ブログランキング

Amazonサーチ

無料ブログはココログ

« 2016年9月 | トップページ | 2016年11月 »

2016年10月

2016年10月31日 (月)

佐藤伸行『ドナルド・トランプ』

点検読書239

副題は「劇画化するアメリカと世界の悪夢」。
文春新書(2016年8月20日)刊。


アメリカ


2016年のアメリカ大統領選の台風の目となったドナルド・トランプという人物は、一体何者なのか。本書は、彼のルーツ、不動産王としての経歴、結婚歴、政治姿勢などの個人史から、トランプ現象を生み出した背景としてのアメリカ社会の問題を紹介する。


6部構成

1:トランプとレーガン(序章)

2:トランプ家とドナルド・トランプのルーツ(第1~3章)

3:スキャンダラスな人生(第4~5章)

4;政治家トランプ(第6章)

5:怒れる白人と宗教(第7~9章)

6:外交姿勢と国際政治(第10章・あとがき)

コメント
 おそらくあと2週間もしたら、読む気にもならないであろうと思うと同時に願わざるを得ない水物としての人物紹介本です。

 現在のアメリカ・ミステリー小説を代表するジャック・カーリイの「カーソン・ライダーシリーズ」を読んでいると、何度か金持ちの象徴して「ドナルド・トランプ」という言葉が登場します。このシリーズが始まったのが、2004年の『百番目の男』なのですが、奇しくもその年に始まったのが、『アプレンティス』というテレビ番組で、その番組はドナルド・トランプが「実業家トランプ役」として登場していたのでした。番組の趣旨は、トランプのもとで働きたい希望者を集めてビジネスの課題を与えて、成績の悪い者をクビにするというものらしいのです。この番組は大変人気を博し、金持ち社長といえば「ドナルド・トランプ」というイメージが出来上がるほどで、それが小説の中でも語られているということでしょう
 このようにトランプとは、本業で一山当てて、その後はそのネームバリューでテレビタレントとして有名な人物というものだったようです。日本で言えば、『マネーの虎』に出演していた社長とか、別ジャンルでは料理人といえば『料理の鉄人』に出ていた人が政治的発言をして、さらには選挙に出たというところでしょうか。もっと端的にいえば、弁護士でタレントだった橋下徹さんみたいな人物とすれば、より分かりやすいでしょう。

 本書は、トランプ氏の移民政策への批判者としての政治姿勢とは裏腹に、ドイツからの移民三世としての姿から描きます。トランプ氏の祖父フレデリックは、ドイツの葡萄農園の子として生まれ、理容師の修行をしつつ、貧しさから抜け出すために、アメリカに入国します。しばらくは、理容師として生計を立てますが、まとまった資金ができると事業を始めます。その事業は、売春レストランで、ゴールドラッシュの時代には、金鉱を目指すのではなく、金を目当てに集まる男たちを商売の相手と見定めて、抜け目なく資産を築きます。その後、一度はドイツに帰国したものの、アメリカ移民の目的を徴兵逃れと疑われ、ドイツ帝国の国籍取得ができず、再度アメリカに渡り、失意のうちに死亡します(49歳)。
 フレデリックの長男のフレッドは、父に輪をかけたワーカホリックで、大工から住宅建設事業に乗り出し、労働者向けの住宅ビジネスで成功し、さらに大不況時にもニューディール政策の住宅建設援助を追い風に事業を拡大します。その一方で、彼は、KKKのメンバーであるというレイシストの側面もあり、逮捕歴もあるようです
 そのフレッドの次男が、ドナルドです。子供時代は、いじめっ子でガキ大将のスクールギャング。その無軌道ぶりに手を焼いた父親は、軍隊式の全寮制学校に入学させましたが、自ら鬼軍曹のように装い気に入らないやつに気合を入れたり、女子の立ち入りは禁止だったはずなのに、学校の許可をもらって、女の子がひっきりなしに訪ねてきたといいます。
 卒業後、フォーダム大学に入学し、二年後にはペンシルベニア大学の大学院ウォートン校で経営学を学びます。しかし、大学には馴染めず、大人しい学生という印象を残して卒業をしています。彼は、学業のかたわら父の仕事の手伝いをしていましたが、その内容は賃貸アパートの家賃取り立ての仕事でした。しかし、彼は、父のそうした堅実な商売に飽き足らず、マンハッタンのハドソン川沿いの再開発に乗じ、土地を購入して事業を展開し、ホテル建設など不動産ビジネスで成功を収めます。

 彼の政治経歴は、そのビジネスと連動しています。1983年にトランプ・タワーを完成させ、次なる話題の提供を考えていたトランプ氏は、1986年5月、ニューヨーク市長のエド・コッチに挑発的な手紙を送って大喧嘩を演出しました。それは1980年に閉鎖されたスケートリンク改修がいつまでたっても完成しないことを、市長の無能さに批判しつつ、自分が請け負えば、簡単にできあがる、と主張するものでした。これにコッチ市長は激怒して反論したのですが、世論はトランプに味方し、さらに市の財政負担なく請け負ったスケートリンク改修を86年中に終わらせるという神業を発揮しました。これによりトランプ人気は高まります。そして、それまで民主党員であったのに、民主党の市長であったエド・コッチと対立したために、共和党へと鞍替えしました。こうして時代の寵児となった41歳のトランプ氏は、1987年9月に『ワシントン・ポスト』、『ニューヨーク・タイムズ』、『ボストン・グローブ』に、日本と欧州の同盟国に安全保障の対価を求める内容の全面広告を発表しました。これにより、トランプ氏は大統領選挙に出馬する糸があるのではないか、と言われたのですが、実際に共和党の一部ではトランプを次期大統領候補にするという動きがあったそうです

 このように政治的にも活躍し始めたトランプ氏ですが、ここで注意すべきは、翌年にトランプ氏は、『トランプ自伝』を刊行し、自称400万部、少なくとも100万部のヒットに結びつけたことです。彼の政治的行動は、自分の名を売らんがためという目的があるといえるのです。それは2000年に改革党から大統領候補の氏名争いに名乗りを上げましたが、すぐに撤退しています。この時も“The America We Deserve”という本を出版し、有料のビジネスセミナーまで開いて、人を集めていたといいます。これが成功したというのは、最初に述べた『アプレンティス』という番組のレギュラー出演者となって人気者になったことでもわかるでしょう。そして、ついに今度は共和党の大統領候補にまで上り詰めてしまったのです。

 しかし、どうやら今回も当初は自身のナルシズムに基づく売名が目的であったようで、2016年のアメリカ大統領選挙の予備選の元スタッフによると、トランプ氏は、そもそも予備選二位を狙っていたというのです。それが、堂々たる候補者になってしまったところに、現在のアメリカの問題があるといえるでしょう。

 では、彼を引き上げていった要因とはなんであったでしょう。それは、アメリカがアメリカで亡くなったということであるらしいのです。つまり、アメリカは、アメリカ的価値観を外に押し付けて、世界をアメリカ化していたと思っていたら、アメリカ自体が世界化してしまって、アメリカという背骨がなくなってしまったのでした

 アメリカの背骨とは何かといえば、いわゆるWASPというアングロ・サクソン系のプロテスタントの白人男性というアメリカ建国時の中心的な人々です。それが、移民の増加によって、徐々にマイノリティに転落しそうになっている。しかも、教えられる歴史は、「アメリカは虐殺集団である白人人種主義者に発見され、有色の土着の民を殺し続け、アフリカ人を奴隷にして、いやがる労働に駆り立てた。それから白人人種主義者は国を出て世界中でその土地の人々に暴虐を加え、植民地にした」とされ、「同性愛者でない白人労働者の男は悪の根源」とみなされるようになってしまったというのです。

 かつて小室直樹は、日本の「自虐史観」を批判するのに、アメリカの歴史教育はアメリカの悪を描かない、何故なら歴史教育は「国民」を作るためであって、事実の探求をする「歴史研究」とは違う、と指摘していました。つまり、高校までの教育は、連帯の主体であり対象たる「アメリカ国民」を作ることに力点が置かれ、大学教育においてアメリカの旧悪を自ら追求するのがアメリカ人だと言っていたわけです。それが、最近では、日本同様に歴史教育において、「アメリカ国民」を作ることよりも、「事実の羅列」の方にシフトしたらしいのです(参照)。

 こうなると近年のアメリカの分断状況というものが何に原因を持つかわかるような気もします。もはや「アメリカ国民」が存在しない、つまり「国民国家」であることをやめたのでしょう。アメリカは、そもそもが移民国家で、多様な価値観や人種、社会層によって形成されていましたので、ただでさえ連帯を弱くする遠心力がかかっています。

 それをとどめていたのが、「アメリカ的」という中心的価値観と神話化した歴史でした。それが、否定されて「客観的な」歴史を教えられていけば、アメリカ人としてのアイデンティティよりも、それぞれのコミュニティのアイデンティティの方へ重心が移っていきます。さらには郊外化で地域的結びつきがなくなり、家族も多様化していっていますので、個人へと閉じこもっていかざるを得ません。

 そうした連帯感をない状態=アノミー化が進むことによって、不安になった人々が明らかに機会主義的で、リーダーになる気がないのに、過去の亡霊としての「アメリカ的価値」を標榜する人物に活路を見出してしまっているというのが、トランプ現象というものなのでしょう

 こうしてみると、我々日本人は、2000年前後に一度、こうした経験があったので、馴染みがあるような現象のような気もします。そう石原慎太郎さんを首相にしようという機運が、あの時期、最も強かったのでした。90年代後半は、まさに先に上げたアメリカの歴史よろしく「自虐史観」というものが問題となって、その修正こそが日本再生の第一歩だと思われていたのでした。こうした思潮が、社会党と連立してしまった自民党という戦後体制を象徴する保守政党への嫌気が差して、非自民の保守政治家・石原慎太郎氏への期待が高まったのでした。

 それを阻んだのが、靖国神社参拝という一点で保守派の心をつかんだ小泉純一郎首相でした。小泉首相は、もともと保守派がこだわる歴史観などには興味がない人物でしたが、非主流派が主流派に勝つための戦略としての靖国神社参拝が大きな役割を果たしました。つまり、既成の自民党という政党の中から反体制の保守派を取り込めるような偶像をつくることができたということで、日本社会の分断と急進化を防ぐことが可能となったのでした。やはり既成の体制を不安定にするのは中間層であり、中間層は保守的なのです。その保守的な中間層を周辺に追いやろうとすると急進化して、本人たちも思いもよらぬ方向へと進んでしまうのです。ですから、彼らを一定程度、満足させておくのが、政治の常道です。

 日本において「自虐史観」がなくなったとはいえませんが、多少は穏健化したようですし、保守勢力があまり問題にすることはなくなりました。彼らは、政治的に一定の満足があれば、社会問題に急進的な批判の目を向けないものです。そうした面から言うと、政権というのは、多少保守的な方が社会は安全なのかもしれません。丸山眞男も指摘するように、ファシズム運動は、社会が左傾化した時に現れるものなのです。

 そうすると、トランプが大統領にならないことを前提に、今後のトランプ現象を考えると(本人もなりたくないだろう)、ヒラリー・クリントン氏が経済政策等はオバマ政権を引き継いで左派的である一方で、社会的価値や安全保障で一気に右派的な価値観を持ち出すことが良いでしょう(もっとも安全保障の右派的価値観というのは実際に戦争をするのではなく、軍事力の強化によって、戦争を未然に防ぐというレーガン的な立場でやってもらいたいということですが)。

 これにより女性大統領ということで、再び不満が高まる「白人男性」の何らかの満足を与えることになり、2000年前後の石原ブーム後の小泉首相のごとく、2010年前後の橋下徹ブーム後の安倍晋三首相のごとく、エスタブリッシュメントの中で保守層を満足させて、社会不安を軽減する役割となるでしょう。それが「強いアメリカ」「正しいアメリカ」「誇るべきアメリカ」を復活させ、第二、第三のトランプの登場を再び数年遅らすことが可能になるのではないでしょうか。私はそのように願います。

評価 ☆☆

よろしければ、クリックお願いします。


本・書籍 ブログランキングへ
にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ
にほんブログ村

2016年10月 7日 (金)

勝間和代『お金は銀行に預けるな』

点検読書238

副題は「金融リテラシーの基本と実践」
光文社新書(2007年11月20日)刊


投資


日本人の多くは、お金というものを自分の労働で稼ぐものという固定観念をもってしまっている。そのために、他の先進国に比べて労働時間が多く、男性の家事・育児時間が短く、女性の社会進出を阻んでいる。自分のお金を労働以外で稼いでくるという考えが浸透することにより、人々のワークバランスはより向上する。そのためにも、金利の低い銀行に預けるのではなく、リスクを取りながらもより高い金利でお金を投資・運用する知識が必要である。


4部構成

1:金融リテラシーの必要性(第1章)

2:金融商品の種類(定期預金と国債、株、為替、不動産、投資信託、生命保険、コモディティ、デリバティブ 第2章)

3:実践編(第3章)

4:金融知識と社会(第4章)

コメント
 勝間和代さんといえば、「起きていることはすべて正しい」と全肯定する一方で、岡田斗司夫さんに「断る力」を発揮したり参照、「やせる!」と宣言したりと忙しい人だな、と本屋の背表紙をみて思ってましたが、彼女の単著を読むのは初めてです。共著は、以前、宮崎哲弥さんと飯田泰之さんの『日本経済復活 一番かんたんな方法』を読んでいましたが、これは飯田さんの本であって、勝間さんは聞き手といった感じで、特に印象が残っておりませんでした。

 本書ですが、投資を始めるのに一番最初に読む本だったかな、という感想が浮かびました。本書によれば、素人が手を出していいのは、インデックス型の投資信託やETFだけで、株をやるというのは、素人がお札を持って鉄火場に赴くようなもので、おすすめできない、といいます。現に、個人投資家が持ち続けた株は5%しか上がらないのに、売った株は11・6%も値上がりするというデータまであるというのです(75頁)。たしかに、私のような素人投資家には「よくあること」という思いがあります。

 こうして月4万円程度のインデックス型の投資信託をしつつ、勉強していって、アクティブファンドや株などの他のものにも手を出していくというのが正攻法らしいのです。その手を出すというのも、あくまで趣味の範囲として、儲からないことを織り込んでやるようにするというのが、本書の主張です。

 こうした考え方は、山崎元・水瀬ケンイチ『ほったらかし投資術』や山崎元『お金の運用術』で知っておりました。現に実践しております。しかし、これらの本よりも本書の方が先なのですね

 それに加えて、本書が説得力を持つのは、ワークバランスという概念を持ち出して、仕事とプライベートな生活、とりわけ家族との関係を両立させる方法としての金融リテラシーの必要性を訴えていることでしょう。つまり、お金を稼ぐということを自分の時間を使って労働するしかないと考えてしまうと、どうしても労働時間が長くなり、家族と過ごす時間が少なくなります。そうすると家族との関係がどうしてもギクシャクしてきます。最初は、親愛によって結び付けられた共同体も、家族との関係に時間が取れていないと、金によって結び付けられた利益共同体へと変貌してしまいます。お金を稼いでいる分には、それは安定した場所かもしれませんが、失業等で給料がなくなると、とたんに金の切れ目が円の切れ目で崩壊の一途をたどることになります

 これを防ぐためにも、自分で稼ぐという労働観から他の人に稼いでもらったものから利益を得るようにして、合計すれば自分が必要とする所得を得られるようにできる投資という方法が必要となります。そしてまた、その投資は無理なく、安定的な利益が出るようにしなければなりません。株だけで稼ごうとしても上記のように、個人投資家はどうしてもプロには勝てません。勝つ人もいますが、それはじゃんけんで一位を取るようなもので、条件が変われば勝てないのです。とりわけ、チャート分析に時間をかけるテクニカル分析には、ほとんど学問的裏付けはなく、個人投資家の中では負けが多いそうです(ファンダメンタルズ分析の方が成績は良いらしい)。

 そうすると、自分の時間をとることができて、プロを雇って投資してもらう投資信託が最も効率が良い、とします。しかし、注意すべきは、投資信託の相談は金融機関に任せずに、自分で選んだ方が良いとのこと。そのためにも金融リテラシーが必要となるのです。

 先にも書きましたが、私はすでに少額のETF購入を毎月やっておりまして、たしかに何を買うか悩む必要がない上に、少額で負担になりません。その上、月の株価の浮き沈みに対応して買っているので、大負けすることがない上に、5月の一番低いときから始めたので、良い調子です。今のところ、気分良くやっていますが、いかんせん少額ですから利益が少ないのが、不満といえば不満です。でもまぁ、本書が想定するのは大卒ルーキーが定年後まで4万円の投資をし続ければ、4%の金利だったとしても60歳には4339万円になる(元本は1872万円)ということを述べています。これだけあれば、老後も安心でしょうし、私は遅れてしまいましたが、やる価値はあるでしょう。

 本書は、定期預金ぐらいしかお金の使い方を知らない人に、それがどれだけ損をしている上に、銀行を儲けさせているだけだということを教えてくれて、別の方法に後押ししてくれる優れた本です。ただ一回読み通せば、もういいかなということで、☆二つ。

評価 ☆☆

よろしければクリックお願いします。


本・書籍 ブログランキングへ
にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ
にほんブログ村

2016年10月 4日 (火)

BUCK-TICK『アトム 未来派 No.9』

 9月28日に発売されたBUCK-TICKのニュー・アルバム『アトム 未来派 No.9』を聴きました。価格の安さにひかれてAmazonで購入したのですが、29日着というガッカリな事件がありましたが、それも良い思い出です。

 さて、内容の方ですが、2chのBUCK-TICKスレでは、フラゲの人から大絶賛という感じだったので、2日遅れの私としてはハードルがずいぶん上がってしまったんですね。そうしたわけで、私の評価は歴代の中でも出色の出来と言った感じです。8th『Six/Nine』(1995年5月15日)、14th『十三階は月光』(2005年4月6日)、16th『memento mori』(2009年2月18日)の三強は崩せないものの、それに迫る作品といったところでしょうか

 前記三作というのは、これまでのファンの切り捨てを恐れずに挑戦しつつ、新規のファンを獲得し、コアなファンが絶賛するという意欲作だと思うのです。私自身は、『Six/Nine』収録の「」を聴いて気になり始め、シングルベストの『catalogue』(1995年12月1日)を買ってからのファンですから、「新規のファン」獲得の1人でした。また、『十三階は月光』は、11th『ONE LIFE, ONE DEATH』(2000年9月20日)、12th『極東I LOVE YOU』(2002年3月6日)と13th『Mona Lisa OVERDRIVE』(2003年2月13日)と三作続けて微妙な出来だったので、『十三階は月光』は発売日に買わずに、1年ぐらい経ってから中古屋で買ってファンに戻ったきっかけになった作品ですし、その年から年末のライブに通い始めたと思います。そして、『memento mori』は、作品があまりに素晴らしかったにも関わらず、一般発売のツアーに行けずに涙をのんだために、ファンクラブに加入する決断をさせた記念すべき作品です。

 以上の三作は、私にとっては思い出深い作品なのですが、例えば、『Six/Nine』はオリコンチャート1位を獲得した作品であったし、全曲にPVが作成されるなど売れた作品だった一方で、この作品を最後に売上が20万枚を下回るようになって、ファン離れを招いたと古いファンから教えてもらったことがあります

 記憶する限りなのですが、次のシングルの「キャンディ」(1996年5月22日)の発売時期だと思いますが、テレビ東京系の『TOWER COUNTDOWN』に出演した時に、インタビュアーから「最近、BUCK-TICKはファンのことを考えていないのではないか」と強気の質問がされて、櫻井敦司さんが「そんなことはありません。応援お願いします」と答えていたのを覚えています。それ以前のBUCK-TICKは、絶世の美男子が耽美でダークな世界観の中でねじれたギターサウンドにのせて中二心をくすぐるカタカナ語を交えた曲を歌うということで、人気を得ていたのだと思うのです。それが、いきなりヘビーなハードロック調で「デタラメ野郎」とか歌われたら、従来のファンが引くのは分かるような気がします。

 しかし、こういうファンをも裏切る創作の姿勢が、逆にコアなファンに次は何してくれるんだろうという期待を抱かせるのもBUCK-TICKの命ともいえます。現に私のようにそこから入っていって、売上を落とすきっかけになった作品群を「名盤だ」、と喜んでいるのですから、そこは続けてほしいものです(こちらを見ると、前記三作の次の作品でガクッと売上が落ちているのがわかると思います。9th『COSMOS』〔1996年6月21日〕、10th『SEXY STREAM LINER』〔1997年12月10日〕もヤバイっすね。私にはどちらも思い出深い、好きな作品ですけど)。

 さて、前置きが長くなりましたが、今作です。印象としては、「ようこそBUCK-TICK、おかえりBUCK-TICK」ということで、ビクター復帰を記念して、名盤6th『狂った太陽』(1991年2月21日)、7th『darker than darkness』(1993年6月23日)に雰囲気としては似ているような気がします。全体的に暗めの印象がある一方でヘビーではなく、デジタル多めなのに歌ものとして成立しているといいましょうか

 といっても、作品全体を聴いてのイメージは前記二作を思い出させるのですが、各曲は例えばM-1「cum uh sol nu - フラスコの別種」やM-3「DEVIL’S WINGS」は『十三階は月光』に収録されてもおかしくないような気もしますし、M-2「PINOA ICCHIO - 躍るアトム 」は『Mona Lisa OVERDRIVE』っぽい歌詞に『memento mori』の曲をのせているような印象があります。また、M-5「美 NEO UNIVERSE」は一曲で『ONE LIFE,ONE DEATH』を表現しているように聴こえますし、M-9「FUTURE SONG - 未来が通る -」は今井さんが『SEXY STREAM LINER』、櫻井さんが『RAZZLE DAZZLE』を歌っているように思え、M-10「曼珠沙華 manjusaka」は『天使のリボルバー』(2007年9月19日)の雰囲気を感じました。つまり、作品全体はビクター時代の傑作に寄せているものの、各作品に他のレーベルで出していた曲を投影させているように聴こえました

 ここからは、本作の中で個人的に好きな曲ですが、やはりM-8「THE SEASIDE STORY」ですね。主にこればかり聴いています。昭和歌謡っぽい吉井和哉さんから淫靡さを抜いて今井さんのロマンティストな面を入れてきたのかな、と思わせる曲です。

 また、この曲は、近年のカバーソングでアルバムを売るという音楽業界を皮肉った曲だと思うのです。そんなに昭和歌謡が聴きたいなら、新曲で昭和歌謡を出せばいい。しかし、さすがは今井さん。それだけにはとどまらず、その昭和歌謡の原曲をいかにも今現在のロックサウンドとエレクトロニカでアレンジしたような作品に仕上がっているのです。新曲なのにカバーソングっぽく作ったというのが、本作の凄さでしょう

 この曲は、人魚姫を題材に取ったものなのですが、私、これつい先程まで「THE SUICIDE STORY」と勘違いしていました。たぶん、今井さんは、子供に『人魚姫』の本を読み聞かせるか、アニメのビデオでもみて、「これって、自殺の物語じゃね」とか思いながら作ったのかな、とか思っていたのですが、ド直球に「海辺の物語」でしたね。でも、先程の昭和歌謡風味がカバー曲的な皮肉になっていると私は感じましたので、「シーサイド」と「スーサイド」のダブルミーニングを持たせているのではないか。そのように勝手に思っています。

 あとはどうでも良い話のなのですが、M-6「BOY septem peccata mortalia」が、とてもカッコよくて好きな曲なのですが、歌詞をみると「さっき食べたでしょ」と言われながらも、冷蔵庫にへばりついて、もっと食べたい、食べてないよ、嘘じゃないよ、と「少年」というよりも、少々幸せな気分になっている「老人」の気持ちを歌っているように、気分としては「少年」よりも「老人」に近い私には聴こえてしまいます

 また、最近の櫻井さんの歌詞の南米推しが気になるところです。21世紀はブラジルとアルゼンチンの時代と言われたのは今は昔ですが、今年はリオ・オリンピックだったか、何か解放的な気分なのかな、と思うと同時に、我が国の音楽業界における南米とは、橋幸夫さんの「恋のメキシカン・ロック」以来、演歌の独壇場だったような気もするんですよね。ですから、「ベサメ・ムーチョ」という歌詞を聴くと、以前、近所のイオンでこういう感じの生ライブを拝見した若手演歌歌手・川上大輔さんの「ベサメムーチョ」を思い出してしまいます。まぁ、それはそれでいいのですが。

 このように考えると、本作は古巣のビクターに戻ったということもあるのかもしれませんが、原点回帰と昭和のにおいを漂わせつつも、デジタル多めの「未来派」な作品といえるのかもしれません。でも、最初に書きましたが、作品としては、歴代でもトップクラスの出来だと思います。ここ2、3作は圧倒的な名曲が2、3曲入っていて、他の作品が霞んでしまうという印象もあったのですが、今作は良い意味でバランスの取れた作品だと思います。初心者にお薦めできるかというと悩むところですが、多くの人に聴いてもらいたい作品です。

よろしければクリックお願いします。


人気ブログランキングへ
ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

2016年10月 3日 (月)

渡辺将人『アメリカ政治の壁』

点検読書237

副題は「利益と理念の狭間で」
岩波新書(2016年8月30日)刊


アメリカ――政治学


泡沫候補と見られていたドナルド・トランプ氏の大統領選挙での本選挙出馬に見られるように、アメリカ政治は混迷の度を深めている。その原因は、冷戦終結後の民主・共和両党の政策スタンス、理念の転換により、支持層が錯綜し始めたからである。本書は、その源流にまで立ち返って、現在の大統領選に至るまでの、トランプ氏の台頭とサンダース氏の健闘という新しい流れを位置づける。


4部構成

1:2016年のアメリカ大統領選挙の諸相(Ⅰ)

2:雇用・宗教による民主・共和の支持層の分裂(Ⅱ)

3:外交と世代交代(Ⅲ)

4:リベラルの系譜(Ⅳ)

コメント
 現在アメリカの源流は、フランクリン・ローズヴェルト政権にあったといえます。
 ローズヴェルトは、失業者の救済、経済の復興、改革を三つの柱としたニューディール政策を掲げ、従来の民主党の支持者であった南部白人、カトリック信徒に加え、都市の移民、労働者層、アフリカ系の人々にまで支持を拡大しました。本書が、依拠するアメリカ政治を専門としていた砂田一郎によると、ローズヴェルト政権は、「理念」ではなく「利益」で大多数の支持層をつなぎとめていたということです。

 こうした路線は、リンドン・ジョンソン政権の「偉大な世界」という福祉制度の充実にまで続いていくわけですが、同時期のベトナム戦争への反対運動や黒人差別の撤廃を訴えた公民権運動、またフェミニズム運動への対応により変化します。民主党は支持層を反戦運動家やアフリカ系、フェミニストへと拡大の手を伸ばそうとしたのですが、これがかえって従来の支持層であった南部白人、カトリック教徒、そして一部の労働者層の離反を招くことになります。

 アフリカ系有権者の拡大のために、これまで差別に手を染めていた南部白人層が民主党から離れて、共和党へと移行するのは分かりやすいです。では、労働者層は、というと、一部の労働者は軍需産業に職を得ている人がいるのです。そうすると反戦による戦争の縮小は、彼らの職を奪うことになります。ベトナム戦争の性質そのものや外交の手段としての戦争をするかしないかには、議論があります。現に戦争を取りやめたのは、共和党のニクソン政権でした。しかし、原理的な反戦平和主義を取り入れると、防衛予算の縮小による軍需産業の低迷を招くことになりかねませんので、彼らにとって不利となります。ですから、戦争への支持・不支持そのものよりも反戦平和主義へとウィングを拡げることが、一部の労働者層には不満があるのです。そうした理由か、例えば民主党のクリントン政権などで定期的に空爆など小規模戦争をしたのも、労働者層の支持をつなぎとめるためとも言えるかもしれません。しかし、オバマ政権になると、そうした「利益」政治よりも平和主義という「理念」を優先して、できる限りの戦争を避ける外交政策をとったために、労働者層からの離反があったと言えるでしょう。これが、サンダース氏やトランプ氏に期待が集まった理由の一つかもしれません。これを見ても、アメリカが戦争経済にどっぷり浸かってしまっているといえるでしょう。

 では、カトリックの離反はと言うと、フェミニズム運動の課題の一つに、中絶の権利の獲得がありました。カトリックとしては、これを容認するわけにはいかないという事情がありました。カトリックは、平和、貧困、公民権などではリベラル勢力に協力できました。しかし、彼らは、避妊も認めない立場であるし、お腹にできた子供はその瞬間から「生命」と考えていますので、それを「殺害」する中絶は容認できません。

 本書を読んで勉強になったのは、人工中絶反対が、何故こんなにもアメリカで大きな問題になるかというと、単に宗教問題ではなく、モラルの問題でもある、ということなのだそうです。つまり、中絶問題は、貧困や強姦などの事件や母体の安全などを理由とする望まない妊娠への措置ではなく、急進的なフェミニズムの側(プロチョイス派)の「性を楽しむ権利」の是非に関わってくるということです。病気というリスクを考えなければ、性交渉において、リスクを負うのは女性となります。妊娠期間は、辛いし、生むのも痛いし、産んだ時にその相手の男はいなくなっているかもしれません。そうしたリスクを軽減するためにも、中絶を罪ではない、という考え方を広めるためにも、中絶は法的に認められなければならない。こういう主張です。そうすると、性の快楽のために、生れた生命を弄ぶということで、普通の人にも中絶反対の訴求力があるというのです。正直な急進派が、中間派を反対に追いやって改革を邪魔する好例がここにあるわけです。

 あともう一点、興味深かったのは、マイケル・ムーア監督の『ボーリング・フォー・コロンバイン』や『シッコ』に見られる諸外国との比較という手法をアメリカ人は受け入れない、ということです。我々日本人は、「○○では~」と諸外国の例を取り上げて、日本の「遅れ」や「異常性」を訴えることで、改革への支持を獲得しようとします。しかし、アメリカ人は、外国を例に挙げられてアメリカン・ウェイを批判するという手法を嫌がります。あくまで「アメリカのために良いこと」という方法で説得しなければならず、「○○並に」というような主張は禁句だそうです。やはりアメリカ人は世界の中心なのです。

 これらにとどまらず、現在のアメリカは民主・共和の両党の支持層が錯綜した困難にあるというのが本書のメッセージです。その点で、右派的なイデオロギーの「理念」を掲げつつも、左派的な「利益」政治を主張するトランプ氏は、彼がかつての民主党員であったという経歴からも、新しいのではなく、過去のアメリカが我々の前に現われている、と言えるでしょう。そうした意味でも、今回のアメリカ大統領選挙を見守るのに良い手引になる本だと思います。

評価 ☆☆

よろしければクリックお願いします。


本・書籍 ブログランキングへ
にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ
にほんブログ村

« 2016年9月 | トップページ | 2016年11月 »

最近のトラックバック

2017年10月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31