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2016年8月

2016年8月31日 (水)

塩田潮『戦後政治の謎』

点検読書227

副題は、「自民分裂を予感させる「30の真実」」
講談社+α新書(2008年9月20日)刊


日本政治


鳩山一郎の日本自由党結成から福田康夫の突然の辞任会見までの自民党を中心とした戦後政治を描き出す。そこから見えてきたのは、政治的統合が欠如し、首相のリーダーシップが発揮できない分権的な政党システムであり、そうした旧態依然たる自民党の時代が終わり、野党転落も含めた分裂、再編、再出発は不可避である。


4部構成

1:日本自由党結成から自民党結成まで(一~三)

2:岸信介から中曽根康弘の自民党全盛期(四~十四)

3:リクルート事件から非自民連立政権成立まで(十五~二十)

4:自社さ政権から二大政党の時代へ(二十一~三十)

コメント
 本書が描く戦後政治史というか、自民党史は分権的な派閥の連合政権に基いて成立していたがために、常に足の引っ張り合いの陰謀が渦巻き、首相がリーダーシップを取れない、というものでした。つまり、首相の功績が、自分たちの政党の全体の功績と感じられずに、首相の出身派閥の功績となり、また自分たちの親分の首相への道のりが遠くなると感じさせるために、あまり成果を挙げさせないようにする、というのが当然であったわけです。
 それを変えるために、同じ政党同士が競い合う中選挙区制から当選者が一人の小選挙区制に変えることで、政党の統一感を強化したのでした。そのためでしょう。例えば、小選挙区制実施後の政権である橋本龍太郎内閣は、行政改革を成し遂げましたし、弱体とされた小渕恵三内閣ですら、日米防衛協力のためのガイドライン法、憲法調査会設置法、国旗・国歌法、通信傍受法を含む組織的犯罪対策法、改正住民基本台帳法などの法案を通しました。これらは、かつてだったら一つの内閣が一法案通せたぐらいの重要法案とされ、まかり間違えば内閣が吹っ飛ぶとされたような法案だったそうです。しかし、それを弱体とされた小渕内閣が通せたのです
 考えてみれば、当時の政治番組などでは、野中広務官房長官のちに幹事長の専制と非主流派から呼ばれていた時代で、かつての自民党はもっと自由だった、と非主流派の意をうけた政治評論家たちが述べていました。それが変わったのです。
 しかし、そうした新しい流れは小渕首相の下の野中広務氏や小泉純一郎首相など強力なリーダーシップを発揮できる人物がいないと実現できないという属人的なもので、自民党はそれに対応できていない。そのように、この2008年段階には思われて、政界再編か野党転落は免れないというのが、著者の見立てでした。そして、それは正しかったのですが、その次の民主党も寄せ集めの選挙互助会という自民党的な体質を残しており、同じように政治的統合の弱さによって崩壊の道をたどったのでした。そもそも自民党の分裂によってできた政党だけに、そうした分裂、陰謀、足の引っ張り合いという遺伝子を残していたのかもしれません。それが解消したのが、「安倍一強」といわれる現在の自民党なのでしょう。

つづく

評価 ☆☆

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2016年8月30日 (火)

内藤湖南「応仁の乱について」

点検読書226

『日本の名著41 内藤湖南』(中央公論社、1971年)収録
原著は、『日本文化史研究』(弘文堂、1924年)収録


日本文化論――日本中世史


歴史は、下級人民が徐々に向上発展していく過程であり、日本社会において応仁の乱こそ、その転換期であった。日本の歴史を考えるにあたっては、応仁の乱以後のことをしていれば良い。それ以前というのは、外国同様にみなすべきだ。この時代は、旧来の貴族社会を徹底的に破壊し、貴族文化というものを民衆化したのである。


4部構成

1:貴族社会から民衆社会への移行

2:下克上とは

3:尊王心の民衆化

4:思想・文化の民衆化

コメント
 まずは本書のキモであり有名な一節を引用しておきましょう。

「だいたい今日の日本を知るために日本の歴史を研究するには、古代の歴史を研究する必要はほとんどありませぬ。応仁の乱以後の歴史を知っていおったらそれでたくさんです。それ以前のことは外国の歴史と同じくらいにしか感ぜられませぬが、応仁の乱以後はわれわれの真の身体骨肉に直接触れた歴史であって、これを本当に知っていれば、それで日本歴史は十分だと言っていいのであります。」(83頁)

 湖南によれば、応仁の乱以前というのは、氏族制度における貴族たちの社会であったが、この応仁の乱以後の戦国時代において、ほとんんどの名家は滅びてしまい、明治の時代になって華族に叙せられた旧大名家はこの時代に出てきたものである、といいます。
 つまり、この時代に徹底した社会変動があった、というのです。それを湖南は「下克上」と呼んでいます。通常の「下克上」の用法は、陪臣にすぎない家臣が順々に上の主君を押さえつけてゆく状態を指すのですが、当時の用法は「最下級の者があらゆる古来の秩序を破壊する、もっと激しい現象を、もっともっと深刻に考えて下克上と言ったのである」(87頁)と述べています。
 日本は、ヨーロッパ諸国にくらべて上下の社会階級の格差がないというのが、明治時代以来の考えでした。その一方で、敬語表現や所作など人間の距離感の取り方の堅苦しさというものがあって、かつては厳しい身分差別がありました。
 どういうことかというと、本当に社会階級のある社会では、話す言語も食べる物も食べ方も享受する文化も貴族と平民とでは異なります。そして、両者の接触もほとんどありません。そうした差というのは征服・被征服民族という歴史的経緯と1000年レベルの生活スタイルの違いによって生じます。
 一方で日本の場合は、さまざまな言葉遣いや所作で差別というものをつくっていますが、話す言語は同じですし、食べる物も豊かさに差があるだけで基本的には同じですし、食べ方に大きな違いはありません。そして、吉原など外の身分を取り外して遊ぶ場もあり、交流もないことはなかったのです。
 こうした差というものは何かと謎を解くのが、湖南の主張でしょう。つまり、日本は、応仁の乱以後の戦国時代において、徹底して旧来の社会階級・身分制度を破壊してしまったのです。それ以前というのは、集団のトップは旧秩序に関わる身分のある人物しか就けませんでした。東国武士団における源頼朝がそうですし、鎌倉幕府における摂家将軍・宮将軍です。しかし、戦国時代になるとトップは、あくまでも実力です。旧体制における身分と全く関わりのなかった豊臣秀吉が天下人になれたことからもよく分かります。また、天下を取った徳川家康も東国からフラリとやって来たという伝説がある人物の子孫に過ぎず、出自は謎です(参照)。
 このように、律令国家時代においては、神話的な「天孫族」系と「国津神」系など明確な支配・非支配集団の区分があったのですが、戦国時代以後になると、それはありません。同じ人間の実力によって、支配・被征服が区分されたのです。ですから、逆に様々な規制を設けて身分差別を演出しなくては、支配者と被支配者の区別がつきません。そのためにも、基本は同じ言語・所作であるにもかかわらず、あえて人為的に上の者が「貴様」といえば、下の者が「あなた」というように差をつけたり、上座・下座という座る位置を決めたり、不「自然」な差別をつくったといえるでしょう。
 いってみれば、現在の高所得者が低所得者と差をつけるためにブランド品を身につけるようなものです。両者は、所詮は同じ平民であり、また平民同士同じ情報と価値観があることが前提となります。なぜなら、もし低所得者層がそのブランドを知らなければ、そうしたものを身に着けていたとしても、差別という点で何の意味もないからです。
 また、こうした元々おなじ「平民」が支配者と被支配者に別れたわけですから、同じ「同族」として被支配層を大切に思う気分というものも生まれました。その点が、人民は領主の持ち物にすぎないと考える諸外国の貴族や官僚との違いを生み、またそれが極端な圧政に進まなかったために、急激な革命を引き起こさなかった原因ともなるでしょう。革命は、すでに戦国時代で成し遂げていたのですから。
 以上のように、この湖南の講演録は、短いながらも日本史における謎のいくつかを解き明かすヒントが散りばめられていて、日本史に関心のある人には必読のものでしょう。

評価 ☆☆☆☆

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2016年8月29日 (月)

生方敏郎『明治大正見聞史』

点検読書225

中公文庫(1978年10月10日)刊
原著は、春秋社(1926年11月)刊


日本史――明治時代


『東京朝日』の名物記者から作家となった著者の体験を踏まえた明治・大正の世相史。明治初期の外交から憲法発布と日清戦争、学生の目を通した社会の移り変わり、乃木将軍の死に直面した新聞社の本音と建前、関東大震災の記録、と明治・大正の事件を風刺的に描く。


8部構成

1:明治初期の「屈辱」外交

2:日清戦争と社会的意義

3:明治時代の学生生活

4:恐露病と日露戦争

5:明治の終わりと乃木将軍

6:プロから素人の女性の時代

7:大正の世相史

8:関東大震災の記録

コメント
 本書は、明治・大正の社会の移り変わりを社会をきりとるという新聞記者の視点から回顧した作品です。収録された作品は、世の中の変化の体験的記録という点でまとまっているものの、各作品は『中央公論』などに掲載されたものだそうです。
 本書では、乃木将軍がその妻とともに明治天皇に殉死した事件について、新聞社内で軽蔑したような会話がなされている中、できあがった新聞は賞賛の嵐というように、建前によって世論が創られていくさまや、関東大震災に当事者として体験し、徳富蘇峰が津波にさらわれて死亡したなどの噂を鵜呑みにする姿、話題になる女性がプロの芸者から女性記者や作家など「素人」へと転換していくさまなど、興味深いエピソードにあふれています。

 その中でも、興味深いのは、やはり日清戦争でしょう。
 明治国家の初めての本格的な対外戦争である日清戦争は、日本という国家を国内的にも、対外的にも決定的に変えた重要な事件であったというのです。
 著者が言うには、日清戦争までの地方の人間は、反藩閥政府的気分が強く、一つの国民という意識が希薄でしたが、この戦争によって、それが変わったというのです。

「私の子供らしい心に映ったところで見ると、憲法発布はさまで地方民の心に革新の刺激を与えないでしまった。皆な予期を裏切られたという心持ちを持ったらしかった。根本的に地方民の心を動かして、明治の新政府に服従し中央政府を信頼するようになったのは、日清戦争の賜物であったように思われる。」(25頁)

 つまり、それ以前の地方の人にとって、明治維新は薩長武士の企てた「革命」に過ぎないのであって、自分たちの政府とは考えていなかったようなのです。もちろん、人々は、「きんりん様」=禁裏様=天皇を尊いものと考えていたものの、それと同等かそれ以上に「公方様」=徳川将軍の権威が強かったようなのです。それが、この戦争の思わぬ勝利によって、中央政府の権威が一気に上昇したということでした。
 また、この戦争は、一般国民の中国観も大幅に転換させました。それ以前の日本人にとっての中国というのは、子供の頃から教え込まれる儒学の故郷であり、学校で習う「漢字」の国であり、また優れた美術品をつくる国で、お祭りの山車に置かれた人形のモデルたち、漢楚合戦や三国志の国だったのでした。
 それが憎悪する敵国へと変わり、そして思いがけぬ日本軍の快進撃に「遅れた国」という印象を持つようになったというのです。
 現在の我々は、日清戦争を勝つべくして勝った戦争で、いってみれば日露戦争の前哨戦のような扱いで見てしまいます。しかし、著者も言うように、もし日露戦争がなければ、牙山で戦死した松崎直臣大尉や喇叭卒の白神源次郎は日露戦争における廣瀬武夫中佐と杉野孫七兵曹長なみに知られていただろうし、大島義昌、立見尚文、大迫尚敏、佐藤鉄太郎の諸将は日露戦争の黒木為楨、乃木希典、児玉源太郎なみの大英雄であったろうというのです。
 現にこの箇所は原文では苗字しか書いておりませんのでしたが、私は日露戦争の方はほぼ下の名前も調べずに書けましたが、日清戦争の方は一人もフルネームが出てきませんでした。同時代人にとっての大事件とのちの人間にとっての捉え方は、これほど違うのか、と感じます。
 本書は、そうした驚きにあふれております。また、それを指摘出来るだけの透徹した視線を持っていたということもあったのでしょう。しかしながら、その著者ですら、この日清戦争で軍国熱が暑くなったものの、1926年現在では軍縮熱によって軍人の肩身が狭くなったとは、誰も想像できなかったろうと述べており(66頁)、その数年後の軍国主義を予想だにしていなかったのも面白いところです。

評価 ☆☆☆☆

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2016年8月26日 (金)

福澤諭吉「日本婦人論」

点検読書224

『明治文学全集8 福澤諭吉』(筑摩書房、1966年3月10日)、所収。
1885年(明治18年)6月4日から12日まで『時事新報』社説で掲載。


日本思想史――福澤諭吉


西欧諸国に対抗しうる国家をつくるためには、日本人の人種改良が必要である。他力として考えられるのは雑婚であるが、自力として考えられるのは日本婦人の心身を強化することで、心身ともに健康な子孫を増やすことにある。そのためにも、徳川時代以来の封建道徳がつくりだした男尊女卑をあらためて、女性に財産権を持たせることで責任意識を育て、また適度な性欲を満足させることで健康な身体をつくりだすべきである。


8部構成

1:人種改良の方法としての婦人の心身の活発化

2:婦人への財産権の確保

3:人生の三要素(形体、智識、情感)

4:婦人の再婚を蔑視する風潮は情感をそこなう

5:看過されてきた婦人の健康と性欲(「春情」)

6:婦人の再婚が普通だった中世の日本

7:男女平等の家族の具体案

8:男女平等こそが人種改良の近道

コメント
 福澤諭吉は、雑婚による人種改良論者でした。彼が、強烈なナショナリストであったことは知られていますが、民族主義者だったのではありません。今ある日本列島に存在する政権が外国に蹂躙されて、独立が維持できないことに危機感を持っていたのであって、歴史的に形成された「日本人」という民族性を守りたかったわけではありませんでした。
 その点で、福澤と対比される加藤弘之が、日本には残すべき伝統などないし、個性があるとすれば皇室と日本民族だけなので、もし人種改良しなければ滅びてしまうような弱い民族なら滅びてしまったほうが良い、と優勝劣敗の社会進化論者らしい考え方とは異なります。加藤の方がスッキリしていますが、民族主義者なんですね。
 で、非民族主義者の福澤も雑婚以外の人種改良の方法を考えていたのです。それが本稿の「日本婦人論」で、その内容とは女性に財産権をあたえて責任感をもたせること、具体的には遺産分配の際に女子に不動産を優先させるなどの処置によって私的財産を確保することなどです。また男女平等の婚姻を実現するために、結婚後の姓の創設。つまり、畠山氏と梶原氏が結婚すれば、山原氏になるなど、嫁入り・婿入りというカタチで家名を残すという習慣を改めることを主張しています。もっとも福澤は、本人が親でない人を親と呼ぶことはできない養子制度が大嫌いだったので、そうしたものを必要とする家名というのが不合理だからともいっていますが、かなり急進的な核家族主義者です。また、離婚の権利を平等にすることを主張しています。
 しかし、本稿の最大の特徴は、日本婦人の性欲の問題を認知すべきということです。かねがね日本社会では、妻妾が性的に不遇であった、と福澤は述べます。つまり、大名であったら正妻や愛妾は江戸の藩邸に残されて、大名自身は本領に数人の妾を置くことができます。また、一般武士や商人たちも、藩用や仕事で長期に家を空けることがありますが、交通事情が不十分なために妻妾を家に残していきます。そして、妻妾たちが、家で虚しく過ごすのに対して、男たちは現地で花柳の春を買いに行きます。これでは不平等である、といいます。
 もっとも、福澤は、自分は妻以外女は知らんというほど、性道徳に厳しい人物でしたので、婚姻関係にある婦人が性的に自由を謳歌せよ、と主張しているわけではありません。問題なのは、夫の死別後の寡婦です。通常、妻に死別された夫には、再婚の話が来やすいのに対して、夫に先立たれた妻が再婚することを喜ばない風潮がある、と福澤はいいます。現に、異母兄弟というのは世間に多いものの、異父兄弟というのは少ないのではないか。そうした指摘をするのです。実際のデータがないので、どうとも言えないのですが、福澤の実感ではそのようになっていたというのです。福澤によれば、これは男女平等に反するといいます。
 福澤が言うには、形体と智識と情感という三要素を満足させることが人生の目的となります。形体というのは体の健康ですからしっかりとした食事を摂ることです。智識は学問をすることです。そして情感というのは快楽を得ることによって満足します。食事を過度に摂取すれば身体の健康を損なうように、それぞれ適量の摂取が必要となります。しかし、これまでの健康に関する考察には、性欲に関して看過してきたのではないか、と福澤はいいます。この性欲の満足を得ない場合、一見健康であるものの、神経病などを発するのではないか。現に、大名の子と言うのは、衛生状態や栄養状態が良いにもかかわらず、虚弱な子が多いではないか。それは、母親の方が室内に閉じ込められた上に、主人の寵愛を常に受けられるわけではないという不満と不安が、健康を損ね、子供にも影響を与えているといいます。
 おそらく福澤の理想は、一夫一婦制を確実に実行し、適度な性生活を送ることが良いことで、不幸にも離婚や死別した際に、女性が再婚することへの世間の目を和らげることが大切だ、ということになるでしょう。
 その点で、現在でもそうした目が世間には残っているので、まだまだ福澤の考えは古びていないのではないか、という気がします。その点で、谷原章介夫妻は、福澤基準で言うと立派な家庭なのでしょう。
 さて、福澤の「日本婦人論」の本筋の内容はそんなところなのですが、一箇所気になる部分があります。東洋における男尊女卑の風潮のところで、儒教の影響が強い朝鮮では、夫と死別した寡婦の再婚には厳しい制限がある上に、婚約中に相手が死んでしまったら後家とみなされて結婚できないので、寡婦が多い、という記述があります。しかし、こうした風習には抜け穴があって、性の相手を周旋する「慇懃者」というものがあるというのです。

「深窓の少寡婦も陌頭の楊柳と共に春風に吹かれて死灰自から温気を催ふすときは、傍より竊に其温度を窺ふて通情の道を周旋する者あり。之を慇懃者と云ふ。朝鮮にて慇懃者の盛んなる、恰も一種職業の体を成して、其手に依頼するときは男女共に意の如くならざるはなし。」(115頁)

 この「慇懃者」を利用するのは、若後家だけではなく、夫に相手にされない老妻や妻妾間の争いに敗けた者、夫が単身赴任している者などがいるそうです。儒教の国という外面の厳しさの裏には人情の機微にふれる裏の制度がある、と述べる下りで以上のようなものが紹介されています。しかし、これはグーグル先生にお伺いを立てても、とくに出てくるものではないので、出典が何か、というよりも朝鮮の風俗に関する歴史を調べなければならないのかな、とも思っております。

評価 ☆☆☆

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2016年8月25日 (木)

岡本隆司『日中関係史』

点検読書223

副題は、「「政冷経熱」の千五百年」
PHP新書(2015年9月1日)刊


世界史――日本・中国


古代以来、日本と中国は疎遠であった。日本にとって中国は身近な外国であり憧憬の対象であったものの、政府間の交流も民間・知識人間の交流も少なく、とりわけ政府間の交流はお互いに誤解し合ったものであった。関係が密になると関係が悪化し、疎遠になると摩擦が起きる。こうした日中間の特徴を卑弥呼の時代から日中戦争が始まるまでを描く。


四部構成

1:「東アジア」秩序から隔絶する古代日本

2:政府間交流の途絶と経済の密接化(倭寇の時代)

3:「鎖国」の時代

4:漢語化する日本と日本化する中国とその破綻

コメント
 現在の日中間の関係はとてもイビツです。野田佳彦内閣で尖閣諸島を国有化して以来、政府間交流がなくなり、第二次安倍晋三内閣でそれが復活したものの、毎日のように尖閣諸島沖で中国船が挑発行動に出ていて、諸外国から不安視されています。
 そうした表われか、日本側の対中投資は一時期に比べて低下しています。しかしその一方で、日本の訪日外国人が年内にも2000万人を突破するかもしれないという報道がありましたが、3分の1ぐらいが大陸中国、香港、そして台湾といった「中国人」です。つまり、政府間の関係は、上手くいっていないのですが、密な民間交流とまではいかないまでも、日中間の人の交流は増加しているのです。
 これは一体どうしたことなのか。これが本書の問題意識であり、その回答として、日中政府間の関係はもともと疎遠であり、それにも関わらず、モノとモノとの取引は密接であったというのです。
 日中間の政府間交流が密でなかったのは、お互いが異なる世界観の中で成立していたから、ということらしいです。歴代の中国の王朝はやはり世界の中心であって、平等な関係というのはありえないのです。あくまで中国と付き合うのなら、他の国は中国皇帝に臣下の礼を尽くさなければなりません。しかし、日本は中国本土とは離れていたために、直接的な影響関係が少なく、孤立しても生きていけましたから、わざわざそうした義務を引き受けることは「屈辱」と考えるメンタリティがあったというのです。
 つまり、中国という国は、自分たちの世界観があって、それに見合うものとしか正式な関係は築かないという「原則」があります。その一方で日本は、そうした「原則」からは自由でありたい、という中国側からすれば「非常識」な国であると言えましょう。こうした点は、現在の中国も同様です。その「原則」は「歴史認識」となりましょう。「歴史認識」という問題は歴史的事実ではなく、まさに「認識」であって主観的なもので世界観に連なります。しかし、中国側が設定した世界観に見合わない態度を示すのは「非常識」であり、正式に交流するに値しません。相手の「歴史認識」に合わせて正式な政府間交流を密接にさせて、日中間の経済交流を密にするというのは、足利義満が「日本国王」として朝貢一元体制に適合しつつ、勘合貿易の利益を得ようとしたことと似ています。そして、どちらも日本人のメンタリティとしては、非難の対象となったのでした。
 どうもそうなると、天皇の権威に挑戦しようとする成り上がりものが中国との関係を密にしようとして、そうしたものを必要としない権力基盤の強い者が対中関係に冷たい印象があります。
 つまり、公家勢力を圧倒して太政大臣になった新興勢力の平清盛であり、同様に足利義満、また尊王家とも言われていますが中華趣味のあった織田信長、戦後では田中角榮、小沢一郎氏がそれにあたります。また、近代日本において、対中関係の改善に尽力した幣原喜重郎外相とそれを支える濱口雄幸、若槻禮次郎両首相は学歴エリートですが成り上がり者の民主主義者です。それに対して、東国武士に強固な支持があった源頼朝、幼い時から公卿としての地位があった足利義持、これも武士層から強い支持のあった徳川家康、三世議員で最大派閥を背景にする小泉純一郎氏と安倍首相。戦前では、薩長藩閥出身者が中国に対して冷静な態度を取ります(侵略意図がある人たちは、また別でしょう)。
 このように日中関係というのは、対外関係の難しさとともに、国内政治における野心というものとも絡み合っているという印象を持ちます。本書は、日中戦争や戦後の日中外交といった関係が密になった時代を扱うのではなく、逆に俯瞰した視点で、政治的に疎遠でありつつ経済的には密接であった1500年という常態によって、現在の日中関係の見方にヒントを与えてくれます。

評価 ☆☆☆

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2016年8月24日 (水)

大石眞・大沢秀介編『判例憲法』

点検読書222

有斐閣(2009年4月30日)刊


法学――憲法


憲法に関する基本的な考え方や憲法上の基本的論点を踏まえた上で、最高裁判所の判例を取り上げることで、憲法というものについて組織立った体系的な考え方を身につけるよう配慮された憲法入門書。


三部構成

1:憲法の意味・解釈(第Ⅰ部)

2:基本権と権利保障(第Ⅱ部)

3:統治の原理と組織(第Ⅲ部)

コメント
 本書の編者の大石眞氏は、昨年の安保論争の時も静観を守っており、どちらかというと集団的自衛権は違憲ではない、という孤高の憲法学者です。大石氏の憲法観は、憲法というものは憲法典だけではなく、憲法判例、憲法附属法、条約、治安立法等、国政の組織や内容に関する基本的な原理・規範やその全体をあらわす実質的意味の憲法=憲法秩序として理解する必要があるというものです
 ですから、憲法学の基本的論点と日本国憲法の内容、そして最高裁の判例を収録した本書は大石憲法学入門の意味があるでしょう。
 本書の中で驚かされるのは、憲法改正について、わりと詳しく述べられており、護憲派・リベラル派が主張する憲法改正の限界説について、例えば人権尊重・平和主義や現行憲法との同一性などの具体的内容が必ずしも明らかではないとして限界説に疑問を呈しています。さらに、現在の国民を過去の憲法制定時の国民が縛るというのは自由決定権を制限することになり、国民主権の原理に反するとして批判し、国民主権原理以外の限界はない、という立場を明確にしています。こうしてみると保守派と護憲派は、国民とは過去の国民と現在の国民と将来の国民の複合体である、という見方であるのに対して、近代国家の国民は何をもなしうる、という近代主義というのが大石氏の立場なのかもしれません。
 また、目からウロコが取れたのは、最近でも何かと話題の日本国憲法における「基本的人権」という用語です。以前、2012年の政権交代前に創生「日本」という議員連盟の会合で、長勢甚遠元法務大臣が、「国民主権、基本的人権、平和主義」が自民党改正案に残っているのは、マッカーサーに与えられたものであり、戦後レジームそのものとして批判していたことを取り上げました(参照)。この時は、何を言っているのか、分からなかったのですが、たしかに諸外国の憲法を眺めてみると、この三原則がすべて明記されている先進国は、日・独・伊という敗戦国のみだなというのは確認できたのです。しかし、そうした事実があったとしても、その三つって大切だし、20世紀も後半になるに従って制定された憲法というのは、そうした三原則が明記されるようになったのではないか、と思っておりました。
 本書によると、もっと簡単な議論であったようです。つまり、通常、人権というのは「人間が自律的に人格をもって生きるために欠かせない権利や自由」を言うのですが、憲法上で具体的に保障される権利や自由を「基本権」と呼ぶらしいのです。では、なぜ日本国憲法が、「基本的人権」という用語を使っているかというと、ポツダム宣言に「基本的人権 fundamental human rights」の尊重の確立が求められていることを受け、11条および97条で「基本的人権」という語を用いているというのです
 つまり、権利や自由が憲法で保障されるという意味での基本権および人権という用語を使うことはもはや否定する人はいないでしょう。「権利の保障が確保されず、権力分立も定められていない社会は、すべて憲法をもつものではない」(フランス人権宣言16条)が、近代的な憲法の基準なのですから、当然と言えましょう。しかし、この基本権と人権が複合した「基本的人権」という用語は、ポツダム宣言という降伏勧告に述べられている言葉で、これを使用しているということは、敗戦国が続いていいるということになります。
 おりしも先週、アメリカのバイデン副大統領が「日本の憲法はアメリカが書いた」と発言されたそうですが、そういうことなのですね(参照)。
 それが良いかどうか、というのは国民主権の原理によって、現在の国民が決めれば良いことであって、アメリカ人がつくったからといって、それを唯々諾々と受け入れてきたのは現在の日本国民です。そうした出自の憲法ですが、本書に見られるように、判例というかたちですでに深い歴史を刻んでおります。そうした意味で、本書により、これまでの憲法の運用や学説はどうであったかを確認することは必要でしょう。
 すこし古くなってしまいましたが、手元に置いておくには良い教科書であるかと思います。

評価 ☆☆☆☆

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第三版が出てたのですね。購入したほうが良いかな。

2016年8月23日 (火)

野中郁次郎・紺野登『知識経営のすすめ』

点検読書221

副題は、「ナレッジマネジメントとその時代」
ちくま新書(1999年12月20日)刊


経営学


現代の企業戦略は、量産製造業型から地域産業型へと移行しつつある。そこにおける知識経営とは、問題解決技能の共有、専門知のネットワーク、顧客情報の共有、顧客との情報共有と提携を管理するものである。また、企業が提供する「売りもの」は、労働者たちの知識技能であり、顧客の問題を解決する知識を内蔵した製品である。


三部構成

1:知識重視の企業戦略への移行(第1章)

2:知識産業時代の経営(第2~5章)

3:知識産業時代の商品(第6章)

コメント
 本書における「知識」とは、単なる情報ではなく、その人固有の技能や経験に裏打ちされた、問題解決能力や顧客についての情報、また問題や課題が発生した際にそれを解決する知識とを結びつける能力などを指します。経営戦略としては、こうした個々人がもつ「知識」を共有し、また結びつけるようなシステムづくりが重要となってきます。
 こうした「知識」への着目は、労働者側のものだけではなく、消費者に提供する製品に関しても、その商品を購入する人特有の技能や経験に裏打ちされた価値観や課題に対応するものであるといいます。
 本書では、そうした製品の特徴を以下のように箇条書されています(221~222頁)。

①外部の情報や知識資産へのアクセスができること
②顧客の特定の問題を解決したり、特定の効用を生み出せること
③ネットワーク、センサーなど外的世界とのコミュニケーション機能を有していること
④顧客との相互作用による製品進化、顧客知の活用ができる仕組みがあること
⑤モノ(ハード)ではかう、ソフトやサービスで収益を得る構造を内包していること
⑥何らかの標準的なソフトウェアやシステムが利用されていること
⑦流通形態・提供形態に自由度があること
⑧機械的機能だけでなく、思考や感情にも働きかけること
⑨単品でなく他社、パートナー製品とも結合できるオープンなシステム製品であること
⑩ソリューション、コンサルティング、さらにはリサイクルなど顧客と共有した知識プロセスで提供されること

 以上のようなことが書かれています。これらの特徴を読んで、我々はその解答の一つが何であるかを容易に答えることができます。

 そう、iPhoneです。

 本書は、1999年に出版されているのですが、iPhoneが登場したのは、2007年です。また、その原型とも言えるiPodが発売されたのは、2001年です。
 本書によると、当時、1995年の指標を使って、国家の競争力が1999年以降2005年にかけて日本がトップになるとマイケル・ポーターが述べていたそうです。その結果は、御存知の通り。まさに1998年からデフレ時代に入り、日本が衰退し始めた時期になります。
 このナレッジマネジメントという考え方は、著者である野中郁次郎氏が提唱して、広められたものだそうですが、こうした発想をまじめに受け取って転換していったのがアメリカでした。それがいまだにイノベーションにおけるアメリカ経済の強さになっているようにも思えます。日本経済全体の弱さに関しては、デフレ対策の処方箋が間違っていたことが挙げられますが、その一方で経営戦略において、性能のいい製品を売れば、消費者は満足するという固定観念により、相変わらず技術一辺倒で進んでしまったのが、こうした結果を産んでしまったのではないか。そうした意味で本書は、まだ古びていないのではないか。そのようにも思えます。

評価 ☆☆

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2016年8月20日 (土)

マルク・デュガン『FBIフーバー長官の呪い』

点検読書220

訳者は、中平信也。
文春文庫(2007年2月10日)刊
原著は、Marc Dugain, La Malèdiction D'edogar, Editions Gallimard, 2005.


世界史――アメリカ


FBI長官として長きにわたってアメリカに君臨したジョン・エドガー・フーバーの側近が残したファイルを元に、第二次大戦からフーバーの死までと、彼が敵視したケネディ一族の歴史が語られる。


1:第二次世界大戦とジョセフ・P・ケネディの時代(1~10)

2:ジョン・F・ケネディの登場と反共時代(11~18)

3:JFKの時代と暗殺事件(19~33)

4:ロバート・ケネディとフーバーの死(34~39)

コメント
 本書は、フーバーを通してみた戦後アメリカ史であり、またその戦後のアメリカ史とは、取りも直さずケネディ家の歴史である、というのが読み取れます。
 本書で、描かれるJFKはとにかく「女狂い」です。ケネディというと、例の誕生日の時の、マリリン・モンローの「ハッピーバースディ」の歌が有名で、二人の関係が話題になります。しかし、ケネディにとって、モンローは数ある恋人の中の変わり種に過ぎず、常に複数の女性とだらだらと交際を続けていたらしいのです。本書の中では、はっきりと「セックス依存症」と呼ばれています。また、本書によると、どちらかと言うと真面目で慎重な弟・ロバートともモンローは関係を持っていました。ケネディ家ではこうしたことは珍しいことではなく、一人の女性を父親から息子たちへ、兄から弟たちへ、というように譲渡され共有されていた、といいます。戦死した兄・ジョセフの恋人に会いに行ったジョンが、その女性とベッドをともにするという弔い方をしてもいたそうです。
 ですから、こうした事実が国民に知れ渡り、アメリカという国家の威信が崩れることを防ぎたい。そのように思う人々がいることは自然であるし、そうした総意が彼の暗殺につながった、と本書では述べられています。CIAの犯行を本書は匂わせていますが、それだけではない、アメリカ全体の意志なのだ、という主張のようです。
 本書の中で、語り部のクライド・トルソンは、「私見ですが、共産主義に一度なった者は、死ぬまで共産主義者であることをやめません」(398頁)と述べていますが、こうした考えの人が米国の連邦警察を構成しており、そして盗聴・監視を思いのままにしていたとすると、かなり恐ろしい国ではあります。このセリフは、次期大統領候補となったロバート・ケネディが、カミュに関心をもっているという発言から、カミュの専門家に話を聞きに行ったところで出たものですが、カミュに関心を持っただけで危険思想の持ち主と懸念されたのです。
 今年のアメリカ大統領選で、アメリカ基準では急進左派のサンダース氏が、民主党の予備選挙で健闘しましたが、以前であれば完全に監視対象でしょうし、スパイと思われてもおかしくなかったでしょう。自由の国アメリカは、現在の斜陽時代になって、やっと「自由」の国になったのかもしれません。
 それはともかくとして、どこまで本当かは分からないものの、アメリカ裏面史としては、興味深い作品でした。

評価 ☆☆

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2016年8月19日 (金)

ロルフ・デーゲン『フロイト先生のウソ』

点検読書219

訳者は、赤根洋子。
文春文庫(2003年1月10日)刊
原著は、Rolf Degen, Lexikon Der Pszcho-Irrtümer, 2000, Frankfurt.


心理学


「人間は教育によって決まる」、「マスメディアは絶大な影響力を持っている」など、ちまたに溢れる「迷信」を現在までの実験で確認されている学説によって、ドイツの科学ジャーナリストである著者が、次々に批判の俎上に上げる。とりわけ、一般的に心理学の大家として見られてしまっているフロイトが創始した精神分析の罪は重い、と主張する。


四部構成

1:「影響力」のウソ(心理療法、教育、マスメディア、能力開発)

2:「心」のウソ(無意識、自己認識、自尊意識、心身症、多重人格)

3:「意識」のウソ(瞑想、催眠、臨死体験)

4:「脳」のウソ(脳使用の10%神話、右脳と左脳)

コメント
 本書は、2000年段階での心理学の実験によって確認された事実によって、我々がすでに「常識」となってしまったようなものの考え方を次々に覆してくれます。
 例えば「教育」。本書によれば、幼児期の親の教育態度や不幸な体験、虐待、離婚などが子供に与える影響は軽微だというのです。つまり、外部からの教え込みというものの影響は小さく、生まれ持っての性質である遺伝と、自己の体験したものから本人が選びとった選択の方が大きいというのです。
 ですから、穏やかな両親の下で育った人が穏やかな人格を持つというのは教育でそうなったというよりも生まれ持っての性質であるし、虐待されて育った子供が子供に対して虐待するというのも虐待されたという体験がそうするのではなく、暴力的な性質を受け継いでいるだけということになります。また、男らしい、女らしいは親の与えたものによって「つくられる」のだという説が一時期流行しましたが、これも否定されており、男の子が機械系の玩具を与えられるのは、男は機械類の操作に長けているからという親側の考えではなく、単に男児がそれを好むので与えるという受動的な反応に過ぎないのではないか、と考えられというのです(女児についての人形も同じようなものである)。
 たしかに体験的にもそうです。私も長男に与えるものというのは、特に意識していなかったし、乳児の時の服は従弟の女の子の服を着せていたりしていたのですが、絵本や動画で関心を示すのはバスです。風呂で遊ぶ玩具もアヒルの人形を与えてましたが、祖父が100円ショップで買ってきた船の方が気に入ってしまいました。ぬいぐるみもニコニコしていじったりしていますが、やはり車輪の付いたものや機械ものの方が好きなようです。だから、「人は女に生まれない。女になるのだ」というボーヴォワールの言葉は、怪しいというのが、子育てで得た実感です。かといって、こちらの方で決めた「男らしさ」「女らしさ」を強調するのはもちろん違うと思いますし、平均を逸脱する人もいるのだとは認識しておいた方が良いと思います。
 もう一つの偶然というのは何かというと、たまたま体験したことを自分の大切なものと考えるようになって、人格を決めるというものです。親の方で一生懸命何かを教えこんでも、本人にやる気がなければ、何にもならないし、たまたまみた大自然番組に影響を受けて、田舎生活にあこがれるというようなものです。つまり、外部からの影響というのは、本人がそこに積極的な関心を持つようにしなければ、何ら意味がないということです。
 今やっているオリンピックのメダリストたちは、親が体操教室をやっているとか、二世選手が多いです。しかし、これも親がやらせたというよりも、身近な遊び道具がそれしかなかったとか、親と一緒に居られるには体操をやるしかないとか、環境の影響もありつつも本人が選びとった結果なのでしょう。
 また、メディアの影響というものも興味深いです。つまり、メディアの影響は限定的である、というのが実証されているわけです。一般に、人々はメディアの影響は大きいと考えます。しかし、もしメディアの影響が大きいと考える人が多いなら、それだけ警戒感があるのですから、影響が小さくなるはずです。それにも関わらず、大きいと感じるのはどうしたことか。これは、自分はメディアの影響を受けないと思うが、他人は影響を受けてしまう、と考えている人が多いということらしいのです。つまり、自分は賢い市民であるが、他人は衆愚ばかりだ、と言っているのです。ネット上でメディア批判している人って、こういう人が多いように思います。
 そもそも人は、自分の関心のあるものしか目に入りません。メディアが、何と言おうと人々は自分の考えを変えることはないのです。もし変えたように見えたら、それは潜在的に人々がそうしたことに関心があって、それとマッチングしたからであって、そもそもの基盤があって、マスメディアの影響があったのです。
 選挙に関して言うと、2005年の「郵政解散」の際に、小泉劇場としてワイドショーが刺客候補などを追いかけ、小泉自民に有利な報道をした結果として議席率が73%と17%と地滑り的な勝利をしたように思えますが、比例の得票では自民党38%に対して民主党が31%でした。自民党にマイナスな報道ばかりあった2000年の「神の国解散」の総選挙では、自民が28%、民主が25%でしたが、民主に有利な報道があった「神の国解散」時より、「郵政解散」時の方が得票率が高かったのです。こうしてみると、メディアの影響というのは軽微で、それ以前に有権者の意志は決まっていたといえるでしょう。
 このように、世の中の現象というのは、多くの俗説によってフィルターがかかっています。もっとも、こうしたものがあった方が、誰かの商売になるから、そうしたものがあるのでしょう。本書は、そうしたものに引っかからないための、知識を与えてくれるように思います。

評価 ☆☆☆

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2016年8月18日 (木)

成沢光『政治のことば』

点検読書218

副題は「意味の歴史をめぐって」
講談社学術文庫(2012年8月9日)刊
原著は、平凡社(1984年)


政治学――日本政治思想史


日本史の中の基本的な語を選んで、それらが文献に現れた用法上、どのような特質をもっているか、他の語との意味連関や語義の異動および、それらの変化を手がかりとして日本における政治意識の諸側面を歴史的に明らかにする。


四部構成

1:古代政治のことば。

2:古代・中世の国際関係のことば。

3:近世都市社会のことば。

4:近代政治の権利と統治。

コメント
 本書は、タイトルが「政治の言葉」ではなく、「政治のことば」とあるように、日本語=和語に注目して、日本における政治的語彙の特質を明らかにしています。
 例えば、「ヲサム」という言葉は、あるべき静態的秩序を前提として、ある対象をあるべき場所へ落ち着かせることを意味している、と指摘されています。亡骸を墓にヲサメるし、収穫物を蔵へヲサメるのです。そして、政治秩序においても、君主が土地・人民をヲサメるのであるし、人民は税をヲサメるのです。
 最後の例で見られるように、日本の支配―従属関係において、モノ、コトバ、行為が授受される時、支配者の行為と被支配者の行為とに共通の言葉が用いられているように、両者は依存関係にあることが分かります。同じことばの互酬関係によって、両者の関係が成立しているのです。一方的に、治めるのでなければ、納めるわけでもないのです。これは、いわゆる君民共治の国柄を表しているといえますが、逆に言うと責任主体の曖昧化がことばの上でも表れているといえるでしょう。
 こうした日本の政治構造を特徴づけるものとして、「マツリゴト」があります。この「マツリゴト」は、「祭事」と「政事」とで同じ漢字を当てることで祭政一致というような考えが出ていますが、本書を読むとどうもそうとも言えないようです。というのも、天皇は「マツリゴト」=「政」ということばの主体ではあるのですが、律令制以後において実際に執行する「マツリゴトヒト」は三等官以下の判官を意味することばであったといいます。そして、古代において「マツリゴト」ということばが当てられた漢字に「機」ということばがあり、これは「ハカリゴト」とも当てられています。この「機」=「マツリゴト」=「ハカリゴト」の場合は、君主の側近くで「謀」を司る者という意味合いがもたれるのです。
 こうなると「マツリゴト」も、天皇が主体でありつつ、天皇のために「ハカリゴト」をする側近が主体である「マツリゴト」でもあり、人民への直接支配と天皇のための「奉仕」を意味する「マツリゴト」をする下級役人が主体でもあります。そしてまた、天皇自身も領土・人民に対して「マツリゴト」すると同時に、神に対して「マツリゴト」=「祭祀」を行ってもいます。こうなると、先ほどの「ヲサム」が、互酬関係にあるのと同じで、その責任主体が曖昧です。
 天皇は全体を治めているようで、その方策を立てるのは側近で、実際に行なうのは下級役人です。何か問題が起きた時に、天皇は、臣下の進言を受け入れただけだし、側近は提案しただけだし、下級役人は実行しただけです。そして、そうした行為のすべてを同じことばで表すことで、行為主体を曖昧にする。いかにも日本の政治構造らしい姿が、ことばの上でも確認できたというわけです。
 本書はまた、「権利」ということばの「権」には「イキホヒ」という「力」というかエネルギーのようなものイメージさせる用法があったそうです。そのために、西洋語のrightなどにあった「正義」というような意味合いが抜け落ちてしまって、自らの自由・身体・財産等を守り、またそれを行なう基盤となるようなもの、「力」の印象が強くなってしまったというのです。そのために、権利には、好き放題行なうという印象が強くなり、それを抑制する義務が伴うべき、という考えが定着してしまったという指摘は、興味深いものです。果たして、西洋語のrightの方に、自らの生命を含む所有物を守る能力とともに、わざわざ義務を言うまでもなく、その適切な使用が含まれているか、分かりかねますが、知識として持っていた方が良いもののように思います。
 本書は、以上のように、ことばというものが我々のものの見方に影響を与えているという考えのもとに、日本における政治意識の原点をことばのうちに探りだすという、興味深い内容になっています。本書を読むことによって、一段深い政治への見方ができるかもしれません。

評価 ☆☆☆☆

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2016年8月16日 (火)

岩波明『狂気の偽装』

点検読書217

新潮文庫(2008年11月1日)刊
原著は、新潮社(2006年4月)刊

副題は「精神科医の臨床報告」


心理学


現役の臨床医師の立場から、マスコミが喧伝する「心の病」ブームの実態を、その概念や症候群の虚実を明らかにすることで、「心の病」への正しい理解を解説する。


1:メディアを騒がす「病名」たち―PTSD、トラウマ

2:「心の病」の患者たち―うつ病、自閉症、境界例

3:依存症の人たち―摂食・過食、自傷・自殺、セックス、買い物

コメント
 PTSD、トラウマ、ゲーム脳、セックス依存症など、メディアを騒がす心理学的、精神医療に関わる「病名」が存在ます。著者によれば、これらはかなり怪しいものだそうです。
 例えば、PTSD(Post Traumatic Stress Disorder)=「外傷後ストレス障害」は、実際に死に直結するような体験をしたものだけを指すものだそうです。トラウマにも関わってくるものですが、言葉の暴力や性的虐待などで発症するものではないし、事件後に数年経ってから突然症状が現れるものではないそうです。つまりは、戦争などで殺し殺される体験、硝煙や爆裂音、あるいは断末魔の悲鳴の中でみた死体の肉片や血だまりがPTSDを引き起こすのだそうです。著者自身が、PTSDと診断できたのは、地下鉄サリン事件の被害者のみであったという。
 このPTSDと診断できないものの、何らかの「事件」が過去にあって、それが後に精神への影響をあたえるという考え方に「トラウマ」もあります。このトラウマの場合、親の養育などに原因が求められるが、実際の精神疾患は、何らかの事件や体験があってすぐに発症するもので、何年か経って思い出されることによって生じるものではないそうです。つまり、日頃のストレスや環境への不適応の理由の犯人探しのために使われている、ということになりそうです。悪質なものとなると、精神科医の「誘導」によって、そうしたものが偽りの記憶として「思い出されて」、家族間の不和を生じさせることにもなるといいます。
 ゲーム脳に関しては、全くのトンデモであるし、セックス依存症は単純に他にストレスがあって、それを紛らわすために過ぎないのじゃないか、との指摘は確かだと思います。この症例の主張者の著書で、19年間で7人の女性と交際して頻繁に交際相手を変えたビル・クリントン元大統領が例として挙げられていますが、著者も言うように多いとも少ないとも言えない印象がありますね(ケネディを例に挙げとけばよかったのに)。
 本書は、こうした「心の病」というものは、なかなか身近に接することができないがために、新しい概念を提示されると信じてしまう傾向があることを述べているのかと思います。恐ろしいのは、こうした「心の病」が一般に受容されて、それが政府の政策などに採用される、つまり多額の税金が投入される、という問題が生じることです。そうしたことを認めないためにも、本書のような助けによって「正しい理解」というものが、必要なのかな、と思います。

評価 ☆☆

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2016年8月15日 (月)

庄司薫『赤頭巾ちゃん気をつけて』

点検読書216

中公文庫(1973年6月10日)刊


小説――日本


東大入試が中止となった1969年に高校3年生であった庄司薫が大学受験をやめることを決める数日の出来事を日比谷高校と山の手の人々の雰囲気を描く。


1:幼なじみ由美との喧嘩(1~3)

2:兄の同級生の女医の誘惑(4~5)

3:山の手の生活(6~7)

4:日比谷高校芸術派(8~9)

5:銀座の少女と由美との和解(10)

コメント
 兄弟そろって東大一家で、女中がいる家の高校3年生。妙な関係の幼なじみと女医の誘惑、そしてゴーゴーパーティーへの参加。その上、古典作品を気軽に語れるこの雰囲気。何とも想像の外にある世界の話で、こういう世界もあるんですかねぇ、といったところ。
 ほとんどはいけ好かないエリートのどうでもいい悩みと当時の風俗が語られている小説なのだが、ラストになると何故かしんみり来てしまって、謎の感動があります。

評価 ☆☆

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2016年8月12日 (金)

大下英治『清和会秘録』

点検読書215

イースト新書(2015年10月15日)刊


日本政治


福田赳夫の再選を目指した自民党総裁選で、大平正芳に敗けたことを機に結成された「清和会」。かつての田中派支配の自民党では傍流にあったものの、森喜朗内閣以来、4人の総理大臣を輩出する一大派閥にまで成長した。本書は、その前史としての岸信介と後継者の福田赳夫、総理総裁をあと一歩で逃した安倍晋太郎、そして森、小泉、安倍、福田の四代の首相時代と現在の第2次安倍内閣までの政界を語る。


六部構成

1:源流としての岸信介(はじめに)

2:福田赳夫と清和会誕生(第一章)

3:安倍晋太郎伝(第二章)

4:森内閣から小泉内閣(第三章)

5:安倍内閣から政権交代へ(第四章)

6:第2次安倍内閣(第五章)

コメント
 清和会の誕生は、福田赳夫再選を目指した自民党総裁選の予備選で、大平正芳に敗けた翌年1979年1月でした。この総裁選挙は、福田赳夫が総裁就任時に、大平に再選はしないと約束していたにも関わらず、再選を目指したという福田の人間性に問題があったものの、選挙自体は大平の背後にいた田中角栄の金権選挙だったのでした。本書によると、大平陣営は次々と札束を配ったのですが、金を使って人を動かすことは美学に反するとして福田は敗北します。当時のこととして、田中角栄が「○百億で日本が買える。安いものだ」といっていた、と赳夫の息子で後継者となった福田康夫元首相は証言しています。
 こうした背景から清和会というのは、金の力で有権者の要望に応えたり、また操縦しようとするのではなく、理念・政策によって有権者を惹きつけて、結果として有権者の幸福につばがるような政治をするというスタイルであったようです。田中派支配の自民党が、直接的な地元利益の配分に傾注したのとは逆だったのです。これは、高度成長期において、国家財政に余裕があり、その金を撒くことによって政権と与党の支配が安定するという時代には適合したものの、低成長・不景気の時には難しくなります。そうなると直接的な利益誘導ではなく、理念・政策で勝負する清和会が、90年代末から実力を持ち始めるのも、無い袖は振れない現実からの必然であったのかもしれません。
 また、こうした理念・政策型の政党モデルは、福田自身の持論であった党近代化のための小選挙区制にも見合ったものとなります。かつての中選挙区制は、同一選挙区から複数人の議員を輩出するシステムであり、しかも同じ選曲に同じ政党から候補者が出た際に、投票のシェアができないことになっていました。そのため、同じ政党であっても同一選挙区から出る場合はライバルとなり、しかも政策的に遠い革新系と争うよりも近い政策・理念の同一政党候補者の方が支持者が重なるために戦いが熾烈となります。
 そのため、同一政党であってもある程度の政策的違いを出すことが、候補者にとって必要となってきます。それが、自民党の多元主義的な幅の広さをもたせていたのですが、逆にいうとまとまりがなく、総理総裁の指導力が上手く機能しない原因となります。
 その上、こうした多元主義的な政党構造のため、時の首相が失脚した際に、反主流派の人物を総裁に据えれば、擬似的な政権交代を可能にし、自民党全体としての責任が有権者から問われないことになります。有権者が投票する時には、その失敗した首相の政党ではなく、新しい別の政策・理念を持った首相の政党に対して審判を下さなければならないからです。
 一方で小選挙区制は、1つの選挙区から1人しか当選できませんので、同一政党の候補者は一人となります。もし、その選挙から立候補したいのなら、候補者のいない別の政党に加入することが合理的となります。
 こうなると政党というものは、一つの理念・政策に統合されていきます。有権者は、その政党が掲げる理念・政策に投票することになります。もし、その理念・政策によって、政権が行き詰まったのなら、総理総裁だけではなく党全体の責任となります。そうなると責任が明確となり、有権者はその政権与党とは異なる政権プランをもった政党に政権を委ねることにします。これが政権交代です。
 また一方で有権者が、支持した理念・政策を首相が変わったからといって、有権者の許可を得ずに変更することは許されません。第一次安倍内閣で、郵政選挙の造反組を復党させたのが安倍内閣の崩壊の序曲となってしまいましたが、これは小選挙区制において有権者が委ねた方向性と異なる姿勢を見せたからです。もし復党が必要ならば、もう一度、選挙をして有権者の許可を得るべきでした。小選挙区制に移行した後の政党に多元性は必要ないのです。政権への反対派は、与党内ではなく、野党が担うものだからです。
 現在、安倍一強と言われていますが、こうした見方が出ること自体が昭和期の自民党への郷愁がまだ抜け切れていないのであって、本来の近代的な政党においては当然のものでしょう。内閣の外に出た石破茂氏が仮に反主流派となったとしたら、彼が総裁となって現在の自民党のモデルチェンジをする時は野党になった時にすべきです。現在の国政選挙に四回勝利した安倍自民というのは、安倍自民の理念・政策が支持されているのであって、単に自民党という看板を背負っているからではありません。その点を理解しないと、仮に石破氏が、次の総裁選で反安倍路線を掲げて勝利しても、短期政権になってしまうでしょう。
 本書は、そうした多元主義的な自民党が集権的な近代政党へと転換していく過程を、清和会という近代政党を目指した自民党内の派閥の歴史を見ていくことで理解できるようになっている。
 もっとも、以上の解釈は私の問題関心から出てきたもので、本書でこれらを論じているわけではありません。本書の面白さは、もっとエピソード的なものかもしれません。何かと評判の悪い森喜朗さんというのは、理念・政策を掲げる清和会の政治家としてはいかがなものかと思いますが、組織人としては超一流ですし、何とも魅力があるようです。また、本当は、河野洋平氏が清和会入りの話があったというのも驚きです。
 たしかに森喜朗氏は、河野洋平総裁時代の幹事長ですし、ともに辛酸を嘗め、社会党と組んでまで政権に復帰しようとした盟友です。そのきっかけは、宮沢派内で加藤紘一との権力争いに敗れたためということでしたが、当初から清和会入りが目指されていたのなら、納得がいくところもあるんですね。というのも河野グループは、河野洋平氏は歴史問題や安全保障分野では左派的ですが、そのグループ内の人々、麻生太郎氏、衛藤征士郎氏、森英介氏、粕谷茂氏など親台湾派のタカ派議員が多いのですね。つまり、このグループは、河野派というよりも反加藤紘一派であり、清和会予備軍であったわけです。そうすると現在の安倍・麻生の盟友関係というのも分かる気もするのです。
 それはともかくとして、読み物として面白い本です。

評価 ☆☆

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2016年8月11日 (木)

橋本努『学問の技法』

点検読書214

ちくま新書(2013年1月10日)刊


学習法


著者の修行時代から考えてきた学問というより勉強の取り組み方を紹介。


三部構成

1:知的生活の準備(第1章:モチベーション、第2章:肉体改造、第3章:心構え)

2:インプットの技術(第4章:情報収集、第5章:読書)

3:アウトプットの技術(第6・7章:議論の仕方、第8章:レポート、第9章:論文)

コメント
 良書です。冒頭の「あしたのために」という心構えがあります。ここが本書のメッセージのキモとなっていて、そこだけ読むでも本書を読む価値がある。つまり、気になる作家や思想家の作品を手元において、何度も読み、著者と対話する。その生活こそが知的生活への第一歩となる、ということです。
 しかし、著者の勉強法は、こうした一冊を繰り返し読むだけではありません。まずそうした本で出会うためにも、多読・速読しなければならない、と言います。著者自身は、大学時代の恩師に、一日一冊新書を読めを勧められて、実践していたようなのです。著者の専門からは、考えれないくらいの様々な新書等の教養・自己啓発のような本の紹介がいくつもあるのを見ると驚きますが、実際に上記の読書を続けていたのでしょう。そして、重要なのは、読みっぱなしにせずに、感想を書いておく、ということになります。
 私なりに、この著者の考えを実践する準備としては、常に本は三冊手元に置くべし。一冊は、今日中に読んでしまう本、二冊目は座右の書、三冊目は娯楽で読みたいもの、といったもので、最初の一冊の感想を書きつけて、もう一度読むべきかどうか、確認する必要があるということでしょう。
 本書において、ユニークなところは、読書の技法だけではなく、議論の仕方等にも目をつけているとこでしょう。感情的な質問をされた時には、「生理的な抑揚を抑えて発言してもらわないと理性的な回答ができません」といった切り返しなど、実際にそのまま言うかどうかは別にして、心構えとしては使えます。
 また、体力という問題にも目を向け、哲学書の一節を読んでそれを考えながら散歩しようとか、一流大学と二~三流大学の学生の違いは、腹筋と背筋の強さに差があって、長く座っていられないからだ、との喝破はすさまじい。単純な私など、本書を読んでから、毎日、暇さえあれば、フロントブリッジとジャックナイフの姿勢で一分静止と、腕立て伏せを行なうようになりました。
 それはともかくとして、知的生活を送ろうと思われる方には、本書を強くおすすめしたいと思います。

評価 ☆☆☆

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2016年8月 7日 (日)

野口悠紀雄『「超」勉強法・実践編』

点検読書213

講談社文庫(2000年12月15日)刊。
原著は講談社(1997年1月)。


学習法


学歴社会から勉強社会へと移行するにあたって、効率的な勉強をする方法論が必要である。その中でも最も大事なのは、英語と日本語作文である。本書は、英会話、英文・日本文の書き方の成果の上がる訓練法を述べる。


四部構成

1:本書のねらいと構成(第一章)

2:英語の勉強法(第二章)

3:日本語作文の勉強法(第三章)

4:パソコンの利用法(第四章)

コメント
 野口悠紀雄氏といえば、現在においては反リフレ・構造改革派の経済論の論客として知られています。また、戦後の政府統制の強い経済システムは戦時体制下に創られたものであるという、いわゆる「1940年体制論」の主張者としても知られています。しかし、私にとっては、やはり勉強法の人なのです。
 大学に入りたての時、市の図書館でブラブラと立ち読みをしていた時に、著者の『超勉強法』をパラパラとめくり、外国語の勉強は20回読んで丸暗記すれば良い、という箇所を読んで、そんな簡単なことでいいのか、と半信半疑で第二外国語の中国語で試してみました。
 するとたしかに成果があったのでした。試験範囲の20ページ程度をまずとにかく音読する。その後、確認のために本文、四声を含む発音、訳を書き出します。できたんですね。これが。ほとんど過たず、スラスラと書き出すことができたのでした。そうなると試験は90点以上はかたいです。2コマとも「優」を頂きましたし、味をしめて英語でも実践してみたら、こちらも成績が上がりました。

 

著者の偉大さに感服した私は主著の『1940年体制論』も手にしたこともあったのですが、こちらは退屈で途中で読むのをやめてしまい、その後、行方知れずになってしまいました。ですから、彼の経済論に関しての影響は一切受けていません。
 しかし、この方法というのは、私のようにとにかく言われた通りやってみるという素直で従順な性格が必要となります。この方法を家庭教師先で教えてみたのですが、実際にやってくれた生徒は1人もいませんでした。すごく結果に結びつく、良い勉強法だと思うんですけどね。

 さて、このように著者にはお世話になっておきながらも他の著書がいまいちであったため、「実践編」が出ているなど、知りませんでした。先日、古書店で見つけて購入した次第です。
 本書は、英語、日本語、パソコンについての実践法が書かれているわけですが、文庫版で15年も前の作品ですから、パソコンの環境はあまり役に立たないと思います。本書に書かれている驚きが、かなりふつうの事となってしまっているのです。
 しかし、英会話と英作文、日本語作文の作成法については古びていないのではないか。そのように思います。

 英会話については、話すことを訓練するのではなく、聴くことに専念しろ、といいます。英語のラジオを録音して、通勤電車内で聴き取り、心の中で反芻しなさい、ということです。たしかに私は、英語を読むことは何とかできるのですが、会話となると何を言って良いのか、分からなくなってしまいます。考えてみれば、私は学生時代以来、リスニングが不得意で、そのおかげで点数を下げていたという経験を持っています。やはり話す以前の問題として聴き取れていないのです。聴けていないから、ロールモデルがない、だから話せない、ということになります。
 リスニングだけで、その意味が分からなくていいのか、と思ってしまいますが、まずは慣れること、そして真似することになるのだと思います。聴いて真似するといえば、歌なんかがそれに当たりますが、日本語でも外国語でも聞いていると意味なんて深く考えないで、口ずさんでみたりしますよね。そういうことだと思います。
 本書ではラジオの録音と述べていますが、現在ではポッドキャストという便利なものがありますから、早速、ESLという第二外国語として英語を学習する人向けのもの(参照)とNHKの英語ニュースのもの(参照)をWALKMAN(スマホではない)に入れて実践しはじめました。成果がみられるのはいつのことでしょうか。
 英作文の方は、新聞の日本語社説を英語に書き直す練習をしろ、と述べております。たしかに最近はインターネット上に両方見つけることができるので、便利かと思います。私は、NHKニュースとNHK WORLDとを対照すれば良いかな、と思っております。

 最後の日本語作文については、毎日150字程度の「今日の記録」を書け、と述べています。著者によれば、150字というのは文章の基本で、まずその感覚を磨かなければならないというようです。書き方のポイントとしては、自分のために書くのではなく、読者を想定して客観的に書くことだそうです。ここで重要なのは、150字という制約があることで、何度も読み返し、文章を読み返し、足したり削ったりとする作業ができるということでしょう。こうした推敲の作業が文章力を磨くという意味で文字数に制約があるのかと思います。
 また、長い文章を書く際には、先の基本単位である150字の文章をいくつか書き、それを頭に入れつつ、全体の構成を考えるという方法を述べています。この点もなるほどと思わせる内容です。

 本書で語られる「勉強法」は、これ等に尽きるものではありませんが、まずやってみないことには、どのような効果があるか、分かりません。そんなわけで、これらをしばらくやってみることにします。

評価 ☆☆

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2016年8月 6日 (土)

史料で確かめられる最初の記紀の登場人物とは

 吉村武彦『蘇我氏の古代』を読んで、もう一点、興味をひかれたものがありました。

 日本史上において、史料的に確かめられる最初の日本人は誰なのか。

 本書によると、それは葛城の 「襲津彦」なのだそうです。この人物は、神功皇后から仁徳天皇の時代に記録がある人物で、『日本書紀』を編纂する際に倭国に亡命した百済人が提供した「百済記」に「沙至比跪」と書かれている人物だそうです。その「百済記」によると、沙至比跪は新羅征討に遣わされたのですが、この年が壬午年=西暦382年 で、高句麗の広開土王碑文の辛卯年(391年)に倭国は渡海して百済・新羅を臣民にしたという記述と大体において符合するというのです。
 戦後の歴史学において、神功皇后の「三韓征伐」は、神話ということで否定しているわけですが、戦後の歴史学の成果として、神功紀に登場する、しかもまさに朝鮮半島に派遣された人物が、記録として最初に確かめられる人物というのは、何とも皮肉なような気もします
 この襲津彦は、伝説上の人物である武内宿禰の第八子なのですが、では武内宿禰が実在の人物かというと、そこは何ともいえないというのが難しいところです。

 また、国内史料の方からの候補としては、稲荷山古墳出土の5世紀後半に制作されたとされる金錯銘鉄剣に書かれた「獲加多支鹵(ワカタケル)」が、雄略天皇に当たるとして有名です。しかし、この銘文にはもう一人、記紀に登場する人物がいます。それは鉄剣の製作者の祖先に当たる「意富比垝(オオヒコ)」が、『日本書紀』崇神紀にみえる四道将軍の一人「大彦」ではないか、というのです
 この大彦という人物は、第八代の孝元天皇の第一子で、崇神天皇の伯父にあたります。このように考えると、「欠史八代」と言われた1人の孝元天皇の息子の存在が確認されたともいえます。そうすると、その「神話」である、という考え方も再考が必要では、と考えられます。もっとも、吉村武彦氏は、錯銘鉄剣が制作された五世紀に「大彦」伝説が伝わっていたことが確認できるというのみで慎重です。大彦までいったのだから、孝元天皇まで言及すればいいじゃないか、でも言及がないのだから、孝元天皇は実在しない、という考えも成り立つので、難しいところなのかもしれません。
 この孝元天皇というのが、意外とキーパーソンで、先の襲津彦の記録も、『古事記』孝元天皇の段で、建内宿禰の第八子「葛城の長江曾都毘古」として書かれております。現在の記紀においては、何のエピソードもない孝元天皇なのですが、古代においては重要人物だったのでしょうか

 先の参議院選挙の選挙特番で、神奈川県選出の三原じゅん子参議院議員が、神武天皇の実在を明言したことが話題になりました。現代の公職にある人が、メディアの前で、そんなことを言うのは驚きですが、現在の天皇の代数を公式には125代と政府の発表でも述べられているわけですから、建前として神武天皇の実在を言うのは逆に当然なのかもしれません。しかし、この「事件」によって、考えたのは、この三原発言を揶揄している人たちにとって、どの天皇からだったら実在を主張していいことになるのだろうか、ということです
 本書の著者である吉村武彦氏は、岩波新書の古代史シリーズの『ヤマト王権』で第10代の崇神天皇が初代であると明記しています。とすると、崇神天皇の実在は確認されているのでしょうか。先ほどの襲津彦ほど他の史料で確認が取れているわけではありません。記紀の記述から推測しているだけです。では、襲津彦の同時代人である神功皇后かといえば、恐らくこれも明言したらバカにされるでしょう。現代の歴史学において、伝説とされているからです。では、応神・仁徳天皇か。これもはっきりしたことは分かりません。
 史料的に確認できるのは、雄略天皇かも知れません。『宋書』『梁書』の「倭王武」に比定されていますし、先ほどの稲荷山古墳の鉄剣銘の人物とも符合します。しかし、その後の天皇はどうでしょうか。
 
一般に紀年の記録が実際と符合するようになったということで、実在が確からしいとされるのが継体天皇ですが、その応神天皇の五代の末という出自や没年が記紀、『上宮聖徳法王帝説』、『元興寺伽藍縁起』で異なるなど、これまた実在が疑わしいともされます。また『古事記』だけの記述では、継体天皇前後から推古天皇まではほぼ系譜のみです。推古天皇に関して言えば、遣隋使を送った時の天皇であるにもかかわらず、『隋書』には推古女帝に関する記録はありません。人によっては、九州王朝説の根拠ともなっています。そうなると分からない、というのが正直なところです。
 このように考えると三原発言というのは、単に前時代的な迷言で片付けるのではなく、では、どの天皇からがはっきりと言えるのだろうか、と立場を鮮明にした上で批判すべきなのではないか。そんな気がしたんですよね。だから、分からないと判断する私には、気軽に批判できる発言ではなかったのでした。自分の知的優位を確信して、人のことを揶揄できる人は本当に羨ましい限りです。
 もっとも安全なのは、日本という国号と天皇という称号が確定した飛鳥浄御原令の成立した689年時点の持統天皇を挙げることかもしれませんそうなると、現皇室の王朝名としての「日本」が誕生した689年より前は日本ではない、神話の世界のお話として考えるのが良いのかもしれません。もっともこの飛鳥浄御原令自体も現存してはいないので、ここでの確定もはっきりしたことは言えないのですけれども。

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2016年8月 5日 (金)

吉村武彦『蘇我氏の古代』

点検読書212

岩波新書(2015年12月15日)刊。


日本古代史


欽明天皇から皇極天皇の時代に仏教を導入し、絶大な権力を誇りつつも、乙巳の変で滅ぼされた蘇我氏。本書は、蘇我氏の登場から大化の改新後の蘇我氏傍流とそこから派生した石川氏への流れとともに、日本の氏族制度と律令国家の貴族官僚としての藤原氏の登場までを描く。


五部構成

1:日本古代の氏族(一)

2:蘇我氏の登場(二)

3:蘇我氏の隆盛(三)

4:大化の改新(四)

5:蘇我氏から藤原氏へ(五)

コメント
 本書は、蘇我氏の登場から衰退、そして蘇我蝦夷・入鹿親子の滅亡後の蘇我氏を描いているものです。通史的な教科書を読んでいると乙巳の変で、蘇我氏は滅びてしまったんだろうな、と思ってしまいますが、実は傍流として生き残っていて、後に「石川氏」として律令国家の官僚貴族として活躍していったことが述べられています。そういえば、乙巳の変の際に、三韓からの表文を読んでいた倉山田麻呂は、蘇我氏の出でしたから、この事件は蘇我氏を滅亡させた事件ではなく、蝦夷・入鹿親子を葬り去った事件であったのは、考えてみれば分かることでした。
 そうしたわけで、その後の蘇我氏についても書かれているのですが、興味を惹かれたのは、冒頭の日本における氏族について書かれていたところでした。
 そもそも氏族とは何かですが、まず中国の「宗族」についての説明があります。それによると、中国の宗族とは、共通の祖先から生じた男系の血縁集団を表し、その集団を「姓」と呼びます。この名乗っている「姓」によって、同族か否かを知ることができるのですが、血縁集団が非常に分かりやすいので、同じ姓の男女は結婚しないという同姓不婚の原則があります。この同姓集団のことを人類学において「氏族(クラン)」というのだそうです。
 この姓から派生し、政治的由来や居住地名などによって成立した血縁集団を「氏」といいます。例えば、官職名の司馬や国名の曹が氏となって血縁集団を表すようになりました。しかし、こうした姓と氏の違いというのは、秦漢時代には区別されなくなって、同義として使われるようになったというのです(14頁)。
 一方の日本はというと、もともとは、そうした血縁集団はなく、名前だけであったようで、例外的に、中国と交渉する際に王族が、「倭」を姓としていたようです(例えば、倭の五王の武は「倭武」)。また、渡来系の人物が、姓を名乗っています(司馬曹達など)。しかし、これらは中国との関係で名乗られたもので、日本国内の事情によって生じたものではありませんでした。そのため、中国との交流に距離を取り始めると、王族=皇室は「姓」を名乗らなくなります。言ってみれば、中世の対中貿易するために足利義満が「日本国王」として冊封される必要があったように、姓と名があることが文明国のあかしとして考えられたということでしょう。
 日本の事情で生じたのは、「杖刀人(じょうとうにん)」や「典曹人(てんそういん)」など王権に仕える職掌集団が血縁グループとして使用されたと推測されます。これを本書では「人制」と呼んでいます。これが後の社会的分業集団にあたる「部民制」へと移行したと論じます(馬養など)。そして、その後に物部氏などの氏族が誕生したという流れになります。
 そうなると、日本の氏族集団というのは、あくまで王権に奉仕する集団で、そうした名乗りを与えるのは、職掌を与える王族となりますので、王自身は「氏」を名乗る必要がなくなります。その後、この職能に関わる氏から「源・平・藤・橘」に見られるように、地名などから採られた名称を天皇から与えられる姓へと転換しました。
 ちなみに、こうした氏・姓は天皇から与えられるものであり、姓と名を続けて読む際には、「○○の☓☓」と「の」をつけます。「の」がつかない「氏名」・「姓名」は地名などから自ら名乗りはじめた「名字(苗字)」になります。

 また、蘇我氏というと仏教導入を進めたことで有名で、蘇我稲目以前の系譜でも百済の高官「木満至」に似た満智やそのものズバリな韓子、高麗と朝鮮半島っぽい名前が付いているので渡来系氏族と推定されることもあります。しかし、著者は『日本書紀』継体紀に、日本人の男が隣国の女を娶って生ませた子を「韓子」とするという記述を引いて、「韓子」自身が渡来系であるなら説明がつかないとして、異国へのあこがれが強いとは考えられるものの、渡来系氏族とは考えられない、と指摘しています(60~61頁)。この辺りは、漠然としたイメージで考えていたことがクリアになったので、勉強になりました。

 こうした小ネタが興味深かったのですが、もう一点、興味が惹かれた話題がありました。それは次回に。

評価 ☆☆

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