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2016年9月

2016年9月24日 (土)

松田賢弥『影の権力者 内閣官房長官菅義偉』

点検読書236

講談社+α文庫(2016年)刊


日本政治


第一次内閣の機能不全とは打って変わって、安定的な政権運営を続ける安倍晋三政権。その秘密は、「影の総理」とまで噂される菅義偉官房長官の存在がある。本書は、菅の故郷である秋田県雄勝郡秋ノ宮村(現・湯沢市秋ノ宮)の歴史を語りつつ、菅の生涯と彼に影響を与えた梶山静六、野中広務、小沢一郎らの行動をたどり、菅の政治家としての本質に迫ろうとしている。


6部構成

1:菅の故郷・秋ノ宮村と満洲移民の歴史(第一章)

2:集団就職世代としての菅(第二章)

3:小沢一郎の時代(第三章)

4:1998年の総裁選と野中広務(第四章)

5:官房長官・菅義偉(第五章)

6:菅の今後(第六章)

コメント
 著者は、小沢一郎氏についての取材で著名なジャーナリストで、小沢氏の妻からの絶縁状を入手して公表するというスクープを世に出しています。その点で、著者が得意なのは、小沢一郎研究です。そういうわけで、小沢氏に関する部分が面白かったりします。
 本書は菅義偉研究というよりも、菅氏を縦軸に置きつつも、菅氏自身が「知らなかった」と語っている故郷の満洲移民の悲劇に多くのページを割いたり、集団就職世代である菅の同時代の世相や人々の姿、菅氏が国会議員として政界デビューした90年代の主役たる小沢一郎氏と野中広務氏、そして菅氏の師である梶山静六について多く語られています。
 そのため、菅氏について、もう少し語ってくれよ、という読後感にはなります。もっとも、よく誤解されている菅氏が、法政大学の二部出身だということは誤りで昼の法学部出身であることを本人に確認したり、小此木彦三郎の秘書時代に培われた忍耐、横浜市議時代の「影の市長」と呼ばれた実力、一年生議員の時から総裁選を手動する政争好きな姿、消費税増税に最も慎重な政治家であること等々は面白い話です。しかし、出身大学問題は、大学に問い合わせるぐらいして確認してほしいものだし、横浜市議時代のエピソードももっと語って欲しいところですし、国会議員となってからの菅氏についての活動を総裁選などの大きなはないだけではなく、細かい活動実績から菅氏が考える政治観、国家像に迫ってほしかったように思います。
 結局のところ、故郷の秋田の取材に時間を取りすぎて、肝心な菅氏自身の実像に迫るところまで行っていないという印象です
 著者は、菅氏を「土着の匂いがする政治家」と評していて、かつての田中角栄を思い出させる最後の政治家としています。その点で、著者は「安倍あっての菅」ではなく、首相への野心を探ろうとし、期待もしています。その一方で菅氏と対比させているのは、師である梶山静六や野中広務氏、小沢一郎氏といったトップに座るよりもNo.2としての活躍が目立つ人物たちです。もっとも、上記三人もめぐり合わせがあれば、首相になれた人たちですが、本人や周囲の評価は、場合によっては泥もかぶれる裏方の政治家といった人々でしょう。そうすると、菅氏もやはり官房長官や幹事長というポストが最も輝く場なのかな、とも思います。もっとも、現在名前が上がっている政治家の中で安倍政権の後継者としてふさわしいのは、菅氏しかいないので、その期待に応えて欲しいところでもあるのですが、本人は総理を狙う気はないそうです。
 しかし、著者がポスト安倍として期待しているのなら、もう少し菅氏にフォーカスした内容にしてほしかったな、と思います。次期首相が、どういった政策志向を持っていて、どんな国家観を持っていうかに迫って欲しかったです。もっとも、それだけ菅氏という人物が自分を語らず、つかみ所のない政治家であるともいえます
 その中でも、菅氏の思想がチラリと垣間見えたのが、師の梶山静六の安全保障観と安保法制への尽力との関係を問われた際につぶやいた一言です。

梶山さんと俺のちがいはひとつあった。梶山さんは平和主義で『憲法改正』に反対だった。そこが、俺とちがう」(23頁)

 「影の総理」と呼ばれる人物の言葉ですから、重いです。どうもつかみ所がない菅氏ですが、安倍総理という憲法改正を政治の最終目標とする人物の復活を演出し、支え続けている理由は、こうしたところにあるのかもしれません。

評価 ☆☆

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2016年9月22日 (木)

山口敬之『総理』

点検読書235

幻冬舎(2016年)刊


日本政治


安倍晋三総理とサシで話ができ、さらには麻生太郎財相とのメッセンジャー役にまで信頼を勝ち得た著者が、第一次安倍晋三内閣での辞任スクープから安倍総理に復活劇、安倍政権の外交、内政の決定的瞬間を活写する。


1:第一次安倍内閣の崩壊(第1章)

2:再出馬と第二次安倍内閣成立(第2章)

3:財務省との対決(第3章)

4:対米外交の真相(第4章)

5:ポスト安倍(第5章)

コメント
 これは面白かった。まるで池井戸潤の小説を読んでいるような面白さ(読んだことないけど)。
 この面白さの最大の要因は、何と言っても登場人物のキャラの立ち方でしょう

 総理しかできない男安倍晋三

 民権運動派の義理人情と「臣茂」的な忠誠心を持ち合わせたベテラン政治家・麻生太郎

 静かな闘争心を内に秘めた蕭何にして張良・菅義偉

 シャイで不器用な悲劇の政治家・中川昭一

 ズケズケ食い込んでいくものの嫌味にならないジャーナリスト・著者

 本書を読んで改めて思うのは、安倍総理という人物は、本当に総理しかできない男なのではないか。そうした理解ができました。
 彼は、官房長官という閣議に出席する国務大臣は経験したものの、行政府を束ねる行政大臣をやったことがありません。そこが、第一次内閣での官僚へのコントロールが効かないところだったように思いますが、第二次内閣になるまでも結局のところ、行政大臣を経験せずに再任して長期政権を築いています。これは、彼の周囲に行政大臣として経験が豊富な麻生太郎財相や、かつて横浜市議として高秀秀信市長を支えて役人の生態を知り、総務大臣として政治主導を行なった菅義偉官房長官という得難い人材を周囲に置けたからでしょう。
 また、安倍総理について書かれたものを読んで思うことは、周囲の人間を何故か惹きつけて人材が集まるということです。それは、とりわけ再出馬に至るまでの間に、彼を見捨てず、ほぼありえないと思われた二度目の総理という夢を多くの人に抱かせたことでも分かります。
 特に雌伏中の安倍総理に高尾山登山を提案した長谷川榮一総理補佐官や今井尚哉総理秘書官、北村滋内閣情報官、田中一穂財務事務次官など官僚の中に、復活の立役者たちがいたことに驚きます。通常、官僚は政治家を利用するために親密になったりするわけですが、まさに復活の目がなさそうな首相の座を無様に「投げ出した」安倍総理を見捨てずに付き合い続けたことに驚きを感じます。
 その一方で安倍総理という人物は何なのか、というと、先にも述べたように「総理しかできない男」という印象を持ってしまいます。一介の議員としては右派の野次将軍としての活躍しかなかったわけですし、1998年の総裁選で彼が担いだ小泉純一郎氏は菅義偉氏に担がれた梶山静六氏にすら惨敗するぐらい政争にも強くありません。官房副長官時の北朝鮮の盗聴を念頭に置いた進言はクリティカルヒットですが、目立った活躍はそれぐらいです。また幹事長としては選挙に負けてますし、官房長官として野中広務氏や福田康夫氏、現在の菅義偉氏のような個性を持っていたわけではありません。
 安倍総理というのは、一個の議員としても、政争における戦闘力も、党のガバナンスにおいても、国務大臣としても凡庸なのです。それが、総理大臣となると類稀な能力を発揮しています。
 実務能力や泥をかぶるような戦闘力はないし、有象無象の自己利益のみの政治家や官僚を動かす能力はないものの、強烈な国家観や将来のビジョン、課題設定の確かさ、決断力と責任感、そして安倍総理個人に役立とうとする人を魅了する人間的魅力という指導者としての資質は十分にある、ということのようです。やはり、「総理しかできない男」なのでしょう。
 本書によって明らかにされたことで興味深いのは、対米外交です。安倍自民党政権は、ややもすると対米追従外交と思われてしまいますが、2013年8月のシリア空爆への支持を巡って、安倍政権は決定的な証拠を開示するまでは支持を表明しない、と粘ったそうなのです。これは、イラク戦争への支持への反省から、簡単にアメリカ支持を打ち出すことは外交的失敗につながるとして、安倍総理の強い意向によってなされたものだそうです。結局、アメリカは折れて、アサド政権が市民に向けて化学兵器を使った映像を確認した上で、支持を明確にしたそうです。アメリカ側としては、「ドイツにも開示していない情報を、秘密保護の法整備が不完全な日本に開示した」と恩を着せられたそうですが、これが2013年後半に大騒動を巻き起こす特定秘密保護法成立への強い意志に繋がったようです。つまり、対米外交でモノをいうためにも、そうした法整備が必要となるということです。この年には、靖国参拝で対米関係がギクシャクしましたが、ここでお互いに恩を売りあったがために、現在の良好な日米関係へとつながりました。

 もう一点。
 「ポスト安倍」の章で、2015年の自民党総裁選をめぐる攻防で野田聖子氏は酷すぎる。野田氏によると「安倍総理はこれまでビッグイシュー(大きな政策課題)には直面していないんですね」と発言したそうです。安倍政権は、特定秘密保護法、原発再稼働、集団的自衛権の行使容認と安保法案の国会への提出、TPPや農協改革、内閣人事局による霞が関改革など、いくつもの大きな論争と闘争を巻き起こした課題に向き合って、実現させています。とりわけ特定秘密保護法や集団的自衛権の行使容認などは、連日、大規模なデモがあったではありませんか。この人物は、国会前のデモを何とも思っていなかったのでしょうか
 それで、彼女が挑戦したい課題は、「議員定数削減と女性の活躍」ですから、話になりません。彼女は、女性初の総理という称号が欲しいだけで、何をやりたいかが何もないのです。これは、本当に期待できません。
 ポスト安倍で気になるのは、岸田文雄外相です。岸田外相は、安倍総理と同期で、麻生太郎財相が新人議員を飲みに誘った時に安倍、塩崎恭久厚生労働相とともに参加したそうです。岸田外相と安倍総理は、こんなつながりがあったのですね。安倍、麻生、岸田、塩崎と現内閣の要がそろった飲み会だったわけですが、この時の縁を大事にすれば、岸田外相がポスト安倍の有力候補なのではないか。そんな気もします。恐らく、総裁任期の延長がなされて、安倍総理が続投したら、幹事長が岸田氏になるのではないか、と思います。ただ岸田氏の政策というのが、全く見えてこないのですね。そこが困ったところですが、生来のNo.2で闘争心の塊の菅官房長官が軍師として岸田氏を支えて、岸田総裁の下で念願の幹事長をやるというシナリオが一番ありそうなもののような気がします。これは、まだまだ数年先の予測ですが、一応メモ代わりに書いておきます。
 それはともかくとして、本書は、現在の内閣に関心がある人なら必読の書です。

評価 ☆☆☆☆

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2016年9月20日 (火)

塩田潮『復活!自民党の謎』

点検読書234

副題は、「なぜ「1強」政治が生まれたのか」
朝日新書(2014年2月28日)刊


日本政治


2009年に野党に転落した自民党は、わずか3年で政権に返り咲き、第二次安倍晋三内閣の下、「1強」体制をつくりあげた。史上初の自力復活総理たる安倍首相は、なぜ復活できたのか。民主党政権はなぜ失速したのか。自民党の再生はなぜ可能となったのか。「1強」体制に死角はないのか。第一次、第二次安倍内閣の過去と周辺をたどりながら、その真相に迫る。


4部構成

1:安倍晋三首相の再登場の謎(その1、2)

2:自民党の野党転落と政権奪還の謎(その3、4)

3:安倍自民党の憲法改正の謎(その5、6)

4:安倍政権の好調の謎(その7、8)

コメント
 第二次安倍晋三内閣が成立して、1年2ヶ月してから出版されたもの。この時期から「1強」という表現が使われていたんですね。

 本書は、政権投げ出しと批判された安倍首相が、どのように復活していったのか、またそれ以前の自民党の野党転落はなぜ起きたのか、民主党政権の問題は何であったのか、そして現在の第二次安倍内閣はなぜ好調か、の謎に迫ったものです。

 それぞれ興味深いには、興味深いのですが、私が関心を持ったのは三点ほどです。

 まず第1点目。
 第一次安倍晋三内閣の崩壊は、安倍首相の持病である潰瘍性大腸炎や医師の診断による機能性胃腸障害の悪化によるものとされています。首相自身も、「投げ出した」のではなく、ギリギリまで走り続けて、これ以上は無理というところで辞めざるを得なかったというように手記などで主張しています。アジア・オーストラリア歴訪中の安倍首相が、憔悴していた姿なども、証言として残っているのですが、本書では別の証言も載せています。

 9月7日からのオーストラリア訪問に同行した政務の官房副長官の大野松茂(当時は衆議院議員)は次のように印象を語ったといいます。

そんなに重いとは思っていなかった。食事だって、奥さんと一緒に……。ひどい下痢とか、体調の悪化は、まったく感じなかったね。帰国後、臨時国会が始まり、所信表明演説の後の代表質問の質問事項について、民主党との調整を終えたとき、新聞記者から『安倍さんが辞める』と聞いてびっくりした。首相官邸に素っ飛んで行って、総理に会って確かめた。安倍さんは『大野さん、勘弁してよ。決意したんだから』と言う。そのときも、普通にお茶を飲んでいたし、頻繁にトイレに行くなんてこともなかった。代表質問は衆議院で1日、参議院でやったとしても、2日、我慢すればよかったんです」(33~34頁)

 大野氏は、以上のように述べています。大野氏のWikipediaの経歴を見てみても、元官僚というわけでもなく、地方議員や市長を長く勤めた、特に色や個性がなさそうな人物です。率直な観察だったのでしょう。
 そうすると、安倍首相の健康不安による辞任というのは、やはり少し神話なのかな、と思います
。もちろん、健康にも問題があったのでしょう。あのような突然の辞任は、所信表明演説で一部を読み飛ばすということ以上のことが、何かあったのでしょう。著者の見立ては、病気、参院選大敗の責任、政権運営の行き詰まり、国民の離反の4つの要因による複合型辞任と述べていて、体調よりも、政権の弱体化と国民の安倍離れが深刻だったことにある、と指摘しています。岩波明『精神科医が狂気をつくる』では、安倍首相は「うつ病」になったのではないか、と指摘されていましたが、そうしたものの方が確からしくも思えます。

 2点目。柳澤伯夫氏の安倍復活への熱意

 総裁選や2013年の参議院選挙で安倍首相に寄り添っていた西田昌司参議院議員の証言に次のようなものがありました。

「柳沢伯夫さん(元厚生労働相)が西部邁さん(評論家)に話をして、『安倍さんをもう一度、首相に』と言って、柳沢さんの下で勉強会を始めた。『君も一緒に』と言われて、私も参加した。安倍さんはまだ体調がよくなかったけど、1年間、地味な勉強会をやった。いまの安倍内閣の基になり、その空気が醸成されていった」(39~40頁)

 まず驚くのが、柳澤氏と西部邁氏につながりがあったということですが、それはそれとして、柳澤氏といえば、第一次安倍内閣時の厚生労働相で、「女性は産む機械」という失言をして、安倍内閣失速の一つの原因を作った人物です。発言自体は、出生率改善のための課題についての例え話で行ったもので、本人もまさかこんな大事になるとは思わなかったものであったと思います。
 当時の安倍首相への熱い支持と根深い嫌悪が対立する中、アンチ安倍勢力に上手いように使われてしまった点で、不用意かつ安倍内閣崩壊の張本人の1人です。しかし、安倍首相は、ワイドショーでどれだけ騒がれて、支持率を落とそうとも、柳澤氏を守り抜いたのですね。柳澤氏は、その恩を忘れていなかったようです
 柳澤氏には、派閥は宏池会で、元大蔵官僚ということで、それほど確信的保守という印象がなかったので、安倍氏を支援する人物という雰囲気はなかったので、やはりあの時の恩返しなのでしょう。柳澤氏が準備した勉強会で、自信をつけた安倍氏が現在につながるというなら、これほど嬉しいエピソードはありません
 ちなみに、このエピソードを紹介した西田氏は、総裁選出馬見送り論者で、安倍首相に「あのとき反対したのは、おふくろと兄貴と西田君くらいだ」と言われたそうです。しかし、この西田氏は、さんざん消費税増税反対を主張しておきながら、参議院選挙で当選したら、華麗に増税容認に転換したのだから、政治家というのは選挙のためには何でも言うんだな、と改めて考えさせられた議員です。最近、名前を聞かなくなったのは、良いことに思います。

 3点目。石破茂氏と消費税
 自民党は、2010年の参議院選挙で消費税増税を公約に掲げました。その内幕を、当時の政調会長の石破茂氏が証言しています。

「麻生内閣で、09年に改正された所得税法の附則に『消費税を含む税制の抜本的な改革を行うため、平成23年度までに必要な法制上の措置を』と入れた。党内には、野党がいい子になってどうするんだ、選挙にならないと言う人もいたが、マジョリティーにならなかった。あと何分かで公約発表というとき、谷垣総裁、大島幹事長、私、財務金融部会長の林芳正さん、野田税調会長、党政権構想会議座長の伊吹文明さんで協議した。異論も出たが、私は『絶対に10%』と叫んだ。そこで総裁が『これでいこう』と決めた」(126~127頁)

 民主党政権を崩壊させ、アベノミクスに黄色信号をともさせた原因が、この時の自民党の消費税増税方針です。菅直人首相は、これに乗っかるように、消費増税を突如として主張しだして、こちらは衆院選のマニフェスト違反ということで、選挙に負けました。しかし、この消費税増税だけは生き延びて、翌年の与謝野馨氏の入閣と野田佳彦内閣の成立で、本決まりとなってしまいました。
 そう考えると、この自民党の2010年の自民党の公約というのは、もっとも大きなターニング・ポイントとなったわけです。その立役者は、自分であると石破氏は述べているのです。こう考えると石破氏というのは、確信的な緊縮財政論者となります。そうなると、現在の安倍自民党との整合性はどうなるのでしょうか。
 安倍首相は、財政再建に後ろ向きなわけではありません。消費税増税には、慎重なものの否定はしていないのです。しかし、その一方で、安倍首相は、増税して経済成長が鈍化、または不況に陥ったら、かえって減収になってしまうと懸念して、まずは景気回復として、金融緩和は財政の拡大を政策として掲げているのですそして、その政策によって、4度の国政選挙に勝っています。ですから、現在の自民党というのは、まずは景気回復で、消費税増税はその結果次第である、というのが有権者に認められた政策となります
 しかし、石破氏の現在の主張を聞いてみても、何が何でも消費税増税という路線に聞こえてしまいます。そう考えると、有権者の支持を受ける現在の自民党とは異質な政策理念を持っている人物と言えます。もし石破氏がポスト安倍に名乗りを上げて総裁になったとすると、その正統性は著しく低いということになります
 有権者は、消費税増税に慎重でアベノミクスによる景気回復をはかる安倍自民党に政権を任せているのであって、自民党だから支持しているのではありません。ですから、現在の多数を任されている自民党の総裁になるべき人物は、アベノミクスの継承者以外には本来はありえないのです。その点で言うと、石破氏はもっとも適格性に欠くと言えるでしょう
 もし、石破氏が総裁になるのなら、一度、安倍自民党政権が総選挙で負けて下野した時に限ります。野党になってからの政策転換は、現状の政策が否定されて政権を失ったのだし、実際に施政に影響を与えるわけではないので自由です。しかし、現在の与党である自民党の総裁に、アベノミクスを否定する人物がなることは認めるべきではないでしょう。これはまた有権者から首相を選ぶという権利を失わせ、かつての自民党政治に戻ることになります
 そもそも、麻生内閣、野田内閣がなぜ選挙に敗北したか。どちらも、郵政民営化の否定や構造改革の後退、マニフェストにない消費増税決断という政策転換を有権者にはかることなく実施したからでした
 そうなると、現在の石破茂氏には現在の自民党の総裁になる正統性はないので、ポスト安倍は石破という流れには強く反対したいと思います

評価 ☆☆

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2016年9月13日 (火)

塩田潮『まるわかり政治語事典』

点検読書233

副題は、「目からうろこの精選600語」
平凡社新書(2011年6月15日)刊


日本政治


新聞の政治欄やワイドショーのニュース解説で、時折使われる、「ゆ党」、「身体検査」、「死に体」、「どぶ板選挙」などの政治の業界用語。これらの使い方から語源まで、著者秘蔵の「政治語ノート」から600語を精選して紹介する。


6部構成

1:3・11後の政治語(序章)

2:政権運営の政治語(第1章)

3:民主党政権の政治語(第2章)

4:権力闘争の政治語(第3章)

5:政治家を表す政治語(第4章)

6:政治家語録(第5章)

コメント
 分かっているようで、分からない政治解説で使われる言葉の解説本です。

 例えば、「どぶ板選挙」。

 有権者を訪ね歩いたり、選挙の祭や集会などにこまめに顔を出したりと、有権者に密着した選挙運動をする手法を表現するところで使われるのですが、「どぶ板」とは何か、というのは知りませんでした。正解は、家の前のどぶの板の修繕の陳情を受けるほどに、有権者に密着する、という意味だそうです

 また、「コスタリカ方式」。

 同一の選挙区を地盤とする同じ党の候補者に対して、選挙区と比例を交互に入れ替わるという協定を結ぶ選挙協力の手法です。これをなぜ「コスタリカ方式」というかというと、コスタリカでは、同一選挙区に連続して立候補をすることを禁止する制度をとっているそうなのです。それを森喜朗氏が取り入れて名付けたのだというのです。ここで、森元総理の名前が出てきたことが意外であります。

 「やはり野に置け蓮華草

 たまに聞く言葉ですが、全く意味が分かりませんでした。本書によると「政界は一寸先は闇」という名言を残した川島正次郎自民党副総裁が、佐藤栄作内閣時代の1966年8月の内閣改造で、子分の荒舩清十郎を運輸相に押し込んだのだが、一ヶ月後、国鉄の急行列車を選挙区の深谷駅に停車させるように横車を押していた事実が判明して、辞任に追い込まれました。それに対し、川島は、大臣不適格の人物を入閣させたことに対して、「やはり野に置け蓮華草」と、自身の不明を恥じたのだそうです。つまり、レンゲのようなありふれた花というのは、立派な花瓶にさすよりも、野原に生えていた方が見栄えがする、人間には分というものがある、という意味だそうです

 大平正芳の「アーウー」というあだ名。

 大平は、国会答弁などで、語句と次の語句の間に「アーウー」というつなぎの雑音を入れるために、言語不明晰で不明瞭だと受け取られ、愚鈍に見られていました。そのイメージを表現した「アーウー」は、そもそもは大平が自民党幹事長だった福田赳夫内閣時代に、竹下登が、「大平さんは「アーウー」の感じです。しかし、「アーウー」をとってみると、美文になってますよ」とインタビューに答えたことが始まりだそうです(岩見隆夫『角さんの鼻歌が聞こえる Part2』、潮出版社、1980年)。こうして、大平のイメージをつくっておいて、自身は、「言語明瞭、意味不明瞭」というあだ名をつけられて、喜んでいるのだから、竹下登はやはり先の先まで見通していた怖い政治家のように思えてしまいます。

 「お心を痛めておられるご様子

 これは、大平の腹心の一人・前尾繁三郎衆議院議長が、死の直前に、議長時代の秘書・平野貞夫氏につぶやいたものだそうです。
 一体何かというと、1968年に核保有3カ国を含む62カ国が調印し、70年に発効した核不拡散防止条約に関することらしいのです。この条約は、日本も70年2月に佐藤内閣が調印したのですが、批准は6年余りも店晒しになっていました。そこで1976年12月、前尾の議長任期が切れるに際し、その批准を実現させた理由について述べたのが先の言葉。

内奏で天皇陛下に会うたびに核防条約のことを聞かれていたからだ。陛下は外国の元首と会ったとき、必ずといっていいほど話題になる核防条約について、随分、気にしていた。唯一の被爆国として、調印したまま、長期間、放置していたことに、相当お心を痛めておられるご様子だった」(平野貞夫『ロッキード事件「葬られた真実」』、講談社、2006年)。

 どちらかというと、前尾は、与野党協調を旨とする一方で行動力と決断力に欠けると評されていたのですが、この時ばかりは批准に情熱を見せたのはどうしたわけかと疑問に思われていたのですが、真相は昭和天皇のご意志を忖度した最後のご奉公であったというのです。正直、小沢一郎氏の側近として知られる平野氏の発言なので、信憑性に欠けるところと、昭和天皇の政治利用じゃないの?という気もしないではないですが、興味深いエピソードではあります。核武装をとなえる人は、右派ナショナリストだけど、ロイヤリストではないのよね、とよく指摘されますが、そうしたことを裏付けるでしょう。本当の話なら。

 本書は、2011年の菅直人政権末期に出版されたものですが、「正統性」の欄も興味深いです。著者が言うには、「政権の成立、存続について、「被治者」である国民から見て納得できないと思うほど根拠が脆弱であれば、正統性が怪しくなる」(57頁)と指摘したうえで、2009年の麻生太郎内閣時代の麻生首相が、郵政民営化について質問されると「民営化には賛成ではなかった」と答弁したことが、05年で多数を獲得した政党を基盤にした政権なのに、その正統性を自ら否定した、と批判されています。また、当時の菅直人首相も就任後、「09年の総選挙で民主党が掲げたマニフェストの全面見直しを言い出した」ことが、自らの政権の正統性を否定した、とされ、「総選挙で改めて審判を受けなければ、内閣の正統性に疑問が持たれ、政権が死に体化する恐れがあった」と述べられています。
 これは、全くその通りで、05年以降では、第一次安倍晋三内閣で郵政造反者を復党させてしまったことが、安倍内閣の崩壊につながっていたことを思い出させます。安倍首相は、国民との約束よりも自身のイデオロギーに近い人たちの救済を優先している。つまり、国民よりもイデオロギーを選ぶ人なのだ、と信用を失ったことが失敗の源だったのでした
 また、菅直人首相が、マニフェストを見直すという発言をした際に、当時の世論調査や新聞論調などがマニフェストにこだわるな、というサインを出していたことを踏まえてのことだったのでしょう。結局のところ、消費税増税をどうしてもしたい省庁とそれに繋がるメディアとの合作に、「国民の声」というものが利用されたかたちになりますが、「有権者の意志」は公約破りは認めない、というものであったことが、2010年の参院選挙と2012年の衆院選挙で示されたと思います
 現在の安倍内閣が、安定しているのは定期的な選挙で勝っていて正統性があるからです。丸山眞男は、「本当にデモクラティックな権力は公然と制度的に下から選出されているというプライドを持ちうる限りにおいて、かえって強力な政治的指導性を発揮する」と述べています(「軍国支配者の精神形態」、1949年)。安倍首相の自信に満ちた政権運営とは、そうした正統性が自分にはあるという「プライド」があるからでしょう。選挙に勝ったから自信に満ちた政権運営ができ、安定した政権運営をしているから選挙に勝てるのです。どちらにしても、選挙での勝利という正統性が必要になります。
 現在、自民党総裁の任期延長論などの話がありますが、本来なら、そんなものは撤廃して、国政選挙で敗けるまでは総裁を続けさせるべきです。不十分とはいえ、二大政党制の体裁があるのですから、首相は国民に選ばせた方が安定した政権運営ができると思うのです。もっとも、我々は鳩山由紀夫政権という日本人が初めて自分で首相を選んで失敗したという負の遺産がありますので、それもホドホドにという気もしますが・・・。

評価 ☆☆


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2016年9月10日 (土)

大和田秀樹『疾風の勇人』2

 

前巻を紹介した大和田秀樹『所得倍増伝説 疾風の勇人』の第二巻です。

 まずは、あらすじから。

 昭和23年12月23日。皇太子の誕生日に、東條英機ら7名の東京裁判の戦犯たちが処刑された。同日、吉田茂首相は衆議院を解散した。それは、極東委員会への吉田の意地であった。
 その総選挙に、池田勇人は生家のある広島県吉名村から出馬する。小学校に集まった有権者の前に池田は、数字を交えた経済・財政論を演説したが、何も理解できない有権者たちは沈黙で応えた。池田にとっては、ほろ苦いデビューであったが、その情熱はたしかに有権者に伝わり、見事、トップ当選を果たす。そして、池田は一年生議員であるにもかかわらず、吉田茂の抜擢で大蔵大臣に就任する。
 池田は、経済安定本部公共事業課長の大平正芳と大蔵省きっての秀才・宮澤喜一を大臣秘書官とする。大平の助言を入れて、党人派の大物・大野伴睦と会談し、大野の心を掴んで、大臣就任を認めさせた。
 大蔵大臣としての池田の最初の仕事は、インフレの抑制であり、またそのために派遣されたGHQ経済顧問・ジョゼフ・ドッジの対応であった。ドッジは、補助金だのみの日本経済の体質を変えるために、補助金を打ち切り、徹底した緊縮財政を推し進めた。池田は、ドッジの方針を受け入れたが、その影響で日本経済は急速なデフレが進行し、ドッジ不況と呼ばれる状況となった。日本では、失業者が溢れ、また復員者を受け入れていたために赤字経営が進む国鉄も緊縮財政の余波で人員削減が余儀なくされ、下山定則国鉄総裁の轢死体が発見されるなど社会不安が広がった。池田は、この難局を打開するためにも、シャウプ勧告を精査した上に、所得税の調整による自然増収を見込んでの減税案を作成し、ドッジに認めさせる。
 ドッジ・ライン、シャウプ勧告といった難題を次々と突破して敵なしの池田は、大蔵大臣とともに通産大臣も兼任したが、大臣就任の時に、醜聞を狙った新聞記者の質問にひっかかって、ドッジ不況下で自殺する中小企業経営者について、「多少の犠牲はやむを得んかもしれんのう」と答えてしまう。この発言が、池田の政治生命に危機をもたらす。

 だいたい、こんな感じですね。
 しかし、あらためて、題名を書くと「所得倍増伝説」って、カッコいいすね。現在の我々は、日本のある程度の豊かさを当然と思ってしまっていて、結構綱渡りの政治情勢によって成立したものだということを忘れてしまっております。そして、その中心にいたのが一人の政治家の選択と強い意志にあったわけですが、そうした事実は国民的記憶となっていないのです。

 ですから、「伝説」なんですね。

 また、「伝説」だからこそ、「物語」となり、本作のような派手な演出と明らかに美化された見た目が可能となります。40代後半のオッサン達の話なのに、見た目が20代にしか見えませんものね。しかし、それも「伝説」なら可能になるのです。50歳の池田と9歳違いのドッジの見た目がぜんぜん違うのも、「伝説」だから良いのです
 さて、男ばかりの暑苦しい漫画だった本作も、川北幸子という女性記者が登場したことで、多少は華やぎましたが、この人にモデルはいるんでしょうか。後に首相秘書官となった西日本新聞の記者・伊藤昌哉は、どちらかというと池田の失言を引き出す側にいたらしいですし、どうなんでしょう。
 それはともかく、次巻は、池田の過去が語られるようです。楽しみに待ちます。

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2016年9月 9日 (金)

ジョージ・アキタ他『「日本の朝鮮統治」を検証する 1910-1945』

点検読書232

共著者は、ブランドン・パーマー。
訳者は、塩谷鉱。
草思社(2013年8月28日)刊。


日本史――韓国・朝鮮


「世界で最も残虐な植民地政策だった」と言われる大日本帝国の朝鮮統治(1910~1945)は、同時代のアジアとアフリカにおける列強の植民地政策と比較して、史上最悪な「暗黒時代」といえるのだろうか。本書は、従来、"真実"として容認されてきたが、少なくとも別の観点からの見直しが必要な研究、概念、あるいは原理に対するアンチテーゼの追究という意味での「修正主義」的アプローチによって、民族主義的史観に覆われた朝鮮統治を見直す。


6部構成

1:「民族主義的史観」への疑問(1~3章)

2:朝鮮統治の指導層の認識と人々の暮らし(4~7章)

3:近代日本における司法権の独立(8~12章)

4:現代中国と同時代の植民地政策との比較(13~15章)

5:「軍国主義者」山縣有朋の実像(16章)

6:民族主義的史観を見直す近年の研究(17~18章)

コメント
 本書について、注意を要するのは、著者たちは植民地支配そのものを肯定しているのではなく、現在の韓国や北朝鮮の民族主義的史観に忠実な学者たちが主張する「
史上最悪」な朝鮮統治というのは言い過ぎである、ということを主張しているだけだということです
。日本の朝鮮統治においても、指導層と末端とでは認識が違い、虐待を行なう役人がいたということは、本書でも指摘されています。

 そのことを踏まえた上でも、日本の朝鮮統治は、李氏朝鮮時代や同時代の列強諸国に統治された東南アジアやアフリカの諸地域よりは、公平であったし、穏健であったであろう、と主張しているのです

 例えば、高宗の治世下の朝鮮は、総人口のわずか3%の富裕層によって、権力と富を牛耳っており、厳格な階層性のために民衆は救済策を求める機会を失われ、そればかりか役人たちが正規の地租に加えて特別税を徴収して、農民たちを苛んでいたことを、民族主義的史観派のC・I・ユージン・キム氏と金漢教氏の共著 Korea and the Politics of Imperialismからの引用によって論じています。

 また、日本の朝鮮統治初期の残酷さを象徴する「鞭打ち刑」は、そもそも李氏朝鮮時代に行われていたものであり、その際の鞭は「巨大な櫂状の棒」が使われ、囚人の脚の骨を砕いて不具者にしたり、死に至らしめたりしていたそうです。それが、日本統治時代の鞭打ち刑では、鞭は「節の突き出た部分を削いだ竹」で「長さは五十四センチメートルあまりで、太さは直径七・五センチメートル」。見世物としないために刑務所内の敷地内で執行され、事前に医師の検査と立ち会いのもとに、「一度に受ける……鞭打ちの数は三十回にまえに限られていた」。さらに、鞭打ちによって、肉を切り裂くことは禁止されていた、とマイケル・スプランガーヘンドリックス大学助教授の Grafting Justice: Crime and Politics of Punishment in Korea, 1875-1938 という論文で述べられていることを紹介しています。そして、この鞭打ち刑も3・1独立運動後に廃止されています。

 諸外国の植民地政策との比較では、日本統治下の朝鮮では学齢に達した児童の3分の1しか学校に行っていなかったことが指摘されるものの、フランス領のカンボジアでは5分の1、同領ベトナムでは10分の1、同国が領有する西アフリカでは更に低く、甘い見積もりでも1000人に4・7名の子供しか学校に行っていなかったそうです。識字率に関して言うと、朝鮮は50%以下であるのに対し、インドネシアで8%、仏領インドシナで10%、アメリカ統治下のフィリピンで50%以上であったそうです。フィリピンは、小学校の授業料が無料で、高等学校への進学も容易で、大学も5つ用意されていました(朝鮮は京城国立大学一つ)。こうしたフィリピンの教育水準の高さが、日本が侵攻した際の反発が強かった理由でしょうが、フィリピン以外で比較すれば、日本も多くを提供した方でしょう。

 日本統治下で朝鮮の人口が増えたことは有名です。1910年の1313万人から1942年には2553万人とほぼ二倍です。もっとも、人口が増えたからといって、肯定できるものではない、という批判があります。もっともであると思います。しかし、ベルギー統治下のコンゴでは、統治開始当初の1885年には2000万人から3000万人いたとされる人口が1911年には850万人にまで減少していた、と言われると、並なことはしていたんでしょうぐらいは言えると思います。また、列強の植民地支配は、換金作物への強制栽培制度などがあったために、たびたび飢饉が起きていたといいますが、日本統治下の朝鮮では一度も飢饉がなかったそうです(186頁)。さらに、朝鮮統治初期の抵抗運動鎮圧のために強制収容所を使わなかったことも、日本の植民地支配の特徴であると指摘しております(173頁)。

 本書は、民族主義的史観派の著作と修正主義的史観派の両派の研究書を多く引用し、これまでの朝鮮統治研究を概観できるのに便利です。日本の朝鮮統治についての肯定的記述が多いことが気になる向きにしても、そういう見方があるということは知っておいた方がいいし、また肯定派も民族主義的史観派にどのような研究があるのかを知っていることが、議論の土台になってよいでしょう

 しかし、疑問点もあります。それは、本書で特にページを割いている司法権の問題をとりあげているところです。基本的には、大津事件などを指して、日本では司法権が行政権の言いなりではなく、一定の独立があり、また伊藤博文ら政府首脳部でもそれは理解されており、朝鮮統治においても法の支配というのは、それほど恣意的に行われてはいなかった、ということを述べています。
 その点は良いのですが、そこに敷衍して、最高裁判事の面々は官僚たちの決定を承認しなければならないというカレル・ヴァン・ウォルフレンの日本官僚支配論は「不見識にして論理性に欠ける日本観」であると厳しく批判しています(110~111頁)。しかし、ウォルフレンの官僚制論の批判点は、1899年の山縣有朋内閣における文官任用令改正によって、キャリア官僚制が確立し、政治主導による統治が不十分になってしまった、ということにあるかと思います。とするならば、その反論に1891年の大津事件を証拠するのは、少々反論として弱く思います
 もっとも、1934年の帝人事件においても被告がすべて無罪になっていることを見れば、その後も裁判所が司法官僚の言いなりではなかったことは確かでしょう。司法権の独立は一定の成果はあったと思いますが、幸徳事件のようなフレームアップを容認する判決もあったわけですから、それほど誇るべきものがあったかは疑問です
 また、閣議が、官僚の提案を鵜呑みにしているだけ、というウォルフレンの批判に対して、やはり大津事件の対応を持ってくるのは、筋違いに思います。文官任用令改正以前の官僚や大臣というのは、藩閥政治かも含めて、維新革命の荒波を越えてきた政治家が官僚になったというべき人々で、後の官僚らしい官僚の支配と政治家になった官僚たちの政党とは別物です。その時代の官僚政治家たち=元老を例にとっても反論にはなりません。丸山眞男以来の官僚国家批判は、明治国家の天皇のカリスマ性と元老たちの責任意識と決断力を評価しつつ、昭和期の官僚たちの責任意識の無さを批判しているのですから、ズレた批判と言えるでしょう。
 そういうような近代日本に対する認識をみると、朝鮮統治に関する見方も一面的にも思えてしまうので、本書を土台にいろいろと読んでみるのが良いのかな、と思えました。

評価 ☆☆

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2016年9月 8日 (木)

藤原カムイ『ロトの紋章~紋章を継ぐ者達へ』25

 例によって、発売されているのを知らずにしばらく経っていたようです。

 前巻の紹介はこちら

 まずはあらすじから。

 世界樹の聖核を取り込んだクインゾルマによって復活した獣王グノン率いる魔物軍とアリアハンで戦うアロスたち。ナイトメアシープと闘うアニスと合流したアロスは、血の魔法陣の術で悪夢に取り憑かれそうになるが、アニスの助けで危機を脱し、二人の「ダブルデインクロス」によって撃退する。
 アリアハン西側で奮戦するシルシルとミシルの元にベゼルが救援に来た。ベゼルは、シルシルとミシルに預けられていた雷の神器に封じられたシュライから、この神器の中には自分以外のものが封じられており、それを解放するためには守人の力が必要となる、と教えられる。戦線の一時離脱を告げるためベゼルはアロスの前に現われる。そこで神器と共鳴したアロスは、神器に封じられたのが、勇者アルスであることに気づく。ベゼルは、ジパングの守人イサリの元へ向かう。
 その頃、クインゾルマの地上での化身として肉体が復活したユイ(ゾルマフィオーレ)と遭遇したリーは、隙をつかれて生死不明な致命傷を負っていた。シルシルらと合流したアロスとアリアハンの人々は、城外の魔物の大軍と対峙し、魔物の死骸を吸収する世界樹の特性を利用して、一点突破でグノンに迫るため突撃を開始した。
 一方、ポルトガ・ロマリア・エジンベアの三国王は、この危機を乗り越えるためにレーベで開発されている魔克爆弾を手に入れる必要があるとし、ロマリア王は交渉役にハイネを送り出す。レーベの法皇との交渉が決裂すると、ハイネはレーベの元研究員の力を借りて、魔克爆弾を強奪する。
 ジパングに到着したベゼルは、ハロルドとの死闘やオウエンを神座への奉納のため、衰弱したイサリと再会する。ベゼルは、シュライの奉納を先代の守人に依頼するが、先代はハロルドを封印しているために、他の精霊を奉じることができなかった。そうした時、イサリが現われ、必死で止めるベゼルやヤルバーに対し、使命のためではなくベゼルのために、精霊を奉じたいと語り、ベゼルとイサリは神座へと向かう。
 そして、アリアハンでは、ゾルマフィオーレが発する魔法からアロスを守るためアニスは倒れた。

 だいたい、こんな感じでしょうか。

 途中、前巻で戦死したアリアハン王が復活したり、死んだはずのポロンの祖父カミーロが生きていた、というエピソードもありますが、後者はともかく、前者はどう本筋に関わってくるのでしょうか。

 今回、あらすじを書いてきて思ったのですが、同時進行の話が多すぎてまとまりがない、という印象を持ってしまいました。そのためか、一つ一つのエピソードが中途半端です。例えばナイトメアシープの悪夢技など、もう少し何か本筋の話にからめても良さそうなのですが、あっという間にしかも危機脱出法に大したヒネリもなく終わってしまいました。また、レーベ編の元研究員の裏切りというか援助も唐突過ぎます。

 いろいろ詰め込みすぎて、かえって話が拡散してしまって、一つ一つの話の印象が薄くなってしまっている。そういう印象を受けました。もう少しメインストーリーを丁寧に描いていった方が、面白く読めるように思います

 前回も書きましたが、本作はキャラクターの印象が弱いです。始まった当初から、群像劇のように様々な人々を主人公に据えて、各エピソードを語りつつ、全体につながっていくというストーリー展開に本作はなっています。その各エピソードで、各主人公たちの人物像をしっかりと掘り下げて、印象付けなければならないと思うのですが、その辺が成功しているのは、イサリぐらいで、実はアロス自体が何だかよく分からん、というキャラクターになってしまっています(でも、イサリは実は女だった、というところでガラリと印象が変わって、そこから感情移入ができなくなったような)。その上、視点の移り変わりが激しいものですから、読者は一体、誰視点で読んでいっていいか、分からなくなってしまいます

 私は、この『ロトの紋章』というか、「藤原ドラクエ」の世界観が好きなのです。本作の二つの世界、二人の関係、二つの価値観といった二項の対立と融合というテーマも好きです。しかし、どうもキャラクターが生きてこないのです。それは、ストーリーが少し複雑すぎるからかな、とも思います。そこが残念なんですね。

 例えば、今回の魔克爆弾のくだりは、前作だったら描かれずに、危機一髪のところで、魔克爆弾で主人公たちを助けて、三国の協力があったんだな、と読者に想像させるだけで済んだでしょう。その分、本筋の方がしっかり描かれていれば、良いのだと思います。
 そんなわけで今回は、少々厳しくなってしまいましたが、面白いかどうかではなく、「好きだから…!! 好きになっちまったから!!!」というベゼルのセリフの気分で読んでますので、つづきも楽しみにしております。

 余談ですが、前作の他のキャラクターは20年の年を取ったかもしれないというように、目が細くなったり、大人びてきたのですが、アルスだけほとんど同じ顔のまま大人の身体に乗っかっているので、何だか違和感があります。どうにかならんのでしょうか…。

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2016年9月 6日 (火)

岡崎久彦『隣の国で考えたこと』

点検読書231

中公文庫(1983年6月25日)刊
原著は、日本経済新聞社(1977年)刊


日本文化論――韓国・朝鮮


日本人は「日本人の唯一の親類」である韓国と韓国人を、もっとよく、もっと正確に知る必要がある。お互いに知り合うことで、感情的な対立が目立つ両国関係に、はじめて正しい国交も民間交流も可能となるだろう。


4部構成

1:お互い嫌いあう日韓関係(1~2)

2:言葉と容貌の日韓同祖論的考察(3~4)

3日韓関係を古代史と近代史から考える(5~7)

4:日本への誤解をとく(付録)

コメント
 さて問題です。つぎの引用文の(  )内に入る言葉を考えてみてください。

「日本では、まだまだ大学によっては、歴史とか言語とか朝鮮半島関係のことを研究することに対して(  )的な学者、研究者、学生の間で強い反発や反対があるそうで、ある人などは、中国問題を研究するのならわかるが、なぜ朝鮮問題を研究するのかわからないといわれて、責められたといいます。また、韓国研究のため訪韓を決めた学者を、「それでお前の政治的立場がわかった」と、なかば軽蔑的な目で見る人もいたといいます。」(81頁)

 いかがでしょうか。

 答えは「進歩」です。

 今の若い人には、伝わらないかもしれませんが、「進歩」派とは、左派・リベラル派を指す戦後日本の歴史用語です。以上の引用部を読めばわかるように、冷戦期の日本において、知識人も含めて多くの日本人が朝鮮半島についての関心が低く、また韓国ともなると進歩派の学者にとっては「軽蔑」の対象だったのでした
 それが今どうしたことでしょうか。「嫌韓」といえば、右派・保守派の専売特許となってしまっています。時代が変わると180度ものの見方が変わるのです。こうした点を考えてみると、ある国やある対象に対するイデオロギッシュな人の意見というのは、その時の政治情勢によってコロコロと変わるあてにならないものであるということです。そして、そうしたもののフォロワーたる嫌韓派というのは、右派とか左派ではなく、思想的な相違ではなく、単なる民族差別主義者にすぎないのです。
 現在、あるいは数年前まで韓国好きや韓国への擁護的な発言をすると、「あいつはサヨクだ」とか「韓国人だ」とか言われたようですが、そういうことを言う人というのは、別に右派・保守派ではなく、単なる民族差別主義者にすぎなかったです。少し前に生まれたなら、「進歩」派の発言に耳を傾けて、韓国の悪口を言っていたことでしょう。その時代において韓国支持は、保守反動の右翼というのが、当時の傾向だったのですから。
 そうした時代に、「韓国のことをもっと知ろう」と擁護的な内容が書かれているのが本書です。そして、この著者こそ、若き日の安倍晋三氏の将来を嘱望し、また現実にブレーンとして集団的自衛権行使の憲法解釈変更に努め、その実現を見て生涯を終えた岡崎久彦その人だったのです
 岡崎は、現役の外交官時代から強固なアメリカ中心の「自由世界」陣営の支持者で、評論家としての彼の持論は、アングロ・サクソンと協調していれば、日本の自由と民主主義と繁栄が約束される、というものでした。ですから、湾岸戦争はもちろんアフガン戦争もイラク戦争もその倫理的当否は別として日本政府は支持を打ち出すべし、と主張していました。筋金入りの親米派です。
 その筋金入りの親米派で、左派・リベラルが大嫌いな安倍晋三首相のブレーンたる「保守反動」が、朝鮮の植民地化の歴史を忘れてしまっている日本人を憂い、そればかりか当時一部で流行していた「騎馬民族征服説」を取り入れて、日韓同祖論的な立場で、日本と韓国は「親類」であると主張していたのでした。
 私は、2012年当時に安倍晋三氏が自民党総裁に返り咲いた時、嫌韓的な人々が安倍氏を歓迎していたのですが、「この人たちは、裏切られるか、手のひらを返すに違いない」と思っておりました。安倍首相は、この親韓派の岡崎久彦をブレーンとしていたのでしたし、首相が敬愛する祖父の岸信介は親韓派の代表的人物であったからでした。もっとも、安倍首相は、韓国の言いなりになることはありませんでした。韓国側が親中外交の失敗に気づくまで待ち続け、日本に目が向いた時に即座に慰安婦問題の合意に達するという外交手腕を示しました。こうした事態に、一部に「裏切られた」と反感を持った人もいたでしょうが、概ね好感を持って迎え入れられたので、「手のひらを返す」ことにした人もいたでしょう。
 こうした現在との落差を楽しむ本でもいいのですが、現在と変わらない日本人の心性を描いた箇所も興味深いです。

日本人は、少なくとも自国より小さい国については、日本を甘やかし、チヤホヤしてくれる国以外は好きになれないのではないでしょうか。日本人を嫌う民族に対しては、その原因を日本が作ったかどうか考えてもみず、かえって、その国の特徴の中で日本が嫌いになる理由となるようなものを見つけて、はじめから先方が日本を嫌いだったという風に自分で錯覚してしまうのではないでしょうか。」(29頁)

 韓国と台湾に対する日本の現在の保守的な人々の視点というものが、どうもこんな感じです。植民地統治の内容についての当否は様々な議論があると思いますが、閔妃暗殺事件や韓国併合を実行に移してしまったこと、三・一独立運動の時の提岩里事件などに配慮せずに、反日ばかり攻めるのはフェアではありません。また、親日的な台湾というイメージですが、尖閣諸島領有権問題で最初に火をつけたのは1970年の台湾の中華民国政府であることを忘れてしまっているように思えます

 次は、日本は言論が自由で、左翼的な革命スローガンが公然と主張される一方で、三島由紀夫の事件のように大日本帝国の亡霊のような事件が起きることに、韓国では不安を感じているということについて。

「しかし、ほとんど確実に言えることは、日本はどっちにもならないということです。といっても、過激なことを言っている人が現にいて、相当数の支持者もいて、これが野放しになっている以上どうなるかわからないという心配ももっともなのですが、現在の日本の圧倒的多数の人々は、戦後の自由民主主義のぬるま湯の中にどっぷり浸っていて、誰もそこから出る気はありません。このことも、口で言っただけでは、韓国の方にはわからないでしょう。日本に来て住んでみれば、自然にわかるとしか言いようがありません。
 これに限らず、日本では言論が完全に自由なので、断片的に韓国に伝わる評論から日本人の真の考え方を識別することは極めて困難です。この困難をさらに倍加させるものとして、左翼の意図的なプロパガンダと、これが空気伝染して、韓国の悪口を言えば進歩的であるかのようなムードがあります。」(286~287頁)

 戦後70年の間に何度「軍靴の音が聞こえる」と言われたことか。ワイマール憲法下のナチスの台頭が比喩的に紹介されたことか。しかし、日本人は少々保守的な政権を支持し続けながらも、大きな変化を望むことはなかったのでした。後段の「左翼」は「右翼」に、「進歩」は「保守」と言い換えると現在にぴったりでしょう。もっとも、日本の「左翼」が、日本側の修正主義的発言を韓国に御注進して、韓国側の反発を招いて、そのリアクションに日本の保守派が反発して、結果的に日韓離間となって、中国や北朝鮮がニッコリという高等戦術なのかもしれませんが、どちらも似たようなものです

 このように今から読んでもなかなか含蓄深い戦後保守のあり方を見せてくれる良い古典です。10年前に保守的な出版シリーズで復刊されていたようですが、どのような受け入れ方をされたのでしょうか。

評価 ☆☆

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2016年9月 5日 (月)

筒井清忠『昭和戦前期の政党政治』

点検読書230

副題は、「二大政党制はなぜ挫折したのか」
ちくま新書(2012年10月10日)刊


日本政治史――昭和史


普通選挙導入を争点とした第二次護憲運動を機に成立した戦前日本の二大政党による政党政治は8年で終わりを告げ、軍部の台頭を許すこととなった。多くの人に期待された政党政治が信頼を失い、軍縮の時代を迎えるなど苦難を迎えていた軍部が急に支持されたのはなぜか。本書は、加藤高明護憲三派内閣から犬養毅政友会内閣までの各内閣の人事、政策、そして事件におけるマスメディア、宮中、軍部の役割に着目して歴史社会学的に論じていく。


六部構成

1:加藤高明護憲三派内閣と政党政治の確立(第1章)

2:第一次若槻禮次郎内閣と「劇場型政治」の開始(第2章)

3:田中義一内閣と宮中・非政党勢力の台頭(第3章)

4:濱口雄幸内閣とロンドン海軍軍縮条約(第4章)

5:第二次若槻禮次郎内閣と満洲事変(第5章)

6:犬養毅内閣と政党政治の終焉(第6章)

コメント
 1924年から1932年の8年間は、日本における本格的な政党政治の時代でした。帝国憲法ができてから、いやそれ以前の明治14年の政変頃の福澤諭吉以来、求められてきた二大政党による政権交代可能な政治というものが実現したのがこの時代でした。
 この時代があったからこそ、1945年7月に出されたポツダム宣言において「民主主義的傾向の復活強化」と書かれ、占領政策が間接統治になったとも言われております。現に、戦後の二番目の内閣は、この時代に活躍した外交官であった幣原喜重郎が首相をつとめていました。
 しかし、その時代はたったの8年で終わりを告げ、今度は極端な軍国主義体制へと転換しました。その原因は何か、というのが本書の述べるところです。
 まず第一の画期点は、加藤高明を引き継いだ第一次若槻禮次郎内閣で、解散総選挙ができなかったこと、です。もし、この憲政会単独内閣で、解散と勝利により衆議院に基礎を置く内閣の基盤を固めることができたら、政党政治を確立できたかもしれません。しかし、若槻には、その勇気がなかったのでした。若槻に言わせれば、朴烈怪写真事件や松島遊廓事件などのスキャンダルで追い詰められ、その状態で選挙となれば、負けてしまうかもしれないと心配したこと、さらに選挙よりも話し合いで予算案と震災手形関連法案を優先させた方がよい、ということだったそうです。本書では、若槻内閣を「大蔵省的」と評していますが、大蔵次官出身の若槻は、官僚が政治家になったの典型的人物でしょう。官僚は、予算・法案の成立こそが第一であるが、責任を取りたくないという体質があります。また、世論の動向に無頓着です。朴烈事件のように、現在から見て「大した問題ではない」と思ってしまうようなものも、当時においては大逆事件を企てた人物を司法当局が優遇したことは大問題だったにも関わらず、「詰らん問題」と捉えて、普通選挙導入後の大衆政治にまったく疎かったといえます。
 この怪写真事件と大衆政治の問題につき、上杉慎吉の指摘を引用していますが、なかなか鋭いものです(97頁)。

複雑なる政策問題では民衆的騒擾は起るものではない。政府が皇室を蔑ろにしたと云う簡単なる合言葉は耳から耳に容易に伝わり伝わる毎に人の感情を激するの度を増すものである」(上杉慎吉「朴烈問題解散及現内閣の身体に関する意見」『牧野伸顕関係文書』書類の部)

 今日だとどうでしょうか。「平和」「民主主義」か、また大きい影響力を持つのは「改革」でしょうか。若槻には、こうした大衆感情というものへの共感がまったくないのでした。そうした官僚政治家を二回もトップに据えざる得ないのが、憲政会とその後継の民政党の問題であったといえるでしょう。
 しかし意外だったのが、現在において評価の低い若槻ですが、首相就任時には、首相就任に反対の声がなく、原敬につぐ二人目の「平民宰相」とされて伝記が二冊も刊行され、政治評論家の馬場恒吾が「原敬氏と匹敵すべき力量、手腕、性行」(『政界人物風景』、331頁)と評していたそうです
(53頁)。こうした過大な期待が、現実にぶつかると大きな失望にぶつかるということは、我々の時代は民主党政権で経験済みなのでよく分かります。

 政党政治失敗の第二の点は、議会もしくは政党外勢力を自ら引き込む悪手をあえてしていた、ということです。田中義一内閣の際には、野党の民政党(憲政会)は、水野錬太郎文相が辞任を天皇に申し出たものの慰留されたので留任したということを発言してしまった「優諚」問題で天皇の政治利用を突き、また不戦条約における「人民の名において」という文言を問題視して攻撃し、張作霖爆殺事件においても議会勢力が言論や選挙ではなく、宮中の力によって内閣を倒してしまいました。
 また、濱口内閣では、濱口らは天皇や宮中、マスメディアを味方につけることでロンドン海軍軍縮条約締結を実現させ、一方の野党の政友会の鳩山一郎は統帥権干犯を論難して内閣の権限を制限しようとしましたし、第二次若槻内閣の頃には、鳩山一郎や森恪らの主流派が、今村均陸軍作戦課長・永田鉄山軍事課長・東條英機編成動員課長らと懇談して、陸軍と協力した倒閣運動を試みていました。先の統帥権干犯問題とともに鳩山一郎が、軍の台頭に寄与した役割は大きいといえます。

 こうした政党政治家そのものの問題とともに、著者は二大政党というものは政権を争っているのだから、「選挙で当選するために、また反対党との競争に勝つために政党が様々な方策を用いるのは当然のことであり、そのことにできるだけ寛容でなければ政党政治は維持できない」(285頁)と日本のメデイアと有権者の政治的未成熟を指摘しています。こうした政党の動きを「党利党略」として否定し去ってしまうと、既成政党への不信感が高まり、官僚・軍部・天皇・新体制などの「第三極」への期待が高まってしまう、と警鐘を鳴らします。
 本書が書かれたのは、2012年の半ばぐらいですから、たしかにこの時期、民主党政権への失望感と谷垣自民党への不安感があって、橋下徹氏が率いる大阪維新の会が日本維新の会へと国政進出を展開していた時期でした。二大政党への不信感から「第三極」への期待が高まっていた時期に書かれていたのでした。当時の大阪維新の会が、危険だったかどうかは好き嫌いがあるところですが、政治経験が少なく、政党組織も未成熟な政党が中心となって内閣を率いるというのは、結局のところ、風まかせのポピュリズムに陥ってしまいますから、民主党政権以上の混乱があったかもしれません。
 まさかその後、石原慎太郎氏が合流して支持率を一気に低下させて、自民党は安倍晋三氏が総裁に返り咲いて、新しい経済政策を主張するようになるとは、誰も予想できませんでした。今では、既成政党の復活劇があったので、こうした戦前の政党政治の失敗というのは流行らなくなったかもしれませんが、当時においては良い視点だったのではないか、と思いますし、経済政策などへの言及が少ない点などに不満はありますが、図式が分かりやすく、良い本に思えました。

評価 ☆☆

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2016年9月 3日 (土)

森政稔『迷走する民主主義』

点検読書229

ちくま新書(2016年3月10日)刊


政治学――日本政治


現代の世界的変動の中でデモクラシーが直面する困難を背景に、失敗に終わった政権交代とその後の政治における安倍政権の独走状態の現代日本における民主主義の意義と限界を思想的に問いなおす。


3部構成

1:現代民主主義の苦況(第1~3章)

2:戦後日本の政治と政権交代(第4~7章)

3:民主主義の思想的条件(第8~10章)

コメント
 本書は、変動する現代の世界において民主主義が直面する問題について考察する第Ⅰ部や現在の民主主義が課題とする問題は何かを問う第Ⅲ部などが、現在の民主主義思想のあり方や見通しを政治思想史、政治哲学的研究成果を盛り込んで解説してくれている点で、民主主義を概観するのに便利な本です。

 しかし、圧倒的なボリュームで語られる第Ⅱ部の政権交代と日本の民主主義に関する箇所が、面白かったです。
 著者は、現在の安倍政権を「暴走」と呼ぶように、この政権に対して良い印象を持っていません。ですから、安倍政権がなぜ支持され続けているのか、またその支持の源泉である経済政策についての考えに誤解があるように思えます。しかし、だからといって民主党政権を擁護するかといえば、そうではなく、徹底的に批判しています。
 とりわけ著者が力を入れて批判しているのが、運輸行政でした。つまり、民主党政権が行った高速道路無料化政策によって、自動車に比べてCO2排出量の少ない船舶や鉄道貨物などの業界に打撃を与えて、環境負荷の小さい手段へと輸送を移行させる「モーダルシフト」を逆行させた、というのです。これは、民主党政権が掲げていたCO2削減政策とも矛盾しますし、政策の整合性がチグハグだというのです。
 また、震災後、被災地救援の名目で行われた東北地方の自動車道無料化政策でも、同様のチグハグさがあったそうです。この場合、北関東以北のインターチェンジを使用すれば、あらゆる車が無料となったため、九州から首都圏へ向かうトラックが茨城県のICまで行って東京方面にUターンするということが頻発しました。それは、税金の無駄遣い、CO2の排出増加、茨城のIC付近ではトラックが激増して、子供の登下校に危険だという批判があって、見直されたということがあったそうです
 こうした運輸行政に見られるように一事が万事、民主党政権は、経済観念や想像力の著しい欠如の下で、壮大な「社会実験」をして失敗したというのです。
 本書は、戦後の日本政治も振り返りつつ、強いリーダーシップが発揮できない政治システムから政治的統合を強める政治改革を行った結果、首相はかなり強力な権力を獲得するようになったものの、その使い方が以上のように行き当たりばったりになると大変な失敗をもたらすということに、現代民主主義の危機を持っているのです
 著者の立場からすると、次々と民主党政権とは別の意味で、「戦後政治」と決別しようとしている安倍政権の行動を可能にしているのも、こうした政治改革の結果である、といいます。私は、現在の安倍政権をそれほど危険な政権とは思っていないので、やっと丸山眞男以来の戦後の政治学が目指してきた政治的統合がなされて、首相のリーダーシップと責任が明確な政治体制ができて、日本の民主主義は安倍政権によって強化された、と思っていますので、そうした危機感は共有できていません。しかし、安倍政権が何らかの理由で転倒して政権が崩壊して、また民主党的な政権ができるとなると、それはそれで心配である、ともいえます。もっとも、そこでも有権者の決断がその数年を決めるという責任意識が生まれることは良いことだとも思っているので、それは民主主義のコストとして受け入れていくしかないのでしょう。気に入らない政権ができて、それを民主主義の「迷走」と評してしまうのは、全く無意味な論評でしょうし
 それはともかくとして、思いの外、見逃していた民主党政権とは、何だったんか、また「戦後政治」の決別という点で、民主党政権と安倍政権は表裏一体であったことを思い出させてくれて、良書だと思いました。

評価 ☆☆☆

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2016年9月 2日 (金)

瀧本哲史『武器としての決断思考』

点検読書228

星海社新書(2011年9月21日)刊


自己啓発


世の中に「正解」はない。必要なのは、知識と判断と行動である。その判断に必要なテクニックとしてのディベートの手順であるメリット・デメリットの仮定と反論法を教える。そうした技術を獲得することで、自分で考えて、自分で決めていく、決断思考を身につけることができるだろう。


5部構成

1:学ぶ意義とは何か(はじめに、ガイダンス)

2:議論の意味(1時間目)

3:議論のたて方(2、3時間目)

4:反論の仕方(4時間目)

5:判断の基準と考え方(5~7時間目)

コメント
 本書のメッセージは、「自分の人生は、自分で考えて、自分で決めていく」というもので、その技術としてディベートの方法を学ぶというものです。ですから、本書では、相手を言い負かすためのテクニックではなく、あくまで自分で考えるためのヒントとしてディベートを考えています。

 何か自分の中でテーマとなりそうなものが見つかった時、そのメリットとデメリットを比較・考量して判断するための技術がディベート的思考なのだそうです。そこで重要となるのは、それぞれの主張に対して「ツッコミ」という形で反論を加えてくということです

 

その反論というのは、その考えの結果としての主張に向けるのではありません。その主張を成り立たせる根拠とその根拠と主張(結果)を結びつける前提となる考え方(推論)に対して「なんで」と問いかけることが重要だといいます。根拠があやふやなものでは、その主張やあやしいものとなりますし、根拠と主張の因果関係がおかしければ、それは成立しません。

 このように、本書は、自分で考える際に、結果としての主張のみを考えてはならない、というのがテーマとなっています。多くの人は、自分で自分のことを考えているのです。しかし、その考えというのは、まさに「自分」という主観を突き詰めたもので、蓋然性に足らないものが出てしまうのです。

 つまり、自分のみで考えるというのは、結論としての主張が初めにあって、考えれば考えるほど、その主張を補強することにしかならないので、独善的になってしまいます
。そうではなく、あえてその結論のメリットだけではなく、デメリットも考える。そして、その両者を自ら反論してみる。この時の反論は、結果ではなく、その根拠と推論に当てられなければなりません。結果というのは、結局のところ、価値観や希望などの主観に過ぎません。そうではなく、その結果を成り立たせる根拠や推論を反論の対象とすることで、客観性を持たせることが可能になるのです

 

これは、個々人の物の考え方の強化だけではなく、人との関わり方についても同じことです。各人の主張(結果)に対して、批判しても仕方がないのです。というのも、それぞれの主張は、各人の価値観や希望としての主観を意味すると先に書きました。ですから、その主張について反論しても「俺はこう思う」「俺はそう思わない」という主観と主観の応酬にしかなりません。そして、主観にはそれぞれの人の経験や習慣などから成立した価値観に基づいていますから、頭からそれを否定することは、相手の人格を傷つけることになります。それでは、それぞれ価値観が異なる社会において、議論は成立しません

 ですから、各人は、物の考え方は違う、ということを前提にした上で、その主張の根拠や推論について聞き出すために、「何で?」と質問をし、その根拠や推論が正しいかどうかを本人に確認を取るという方法をするのが自分にとっても相手にとっても納得のできる手法となります。人は、自分の考えを人に否定されて、考えを変えることはありません。自分で納得して変えるのです。とすれば、もし相手の主張があやしいと思ったら、その根拠を聞いて、根拠のあやしさを本人に確認させる手助けをすることが説得の技術となります

 

本書は、このように単に自分の「武器」としての思考法だけではなく、考え方の違う他人とどうすれば頭に血が上らずに共生できる社会をつくれるか、ということまで射程の入った議論なのではないか。そのように感じられました

評価 ☆☆

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2016年9月 1日 (木)

自民党と右翼

前回の続き

 本書の中で、もっとも興味深かったのは、「総理の指南役」という枕詞がついていた安岡正篤について述べているところで、著者が安岡についての本を書いた時の解説に岩見隆夫が次のように書いているというのですね。

「かなり以前のことになるが、自民党のある実力者から、『首相になるための条件の一つは、右翼に手を打つことだ。それができないと政権は続かない。二人の人物がカギとなる』という話を聞いたことがあった。類推では、一人は児玉誉士夫、いま一人は安岡正篤と思われた」
「右 翼(暴力的右翼も含む)から本気で反対された政権は維持できない、と自民党の中枢は見ていた。そして、右翼の暴力装置を統括していたのが児玉であり、理論 的オーソリティが安岡だった。二人の間につながりがあったわけではないだろうが、戦後の首相あるいは首相候補者たちは、この二人となんらかの形で気脈を通 じておく必要があった」(122頁)

 こんなことが書かれていたのでした。たしかにこれは自民党の戦前政治の反省に基いているといえるでしょう。以前紹介した生方敏郎『明治大正見聞史』に次ようなことが書かれています。

「〔当時の政党政治家の疑獄事件を受けて〕政府では、外来の思想に対し、やれ危険思想危険思想と、二言目には危険思想と言っているが、これら新年から引きつづき裁判所の御厄介になった議員諸君の中に、外来思想の一端にでも触れた人間がいるだろうか。いたら、それこそお目にかかる。また、安田善次郎を殺した者、大倉男を脅した者、総理大臣原敬閣下に凶刃を擬した犯人の一人でもが、外来思想に触れるなりかぶれるなりしたものであるならば、吾人また何をか言わん。ところが天か命か、彼らはいずれも誤れる頑迷旧弊思想の持主で、日本外史でもありがたがりそうな連中だ。横文字のヨの字も読んだ人々ではない。彼らの中の一人もが、バクーニン、ソーレル、クロポトキン、レーニン等の信者ではない。マルクス、モーリス、ショウ、ラッセルの渇仰者ですらもない。外来思想はおろかのこと、日本現代の新思想新文芸にすらも与った連中ではない。どれもこれも氏神さんのお札でも配って歩きそうな気の利かない手合だったじゃないか?全く、この分では政府が外来思想を取りしまるのは滑稽なる杞人の憂だ。どちらかと言えば、外来思想を取りしまる如き無能の手数をつくす代りに、外来思想を取りしまる者を取りしまった方が賢こそうに思われる。」(282頁)

 ここで述べられているように、戦前における政党政治家に危害を与えたのは右翼思想にかぶれた連中だったのですね。原敬しかり、濱口雄幸しかり、井上準之助しかり、犬養毅しかり、高橋是清しかり、です。また協調外交の旗手であった幣原喜重郎外相に強く抵抗したのは右翼勢力でした。こうしたことからも、右翼勢力を手懐けることが、戦後の保守政治家にとって安全を勝ち取るためにも必要なことだったでしょう。現に、戦後における政治家に対するテロ事件は、岸信介襲撃事件(1960年7月14日)、浅沼稲次郎刺殺事件(同年10月12日)、石井紘基刺殺事件(2002年10月25日)など右翼団体に所属した者によってなされています。

 かつての昭和期の自民党の実力者が、児玉誉士夫や安岡正篤に気脈を通じていたといいますが、だからといって彼らの影響力が自民党の政策に強い影響を与えていたかどうかは微妙なところであろうと思います。やはり怒らせないように顔を立てる、といったところだったのでしょう。もっとも、児玉誉士夫は、自民党の源流である鳩山一郎の日本自由党結成の資金を、海軍や外務省の嘱託で稼いた児玉機関の資金から提供しているようなので、そうした恩義もあったのでしょうけれども。

 それはともかく、この一節を読んで、気づいたのですが、最近話題の「日本会議」というものも、結局これと一緒なのではないか。そんな気がするんです。

 つまり、「日本会議」は文化集団、思想集団であって、彼らを怒らせたからといって暴力に発展するとは思えませんが、執拗な嫌がらせはするのではないか。民主党政権時に、右派的言論がネット上で幅を利かせたように。だから、自民党の主要政治家たちはこぞって彼らに関わる議員連盟に入っておく。そうすれば、無駄な攻撃を受ける理由が一つ減るわけです。

 そのよう考えると、「日本会議」というのも、数ある圧力団体の一つであり、また自民党が戦前の経験と反省から身につけた知恵として、右翼と気脈を通じておく、というものに過ぎないのではないか。だから、彼らについて真面目に研究しても、現在の安倍政権について考えるヒントにはならないのではないですかね

 また、丸山眞男の「軍国支配者の精神形態」(1949年)という論文に次のような一文が書かれています。

「下剋上とは畢竟匿名の無責任な力の非合理的爆発であり、それは下からの力が公然と組織化されない社会においてのみ起る。」

 これは、帝国憲法下の政治システムというものが、下位の地位にいるものに引っ張られてしまって、リーダーシップがとれない状態と「下剋上」と呼んで、それを説明しているものです。問題の点は、「下からの力が公然と組織化されない社会」というものです。これは、非民主主義的社会において、最下層にいる民衆の不満を体制に組み込むシステムがないために、彼らは排外主義的な気分を生みやすく、軍や右翼はそれらを煽りつつも、逆に引っ張られてしまうということを述べているのです。

 しかし、これは戦後の無自覚的な右派傾向の民衆にも当てはまるのではないか、と思うのです。つまり、戦後社会は男女普通選挙という形で、すべての国民の意志というものが選挙のかたちで尊重されます。しかし、1960年以降の自民党は、憲法改正を政治課題に載せることがなくなりましたし、新聞・テレビから得る論評は護憲・平和主義であるし、知識人には左派が多かったので本を読んで勉強したり、大学の講義を聞いても右派的な言論に触れることはありません。彼らは、常に不満を持ち続けているのです

 しかもやっかいなことに、彼らは組織化されることがほとんどありません。右翼傾向のある人は、自分が右翼であると自覚しませんし、認めません。左翼の人は、自ら選び取った思想であるということが多いので、自分を誇りを持って「左翼である」と主張します。しかし、右翼の人は、自分は「普通の日本人だ」とか「外国では普通」というように、自分の思想傾向を認めません。そうすると、自分たちで右翼団体を結成しようとか、既存の団体に参加しようとはしません。

 右翼思想というのは、普通の人の感覚を少し鋭くしたものの発展です。例えば、「自分は日本人だ」という感覚を大多数の国民は意識していますが、これが鋭くなると「日本人は、外国人とは違う」ということになります。また、「日本はいい国だ」というのも、多くの国民が考えていることかと思いますが、鋭くなると「日本が悪いことをするはずがない」になります。

 同様に、「日本には天皇がいる」は「万世一系の天皇を戴く世界でも無比の國體」になりますし、「なんだかんだ言っても自衛力は必要だよね」が「帝国陸海軍を復活すべし」になり、「日本は独立国である」が「他国の言いなりになってはならない、口出しするな」になります

 左翼の場合は、勉強したり、主体的な選択によって、その思想を獲得しますし、自分たちは反体制派である、という自覚があります。ですから、たとえ少数であっても、自分たちの考えに同意してくれる団体・政党が存在していれば、満足できます。もともと、少数派を選んでいるのですから。

 しかし、右翼は普通の人の感覚をより鋭敏にしたものなので、自覚的というよりも自然になることができるので、無自覚な場合が多いのです。そうすると、自分は「普通」の感覚でモノを考えているのに、自分の「普通」の意見を、マスコミが言わないのはおかしいし、日本政府が自分たちを代表していないのはおかしい、と考えるようになってしまいます。これは、先の「公然と組織化されない社会」と言えるでしょう

 そうしますと、こうした人々の不満というものをどこかで汲み取らなくてはなりません。そうしたものの象徴が、「日本会議」などの右派団体への接近なのではないでしょうか。かつては、児玉誉士夫と安岡正篤という象徴的人物であったですが、現在は「日本会議」という団体にかわったのではないか、と思うのです。

 先にも書きましたが、一般国民より少し右寄りの人というのは、基本的には右派団体には所属しません。しかし、「日本会議」に代表されるような右派団体の主張に近いものがありますし、気づいていないだけで、彼らに近い学者や評論家たちの意見に耳を傾けているのだと思います。ですから、自民党のリーダーを狙うような政治家は、統制された右派団体に近づき、彼らにリップ・サービスをしておけば、「公然と組織化されない」右派の国民感情も引っくるめて、多少の不満の解消が可能になります。これによって、政権の安定が保てるのです

 これが、戦後および現在の自民党と右翼との関係なのではないでしょうか。つまり、右派団体への接近は、政権の安全弁なのです。しかし、これがもし丸山眞男のいうように「支配層は不満の逆流を防止するために自らそうした〔排外主義的な〕傾向を煽りながら、却って危機的段階において、そうした無責任な「世論」に屈従して政策決定の自主性を失う」ということになれば、政治の危機となることは言うまでもありません。

 今のところ、安倍晋三首相は本人も認めているように「排外的な姿勢を取ったことは、私は基本的に一回もないですからね」(田崎史郎『安倍官邸の正体』、163頁)というように、排外主義を煽るような主要な政治指導者は日本にはいません(どちらかと言えば、左派の指導者の反米の方が「排外的な姿勢」でしょう)。そこは安心して良いと思います。排外主義を煽る指導者と、右派団体が結びついたことが確認できた時、これが注意のポイントになるのでしょう

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