあるように、日本語=和語に注目して、日本における政治的語彙の特質を明らかにしています。
 例えば、「ヲサム」という言葉は、あるべき静態的秩序を前提として、ある対象をあるべき場所へ落ち着かせることを意味している、と指摘されています。亡骸を墓にヲサメるし、収穫物を蔵へヲサメるのです。そして、政治秩序においても、君主が土地・人民をヲサメるのであるし、人民は税をヲサメるのです。
 最後の例で見られるように、日本の支配―従属関係において、モノ、コトバ、行為が授受される時、支配者の行為と被支配者の行為とに共通の言葉が用いられているように、両者は依存関係にあることが分かります。同じことばの互酬関係によって、両者の関係が成立しているのです。一方的に、治めるのでなければ、納めるわけでもないのです。これは、いわゆる君民共治の国柄を表しているといえますが、逆に言うと責任主体の曖昧化がことばの上でも表れているといえるでしょう。
 こうした日本の政治構造を特徴づけるものとして、「マツリゴト」があります。この「マツリゴト」は、「祭事」と「政事」とで同じ漢字を当てることで祭政一致というような考えが出ていますが、本書を読むとどうもそうとも言えないようです。というのも、天皇は「マツリゴト」=「政」ということばの主体ではあるのですが、律令制以後において実際に執行する「マツリゴトヒト」は三等官以下の判官を意味することばであったといいます。そして、古代において「マツリゴト」ということばが当てられた漢字に「機」ということばがあり、これは「ハカリゴト」とも当てられています。この「機」=「マツリゴト」=「ハカリゴト」の場合は、君主の側近くで「謀」を司る者という意味合いがもたれるのです。
 こうなると「マツリゴト」も、天皇が主体でありつつ、天皇のために「ハカリゴト」をする側近が主体である「マツリゴト」でもあり、人民への直接支配と天皇のための「奉仕」を意味する「マツリゴト」をする下級役人が主体でもあります。そしてまた、天皇自身も領土・人民に対して「マツリゴト」すると同時に、神に対して「マツリゴト」=「祭祀」を行ってもいます。こうなると、先ほどの「ヲサム」が、互酬関係にあるのと同じで、その責任主体が曖昧です。
 天皇は全体を治めているようで、その方策を立てるのは側近で、実際に行なうのは下級役人です。何か問題が起きた時に、天皇は、臣下の進言を受け入れただけだし、側近は提案しただけだし、下級役人は実行しただけです。そして、そうした行為のすべてを同じことばで表すことで、行為主体を曖昧にする。いかにも日本の政治構造らしい姿が、ことばの上でも確認できたというわけです。
 本書はまた、「権利」ということばの「権」には「イキホヒ」という「力」というかエネルギーのようなものイメージさせる用法があったそうです。そのために、西洋語のrightなどにあった「正義」というような意味合いが抜け落ちてしまって、自らの自由・身体・財産等を守り、またそれを行なう基盤となるようなもの、「力」の印象が強くなってしまったというのです。そのために、権利には、好き放題行なうという印象が強くなり、それを抑制する義務が伴うべき、という考えが定着してしまったという指摘は、興味深いものです。果たして、西洋語のrightの方に、自らの生命を含む所有物を守る能力とともに、わざわざ義務を言うまでもなく、その適切な使用が含まれているか、分かりかねますが、知識として持っていた方が良いもののように思います。
 本書は、以上のように、ことばというものが我々のものの見方に影響を与えているという考えのもとに、日本における政治意識の原点をことばのうちに探りだすという、興味深い内容になっています。本書を読むことによって、一段深い政治への見方ができるかもしれません。

評価 ☆☆☆☆

よろしければクリックお願いします。


本・書籍 ブログランキングへ

2016年6月11日 (土)

牧原出『「安倍一強」の謎』

点検読書207

朝日新書(2016年5月30日)刊


日本政治

アベノミクスや安保法制など個々の政策には反対も多いのに、内閣支持率は低下しない。さらに閣僚の辞任や自民党議員の醜聞や失言が相次ぐなど、盤石とも言えないのに、長期政権を予想されている。この「安倍一強」という状態の理由を一つ一つ解き明かし、与党から野党に転落して再度、与党になった自民党が、政権交代のサイクルを回し始めていることを明らかにする。


五部構成

1:政権交代で何が変わったのか(序章、第1章)

2:菅義偉官房長官と官邸強化(第2章)

3:安保法制をめぐる混迷(第3章)

4:2014年の総選挙とは何であったか(第4章)

5:将来の政権交代のモデルとは(第5章、終章)

コメント
 安倍首相の国会答弁について注目されるのは、感情が高まって根拠のない発言や野次を飛ばしたりしてしまった時や、周囲が「安倍カラー」と考えている右派的な言論をした時に限られています。しかし、国会中継などを見ていると、とくに問題とならない場合には、恐ろしいほど舌が回り、立て板に水の答弁で、他の政治家を圧倒しているようにも思えます。つまり、他の政治家に比べて、政策や法案の理解が深く、自分のものとしていると思わせるものがあるのです。
 しかし、そうした安倍首相は、つまらない。
 我々国民というか、メディアの多くが期待しているのは、感情的になったり、独りよがりな復古調の言論を述べたり、ひ弱な三代目というようなブレた発言なのでしょう。現にそうした発言もあるのです。本書も基本的には、そうした姿勢です。使う資料が国会議事録ではなく新聞なのですから当然といえば当然です。ですから、案に相違して安定的な国会答弁をしていることが多いから、安定政権になっていると考えるよりも、これほど失言があるのに、なぜ「安倍一強」かという問いの立て方がされます。
 そして、本書を読んでこれが氷解するかといえば、全くしないという印象を受けます。今後学ぶべき政権交代のモデルケースとして、安倍政権を考えるという点では成功しているような気もします。いつでも国民の支持が失われるかもしれないという緊張感、否定ではなく一部を引き継ぎいながらの新政権発足と政権運営、官邸機能の強化、政権の成果をデータとして示して行なう選挙スタイル、首相発言のコントロールや新規政策を順次提示していく手法などが明らかにされています。これらが、今後、野党が真摯に学んで次の政権交代のモデルとすべきだ、という提案は最もだと感じます。
 しかし、ではなぜ現行の「安倍一強」状況が続いているか、となると本書がそれに答えてくれているかというと微妙な感じがします。理解できそうなのは、菅義偉官房長官がつくり上げた官邸と内閣官房の組織化といったところで、菅官房長官が去った場合は機能しなくなるかもしれないのが、安倍政権最大の弱点だと述べるところは、うなずけます。メディアが、安倍首相と菅官房長官との不仲を強調したがるのは、そういうところかもしれない、と思います。
 その一方で、著者は、安倍政権成功の秘密の一つに、民主党の「最大の成果」である「社会保障と税の一体化」の三党合意を引き継いだことがあると述べていますが(67、249頁)、これは安倍政権最大の足枷ではないだろうか、と理解していた私としては不思議な印象しかないのです。その点で考えますと、本書は経済政策について何の言及がないのです。
 安倍政権が、支持率が高く、「安倍一強」なのは、結局のところ、経済政策がまぁまぁ上手くいっていて、多くの国民が満足はしていないけれど不満がない、という状態になっているからでしょう。そして、更に言ってしまえば、安倍首相以外に現行の経済政策を継承する人がいない、ということも「一強」の原因でしょう。安倍首相が、退陣すると現在の金融緩和路線が途絶えてしまう可能性が高いのです。
 それは、安倍首相が総裁に選出された自民党総裁選にあらわれていました。彼以外に一人としてリフレ派はいませんでしたし、有力候補の石破茂さんなどは懐疑派だったのです。そして、現在の有力政治家に「アベノミクス」の継承を考えていそうなのは、菅官房長官ぐらいなもので、安倍首相が失脚すると経済政策が変わってしまうのです。しかも、消費増税を止められたのも、安倍首相だけでしょう。2012年の総選挙の際に、知人から聞いた話ですが、地方のオバサンは安倍さんが首相になれば、消費増税を止めてくれる、と言っていたというのです(その知人は、バカにしたような文脈で述べていたのですが)。
 振り返ってみても、安倍首相が復権したのも、「増税によらない復興財源を提案する議員連盟」の会長に就任したからで、安倍首相は復興増税はもちろんのこと、消費増税にも慎重な態度を持っていたのでした。しかし、野田内閣と谷垣自民党と公明党による三党合意で消費増税が決まり、採決が行われた際に、安倍首相は賛成票を投じてしまっているのです。その足枷が、この数年の経済停滞です。そうした点に言及せずに、「社会保障と税の一体化」の継承が成功の素となってしまうと、それは評価としてどうなのか、という印象を持ってしまします。
 もっとも、政治学者でリフレ派の考え方を理解して、それに賛成の人をほとんど見たことがない、というのも気になるところです。管見の限りでは、『週刊読書人』2015年12月18日号で、苅部直氏が若田部昌澄『ネオアベノミクスの論点』に言及しているくらいでしょうか。
 政治学者への経済政策への無関心というのも気になりますが、本書で第一次安倍政権の問題点として、専門学者や官僚を信用せずに「アマチュアリズム」に好意を抱いていた点が失敗の素だという言及があります(131頁)。著者もリフレ派の言及しないのは、リフレ派というものが「アマチュアリズム」であると理解しているからかもしれません。現在の日銀副総裁や審議員の「博士課程単位取得退学」と書くべきところを「博士課程修了」と書かれていて問題になりましたが、リフレ派に博士号取得者が少ないという点で、外部から見ると「アマチュアリズム」に見えなくもないのです。もっともその点が、安倍首相の好みにあったところかもしれません。どうせリフレ派に興味がなく、安倍政権の危うさを指摘したいのなら、リフレ派を「アマチュアリズム」として言及した方がすっきりするかもしれません。その「アマチュアリズム」が成功を収めて、主流派の構造改革主義・増税主義が失敗に終わっているという現状に、日本の経済学者や政治学者の問題点がより浮き彫りになるような気がるのが微妙な気分です。
 そうした問題点が本書にはあります。また、出版を急いだのか、意味がよく伝わらない箇所や誤植も目立ちます(「あとがき」の「社会学を専門とする筆者」とか。「社会科学」?)。しかし、政治学者・行政学者の考える安倍政権論としては、読んでも無駄ではないかな、とは思います。もっとも、タイトルの「謎」は大して解けないように思えます。

評価 ☆☆

よろしければクリックお願いします。


本・書籍 ブログランキングへ

2016年6月 3日 (金)

なぜ「選挙に行きましょう」と言われるのか?

 通常国会も終わり、来月7月10日に予定されている参議院選挙へと政界は動き始めています。

 今回の選挙は、一人区32選挙区で野党統一候補が成立し、安倍政権VSアンチ安倍政権の戦いという様相を呈しています。これまでの選挙では、野党共闘が成立すれば、野党の躍進、成立しないで分裂していれば、与党の地滑り的勝利というのが選挙の傾向でした。
 普通に考えれば、安倍政権危うしというところですが、共同通信社の世論調査によると政権の支持率が55%前後で、政党支持率が自民党44・4%、公明党が2・5%で合計46・9%であるのに対し、民進党は8・7%、共産党は3・5%、社民党が0・8%、生活の党は0・5%で野党共闘グループが合計13・5%となっています(参照)。もっとも、信任投票の意味合いを持つ参議院選挙に向けて、選挙を意識しての世論調査となると政権に厳しくなっていきますので、このような数字が残っているとは思えません。現にたった数日後の調査ですら、内閣支持率は49%に下がっています(参照)。
 そして、今回の選挙の特徴は、18歳以上の国民が有権者となったというわけで、若者の票というものが比率として上がったことになります。
 このように若者が新たに有権者になったということもあって、今後、マスメディアを通じて、「選挙に行こう」というメッセージを受けることが今まで以上に増えるのかと思います。また国や自治体の選挙管理委員会などでも、選挙の啓発費という名目で、億単位の税金が使われています。果たして、必要なことなのでしょうか。
 そのことを考える前に、まずは選挙に行く、行かないということの政治学のモデルを紹介します。

R=P×B-C+D

→R>0:投票に行く

 これは、アメリカの政治学者ウィリアム・ライカーとその門下生ピーター・オードシュックが1968年に発表した公式です。
 意味は、それぞれ以下のとおり。

R=reward     報酬     有権者の利益
P=possibility    見込み    有権者の投票が選挙結果に与える見込み
B=benefit     利益     政党の公約による自分が受ける具体的・心理的利益
C=cost      費用     投票所が近い。天気が良い。用事がない。
D=duty      義務感    投票することで民主主義体制を維持することへの義務感

 先ほどの公式に、有権者のそれぞれの事情を勘案して数字を入れて、計算した結果、Rが0以上であれば投票に行き、0以下ならば投票に行かない、ということになります。
 具体的に考えてみましょう。

 例えば、接戦が繰りひろげられる選挙区で、業界団体や労働組合には加入しておらず、投票日に用事がなく、政治にあまり関心がない有権者の場合。

10×1-5+2=3 → 投票に行く

 上記の式の内訳は、次の通り。
 選挙が接戦である場合、自分の一票が勝敗を決める可能性があり、いつもならば単なる一票にすぎないが、今回は重みもあるし、参加することが面白そうということで「10」。政治にとくに関心はなく、どこの党・候補者が代表になっても自分の生活に何ら影響はないと思っているということで「1」。とくに用事もないので暇つぶしに選挙に行くのも良いと思っているので「5」。そもそも政治にあまり関心がないので、民主主義体制の価値や維持(democratic value)に関心がないので「2」。
 こうした政治にあまり関心がない有権者も、接戦が伝えられて、暇なら投票に行くと考えられます。

 もう一例。支持する候補者が圧勝の見込みで、当日、数カ月前から約束していた用事があるものの、無党派層であるものの政治にそこそこ関心のある有権者の場合。

1×3-10+5=-2 → 投票に行かない

 内訳は次の通り。支持する候補が圧勝と伝えられているので自分が投票しなくても結果がわかっているので「1」。無党派層なので受ける利益が特にあるわけではないということで「3」。絶対に外せない用事があるので「10」。そこそこ政治に関心があるので選挙に行かなくてはという義務感は多少あるので「5」。
 こうしたとくに色のない普通の有権者の場合、投票するつもりの候補者の圧勝が伝えられて、当日、用事があれば、選挙には行きません。
 ライカーとオードシュックの公式とは、こうしたものです。この式で、重要性があるのは、接戦か否かのP=見込みと投票に行くことが正しい市民であるというD=義務感、次点としてC=コストであると思います。近年では、期日前投票が導入されて、Cは急激に下がってきていますが、期日前投票は、近所の投票所ではなく、市役所などに行かなくてはなりません。そうするとこのCの問題は依然として大きな問題です。最後のB=利益というのは、各党がかかげる公約によって受ける利益ということですが、公共事業に頼る建設業界やイデオロギー的に確固とした信念がある人以外には、あまり重要さはありません。あくまで、普通の人を対象に考えていくと、重要なのはPとD、そしてCであると思うわけです。 

さて、重要なポイントのPですが、よっぽどのことがない限り、接戦というか、自分の一票が勝敗を決めるということはありません。接戦と言っても数百票差です。たかだか一票で何ができるでしょうか。合理的に考えれば、選挙になど行く必要がないのです。選挙に行く効用よりも、自分の趣味や仕事にその時間―たった30分であっても―を自分のために使った方が満足が高いに決まっています。
 こうしたPの数値の低さに打ち勝って、投票に行かせるのがCになります。先程も述べたように期日前投票の導入によって、当日の用事や天気によって、投票に行かないという選択肢は少なくなりつつありますが、結局、家から遠い市役所まで行かなければなりませんので、かえってコストがかかります。では、このコストを解消するために、投票を自宅でするようにしたら、どうでしょうか。
 実際に、投票率が下がりつつあったスイスで、郵便で投票用紙が送られて、それに書き込んで返送するという方式が採られたそうです。その結果、世界で有数の高投票率国であったスイスの投票率は、かえって下がってしまったというのです。とりわけ、小さな州や小規模な地域社会で下がったといいます。急激に投票コストが下がったというのに、これは何故か。
 答えは、上の公式のDにあるようです。
 すなわち、善良な市民は投票に行くものだという強い社会規範があるために、我々は投票に行くのだ、と考えられるのです。投票をする際に、投票所に行くしか方法がない場合、我々は投票所に足を運ぶことによって、投票をする有権者としての姿を地域社会の人に見せる効果があります。このように見られるということによって、社会規範を守る善良な市民との自己規定をより強固なものとするのです。しかし、それが郵送やインターネットによる投票となると、投票する姿を人に見せるということがなくなります。そうすると、投票をして良き市民としての自分を人に見てもらうというインセンティブが働かなくなってしまうというのです。コストを下げて、見られるという機会を失わせることは、投票率を下げるということになります。
 こうしたことを考えると、人々に投票に行かせるということで、もっとも重要なことは、投票に行くことは、善良な市民として当然のことであるとい社会規範を強く言い続けなければならないということになります。ほとんどの場合は、接戦などということはないのですから、合理的に考えれば、投票に行くことは自分の他の効用をトレードオフしてまでも効用を得るようなものではありません。しかし、そこに善良な市民としての満足感というものが、強く感じさせるような社会規範があれば、効用が高まります。業界団体でもイデオロギー色の強いわけでもない一般の有権者を動かすには、それしかないのです。
 以上のように、普通の人が合理的考えて、投票に行くというのは、選挙が接戦であるとか、エンターテイメントとして面白い時だけとなります。そうした楽しみがなくても、投票に行くというのは、有権者としての義務感にあるわけです。つまり、「選挙に行こう」というキャンペーンに意味はあるのか、という疑問に関しては、大いにある、と言えるでしょう。こうした規範を粘り強く言い続けなければ、普通の人は選挙に行かなくなるのです。そして、もし人々が合理的に考えて投票に行かなくなると、業界団体やイデオロギー色の強い人の票しか議席に反映されませんから、一般の国民にとって、望ましい状態ではなくなってしまう、ということになります。
 かように民主主義体制を維持するという義務感=Dは、考えている以上に必要なものなのだということです。

よろしければクリックお願いします。


人気ブログランキングへ

上記の内容は、以下の本を参照のこと。

2016年4月 8日 (金)

御厨貴『知の格闘』

点検読書164

ちくま新書(2014年)刊。
副題は「掟破りの政治学講義」。


政治学


日本政治史の研究者であり、TBS『時事放談』の司会でも知られる著者の東京大学における最終講義集。それぞれのテーマに付き、著者の研究姿勢とこれまでの仕事、そして先輩研究者や取材対象のウラ話まで縦横無尽に語り尽くす。


六部構成

1:オーラル・ヒストリー(ゲスト:牧原出)

2:行政の内部、様々な審議会の裏話(ゲスト:飯尾潤)

3:近代日本政治史の研究(ゲスト:五百旗頭薫)

4:建築と政治(ゲスト:隈研吾)

5:時評と書評(ゲスト:苅部直)

6:メディアと政治(ゲスト:池内恵)

コメント
 著者の最終講義ということで、近代日本の政治史やオーラル・ヒストリーの研究者、テレビ司会者、様々な審議会の委員、新聞書評の内幕などを語っています。

 しかし、何と言っても面白いのは、政治家ウラ話でしょう。

 小泉純一郎元首相のオーラル・ヒストリーはできない
 いわゆる「靖国懇」といわれた靖国神社の代替施設を検討する懇談会の後に、委員の一人であった上坂冬子が小泉首相と話したいとのことで席を設けました。すると、小泉首相は、映画のドラキュラと人肉食の話しかしない。その場をとりなそうと、山崎正和氏がドラキュラ映画の文化史的意義を述べると、

いやいや、そんなことは関係ねえんだよ、山崎さん。ただ単にドラキュラが若い女の首筋にグッと歯を立てるところ、あれが面白いから言ってるだけでさ、文化とか何とか関係ねえよ」(50頁)

 で、人肉食の方も、山崎氏が「カニバリズムは~」とか言い出すと、

何とかリズムとかそんな話じゃない。人肉を食うってすげえよな」(同) 

 こんな調子だったというのです。
 著者に言わせると、「ああ、この人は自分に関係のないことは受け付けないし、記憶もしないんだ。だからあれだけ元気なんだ、ということがよくわかりました。たぐいまれなる政治家だとは思いますが、この人からオーラル・ヒストリーを取るのは非情に難しい。というわけで、私はあまりやりたくないと言っています。」(52頁)

 何となく、納得できます。周囲にいた人の証言などを聞くと、本当に郵政民営化のこと以外は無関心でダラッとしてるけど、郵政の話になるとシャッキとするとか、オフレコだとずっと猥談しかしないとか言われてました。これなら著者の小泉論の名前が『ニヒリズムの宰相』だというのもうなずけます。また、政界において彼が孤立していたのも当然でしょう。エリートの集まる政界でこんな人物がいたら、誰も相手にしたくはなくなりますわね。しかし、そうした人物が大衆に受けて平成を代表する大宰相の一人になったというのが皮肉なものです。
 この「靖国懇」がらみでの裏話だと、この懇談会で唯一代替施設はいらないと主張していたものの、途中で急逝した坂本多加雄の発言を採取して報告書に載せたということに、官房長官の福田康夫氏の気配りがあったというのです(76頁)。福田元首相の考えからすると、坂本委員の意見というのは相容れるものではなかったであろうが、それを尊重するという姿勢は彼の美点でしょう。ある人が、福田氏に自分の書いた本をわたしたところ、その辺に置いといてくれ、というような態度を示されたそうですが、しばらくしてから丁寧な読後の感想を書いてよこしたというエピソードがあるそうです。物書きとしては、これ以上にない喜ばせ方をするのですが、最初の対応だけをみると非情に冷たい人に見えてしまいます。この靖国懇のエピソードも福田氏らしいエピソードかなと思います。

 もう一点。
 後藤田正晴、恐るべし

 後藤田正晴のオーラル・ヒストリーでここだけは書いてくれるなと言われた箇所が二つあったとか。まず一つ目は何かというと菅直人氏に関することです。

「「菅直人だけは絶対に総理大臣にしてはいかん」と言いました。ちょうど彼が厚生大臣になってスターになっていたときです。「あれは運動家だから統治ということはわからない。あれを総理にしたら日本は滅びるで」と言ったわけです。」/「そのまま載せます」と言ったら、「あそこは削りたい」「どうしてですか」「やっぱりまずい。自社さの内閣ができているときにスターをけなしたとなると問題があるから、これだけは削らせてくれ」と言われました。「それなら、『これだけは削らせてくれ』と後藤田さんが言っていたということを話してもいいですか」と聞いたら、「それはまずいけど、うっかりしゃべっちまったらわからないよな」と言われたので、私はその後ずっとしゃべっています」(61頁)

 我々は、すでに菅直人総理を経験しているわけで、それがどういう結果だたかは分かるわけです。さすがに日本は滅びなかったわけですが、史上最悪の首相の一人として記憶される人物です。しかし、90年代の後半における菅直人はスターだったんですよね。著書の『大臣』はベストセラーで、それを読んだ大学の知人は、「菅直人を総理大臣にしたい、と思った」と今から考えると恥ずかしい発言をしていたことを思い出します。
 もう一点は、公明党に関すること。

やっぱり危ないと思うのは共産党と公明党だ。この国への忠誠心がない政党は危ない。共産党は前から徹底的にマークしているからいいが、公明党はちょっと危ないよな」。それをそのまま書いたら、これもまずいと返ってきた。「もしかすると自民は公明と一緒に何かするかもしれない。その際に後藤田がつまらないことをいったということが残るとまずい。これだけは俺が死ぬまでは絶対に吹聴してもいけないよ」と言われましたので、ずっと言わずに来ましたが、最近はしゃべっています。」(62頁)

 これも90年代後半にインタビューしたもので、『情と理』は98年に出版されています。翌年の99年から小渕恵三内閣で自自公連立政権が成立していますから、まぁ、言わんでよかったな、という感じですが、その「危ない」政党が政権に入って、すでに十数年経っていて、自民党はもはや逃れられない関係となり、また二大政党のもう片方の民進党が共産党と選挙協力をしようとしているとなると、「国家に忠誠心のない二政党」が両睨みで政権を争っているという恐ろしい時代が現代だといえます。
 また後藤田は政界引退後、左翼的言論になびいていったが、それが他の政治家のロールモデルとなったと著者は指摘しています。このあたりも納得できますな。野中広務さん、古賀誠さん、河野洋平さんなどが『世界』や『赤旗』に出ているのを見ると、後藤田さんも罪な役割を果たしたものだと思います。

よろしければクリックお願いします。


本・書籍 ブログランキングへ

2016年2月 8日 (月)

待鳥聡史『代議制民主主義』(中公新書、2015年)

点検読書120

副題は「「民意」と「政治家」を問い直す」。


政治学


有権者、政治家、官僚の委任と責任との連鎖を制度化した代議制民主主義。しかし、現在、その機能が十分に効果をあげられていないことが問題視されている。本書は、自由主義と民主主義の要素の均衡の下に成立している代議制民主主義を見直す試み。


六部構成
1:民主主義的視点からの代議制民主主義への問題提起(序章)。
2:古代から冷戦期までの民主主義と自由主義との合流とせめぎあいの歴史(第1章)。
3:日本国内の冷戦代理政治の終焉とエリート競争型民主主義への変容(第2章)。
4:代議制民主主義の構造及びその類型(第3章)。
5:協調型からリーダーシップ型(大統領型)へと変容する執政制度と、自由主義的な多数代表制か民主主義的な比例代表制かの選挙制度改革(第4章)。
6:自由主義と民主主義のバランス上に築かれた代議制民主主義を使いこなす(終章)。

コメント
 どうも代議制民主主義への信頼感が低いわが国において、それを擁護する議論をしてくれているのは良いし、よくまとまっていておすすめしたいいい本だと思うのだけど、特に「これはッ」と思う新発見が特になかったんだよな。

評価
☆☆



本・書籍 ブログランキングへ

2016年1月27日 (水)

小室直樹『韓国の悲劇』(光文社、1985)

点検読書110

副題は「誰も書かなかった真実」。


評論―韓国


日韓関係の悲劇は、二千年来、腹を割ってお互いに話し合ってこなかったことにある。本書は、韓国が、なぜ日本に対して感情的になってしまうのか、その原因を考察し、それをふまえた日韓の対話の一助となることを目指している。


五部構成
1:不十分な政権の正統性という悲劇。
2:過去を忘れた日本と過去を認めない韓国という悲劇。
3:宗教国家・韓国という悲劇。
4:借金経済・過度の貿易依存、日本経済への従属性という悲劇。
5:「血縁」社会・両班精神の残る韓国という悲劇。

メモ
後継政権の正統性の問題
 革命政権・独立政権の正統性は、自ら勝ち取り、諸外国と交渉して後継政権であることを承認してもらう必要がある。
 勝ち取った正統性の例として、清教徒革命や名誉革命後のイギリス政府、フランス革命後のフランス政府などがある。
 また、諸外国との交渉の当事者になることによって正統性を獲得する例として、ロシア革命後のソビエト政権がある。これは第一次大戦において、ドイツとの和平交渉の結果締結されたブレスト・リトブスクの講和がある。この講和条件は、領土の四分の一、人口の三分の一、鉄・石炭の四分の三をドイツに手渡して、いわば降伏してでも後継政権としての正統性を獲得しようとした例である。もう一つの同様な例として、普仏戦争後のフランス第三共和制政府は、アルザス・ロレーヌ地方の割譲と五十億フランの賠償を認めてまで、交渉の当事者になった。このように自国に不利だとしても、外交交渉の当事者になるという外国からの承認がなければ、政権の正統性がない、と考えるのが西欧の国家観念であった。
 一方、韓国の場合は、戦勝国であるアメリカ軍が交渉相手としたのは、敗戦まで朝鮮半島の統治に関わってきた朝鮮総督府であった。アメリカ側は沖縄第二十四軍団長・ホッジ中将と第五十七機動部隊司令長官・キンケード大将で、日本側は朝鮮総督・阿部信行大将と朝鮮軍管区司令官・上月良夫中将であった。朝鮮総督府の統治は、9月7日のマッカーサー布告によって、韓国に軍政がしかれるようになった9月8日までつづいていた。その上、ホッジ中将は、9月11日には軍政施行を布告したものの、朝鮮総督府の統治機構と日本人官吏をそのまま使い続ける方針とした。つまり、韓国の戦後は、日米共同統治で始まったのである。
 このため、韓国としては、上海臨時政府の韓国光復軍が大日本帝国に宣戦布告したことを正統性の根拠としているが、一度も正式に日本軍と戦うことはなかった。その上、上にみたように、日本の敗戦後、韓国人が朝鮮総督府から政権を交渉によって継承することも、力ずくで奪取することもなかったために、戦後の大韓民国の正統性にゆらぎがある(ちなみに日本総督府は、敗戦前の8月上旬に、韓国人に政権の授受を打診したが、韓国側でまとまらず遅延して、一時的に引き渡されたものの、アメリカ軍によって再度、総督府に戻されている)。つまり、平和的であれ、暴力的であれ、日本から実力で政権を奪い取り、外国に承認されたという経験がなかったのである。そこに、韓国の日本に対して感情的になってしまう悲劇の原因がある、と著者は言う。


本・書籍 ブログランキングへ

2016年1月13日 (水)

マックス・ウェーバー『権力と支配』(講談社学術文庫、2012)

点検読書96

訳者は濱島朗。


政治学


『経済と社会』中の支配の正当性と官僚制に関わる箇所を収録。人々が権力に従う動機としての正当性の三類型についてと、合法的支配の典型例としてのみならず、社会を平等化・合理化していく官僚制についての研究。


二部構成
1-1:正当性に関わる総論(第1章)。
1-2:合法的支配(第2章)。
1-3:伝統的支配(第3章)。
1-4:カリスマ的支配と前近代的支配としての封建制(第4~7章)。
1-5:合議・代議制・政党など支配を支え、抑制する諸組織(第8~12章)。
2:官僚制の特徴、成立の前提、機能など。


本・書籍 ブログランキングへ

2016年1月10日 (日)

曽村保信『地政学入門』(中公新書、1984)

点検読書93

副題は「外交戦略の政治学」。


政治学――国際関係


地政学とは、地球全体を常に一つの単位としてみて、その動向をリアル・タイムにつかむ動態力学的な見地から、現在の政策に必要な判断の材料を引き出そうとする学問である。


五部構成。
1:総論としての地政学の基本的考え方。
2:マッキンダーの紹介。
3:ハウスホーファーの紹介。
4:アメリカの地政学としてのマハンの紹介。
5:ソ連の世界戦略の展望。


本・書籍 ブログランキングへ

最近のトラックバック

2019年3月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31