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日本思想史

2016年11月25日 (金)

荒畑寒村『寒村自伝』つづき

承前 

 こうした戦後の政治的・思想的混沌状況の中で、寒村の友人の小堀甚二の再軍備論が興味深かいです。小堀は、戦前のプロレタリア文学者であったが、右派主導の日本社会党に不満で、寒村や山川均、向坂逸郎らと社会主義労働党準備会を立ち上げた人物でした。しかし、小堀が、ここで再軍備論を主張したために分裂し、解散に至ったのですが、その主張が興味深いのです。

 この労働党準備会の中で、もっとも「進歩的文化人」のような発想をするのは向坂逸郎で、彼はソ連は社会主義国であるから侵略はしない、だから日本に軍備は必要ない、という主張です。山川均は、そこまで思い切りは良くなく、ソ連が社会主義国だから侵略をしないとはいえないが、日本が軍備を持つとかえって侵略の対象となりかねないので、軍備は持つべきではない、と結論は向坂と同じです。

 こうした再軍備反対論に対して小堀は、次のように述べます。

「日本には今でも厳として軍隊があって、ブルジョア秩序の維持に当っている。しかも普通の軍隊とちがって、この軍隊は単にブルジョア秩序の維持に当っているだけでなく、他国の権益の維持にも当っている。占領軍がそれだ。/われわれは講和条約締結後、この外国軍隊を、日本人によって組織された最大限に民主主義的な軍隊とおき替えようというのだわれわれは観念の中でなら、軍隊のない国家を想像することもできる。しかし現実の世界では、自国民で組織された軍隊がなければ、他国の軍隊がこの真空状態をうずめる。だから自国民で組織された軍隊を否定することは、外国軍の駐屯を肯定することだ。だからまた、それは日本の植民地化を肯定することであり、あり得べき第三次世界大戦において少なくとも日本国土の戦場化を肯定することでありまた日本の労働者階級に対して社会主義のための闘争を断念することを要求するものだ。」(422頁)

 つまり、駐留米軍という資本主義世界の秩序維持部隊であり、かつ日本の植民地化を促進する軍隊を撤退させるためには、日本人自らが軍隊を持つべきだという主張です。彼の言う「最大限に民主主義」的な軍隊とは、宣戦、動員、召集を国民代表の議会が掌握するものを指します。また、モデルとしては、明治国家の師団化する前の鎮台兵であり、また民兵制度を考えています。つまりは、防衛目的のみの全国民参加の軍隊というものです。過去において、こうした発想は中江兆民の「土着兵」構想に見られます。

 小堀のこの考え方は、社会主義実現という目的に奉仕するものです。というのも、資本主義世界の代表である米軍が日本に駐留している間には、どう考えても日本の社会主義化は不可能です。この点は、他の現在に至るまでの基地闘争を行っている左翼運動家と同じでしょう。左翼運動家は米軍を撤退させた後には、非武装中立、または裏の目的としてソ連などの社会主義国の日本への侵入がその真空状態を埋めることで、日本の社会主義化を可能にするとします。しかし、小堀は、第2次大戦前後からのソ連の東欧への侵略を批判していますし、朝鮮戦争は当時としての珍しく明確に北からの南への侵略を明言して批判しているように、社会主義国建設は他国の力を借りるのではなく、自らの力で勝ち取るものです。ですから、米軍の撤退と自国軍建設は表裏一体なのです。軍備を持たないことは米軍か、ソ連軍を呼び込むことにしかならないのです。「今日の再軍備反対論者」は「無意識に侵略国家に奉仕している」も同様と指摘されています(434頁)。さらには、次のようにも述べています。

再軍備問題について何らの積極的意見をもたず、ただ反対反対と叫ぶことによって、再軍備に関する一切のイニシアチーヴを保守勢力に委ねている」(425頁)

 つまり、再軍備について真面目に考えないということは、保守勢力の永続支配を認めることにしかならずに、結局ところ、社会主義国建設を真面目に考えていないということになるというのです。

 こうした小堀の構想が左翼勢力の中で合意を得ることができたら、戦後日本は随分と変わったものとなったでしょう。楽観的には、最左翼が再軍備論を唱えたので、日和見のリベラルも軍備に関して真面目て考え出して、他の自由世界の中での社会民主主義政党のように米国と協調しつつ、社会主義政策を実現する政党ができていたかもしれませんし、極端な場合だと、日本に小堀らの社会主義勢力が政権を取って、社会主義の一党独裁政権ができていたかもしれません。どちらにしても、現在よりも安全保障についての議論の風通しの良さがあって憲法の改正が行なわれていたかもしれません。それが良いかどうかは分かりませんが、現実に政権担当が可能な政党が一つしかない状態や憲法解釈を官僚に委ねるような現実の戦後日本よりも「民主」的な政治運営が行なわれていたでしょう。

 しかし、こうした小堀の議論は、受け入れられるものではありませんでしたし、これをきっかけに社会主義労働党準備会も解散を余儀なくされます。本書の主人公である荒畑寒村は、小堀に同情的ではあるものの、現実に侵略の危機があるとは思えないという情勢判断の下に、再軍備には反対の立場でいました。とはいうものの、寒村は、小堀と山川均・向坂逸郎らとの対話は可能で、落とし所があるであろうと考えていたそうです。しかし、その見通しは甘く、分裂していまします。その点について、寒村は次のように指摘します。

「私はこの問題に関する主張の相違は、もっと自由な相互の討議によって調整できると信じていたが、そういう親切な同志的な方法をとらないで直ちに準備会と絶縁した山川君の態度を、私は深く遺憾とせざるを得なかった。意見の相違を、同志的な愛情と理論的な究明によって、徹底的に解決しようとはせず、排斥するのでなければ黙殺するのが日本の社会主義者の悪い伝統だ。」(431頁)

 ここが問題ですね。現在も同様だと思います。これは、多分、左翼だけの問題ではないと思います。おそらく右翼の方もそうでしょう。福澤諭吉は、幕末にイギリスに出かけた時に、違う政党に属して対立している者同士が親しく食事をしている姿を見て、理解するのに数日かかったと『福翁自伝』で述べていますが、日本の政治運動の世界はまだまだ封建社会の住人なのでしょう。こうしたところを乗り越えない限り、融通無碍な保守政党に勝つことは出来ないでしょう。でも、まぁそれでこそ左翼であり、右翼なのですが、それを薄めたリベラル勢力がそんななのだから、いかんのでしょうけどね。

 それはともかくとして、本書はなかなか興味深い社会主義運動の裏面史を垣間見せてくれる良書です。

評価 ☆☆☆


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2016年11月24日 (木)

荒畑寒村『寒村自伝 下巻』

点検読書243

岩波文庫(1975年12月16日)刊


日本史――自伝


サンディカリズムに傾倒した大杉栄と決別し、日本共産党結成へと荒畑寒村は同士らと動く。そして、その結成を報告するためにモスクワへと旅立つ。下巻は、ロシア行きと労農派の動向、戦時下と戦後の社会主義運動の内幕を語る。


5部構成

1:第一次日本共産党結成(1)

2:ロシア周遊(2~5)

3:共産党解散と『労農』(6~8)

4:戦時下(9)

5:戦後の社会主義運動(10~14)

コメント
 上巻は、随分前に読んだのですが、やっと下巻に目を通すことができました。しかし、期待していたほど、戦時下の社会主義者の動きや「あの戦争」についてのコメントがそれほどないな、という印象を持ちました。
 というのも、戦後の記述で、野坂参三が「戦争中、反戦運動をしたのは共産党だけだった」と述べたのですが、寒村の感想としては「そんな事実が果たしてあったかなかったか、海外に亡命していた野坂君よりも空襲下の日本に生活していた私たちの方がよく知っている」(349頁)というものでした。つまり、特に目立った運動などはなかったので、それを書いていないだけのようです。それだけでも本書は、無意味な「神話」に彩られていない誠実な記録とも言えます
 また、生粋の左翼である寒村は、党派的に発言をするのではなく、社会主義者の原則としてものを考えるために、戦後の堕落した共産主義者・社会主義者には痛烈な批判をしています
 例えば、彼の共産党への反感は、彼らの「祖国」であるスターリン支配下のソ連に対する甘い味方をするところに向けられます。

「スターリンは他国と他民族を併呑掠奪しながら、偽善的にもなお平和を唱えているのだ。そして各国の共産党はソ連の行動を是認し、日本に原爆が投下された時、彼らの機関紙は筆をそろえて称賛したではないか。日本が他国を侵略するのはもちろん悪い。だが、ロシアは果たして日本を侵略していないか。単に社会主義国という金看板に眩惑されて、こんな資本主義国の侵略政策と選ぶところのない不正不義に憤慨も、反対も、糾弾もしない社会主義者なんて犬にでも食われるがいい。」(351~352頁)

 これと同様のの趣旨として、「進歩的文化人」批判も痛烈です。

わが国でも、思想と表現の自由を守る護民官である筈のいわゆる進歩的文化人が、戦争の間は軍部の侵略政策に尻尾をふり、戦後は面をおし拭って民主主義を唱えている。かつてはヒットラーを神格化し、国民の自由と人権を絞殺したナチスの虐政に迎合した彼らは、今やスターリンを神の如く崇拝し、中世の異端焚殺の如き血の粛清と強制収容所の奴隷労働とをもって、思想と表現の自由を弾圧しているソ連の全体主義体制に対しても、批判の口を閉ざすことを進歩的と考えている。社会主義者の中にさえ、ソ連に対する批判をただちに反動的と認めるような傾向がある。こういう日本の文化的風土に反対して、民主的自由のためにたたかう運動の意義は、決して欧米に劣るものではない。」(437~438頁)

 かつて冷戦時代には、「アメリカの核は悪の兵器、中ソの核は善い兵器」ということが公然と言われていたそうですが、荒畑寒村のように主義思想に生きる人間にとって、こうした空気や属人的な価値判断に左右される無原則な大衆的知識人は度し難いものたちであったのでしょう。

 また、社会主義者・寒村の本領が発揮されるのは、現憲法を保持して社会主義建設などできない、とはっきりと述べているところです。「現在の憲法は生産手段における私有財産制、階級的支配、賃金制度の労働力搾取を含意する資本主義制度の上に存している」(482頁)のだから、社会主義政党が議会多数派を制した暁には、当然のごとく憲法を改正して社会主義国家建設に勤しむとします。

 しかし、当時の社会党は、耳に心地よいことしか言いません。社会主義国家建設という原則よりも、世間からの批判を恐れているからです。

それもこれも、ひっきょう社会党がジャーナリズム恐怖症にかかり、社会主義の究極目的、革命の必然的段階である独裁政権を、大胆に公言することを憚っているからだ。革命は一の階級がその意志を他の階級に強制するものであって、議会主義的民主主義からの飛躍なしには行なわれない。その意味で、革命の本質は暴力的であり、現に民主主義そのものが暴力革命の所産ではないか。」(482~483頁)

 ここまでいってもらえる気分がいいものです。自分たちの原理原則から考えれば、憲法改正を主張すべきなのに、護憲政党で通そうとするところに欺瞞があります。こうした欺瞞に加えて、日本の左翼・リベラルが信用されないのは、先に指摘さていたように、あまりに党派的であることに加えて、批判を恐れて耳障りの良いことをいって、平気で嘘をつき、さらにそれが嘘であることを忘れて、嘘を本気で主張し始めることでしょう。その最たるものが、民主党政権でした。彼らは、本当の目的を隠して嘘をついて政権の座を占めたというよりも、嘘を本気で信じてしまって確固たる原則もプランもなかったので、何もできずに結局のところ官僚にいいように取り込まれるという政権でした。
 寒村のような確信的左翼は、支持する気はないものの、やはり人間、原則を信じることが最も裏切られることの少い正直な生き方を可能にするのでしょうし、周りから見ていても気分が良いものです

つづく

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2016年8月26日 (金)

福澤諭吉「日本婦人論」

点検読書224

『明治文学全集8 福澤諭吉』(筑摩書房、1966年3月10日)、所収。
1885年(明治18年)6月4日から12日まで『時事新報』社説で掲載。


日本思想史――福澤諭吉


西欧諸国に対抗しうる国家をつくるためには、日本人の人種改良が必要である。他力として考えられるのは雑婚であるが、自力として考えられるのは日本婦人の心身を強化することで、心身ともに健康な子孫を増やすことにある。そのためにも、徳川時代以来の封建道徳がつくりだした男尊女卑をあらためて、女性に財産権を持たせることで責任意識を育て、また適度な性欲を満足させることで健康な身体をつくりだすべきである。


8部構成

1:人種改良の方法としての婦人の心身の活発化

2:婦人への財産権の確保

3:人生の三要素(形体、智識、情感)

4:婦人の再婚を蔑視する風潮は情感をそこなう

5:看過されてきた婦人の健康と性欲(「春情」)

6:婦人の再婚が普通だった中世の日本

7:男女平等の家族の具体案

8:男女平等こそが人種改良の近道

コメント
 福澤諭吉は、雑婚による人種改良論者でした。彼が、強烈なナショナリストであったことは知られていますが、民族主義者だったのではありません。今ある日本列島に存在する政権が外国に蹂躙されて、独立が維持できないことに危機感を持っていたのであって、歴史的に形成された「日本人」という民族性を守りたかったわけではありませんでした。
 その点で、福澤と対比される加藤弘之が、日本には残すべき伝統などないし、個性があるとすれば皇室と日本民族だけなので、もし人種改良しなければ滅びてしまうような弱い民族なら滅びてしまったほうが良い、と優勝劣敗の社会進化論者らしい考え方とは異なります。加藤の方がスッキリしていますが、民族主義者なんですね。
 で、非民族主義者の福澤も雑婚以外の人種改良の方法を考えていたのです。それが本稿の「日本婦人論」で、その内容とは女性に財産権をあたえて責任感をもたせること、具体的には遺産分配の際に女子に不動産を優先させるなどの処置によって私的財産を確保することなどです。また男女平等の婚姻を実現するために、結婚後の姓の創設。つまり、畠山氏と梶原氏が結婚すれば、山原氏になるなど、嫁入り・婿入りというカタチで家名を残すという習慣を改めることを主張しています。もっとも福澤は、本人が親でない人を親と呼ぶことはできない養子制度が大嫌いだったので、そうしたものを必要とする家名というのが不合理だからともいっていますが、かなり急進的な核家族主義者です。また、離婚の権利を平等にすることを主張しています。
 しかし、本稿の最大の特徴は、日本婦人の性欲の問題を認知すべきということです。かねがね日本社会では、妻妾が性的に不遇であった、と福澤は述べます。つまり、大名であったら正妻や愛妾は江戸の藩邸に残されて、大名自身は本領に数人の妾を置くことができます。また、一般武士や商人たちも、藩用や仕事で長期に家を空けることがありますが、交通事情が不十分なために妻妾を家に残していきます。そして、妻妾たちが、家で虚しく過ごすのに対して、男たちは現地で花柳の春を買いに行きます。これでは不平等である、といいます。
 もっとも、福澤は、自分は妻以外女は知らんというほど、性道徳に厳しい人物でしたので、婚姻関係にある婦人が性的に自由を謳歌せよ、と主張しているわけではありません。問題なのは、夫の死別後の寡婦です。通常、妻に死別された夫には、再婚の話が来やすいのに対して、夫に先立たれた妻が再婚することを喜ばない風潮がある、と福澤はいいます。現に、異母兄弟というのは世間に多いものの、異父兄弟というのは少ないのではないか。そうした指摘をするのです。実際のデータがないので、どうとも言えないのですが、福澤の実感ではそのようになっていたというのです。福澤によれば、これは男女平等に反するといいます。
 福澤が言うには、形体と智識と情感という三要素を満足させることが人生の目的となります。形体というのは体の健康ですからしっかりとした食事を摂ることです。智識は学問をすることです。そして情感というのは快楽を得ることによって満足します。食事を過度に摂取すれば身体の健康を損なうように、それぞれ適量の摂取が必要となります。しかし、これまでの健康に関する考察には、性欲に関して看過してきたのではないか、と福澤はいいます。この性欲の満足を得ない場合、一見健康であるものの、神経病などを発するのではないか。現に、大名の子と言うのは、衛生状態や栄養状態が良いにもかかわらず、虚弱な子が多いではないか。それは、母親の方が室内に閉じ込められた上に、主人の寵愛を常に受けられるわけではないという不満と不安が、健康を損ね、子供にも影響を与えているといいます。
 おそらく福澤の理想は、一夫一婦制を確実に実行し、適度な性生活を送ることが良いことで、不幸にも離婚や死別した際に、女性が再婚することへの世間の目を和らげることが大切だ、ということになるでしょう。
 その点で、現在でもそうした目が世間には残っているので、まだまだ福澤の考えは古びていないのではないか、という気がします。その点で、谷原章介夫妻は、福澤基準で言うと立派な家庭なのでしょう。
 さて、福澤の「日本婦人論」の本筋の内容はそんなところなのですが、一箇所気になる部分があります。東洋における男尊女卑の風潮のところで、儒教の影響が強い朝鮮では、夫と死別した寡婦の再婚には厳しい制限がある上に、婚約中に相手が死んでしまったら後家とみなされて結婚できないので、寡婦が多い、という記述があります。しかし、こうした風習には抜け穴があって、性の相手を周旋する「慇懃者」というものがあるというのです。

「深窓の少寡婦も陌頭の楊柳と共に春風に吹かれて死灰自から温気を催ふすときは、傍より竊に其温度を窺ふて通情の道を周旋する者あり。之を慇懃者と云ふ。朝鮮にて慇懃者の盛んなる、恰も一種職業の体を成して、其手に依頼するときは男女共に意の如くならざるはなし。」(115頁)

 この「慇懃者」を利用するのは、若後家だけではなく、夫に相手にされない老妻や妻妾間の争いに敗けた者、夫が単身赴任している者などがいるそうです。儒教の国という外面の厳しさの裏には人情の機微にふれる裏の制度がある、と述べる下りで以上のようなものが紹介されています。しかし、これはグーグル先生にお伺いを立てても、とくに出てくるものではないので、出典が何か、というよりも朝鮮の風俗に関する歴史を調べなければならないのかな、とも思っております。

評価 ☆☆☆

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2016年8月18日 (木)

成沢光『政治のことば』

点検読書218

副題は「意味の歴史をめぐって」
講談社学術文庫(2012年8月9日)刊
原著は、平凡社(1984年)


政治学――日本政治思想史


日本史の中の基本的な語を選んで、それらが文献に現れた用法上、どのような特質をもっているか、他の語との意味連関や語義の異動および、それらの変化を手がかりとして日本における政治意識の諸側面を歴史的に明らかにする。


四部構成

1:古代政治のことば。

2:古代・中世の国際関係のことば。

3:近世都市社会のことば。

4:近代政治の権利と統治。

コメント
 本書は、タイトルが「政治の言葉」ではなく、「政治のことば」とあるように、日本語=和語に注目して、日本における政治的語彙の特質を明らかにしています。
 例えば、「ヲサム」という言葉は、あるべき静態的秩序を前提として、ある対象をあるべき場所へ落ち着かせることを意味している、と指摘されています。亡骸を墓にヲサメるし、収穫物を蔵へヲサメるのです。そして、政治秩序においても、君主が土地・人民をヲサメるのであるし、人民は税をヲサメるのです。
 最後の例で見られるように、日本の支配―従属関係において、モノ、コトバ、行為が授受される時、支配者の行為と被支配者の行為とに共通の言葉が用いられているように、両者は依存関係にあることが分かります。同じことばの互酬関係によって、両者の関係が成立しているのです。一方的に、治めるのでなければ、納めるわけでもないのです。これは、いわゆる君民共治の国柄を表しているといえますが、逆に言うと責任主体の曖昧化がことばの上でも表れているといえるでしょう。
 こうした日本の政治構造を特徴づけるものとして、「マツリゴト」があります。この「マツリゴト」は、「祭事」と「政事」とで同じ漢字を当てることで祭政一致というような考えが出ていますが、本書を読むとどうもそうとも言えないようです。というのも、天皇は「マツリゴト」=「政」ということばの主体ではあるのですが、律令制以後において実際に執行する「マツリゴトヒト」は三等官以下の判官を意味することばであったといいます。そして、古代において「マツリゴト」ということばが当てられた漢字に「機」ということばがあり、これは「ハカリゴト」とも当てられています。この「機」=「マツリゴト」=「ハカリゴト」の場合は、君主の側近くで「謀」を司る者という意味合いがもたれるのです。
 こうなると「マツリゴト」も、天皇が主体でありつつ、天皇のために「ハカリゴト」をする側近が主体である「マツリゴト」でもあり、人民への直接支配と天皇のための「奉仕」を意味する「マツリゴト」をする下級役人が主体でもあります。そしてまた、天皇自身も領土・人民に対して「マツリゴト」すると同時に、神に対して「マツリゴト」=「祭祀」を行ってもいます。こうなると、先ほどの「ヲサム」が、互酬関係にあるのと同じで、その責任主体が曖昧です。
 天皇は全体を治めているようで、その方策を立てるのは側近で、実際に行なうのは下級役人です。何か問題が起きた時に、天皇は、臣下の進言を受け入れただけだし、側近は提案しただけだし、下級役人は実行しただけです。そして、そうした行為のすべてを同じことばで表すことで、行為主体を曖昧にする。いかにも日本の政治構造らしい姿が、ことばの上でも確認できたというわけです。
 本書はまた、「権利」ということばの「権」には「イキホヒ」という「力」というかエネルギーのようなものイメージさせる用法があったそうです。そのために、西洋語のrightなどにあった「正義」というような意味合いが抜け落ちてしまって、自らの自由・身体・財産等を守り、またそれを行なう基盤となるようなもの、「力」の印象が強くなってしまったというのです。そのために、権利には、好き放題行なうという印象が強くなり、それを抑制する義務が伴うべき、という考えが定着してしまったという指摘は、興味深いものです。果たして、西洋語のrightの方に、自らの生命を含む所有物を守る能力とともに、わざわざ義務を言うまでもなく、その適切な使用が含まれているか、分かりかねますが、知識として持っていた方が良いもののように思います。
 本書は、以上のように、ことばというものが我々のものの見方に影響を与えているという考えのもとに、日本における政治意識の原点をことばのうちに探りだすという、興味深い内容になっています。本書を読むことによって、一段深い政治への見方ができるかもしれません。

評価 ☆☆☆☆

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2016年3月29日 (火)

テツオ・ナジタ『明治維新の遺産』

点検読書158

講談社学術文庫(2013年)刊。
訳者は坂野潤治。
原著は、TETSUO NAJITA "JAPAN The Intellectual of Modern Japabese Politics", Chicago, 1974.
(日本語版 中公新書〔1979年〕刊)


日本思想史


近代日本は高度な合理性の単線的発展ではなく、徳川時代から戦後日本に至るまで、「官僚的合理主義」と「維新主義」という思想傾向の論争と知的・政治的緊張に満ちた過程であったことを叙述。


四部構成
1:「官僚的合理主義」と「維新主義」の用語説明。

2:徳川時代における二主義の相剋と幕末維新。

3:明治立憲制と昭和戦前期。

4:結論

コメント
 本書は、「官僚的合理主義」と「維新主義」という二つの思想傾向の対立と共存という視座で、近代日本への見通しを与えてくれる。
 ここでの「官僚的合理主義」とは、行政は如何に組織され運営されるべきか、如何にしたら行政は人間的になり社会の幸福に役に立つか、すなわち如何にしたら国民を保護し救済することができるか、という「経世済民」の思想として表現される。その代表者は、大久保利通に見られる統治という視点に立った政治指導者である。
 それに対する「維新主義」とは、反官僚主義的な、社会的存在の倫理的・精神的側面に重点をおいた理想主義を意味している。典型的な人物は、西郷隆盛である。
 徳川時代における「官僚的合理主義」は、徳川幕藩体制を支える山崎闇斎の崎門学派や荻生徂徠の徂来学派のような思想であったが、前者は規範の究極的根拠を歴史を超えた存在としての天皇に置き、後者は天皇を世俗的なヒエラルキーの終点に置いたものの抽象的原理とはしなかった。両者ともに現実の政治制度の規範化をすすめるという点で共通していたものの、上記のような相違があった。しかし、次世代の山県大弐になると、徂徠的な歴史の中の制度という観点から、毀損の制度が現状に合わなければ変更可能であるという視点を提示し、その一方で闇斎的な永遠なる天皇という観点から、現存の制度を相対的なものに過ぎなくなり、取り換え可能なものとなる。こうした思想の現実化が、明治維新の「維新主義」であったということになる。
 そして、先に挙げた大久保の官僚主義と西郷の理想主義の対立、大久保を引き継いだ伊藤博文らの立憲制イデオロギーを擁護する加藤弘之らに対する中江兆民・植木枝盛らの民権運動らの「維新主義」などに続いた。こうした傾向は、原敬の政党内閣主義とそれを理論的に擁護した美濃部達吉の「官僚駅合理主義」に対して、前者の暗殺、後者の学問的弾圧を通して「維新主義」による反撃を食らう。
 一見奇妙なようだが、「維新主義」とは、あくまで「官僚的合理主義」に対する「理想主義」であるため、過激になると暗殺も辞さないのであり、その内容も革新的にもなれば反動的にもなりえるのだる。つまりは、現実の政治のわかりにくさ、汚さに対する分かりやすさ、清潔さにつながる考え方であり、現在における左右両派の思想的「清潔」と分かりやすさ、「平和憲法があれば、軍隊はいらない」「日本は誇るべき正しい国」も「維新主義」の子孫たちである。
 このように考えると、この視座というのは、近代日本のみならず現在にまで通底する視野の広いものであるといえるだろう。

評価 ☆☆☆☆


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2016年3月12日 (土)

相良亨『武士道』(講談社学術文庫、2010年)

点検読書146

原著は、塙書房より1968年刊行。


日本思想史


武士道とは、「対峙的人倫観をふまえた独立の精神」である。日本人はこの武士道を自然なものとして受け入れているが、これを自覚的に克服し、近代的な市民社会的な横のつながりを獲得しなければならない。


五部構成

1:「ありのまま」
  失敗した時に言い訳などをせず、他者からの批判を逃げ隠れせずに受けるという自己を飾  らない態度。

2:「名と恥」
  外的強制に基づく善行は恥の堕落形態である。本来の「恥」意識は内面の自己に対する   意識であり、厳しい自己規律が求められる。

3:「死の覚悟」
  武士道における死を恐れぬ覚悟と士道における道の実現に対する死の覚悟。

4:「閑かな強み」
  死の覚悟=常在戦場の気分を周囲に悟らせることで、戦わずして勝ち、互いに死の覚悟   があるからこそ、礼儀を重んじ、相手を怒らせないようにする。

5:「卓爾とした独立」
  武士らしい武士とは、他に引けをおらない自己を持つこと。そして、その独立心は何を守る  ためのものか。

コメント
 本書は、現在においても慣用語として使われる「彼は「侍」だね」とか「古武士の風格」とかのその「侍」・「武士」とは何かを解明する試みである。

 ここで描かれる武士の姿はこんな感じである。

 その人は、言い訳をしない、厳しい自己規律で日々まじめに過ごし、人様に迷惑をかけない、また、礼儀正しく、相手を怒らせるようなこともしないし、決して怒らない上に誰も彼を怒らそうなどとは思わない孤高の人である。

 言い訳をしないとは、人から非難される前に自分で自分を悪く言って予防線を張るようなみっともないことをしない、ということである。その人の行動と結果だけがすべてで真の理由や周囲の影響や偶然性に責を求めない。しかし、一方でこうした姿勢は、真意を語らないなど、周囲とのコミュニケーションを拒絶する態度ともなりかねない。そのため、周りの人間は分かりにくいし、忠告も聞き入れてくれないので、傲慢ともわがままともとられかねない。その点で、「ありのままで~」とか「そっとしておいて~」とか歌って、真意を語らず引きこもり、妹の意見を取り入れようとしないエルザはサムライであると言えよう。

 恥とは何か。ルース・ベネディクト『菊と刀』によって、西洋は「罪の文化」、日本は「恥の文化」と規定され、罪は自身の中の神との絶え間ない対話によって自己規律の意識により道徳的実践を行なうとされ、恥は周囲にみっともない姿を見せられないという外部的強制に基づく道徳的行動とされる。しかし、本来の恥とは、理想的な自己や理想的な人物(生きているか、死んでいるかは問わない)との絶え間ない自己内対話においてなされるもので、世間様の目や家名に泥を塗るといった外部の目を気にして、おとなしくしているというのは堕落形態である。恥とは、もっと厳しいものである。

 この恥の凄みは、「死の覚悟」とも「閑かな強み」にもつながる。武士は、恥を受ければ、いつでも死ぬ覚悟がある。この死ぬ覚悟とは相手を殺して自分も死ぬという意味でもある。つまりは、もし相手に無礼があれば、いつでも殺してやる、という凄みがあるのである。しかし、武士はつまらないことで死んではならない。だから、通常はできるだけ争いごとを避ける。そのためにはできるだけ礼儀正しくし、相手に不快感を与えてはならない。相手が怖いからではない。相手を殺して自分が死ななければならないことを避けるためである。主君や身分が上のものに対する慇懃な態度も同じである。相手が無礼討ちをしようとするならば、こちらが殺さなければならない。主君の側も相手のへりくだった態度に、自分は値踏みされていると意識しなければならない。そのしずかな佇まいの中に相手に対して、無礼を働かせぬだけの気迫が必要なのである。「こいつを怒らせたら、殺される」という。武士道の世界は、まさに油断ならない、息のつけない人間関係であると言えよう。

 それが独立精神である。武士は、常に相手を値踏みする。こいつを自分は殺せるだろうか、それともこいつは自分を殺せるだろうか。日本社会において、優劣を争う競争意識が浸透しやすいのは武士道の余燼である。こいつの学歴は、会社は、収入は、業績は、モテるか、酒の量は、などなどである。そのため、横のつながりが持ちにくい日本社会は、共同体での関係あ濃密であるという。しかし、その共同体を離れれば、関係はなくなるし、その共同体内でも優劣の競争はある。同じ境遇での連帯がない。どのような些細な事でも優劣を付けたがる「対峙的人倫観をふまえた独立の精神」があるからである。我々は、そこに自覚的である必要がある、というのが著者のメーッセージである。

 これはなるほど、と思いました。「武士道」とは何かは、なかなかわかりにくい。それを西洋的知識を踏まえて論じたのが、新渡戸稲造『武士道』であったが、それはあくまで西洋近代の洗礼を受けた後の武士の道徳であって、本来の武士ではない。しかし、我々の中に、あの人は武士だ、と言われると、何となく明確な定義がないにもかかわらず納得してしまうところがあるのだ。それは、武士道が血肉となって我々の無意識の中に入り込んでいることになる。

 この武士道には、人間関係を円滑にするために有効なものも確かにあるのである。相手を怒らせないようにする慇懃な態度というのは、自分が相手を殺さないためであるという理由付けは自尊心を傷つけずに行なうことが可能で、プライドの高い人ほど受け入れやすいだろう。しかし、それには相手と自分を常に競争関係に晒すという負の面も受け入れざるをえない。それが日本社会に不十分な村社会的な共同体的連帯感ではなく、横の連帯を阻んでいるという自覚は必要である。では、その横の連帯を生み出すものは何か。というと、それは村社会的共同体を超える宗教的な何かに依存しなければならないのか。それはそれで面倒だな、とも思ってしまうのである。それはともかくとして、『武士道』や日本人の意識を考えるにあたって、本書はおすすめである。

評価 ☆☆☆☆


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2016年2月20日 (土)

大隈重信『開國五十年史(抄)』

点検読書128

原著は、上巻が1907、下巻が1908年に刊行。
上巻の「開國五十年史論」、下巻の「開國五十年史結論」が収録(『明治文学全集77 明治史論集(一)』、筑摩書房、1965年)。


日本史――明治思想史


東洋民族の多くの国が滅亡に瀕している中、ヨーロッパの強国・ロシアをも破った日本という国の成り立ちを論述。大隈によれば、日本の特殊性とは、2500年にわたって神話時代から主権者が安定して変わらない「神国」であること、地理的に授かった民族的特質があること、封建割拠の競争の中で民族の能力を練磨してきたこと、を挙げている。また、結論部において、伝統的でありながら、諸外国の先進的知識・技能を吸収し、西洋と東洋を融合させた日本こそが、今後の世界の統一に向けて、大きな役割を果たすであろう、と主張する。


四部構成
1:「神国」とは、神話時代から主権者の変わらない安定した「自然的」な国柄を言う。

2:大陸と適宜の距離を保ったことによる侵略の危険性の小ささと恵まれた国土。

3:封建的割拠による競争の中で各人の能力を練磨し、開国後は外国の思想と風潮の感化を受け、列強に伍する文明国となった。

4:結論として、以上の特徴の上で、日本の西欧との相違は、個人ではなく家族が社会の単位であること、国家を神聖視し主権が安定していること、宗教以前に国家が成立しているためあらゆる宗教が保護・許可されていること。とりわけ宗教的寛容は、国教制度の残る西欧よりも誇れるものがあり、東西文明融合を可能とする日本こそが将来の世界の統一にあたり大きな役割を果たすに違いない。

コメント
 『あさが来た』を見ていたら、高橋英樹演じる大隈重信が出てきて、大隈の書いたものが手元にないかと思ったら、先の『史疑』が収録されていた『明治文学全集77』に『開國五十年史』の大隈重信名で書かれたものがあるのを思い出して読んでみる。
 この『開國五十年史』というのは、大隈重信が代表編集者として名前が出ている上下巻で、伊藤博文や山縣有朋、久米邦武や加藤弘之といった当時の一流の政治家、学者たちによる各巻千ページほどもある論文集である。ここで読んだのは、大隈重信名で書かれたもので、解説によると、大隈の口述筆記を元にして久米邦武や有賀長雄などが執筆したのではないか、と推測されるものであるらしい。
 ざっと読んだだけであるが、冒頭に「日本は神国として健存す」とあってぶったまげるわけですが、大隈によれば、神というのは宗教家の説く超越的な存在ではなく、神の子孫であるという信念のままに自然と成立した国家である、という意味である。つまりは、外国からの侵略によって支配されたこともなく、主権者=天皇の地位が転覆されることもなく、神話時代から歴史時代へと連続しているという意味である。
 ここで注目に値するのは、彼の封建社会評価である。かつて駐日アメリカ大使もつとめたエドウィン・O・ライシャワーは、日本と西欧とは封建社会を経由していたがために、各身分がそれぞれに広範な自治が許され、明確な目的を持って競争し各自の能力を練磨したがために、近代化が可能になった、という趣旨を述べていたが、大隈も封建社会の分権社会が平和であったにもかかわらず、各藩に緊張を維持し続け、武士への武道や学問の鍛錬が怠らない状況が続いたことが、開国後の成長に役立ったことを述べている。かなり趣旨は違うものの、両者ともに封建社会を評価しているのである。大隈が実際これらを執筆したかどうかは疑問であるが、発想自体は大隈のものと考えられるので、その点は慧眼であったろう。
 また、日本が欧米に比べて宗教的自由がある、というのは国家神道であるとか、内村鑑三の不敬事件などを知るものからは意外な感を受けるが、大隈によってそれを語らせよう。

「現今の日本国民は祖先を崇敬し、国家を神聖視するの外、宗教上一視同仁の習慣を養成し得たること是れなり。……近世の欧州諸国は基督教よりも後に起り、専ら僧侶の指導によりて成立したる歴史を有すれども、我国に於ては、国家の建設は凡べての宗教よりも先きにありて、凡べての宗教は国家の保護若くは許可によりて国内に流布せらるれば、如何なる宗教団体も国家より賦与せられざる権利を要求し得るものなし。故に何れの宗教と雖、曾て国家の主権に反抗し、国家と衝突するの勢力を有し得たるものなし。是を以て宗教上の自由を最も多く且つ最も広く人民に与へ、而も行政上及び教育上何等の困難を感ぜざるは、由来我国家の特長なりとす。故に我国には一の国教としての特制なく、又教育は全然凡べての宗教と分離して、宗教と教育と混淆するの弊害あることなし。」(336頁)

「泰西諸国は同一基督教の下にありながら、之が為に幾多の内乱を経過し、又屢々国際的戦争を惹起し、今日に至るまで一の合衆国を除けば、何れの邦国に於ても国教の制度ありて、完全なる自由を凡べての宗教に享有せしむる能はざるにあらずや。縦令法律上は自由なりとせらるゝ所に於ても、社会上一種の宗教ありて他の宗教を排斥し、信仰の自由を検束せざるはなし。之に反して、我国は固有の神道の外、夙に儒教及び仏教を輸入し、近世更に基督教と加へたれども、憲法発布の暁に及びては、愈々公然と宗教の絶対的自由を認識したり。」(341頁)

 上記の通り、日本民族は国家を神聖視している。そのため、国家=天皇という観念が信念となっていた時代において、国家及び天皇への忠誠に反する宗教的自由はないものの、それを侵害しない範囲においては宗教の自由はあったということだろう。それに対して、国教制度のある欧州諸国では、キリスト教に特権的地位が与えられ、それ以外に対する差別待遇は厳然としてあったというのである。たしかに当時において、キリスト教国の宗教の自由は、キリスト教内の各派の自由であって、宗教一般の自由とは異なるかもしれない。その点、何でもありだった日本との事例研究は、少々難しいのかもしれない。しかし、当時の西欧における仏教、イスラム教の自由については面白いテーマであろう。きっと誰かがやっていると思うから、探してみよう。

評価 ☆☆☆☆



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2015年12月27日 (日)

堺利彦『文章速達法』(講談社学術文庫、1982)

点検読書81

原著は、1915年6月、実業之世界社より出版。


学習法――文章論


文章は誰にでも書ける。しかし重要なことは、心の中の真実を大胆に、読者を想定してわかりやすく書くことが必要であり、文章上達に卒業はない。


本書は三部構成。
第一部(第一章)は、文章を書く際の心得である。他人の言葉を借りたり、背伸びした修辞を使うのではなく、自分の言葉で書くこと。真実書きたいことがなければ書く必要がないこと。書く前に、腹案として書きたいことを頭で整序してから書くこと。それが人に読んでもらうというわかりやすさにつながる。また、書いたものは必ず、一度は読むこと。
第二部(第二~五章)は、文法・文体・用語など文章の基本構造の解説。しかし、これらにあまりこだわったり、こったりする必要はない。
第三部(第六~十章)は、手紙・記事・論文・小説の書き方と文例の紹介。

考えのまとめ方(137~138頁)
・順序・関係など考えず、思いついたことを書き出す。
・切れ切れの材料を類別する。それぞれに番号をふる。
・一番目と関係ありそうなものに「1」と付してみる。二番目以下も同じ。
・同じ番号のものをまとめて書いて、同項目内の順序・関係・他のまとまり間の順序・関係を考えてみる。継ぎ目・邪魔なものなどを考えて、筋道を立てる。


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2015年12月25日 (金)

安丸良夫『神々の明治維新』(岩波新書、1979)

点検読書79

副題は、「神仏分離と廃仏毀釈」

歴史――日本史

維新政府が打ちだした神仏分離の政策と、仏教や民俗信仰に対して猛威を振るった排斥運動の過程は、日本人の宗教観に影響を与えた。つまり、初詣など宗教色の弱い儀式には参加できるものの、自身の問題としての宗教へのハードルの高さを感じてしまう、というように。

戦国時代から幕末までの為政者による宗教政策の事例を追うことで、世俗権力優位=世俗権力の神格化という特徴を論じ、明治新政府による神仏分離を含む宗教政策が論じられる。次に廃仏毀釈の事例、政府による神の統制・序列化の国家神道の試み、民衆の宗教生活の変動、国家神道路線の破綻と国家優位の「信教の自由」体制の確立。

メモ
1.政治権力者の神格化への道をひらいたのは織田信長(23頁)
  現世と来世を「総見」する至高神=信長を祀る総見寺
  →これ以降、現世の権力者功績あるものが神として祀られることに(東照宮など)。
   ←中世までは非業の死を遂げたものへの御霊慰撫であった。

2.長州の淫祠破却(39~41頁)
  村田清風の天保改革の一環
  基準は延喜式神名帳に記載のある神が正祀で、そうでないものは淫祀
  (国学者・近藤芳樹の進言による)

3.国家による祭祀の統制思想(42頁)
  徂徠学派→中井竹山・履軒→水戸学・平田国学→水戸・長州藩による淫祀整理へ

4.徳川時代の反秩序的宗教の序列(43頁)
  キリスト教≧かくれ念仏・不受不施派≧一向宗・日蓮宗
  ≧流行神や御霊≧民俗信仰≧仏教一般

5.大教院体制=国家神道体制の破綻(199頁)
  国家神道体制破綻に最も影響力があったのは島地黙雷の政教分離論や浄土真宗の大教院離脱、さらには真宗信徒らの各地の抵抗による。

6.啓蒙思想家の「宗教自由」論(209頁)
  信教の自由よりも政教分離に関心が集まり、おおむね宗教に否定的。


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2015年12月24日 (木)

近衛文麿『最後の御前会議/戦後欧米見聞録 近衛文麿手記集成』(中公文庫、2015)

点検読書78

①日本史――思想史

②毀誉褒貶相半ばし、評価が難しい近衛文麿の主要論文集。

③第二次・三次近衛内閣における日米交渉の過程と破綻の記録(「最後の御前会議」)。支那事変勃発から第一次近衛内閣退陣、米内内閣成立までの記録(「平和への努力」)。昭和二十年二月に早期講和を進言した「近衛上奏文」。第一次大戦後の講和会議に随員した際の欧米の観察記録(「戦後欧米見聞録」)。第一次大戦におけるドイツの立場に理解を示し、英米の欺瞞を指摘した「英米本位の平和主義を排す」。井上寿一による解説。


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